第一話『同室』(4)
「ねぇ」
自分が声をかけられたことに一瞬驚く。
だが、相手が友好的とは言い難い。
顔を見ると明らかに皮肉った表情でこっちを見下している。
(うわぁ…入学早々に絡まれるなんて予想外だった。しかも直接)
ひきつりそうになる表情を必死に抑え、何事もなく過ぎる事を願う。
「ねぇ名前は?」
「………草間…英二」
「ふーん、草間君さぁ、昨日食堂にいたっけ?」
「い…いましたけど…?」
「マジ?!なんか薄暗くて気づかなかったよ!ごめんね~?見たことないから不法侵入した人だと思っちゃった~♪」
「………っ!」
クスクスと笑い声が聞こえる。
苛めるなよとか、可哀想とか言葉が聞こえた。
悔しくても草間は口を結んで俯き、無視し続ける。
それが一番平和で、これ以上傷つかなくて済む方法だからだ。
「おい!聞いてんのかよ?!」
相手が声を荒らげると、教室は異様な空気を感じて、なんだなんだと注目し始める。
(しつこいなぁ、なんだよこの人?俺が何したって言うんだ?!しかもなんか注目されてるし。俺はただ静かに高校生活送りたいだけなのに。担任早く来ないかなぁ)
膝の上に乗せた拳をぎゅっと握りしめ、事なく過ぎるのをひたすらに願う。
だが相手の感情は草間の願いとは逆の方向に向かったらしい。
「シカトしてんじゃねぇよ?!」
「っ?!」
あろう事か、真新しい制服の胸ぐらを掴まれ、強制的に席を立たされる。
予想外だった。
大半は無視すれば何も反応がないことに飽きてすぐ違う事に目を向けるのに。
思いがけない状況にどうしていいかわからず、同時に恐怖で体が強張った。
「や…やめっ…」
震えた声で懇願しかけたその時だった。
スッと伸ばされた手が草間の胸ぐらを掴む腕を制止した。
思いがけない救世主に草間は驚く。
アプリコット系の茶髪が視界に入った瞬間、すぐにそれが誰かわかった。
「入学初日からそういうの止めね?クラスの雰囲気凍ってんだけど?」
「は?何お前?ヒーロー気取りかよ?」
「空気読めって言ってんの」
気づけば教室は静寂に包まれていた。
クラスメイト全員の視線を集め、皆、この行く末を固唾を呑んで静観している様子だった。
さすがに居たたまれなくなったのか、チッという舌打ちとともに草間は解放される。
思わずホッと安堵の声を漏らし、体の力が抜けたかのようにストンと椅子に腰を下ろした。
心臓が今になってドクンドクンと早鐘のように脈打つ。
(怖かった…!でも助かった。橘君のおかげで)
恐る恐るちらりと橘を見ると、相変わらず感情の読み取れない能面な表情をしている。
一方、悪態をついた相手の方は眉をよせて橘を睨んでいる。
覚えてろよ?なんて悪役定番の捨て台詞でも吐きそうだったが、無言で自分の席へ戻っていく。
それを見送って橘は肩を竦めた。
(お礼言わなきゃ…!)
そう思って口を開きかけた時だ。
ガラッと教室のドアが開いた。
来てほしい時に来なくて、来てほしくない時に来る。
なんて間が悪い担任だろうとちょっと恨めしく思った。
担任は教室の微妙な雰囲気に感づいたのか、怪訝な顔で教室を見渡した。
「何かあったのか?」
思わずギクリとした。
「えっと、そこに立ってるのは…」
(あっヤバい。橘君目つけられて…?!)
「橘でーす。よろしく先せぇー」
「わかったから早く席着け」
草間の心配は杞憂で、橘は担任の注意も軽くあしらい、席に着く。
担任が教卓の前に立って軽い自己紹介と、明日からの事や心構えなんかを話し始めた。
(お礼言いそびれたな。寮に戻ったら言わないと。でも……)
橘が席に戻ろうとした振り向き様、草間は見てしまった。
「…チッ!」
「?」
一瞬だったが微かな舌打ちと共に自分を睨む目を。
(確かに睨まれたよね。でもなんで?迷惑かけたから?いや、だったら助けてくれたりしないだろうし)
未だまともに会話したことない同室の謎は深まるばかりだ。
(話しかけても素っ気ないし、ちょっと見下してる気もするし、でも助けてくれたり…なんつーか、あれだ。ツンデレ!そうツンデレだよ!)
ひらめいたとばかりに頭の中の豆電球ポンっと光る。これまで色んな事を考えたが、ようやく1つ納得のいく答えが出た。
(ツンデレかぁ。という事は素っ気ないのは照れ隠し?意外とシャイ?うーん、それはそれで美味しいキャラクター性持って……ん?いや…?!まさか?!…そんな?!)
橘をツンデレキャラというカテゴリーに当てはめて人間性をあれこれ模索していると、答えがとある領域に到達して、草間の顔は真っ青になった。
(ないないないないない?!絶対ないって!!俺ってばいくら何でも広げすぎ!“類は友を呼ぶ”なんて言っても、腐っても俺ノーマルだし、そんな強運引き当てるとかないでしょ?!)
慌てて疑念を振り払おうとしたが、一度暴走した己の空想世界は広がり続け、思考は腐の泥沼へと落ちていく。
(わ…笑えない?!今ばかりは自分の想像力の豊かさを呪いたい!)
担任の話も上の空で、草間は半泣きになりながら寮に戻る事、つまり橘と二人になることに大きな不安を抱くのだった。