怪談の正体
ボクの居る中学校にも、いくつか怪談がある。
例えば、学校中を歩き回る血まみれ幽霊の話。その幽霊に出会ってしまうと、死人の国へと連れ去られてしまう。
例えば、三年C組にある不気味な人形の話。その人形は生きているものとして扱わなければならない。ぞんざいに扱えば、学校中に呪いが振り撒かれるらしい。
例えば、誰も居ないはずの音楽室からピアノの音色が聞こえるという話。翌日ピアノを見ると、鍵盤が血液でまだら模様に染められている。
そして最近、また新たに怪談が一つ増えた。
それは、理科準備室から時々奇声が聞こえる、というものだ。
押し殺した、猫の鳴き声とも野獣の唸り声ともつかない奇声は何人かの生徒が証言しており、ついには学校側から『なるべく理科準備室には近づかないように』と注意が出された。
* * *
ある日の放課後。ボクが教室の窓からグランドを駆け回るサッカー部の練習風景を眺めていると、廊下から怒声が聞こえてきた。ヒステリックな怒声の主は、きっと釜村先生のものだろう。
彼女は小さな事でもすぐに怒るのだ。キンキンと耳障りな声で怒鳴るものだから、生徒達からはすこぶる評判が悪い。
「理科準備室には近づくなと担任に言われたでしょ!」
「……はい」
「くだらない怪談を信じるくらいなら、早く帰って勉強しなさいよ!
頭が悪いから、そんな冴えない顔になるの! わかる!?」
「…………はい」
盗み聞きしていると、どうやら怪談の真偽を確かめるため理科準備室の辺りをウロウロしていた生徒を釜村先生が捕まえたらしい。
チラリと陰から覗き見ると、ぶくぶくと肥えた腹を揺らしながら釜村先生がズンズンとこちらへ歩いてくるところだった。その後ろで怒られていた生徒は、やっと説教が終わった、といった風に胸を撫で下ろしている。
釜村先生が教室から覗くボクの脇を通り過ぎる時、ぷわんと香水と汗の混じりあった臭いが鼻を襲う。「そんなんだから、四十過ぎても結婚できないんだよ……」と思わず悪態を吐いてしまうほどの悪臭だった。
そういえば、理科準備室の怪談が広がってから、日に日に釜村先生は不機嫌になったように思う。きっと余計な仕事が増えたからだろう。
当然、釜村先生から被害を受けるのは生徒達だった。指導ではない、単なる八つ当たりだと誰もが愚痴をこぼしていた。
悪口を言う者がいれば耳ざとくそれを聞きつけ、所構わず怒鳴りつける。クスクスと笑う者がいればヒステリックに叱りつける。一番酷い時など、すれ違いざまに咳をしただけで怒られた者もいた。
そんなわけだから、生徒達からは「最近、以前にも増してヒステリックなのは釜村先生が女の子の日だからだ」などと皮肉たっぷりの陰口が言われていた。
* * *
また、ある日の放課後。夕日が完全に山の影に沈み、月が輝きはじめた頃。
ボクは何となくピアノを弾きたくなった。吹奏楽部の練習も終わった頃合いだろうから、心置きなく弾くことが出来るだろう。そんな事を考えつつも、特別棟へと足を進めた。
この学校の形は“二”の字で、各学年の教室がある普通棟と音楽室や理科室などのある特別棟とに分かれている。それぞれの棟を行き来する為には、外を通って玄関から入るか二階にある渡り廊下を通らなければならない。不便な造りだが、元々あった普通棟に特別棟を増築したためにこのような形になってしまったのだという。
夜、二階の渡り廊下から見える景色は、実に独特だ。
両側の普通棟と特別棟がそれぞれ外部の光を遮るため、一寸先の植木すら満足に見ることが出来ないほど、暗い。しかし空の星は爛々と輝き、普段は気付かないような小さな光も視認できる。
あたかも地上の光が空の星々に吸い取られた様だ。
さて、目的の音楽室は三階にあるため、二階の渡り廊下を通った後に階段へ向かわなければならない。
階段は渡り廊下の左手奥。そして階段の手前隣には、件の理科準備室がある。
眩しいほどに冷たく白い月光に照らされた廊下は、とても幻想的だ。日中の活気が失われ、学校そのものが死んでしまったかのように感じられる。
理科準備室の前に差し掛かった時、ふいに例の怪談を思い出した。というのも、理科準備室の中から物音が聞こえたような気がしたからだ。
足を止め、耳をそばだてる――
――ギシ……ギシ……
やはり、物音が理科準備室の中から聞こえてくる。
時おり聞こえてくる木が軋むような音が、廊下を覆う闇に溶けていく。
木の音だけではない。微かに水音も……
当然、理科準備室には鍵がかかっていた為、中の様子は窺い知れない。
それにしても、なぜ木や水の音なのだろうか。噂は、猫や獣のような唸り声だったはずだ。
十数分程経った頃だろうか。不規則に聞こえてくる音が、次第に大きく激しくなってきた。それに伴って、何かを叩きつける音も混じり始める。
ギシギシピチャピチャ、まるでずぶ濡れの子供が木の椅子を跳び移って遊んでいるようにも聞こえる……
その時だ、ついに奇声が聞こえた。
理科準備室の中に意識を集中していなければ気がつかないであろう程に小さな奇声。しかし、それは確かに地を這うような野獣の唸り声に似ていた。
――ぅぅ゛ぅう゛う゛
噂は、本当だった。
鍵のかかった、密室の理科準備室から聞こえてくる奇声。だとすれば、先程までの木や水の音はラップ音だったのだろうか。
――あ゛、あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛…………
どんどんと大きく、そして明瞭になってゆく奇声。
叩きつける音、木の軋む音、そして水音。
暗闇の中、ぼんやりと浮かび上がる理科準備室の扉が薄気味悪い。
立ち尽くすボクは、この場を離れるべきなのだろうか。
それとも、真実を確かめるべきなのだろうか。
ぐるぐると考えを廻らせる。
――ん゛ぎやあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ
どうしようかと悩むボクを急き立てるように、一際大きい奇声が響き渡った。
それは今までのものとは明らかに違う。猫の断末魔を彷彿させる絶叫。
ボクは意を決して理科準備室の中へと足を踏み入れた。
その先にあった光景は――――
仰向けになった校長の上に跨がる釜村先生だった。二人とも荒い息を吐いてぐったりとしている。
ちなみに、全裸だ。だらしない肉体を伝い落ちる汗が月の明かりに照らされ、吐き気が込み上げてくるほど妖艶な雰囲気を放っている。
校長が身体を起しだすと、釜村先生はぶよぶよの腹を弾ませながら、校長の上から退いた。そして萎んだ水風船のような乳房を、振り子のように揺れ動かしながら、今度は向かい合わせになるように校長の膝の上に乗る。
「……」
「……」
二人の間に会話は不要らしく、無言で熱いキスを求める釜村先生。それに応え、唇を奪う校長。
ピチャピチャと艶かしい水音が生まれる。
「……まったく、釜村先生は淫らですね」
「校長が……上手すぎるのよ……」
「声を出してはいけないと言ったじゃないですか。
知っているでしょう、噂になっているのを」
「でも……」
両者の口を繋ぐ唾液の糸がキラキラと輝く中で行われるピロートーク。
正直に言おう。滅茶苦茶気持ち悪い!
げんなりとした顔で二人の情事を見ていると、釜村先生がついにボクの視線に気がついた。
目を見開き、口をあんぐりと開く。まるで、信じられないものを見た、という顔だ。それから数瞬のち、鼓膜が破れてしまうのではないかと心配になるほどの大絶叫をあげたのだった。
「ぎゃぃやぁぁぁああああ゛あ゛あ゛!」
* * *
その翌日以降、釜村先生と校長を学校で見た者は一人としていない……
以上、ホラーに見せかけた下品なコメディーでした。
ごめんなさい。
なお、主人公は作中二行目にあった「学校中を歩き回る血まみれ幽霊」です。
それを踏まえて読んでいただきますと、ホラーに見せかけた下品なコメディーの皮をかぶったホラーになる、はず……




