#12:新しい履歴書
面接官はぼくの履歴書を見るなり、眼鏡を額にずらして顔をしかめた。ぼくは先週買ったばかりのスーツの袖口を強く握って、汗でびっしょりと濡らしていた。
誤字があったのだろうか。何度も見直したし、記入漏れもない。見慣れない資格でもあったのだろうか。英検と漢検、簿記と自動車免許しか書いていない。学校の名前が読めないのだろうか。一応、わりかし有名な国立大学なのだけれど。
髪の毛が寂しい面接官は、ぼくを上目遣いで見て口を開いた。
「これ、古いタイプの履歴書ですね」
「はい?」
進路指導室で何度も練習を繰り返した。担当者の話だって完璧にメモして覚えた。でも、そんな話は聞いたことがない。古いタイプの履歴書? どういう意味だろう。
「まあ、口頭でもいいでしょう」
面接官はぼくの履歴書をテーブルにぱさりと落として、両の肘をテーブルに付け、組んだ手であごを支えて言った。
「レベルは幾つですか?」
「レベル?」
面接官は苦笑。
「新聞は、どこのものを見ていますか?」
有名な全国紙の名前を告げると、面接官はニタリと笑った。
「では、ローカルなニュース番組は見ていないんですね?」
「も……申し訳ありません」
「いえいえ。謝ることはありませんよ。まだ試運転の状態ですし、広報もしていません。どちらかと言えば機密ですし、施工されてからまだ半年ですからね、キミが知らないのも無理はないのですが……できれば、新しい履歴書を持参していただきたかったですね」
気が遠くなってきた。でも、ここで負けるわけにはいかない。この企業は、ぼくが幼少の頃から憧れ続けてきた、いわば夢なのだ。
「大変恐縮なのですが、よろしければご教授頂けないでしょうか」
「ふむ。
この地区では、住民全員にレベルが設定されているんですよ。市役所に届け出れば今日にでも認定してもらえるでしょう。レベルが上がれば給与も上がりますし、査定においてとても重要なウェイトを占めています。商品やメニューが割引になる店舗も増えてきたそうですよ」
初耳だった。生まれ育った区の隣で、そんなことが行われていたなんて、まったく知らなかった。
「レベルの基準となるのは年齢で、その半分がまずその人のレベルになります。端数は切り捨てられます。二年に一度、レベルが上がる、ということですね。
しかし、それだけでは本当のレベルとは言えません。還暦を迎えても一度も働かず、社会におんぶにだっこされている人間のレベルが、聖人君子のような二十代よりレベルが高い、などということがあってはならないのです」
面接官は、背広のえりについている、やや大きめの茶色いブローチをいじくった。
「これは、我が社が開発したレベル認定装置です。レベル認定を申請した人間全員に配布されます。小型カメラとマイク、それと高性能のICチップが内蔵されています。これで、認定者の行動を逐一監視し、市役所のデータサーバに送る。その如何によって、レベルが上下するのです。
レベルを上げるコツは、よい行いをすることです」
「よい・・・?」
「ええ。誰にも迷惑を掛けないように、誰にも必要とされるように生活をしていれば、自然とレベルは上がります。漫然と生活をしていれば緩やかにしか上がりませんが、上げる気になればいくらでも上げられる、ということですね」
さて、と言い、面接官は微笑んだ。
「申し訳ありませんが、レベルが認定されていない方の募集はしていません。ですが、通知をしていなかったこちらにも、非はあります。以上の点を踏まえて、半年後、再び面接を行います」
「ほ、本当ですか?」
「はい。私どもとしても、キミのような優秀“そうな”人材をよそに渡してしまうのは惜しい、と思っています。半年後、レベルが上がったキミにお会いしたい」
それで、面接は本当に終わってしまった。ぼくは履歴書を受け取り、これ以上はない、というほどのきれいなお辞儀をして退室した。
*
市役所に行くと、本当にあった。年金とか国保とか、案内が書いてある看板に、くっきりと
「レベル」
と印してあった。
受付に向かうと、まず記入を命じられた。住所や生い立ちを書くところは履歴書と似ていたけれど、ひとつだけ違ったのは、学校生活で所属していたクラブや委員会、そしてその役職、成績なども覚えている限りで事細かに記入しなければならなかった。
小・中学生の頃のことは薄ぼんやりとしか思い出せなかったけれど、もしかしたら、もうレベル認定は始まっているのかもしれないと思い、極力明確に書いた。空欄がひとつでもあって、そのせいでレベルがひとつでも下がったら、もったいないし、何より、ぼくに期待していると言ってくれたあの面接官に失礼だと思ったので。
全てを記入して受付の女性に手渡すと、彼女は無表情のまま目を通して、パソコンに入力を始めた。お掛けになってお待ちください、と言った顔は笑顔だったけれど、目が面倒だと告げていた。
やがて名前を呼ばれると、まず、あのブローチを渡された。もう、ぼくの顔がインプットされているそうだ。続いて、自動車の免許証のような紙製のカードを渡された。そこにはぼくの名前と顔写真、そして一際大きなゴシック体で
13
と書いてあった。どうやら、これがぼくのレベルのようだ。今22歳だから、普通なら11。そう考えると、あまり悪くない気がした。
最後に、分厚いパンフレットを渡された。折り目など付けないように、ていねいにカバンにしまい、市役所を出て喫茶店に入って目を通した。数十ページにわたって、説明がこれでもか、というほど並んでいた。
読んでみると、なかなか意外なことが多かった。レベルの認定は、あくまで本人の行動によって決まるらしい。思想や思考には左右されないそうだ。どれほど立派な考えでも、行動に移せないものは意味がない、らしい。でも、そういうものなのか、とも思った。きっと、管理も判断もしきれないのだろう。
レベルが上がると、ブローチが鳴る。それで市役所に出向き、専用の機械にレベルカードを通すと、数値が書き換えられるらしい。逆にレベルが下がった場合は、やはりブローチが鳴ってから、家だろうが会社だろうが、役員が押しかけてきて半ば強制的に機械にカードを通させるらしい。上げるのは自由だけれど、下げるのは強制。社会って厳しいな、と思った。
他人であろうと、嫌われるような、軽蔑されるようなことをしてはいけない。これは当たり前なのだけれど、その基準がまた厳しい。どうやらこのダサいブローチ、すれ違う人の視線や体温や音声を感知して識別する機能が付いているようで、しかも逐一監視している、というのだ。つまり、喜ばれるようなことをしても、嫌われるようなことをしても、一発でばれてしまう。これは気が抜けない。
なるほど、と呟いていた。
これは、けっこう面白そうだ。他人から評価されるのは慣れているし、その方が日々を単調に過ごさなくていいかも知れない。何より、住民全員がレベル上げを志したら、なんだかすごく素晴らしそうじゃないか。
とりあえず、レベルをひとつ上げることを目標にして、半年後には15、いや、20くらいを目指そう。
*
と思っていた三ヶ月前の自分がいかに浅はかだったか。
秋、就職浪人になったぼくはまず、ボランティア活動に参加してみた。学生時代からちょくちょくやっていたことだから、労はなかった。
ただ、あの頃とは決定的に感じるものが違った。学生のときは、ただ街がきれいになるのが嬉しくて手を動かしていた。今は、絶えず誰かに背中を押されながらやっている気がして、ちっとも落ち着かない。それでも頑張り、週に三度も参加したにも関わらず、十月はとうとうレベルの変動がなかった。その事実が、ぼくの肩にずっしりと乗っかって、今もまだ取れないでいる。
そのくせ、下がるときは下がる。ボランティアで帰りが遅くなった日、食事をコンビニの弁当で済ませようとした。余談だけど、レベル割引は30からというポスターが貼ってあった。
その時、店員が間違えておつりを多く渡した。作業で疲れきっていたぼくはろくに確認もせずそれを財布にしまった。
その瞬間、ああ、思い出したくもない、あの低くてうるさいブザー音が鳴って、ぼくのレベルは12に下がった。
でも、これはまだいい。疲れて怠慢になっていたぼくも悪いし。
11に下がった時はもっと酷かった。電車に乗っていたときのこと。席に座って本を読んでいたら、乗り込んできたおばあさんがぼくの前に立ってきつく見下ろした。そして怒鳴られた。
「さっさと席をゆずりなさいよ!」
車内は混雑もしていなければ、優先席もガラガラだった。その人には見覚えがなかったし、因縁をつけられる理由なんか全然思いつかない。
ぼくは堂々としていた。ぼくは間違ってなんかいない。ぼくに悪いところなんかないんだから。
なのに、あのブザーが鳴った。人に悪意のある大きな声を出される。それ自体が、それ自体を、ブローチがマイナスだと判断したんだ。
ぼくが落ち込むと、おばあさんはケタケタと笑った。
「これこれ。この音を聞かないとねえ」
地元では有名な、意地悪な人らしかった。自分のレベルはとっくに1で、人のレベルを下げることに固執しているらしい。だからみんな、こっそりブローチを隠すんだって、隣のサラリーマンが教えてくれた。ありがとう、と返したら、サラリーマンのブローチが軽快なアラームを鳴らした。
レベル11になったぼくは、そんなトラウマもあり、雪の季節を引きこもって過ごした。
上げようとしても上がらないのに、下がると思ってもいないのに下がる、ぼくのレベル。これで評価されてしまうのかと思うと、何もやる気が起きなくなった。
他人に評価されることには慣れている。これは嘘じゃあない。学生の頃から、ううん、子供の頃からそうだったじゃないか。ほかの家の子供より勉強ができるか。難しい漢字が読めて書けるか。計算を間違えないか。物覚えはいいか。リーダーをやれるか。そんな環境の中で今まで生きてきた。
そこまで考えて、やっとぼくは、実は評価されることに慣れていないことに気が付いた。
ぼくが慣れていたのは、比較だった。ぼくは、周りのみんなよりは勉強もできたし、どちらかと言えば頼られるほうだった。友達も多かったし、恋人だって何人かいた。でも、そのこと自体に、どれほどの意味があっただろう。どれほどの価値があっただろう。周りよりちょっとだけ頭が出ていたからって、それが何だというんだろう。ぼくが気付かずに、隣の誰かより駄目だったところが絶対にあるはずなのに、頭をなでられて、それが嬉しくて目を閉じて生きてきたんだ。
ぼくはレベルカードを眺めた。自分の名前の下、顔の隣で胸を張る11という数値。ふたつも減ったこの数字が忌々しくてたまらなかったけれど、今はまるで記念写真を見ているような気持ちだ。
これがぼくの価値なのかも知れない。年齢相応の考えしかなく、年齢相応の経験しかないぼくの、正当な価値なのかも知れない。
でも、ここで満足なんか出来ない。正直、ブローチを投げ捨ててしまおうと思ったことは一度や二度じゃない。悔しくて情けなくて、ブローチに手をかける度に、あの面接官の言葉が頭に浮かんで、手が止まってしまう。
あの時、諦めてしまわなくてよかった。またここから始めればいいんだ。
外がおとなしくなった。雪が止んだみたいだ。窓を開けてみると、小さな虹が見えた。顔を上げたら、気分も一気に上を向いた。
「よし、やってみよう」
雲が少し残っている空を見て言うと、ブローチが気味のいい音を立てた。嬉しいようでもどかしく、頬がふにゃりとゆがんだ。
レベルは上げるものじゃない。上がるものなんだ。自分でしっかり考えて、ちゃんと自分なりに懸命に生きていれば、得られるものだってたくさんあるし、それを糧にする事だってきっとできる。それがぼくの身になるのなら、そのときに自然とレベルは上がるだろう。
そう、レベルを上げようとすることが、最もレベルを下げる行為だったんだ。
いい天気だ。新しい気分になるには絶好の日。
ぼくはカードを大切にしまって、肌寒くも眩しい街に繰り出した。
*
「部長、今朝のニュース観ましたか?」
気安い係長は朝礼が終わるなり私に話しかけた。いくら退屈な人事部とはいえ、いきなりはさすがに抵抗がある。
「子供を助けようとして車に轢かれて死んだ大学生に、市長がレベル50を進呈するらしいですね」
「ああ、みたいですね」
「ま、死んでしまったら誰も彼も0なんですけどね」
そんなくだらないジョークが言いたかったのか。彼の笑いを黙殺していると、彼はやたらと目を逸らしながら自分のデスクに戻って行った。
同じニュースなら私も観た。ただし、私が覚えたのは戦慄だった。
子供を助けた青年の顔に見覚えがあった。夏に面接に来た、レベルの存在を知らない彼だ。晩酌をしながらテレビを観ていた私は、その瞬間酔いを失った。
何もそこまですることはなかったのに。
確かに、人の命を救えばレベルは上がるだろう。しかし係長の言った通り、死んでしまったら0だろうが100だろうが、意味がなくなってしまう。
レベルは確かに、この社会で重要だ。しかし自分の命より大切なものなどないのだと、彼に誰か教えてやれなかったのだろうか。
いずれにせよ、惜しい人材を亡くしてしまった。
そのニュースを拭い去ろうとするように、私はその日、仕事に没頭した。その甲斐あって、無事レベルが14に上がった。区内最高レベルまで、あとふたつだ。




