第一話『同室』(2)
今日は入学式前日。入寮日だ。
全寮制という今では珍しい校風のこの学校は、意外にも開校20年にも満たないまだまだ歴史の浅い学校で、校舎や体育館など、外装を見ても建物は比較的新しい方だと感じた。
四棟に別れた白壁の寮は、最近外壁を塗り直したのだろうか、新設された建物のように綺麗で、中も掃除が行き届いており、住み心地の良さそうな雰囲気だ。
寮に入る事が決まりであるこの学校では、部屋の割り当てが二人一部屋という仕組み上、同室との共同生活が三年間の高校生ライフを決めると言ってもいい。
「緊張するなぁ…」
管理人に案内され、寮の自分の部屋の前で思わず声がもれる。
(どんな人だろ?仲良くなれそうな人だといいな。趣味が同じとか……いや、それは期待しちゃいけない。でも逆に不良っぽい人だったらどうしよう?)
ここに来てつい消極的な性格が出てしまう。
あれこれ考え込んで、納得行く結論が出るまで行動に移せなくなるのが草間の癖だ。
部屋の前でもたもたしていたその時だった。
「邪魔なんだけど?」
「え?」
ドアの前で立ちすくんでいると、不意に後ろから声をかけられた。
驚いて振り向くと、声の主は怪訝な顔でこちらを窺っている。
(リアル二次元?!いや、実在しているから三次元か?!)
突然目の前にした3Dのイケメンに狼狽しながらも、頭の隅でそんな稚拙な表現だけは瞬時に浮かんだ。
自分の脳よ、もっと違うところに働いてほしいものだ。
「ドアの前に立たれると部屋に入れないんだけど?」
「え?あ、あぁ。ごめんなさい!」
たしなめられてようやく体が動く。
三次元が部屋の中へスッと入って行くのを見て
すぐに理解した。
(あの人が同室なんだ)
草間はほっとしたような、不安が増したような複雑な気持ちになった。
(なんて言うか、自分とは真逆なタイプ?クラスで目立つグループの輪にいて、それで俺が一番苦手な…。うぅー、早速、試練かも…)
想定外の形で同室との初対面を迎え、最初の小さな悩みは解消された。
しかし新たな不安が草間を襲う。
感じた第一印象に項垂れる気持ちを抑え、ふぅーっと深呼吸して気持ちを調えてから、よしっ!と心の中で呟いて声をかけた。
「あ…あの!俺、草間英二。君と同室の…。よ、よろしく」
我ながらなんて情けない自己紹介だと思った。
緊張で言葉が途切れ途切れだ。
三次元の彼は草間を見て表情1つ変えず、
「橘亮介。よろしく」
と一言だけの返事。
(素っ気ない)
と思った。
やはり第一印象で感じたままの人なのか。
不安を抱きながら、草間は部屋に入って一通り間取りを確認する。
ロフトベッドが二つ左右の壁際にそれぞれ配置され、ベッドの下に机と本棚があり、クローゼットは部屋の角に置かれている。
正面には窓があって、そこからバルコニーに出られるようだ。
同室の橘は右側を選んだようで、荷物を右に配置された机の上に広げている。
草間は必然的に左の机に肩にかけたボストンバックを下ろす。
(どうしよ?なんか話さなきゃ)
草間はもう一度同室の顔を一瞥して様子を窺う。
アプリコット系の明るめ茶髪に襟足がスッキリしたショートボブのヘアスタイル今時という感じだ。
目鼻立ちのはっきりした端整な顔だちと、細身だが腕には適度な筋肉も備わって、芸能人と言われてもおかしくないと思った。
(あと…、BLで言うところの主人公の憧れの先輩的立ち位置とか、いや待てよ?先生と恋に落ちる生徒ってのも……っていかん!いかん!)
首を振って邪な妄想を消し飛ばす。
(初日からこんなんでどうする?!まして同室をネタにするなんて絶対ダメだ!しっかりしろ!自分!)
同室があまりに整った顔していたので、つい大好きな空想が膨らませてしまったが、心にガッチリと鍵をかけて、自制する。
しかし感嘆する一方で、
(いくら校則緩くたって一年生で、しかも入学前から茶髪ってどうなんだ?)
自分の理解の外側にあるものには疑問を感じずにいられない。
時に正義感は自分を守る鎧だが、ここでそれをまとってしまっては、中学の二の舞になってしまう。
(ここで頑張らないと!大丈夫。話せばわかる……たぶん)
心の中で叱咤と激励を繰り返しながら気合いを入れ直し、意を決してもう一度橘に話しかける。
「た、橘君はどこ中?」
考え抜いた末に出た言葉は実に凡庸な質問だった。
あたかもお見合いで会話の糸口を探す為に遣われる合言葉「ご趣味は?」と同じくらいに。
しかし時に凡庸は最上の策として上座に君臨するものだ。
今まさにそれ。その時だ。
(中学の話題なら部活とか、先生とか色々話繋がるだろうし)
草間は期待でほくほくする気持ちを表情に出さないように気をつけて返事を待つ。
「清中」
「へー。俺は綾中なんだ」
「……………」
「……………」
草間の凡庸策が上座に君臨する事は叶わなかった。
(会話はキャッチボールじゃないのか?!聞いたら返そうよ!)
心の中で涙ながらに訴える。
スーパードライの同室は関心がないのか、黙々と自分の荷物の整理を始めてる。
抱いていた明るい高校生活への期待にもここに来て影が差し始めた。
「えっと…」
音もなく、唇だけが動く。
そんな時に一等明るい声がしんとした部屋に飛び込んできた。
「たっちばなー!」
「なんだ、菊地じゃん。もう荷物片付けたのか?」
「終わってねぇよ。んなの後でいくね?それより寮内探険しようぜ」
「探険って小学生かよ」
明るい声には明るい声。
自分の時とは声のトーンも態度も違う。
能面のように変わらなかった表情も、ニカッと歯を見せて笑みを浮かべている。
先程までと打って変わる態度が草間の不安を煽った。
頭の中でもやもやと思考にふけて――――――また悪い癖が出ている。
そんな中で菊地と目が合った。
菊地が怪訝な顔でこちらを見て、ややあってから橘に問いかける。
「あいつ同室?」
「あぁ」
「へー…」
値踏みするような菊地の視線に耐え兼ね、思わず顔を背けてしまう。
そのしぐさが気に入らなかったのだろう。
「うわっ、感じ悪っ!」
明らかに軽蔑している。
「なぁなぁ、あいつ感じ悪くね?初対面なのに避けられたんだけど」
菊地は思った事を直ぐ口に出すタイプなんだろう。本人を目の前にしてもお構い無しの態度に草間は苛立った。
(そっちこそ、初対面で他人のこと“あいつ”呼ばわりって失礼じゃん。そっちの方が感じ悪いって)
と、言ってやりたい。
それが出来る性格であれば、こんな状況は作ってないのだが。
「まぁ、そんないじめるなよ。初日なんだからそう突っ掛からずに仲良くしろって」
(いじめ?!なんだよそれ?!しかも初日だから仲良くしろって、じゃあさっきの俺に対してのあの態度はなんだよ?!)
軽い調子で仲立ちする橘の言葉にも草間は苛ついた。
納得出来る言葉が1つも混じっていない。
菊地は橘の助言に首を縦に振る様子はなかった。
そんなことより寮内を見て回りたいと、駄々をこねる子供のようにしつこく橘を探検に誘う。
やがて橘も観念して、仕方ないといった風に肩をすくめ、整頓中の荷物を放って菊地と部屋を出て行った。
自分の存在なんか見えてないかのように、こちらを見ることもなく。
「はぁ、なんでこうなんだろ」
部屋に一人になった草間はため息をつく。
初めから苦手とわかっていたけれど、話せば意外にそうでもないと信じて、普段の何倍もの勇気で話しかけたのに、それすら認められない結果だった事に草間は落胆する。
見た目だけで、人間性を判断されるのは酷く心外だ。まして、格下に見られる事を許容出来るほど心も広くない。
考えれば考える程、嫌悪感が増す。
先程のやり取りを思い出しては腹が立ち、同時に何も言えなかった自分が悔やしかった。
荷物を漁り、中に入っていた数札の漫画を取り出す。
荷物を漁り、中に入っていた数札の漫画を取り出す。
高校に入ったらリアルを大事にして、空想世界に浸るのは出来る限り控えようと思っていた。
この漫画だって、夜にこっそり読むつもりだったし。
「はぁ。やっぱり無理だ」
一言ぼやいて、漫画は堂々と机の本棚に納められる。
長い長い長考を終え、なげやりになった気持ちをぶら下げたまま、草間は一人黙々と荷物整理を始めた。