1章 大馬鹿が戦車(タンク)でやってきた
1章 大馬鹿が戦車でやってきた
7月24日火曜日。
流行のJPOPがスマホから流れてくる。
9時だ。昨夜寝たのが2時過ぎだから睡眠時間は十分。目覚めはすっきりしている。
とはいえ深夜までの動画鑑賞はきりがないからほどほどにしなければ。
16歳の高校二年生でも寝不足はお肌の敵だって事くらいは知っている。
パジャマのまま顔を洗いに自室から一階へ降りる。
「おはよー」
「おはよう翠子。まだ起きて来ないから声かけようかと思ってたところだよ」
「あーうん、昨夜寝たの遅くて」
休日で家にいる父が声をかけてきた。
歯を磨いて顔を洗い、簡単な朝食(ウチは朝食はパン派だ)を食べて今日の予定を考える。
夏休み期間とはいえ、家に引きこもってると父と母が心配する。
部屋に戻るとのろのろとパジャマを脱いで着替える。
半そでの白いシャツに一昨日買った夏の空を思わせるブルーが綺麗なスカートを履いて、スケッチブックと文房具とスマホをお気に入りの鞄(高い物ではないが今のカスタムっぷりは気に入っている)に入れて家を出ることにした。
「いってきまーす」
「出かけるの?気をつけてね」
「はーい」
サンダルを履いて小学生みたいな挨拶を台所にいる母親としながら外に出る。
自転車置き場のケッタ(方言でチャリ、つまり自転車の事だ!)『アロハオエ号』の鍵を財布から取り出して鍵を外すと夏の日差しがウチに容赦なく照りつけてきた。
前髪の長さがそろそろ気になりはじめた。でも美容院って子供に頃から苦手。母親ゆずりの細い髪質はペタンとしてボリュームが出るわけじゃないから流れるがままに放置してある。
夏の暑い日って嫌いじゃない。小学校の時の夏休みの楽しい思い出を思い出す。とはいえ流石にこの暑さはウンザリはする。
「井の頭公園なら緑もあるし池もあるし動物園もあるし…それからあそこへ行くか」
ウチは『アロハオエ号』のペダルに体重(そんなに重くないけど!)をかけると井の頭公園に向けて進路をとった。
東京都内というところは本当に坂道が少ない。そりゃあ皆無ではないけれど元々岐阜県(海無し県だ)で産まれたウチにとっては都内の坂の9割は坂とは呼べないようなものだ。
流れる汗をハンドタオルで拭い、途中のスーパー『サントク』で買ったポカリで喉を潤すと20分ばかりで井の頭公園についた。
井の頭公園は武蔵野市と三鷹市にまたがる都内では大きめな公園だ。ボートに乗れる池やお花見の季節は桜を目当てに大勢の都民がここへやってくる。
公園には大道芸をするパフォーマーが3組ほどいてそれを見ている家族連れやカップルなど老若男女で賑わっていた。夏休みなので普段よりも人出は多い。
ウチは自転車を駐輪場に止めると売店でいちご味のソフトクリームを買ってとりあえず顔をペイントした大きな身体のハーリクイン(道化師の事だよ!)のジャグリングのパフォーマンスを見る事にした。
パチパチパチパチ
10分程でコミカルなパフォーマンスが終了し観客から拍手がおこる。
うん、面白かった。でも構成がちょっと雑かな。まだ若そうだから伸びしろはありそう。今後への期待も含めて500円!と随分な上から目線で奮発した時、後ろから「ママー!」という男の子の泣き声が響いてきた。
周りを見回しても保護者らしき人の姿が見えない。
大人達も心配そうに様子を伺っているがまだ誰も声はかけていない。
そりゃそうだここにいるのは大概家族連れかカップルでそれぞれにグループで来ている。一人で勝手には中々行動できないものだ。
ウチは一人身の気楽さ(チクショー)で男の子の傍によってしゃがんで目線を男の子に合わせる。見たところ4、5歳と行った所。日曜朝のヒーロー番組(主演のレッド役男の子がバカっぽくてカワイイ)のヒーローがプリントされたTシャツを着ている。
「ぼくおなまえは?」
なるべくゆっくり男の子に話しかけてみる。
男の子は泣いているばかりで答えてくれない。
「いくつかいえるかな?」
「おとうさんかおかあさんといっしょにきたの?」
相変わらず泣きやむ様子はない。
「うーんこまったねー」
ウチが困っていると先ほどの身体の大きなハーリクインさんがペイントのままやってきてお手玉をし始めた。
「今からあの兄さんがジャグリングしてくれるって!」
ハーリクインさんは大きな身体に見合わぬ(180くらいありそう)器用さで3つのボールを空中で自在に回して見せた。
しばらくは泣いていた男の子であったが30秒もすると泣くのを辞めて目の前のお手玉に目を見張らせていた。
「ぼくおなまえは?」
「たいがあ」
大河、かな。虎かもしれないけど。
「おとうさんとおかあさんといっしょにきたの?」
もう一度泣くかなと思ったけどたいがあ君は素直に答えた。
「ママとりゅうくんとせめたといっしょにきたよ」
りゅうくんねタイガー&ドラゴンか。たいがあくん虎と書いてタイガーと読むと仮定。
「せめたはおとうととかいもうと?」
「ferret」
「ヱ?」
突如飛び出した流暢な発音にすっかりひらがなもーどだった頭が付いていかない。
「ferret.おねえちゃんしらないの?」
「あーフェレットね。あははー」
なんとなく笑ってごまかす感じになってしまって悔しい。いいとこのボンボンか、クソ、となんとなく心の中で誰かに毒づいてみる。
話を聞いてみるとたいがあ君(5歳)はママと弟の竜君(仮名)とペットのフェレット『せめた』と一緒に井の頭公園にやってきたらしい。
ママが竜君(仮名)のおしめを換えている間にかわいいワンコを見かけた虎君(仮名)はワンコを追いかけてここまで来てしまったようだ。
「ママきっとたいがあ君の事探してるね。お姉ちゃんと一緒にママ探しに行こうか」
たいがあくんが頷いたのでまだジャグリングを続けていたハーリクインさんに向かって言った。
「お兄さんありがとう。おかげでこの子と話が出来ました。これ少ないけれど私達に芸を見せてくれたお礼です」
お財布から1000円札を渡そうとするとハーリクインさんは両手でいやいやとジェスチャーをした後ぐっと両拳を握ってウチの目の前に突き出してきた。
「?」
ゆっくりと両拳を開くと右手にはウチの入れた500円玉が、左手からはかわいい花が出てきた。どうやらお代はすでに貰ってるからいいという事らしい。
「お兄さんありがとう。また今度見に来るよ」
花をたいがあ君に渡すとバイバイと手を振る道化師のお兄さん。
「じゃあたいがあ君お姉ちゃんとママを探しに行こう」
ウチはたいがあ君の手を引いて公園事務所へと向かおうとしたその時、
「タイガー!」
と小さい子供とフェレットを胸に抱いた若い母親がこちらへ急ぎ足でやって来るのが見えた。
虎亜(タイガー君 5歳 確定)に手を振って別れた後(品のいいお母さんにハーリクインさん共々大変お礼を言われた。小さい子供二人の面倒を見るのは大変だな)、ウチはなんとなく動物のいる自然園へ行く気持ちがなくなってしまっていた。
「『杉並撮影所』へ行くかー」
ウチはひとり言をつぶやくとアロハオエ号を止めてある駐輪場へと向かった。
途中でダンディソンのパン買ってこっと。
『杉並撮影所』、通称『杉撮』。
撮影所と名前は付いているが、これは先代の所長がお遊びでつけた名前で実際はただの地元の映画好きの集まる同好会である。
杉並区の隣の練馬市大泉にある東映撮影所へのオマージュから付けられたんだそうだ。
映画を愛する老若男女のここのメンバー(所員と言っている)が見た映画の感想を話したり、議論をしたり、ご飯を食べたり、一緒に映画を見に行ったりしている。
ウチは流行の映画をたまに見る程度でそれほど映画が好きって訳ではないんだけど、場の雰囲気は悪くないし、映画は見放題だし(各種ソフト、衛星チャンネル、ネット配信サービスが充実してる上、この雑居ビルの一階がGEOなのだ)、今の時期ならお金なくても涼しくダベられるから最近入り浸っている(お菓子もあるんだけど映画見ながらちょっとだけ食べてたらこの2ヶ月で体重が増えてしまったのは許せないけど)。
この集まりの目的は地元レベルでの映画文化の発展がどうこうって話だけど、ウチが知る限り今はそんな熱心な活動も勧誘も行っている様子はない。
来て日の浅いウチには所員が全員で何人いるかも未だに分からない。
幽霊所員が多い上に、集まりすぎれば集まりすぎたで全体行動が面倒くさくなるので、そういう定例会みたいなものは中々行われないらしい。
ウチは二ヶ月ほど前からここに来ているけど、中々に居心地のいいぬるま湯である。
15分程自転車をこいで雑居ビルの一階の自転車置き場にアロハオエ号を止めて二階への階段を上がる。
『杉並撮影所』とプレートに書かれたドアを開けるとフロアには5人ほどの所員が固まっていた。
「ちゃーっす」
「ああ翠ちゃんいらっしゃい」
振り返って声をかけてきたのは近所の中華屋『ごうか亭』のご主人米永さんだ。ランチタイムが終わり遊びに来たらしい。
ちなみにごうか亭の名前の由来は豪華ではなくて業火なんだそうだ。火力命の中華屋さんという意味らしいけど奥さんに反対されてひらがなになったんだそうな。ここのチャーハンは本当に美味しい。
「皆で何見てるの?」
テレビには白黒映画が映っている。
「1933年の映画『キングコング』だよ。世界初のトーキーによる怪獣映画だよ」
「トーキー?」
ここの人達はよく分からない単語を使う。
「トーキーというのは映像と音声が同期した映画の事だよ。このキングコングよりさらに以前の映画はサイレント映画、無声映画といって映像だけで台詞は無音だったんだよ。今では映像に台詞や音楽が付いているのはごくごく当たりだけどこの当時は最先端技術だったんだ」
「なるほどー」
音の付いてない映画なんてのもかえって想像がしにくい。
大きな液晶テレビの中で白黒のキングコングがビルのてっぺんでプロペラの飛行機と戦っている。
このビルは外国のニュース映像で見た事がある。
「今度このキングコングがまたゴジラと戦う映画が作られるって噂が流れてね。それで昔の映画から見直してたところなんだ」
「大自然が産んだ密林の王キングコング対人類の水爆が産んだ怪獣王ゴジラ!その頂点、King of Kingを決める戦いがまた見られるかもしれないんだ!」
熱のこもったごうか亭のご主人に愛想笑いを浮かべつつ若干引き気味にしていると、その時どーん!という大音声がドアから響いてきた。
何事かとみんながドアを向くと、
「King of King とは俺サマの事!今すぐチャレンジャー2名を呼んできたまえ!」
それこそゴジラが大きなビルを破壊するみたいにドアが蹴り開けられて大男がポーズを決めて登場してきた。
あからさまな不審者にこう言っちゃ何だけどスター怪獣みたいなオーラが確かにあった。
「だ、誰だ君は!」
ごうか亭のご主人が声を裏返しながら叫ぶ。
なんとなくどこかで見たような…あ、朝のヒーロー番組の悪役のセリフだ、とかぼんやり考えているとその大怪獣は言った。
「今King of King…俺サマの話をしていただろう!」
ウチは「ああ、ヒーロー番組の下っ端戦闘員ってこんな気持ちなんだ」とぼんやり思っていると、あろうことかその大怪獣はウチに向き直ってこう言った。
「俺サマは貴様に言っている」
「う、ウチ?!」
「そうだ知らぬ仲ではなかろう」
日に焼けた黒い肌、大きな身体、彫りの深い顔立ちだがどことなく少年のような幼さも残っている。年の頃は二十歳前後といったところか。
こんな知人はいない。
「う、ウチに怪獣の知り合いはいません!」
そう叫ぶと怪獣は眉根をほんの少し寄せて困った顔をして、
「さっきに会ったばかりなのにもう忘れたとはおかしな奴だ」
と言いながらどこからかボールを取り出してジャグリングを始めた。
なんでさっきのハーリクインのお兄さんがここに!?
混乱した頭で考えていると大怪獣はボールを派手にフロアに投げ飛ばしてこう言った。
「俺サマをここのメンバーにするんだ!そうすれば一ヶ月でカンヌでパルムドールに輝く作品を撮ってみせる!」
ウチは今度こそ本当の本当に絶句した。
これがウチ縞音 翠子の2015年の一ヶ月間の夏の物語のはじまり。
よかったら聞いてくれる?