ご褒美は孤独のゴッド
◇◇◇◇◇
夜ご飯もまた、大層美味であった。このままじゃ俺たち太るぞ。
俺は体質でそういう事にはならないからいいが、狩人殿が自分のお腹をさすってた。それは満足そうな、しかし別の感情との葛藤。自室にはトレーニングルームもあるという事を、後で教えておいてあげよう。
が、その前に……
『ありがとう、これで、生きるのが楽しくなった』
「そりゃ良かったな。独り占めしないで、ちゃんと霰たちにも分けてやるんだぞ」
『……向こうは、最低限の食料確保ができたみたいだし、別にいいかも』
「おい」
独り占めはするなと……
普段は心優しい (かもしれない)妹をここまで虜にするとは、やはりココ料理恐るべし。こんな危ないものは、他に渡さぬよう俺がしっかりと保管しなければいけないのかもしれない。
「後でチャットで聞くから、しっかりと渡しておくんだぞ。
じゃ、俺はもう風呂だから」
『……お風呂』
何やら羨ましいそうな声が……確かに、あのシャワールームは使い心地が悪かった。その点俺はシャンプー、ボディーソープ、リンスetc……
サウナもあるんだぞえっへん、と威張っていいくらいだ。
「我慢しろ。ちょっと人がいてな、落ち着いたらご招待してやる」
『待ってる。異世界、女の敵』
おお、名言ですか。男の俺としては分かるような分からないような、まあいいか。早くあがらねえかなぁ狩人殿とラピス。
……もしかしてラピスがちゃんと教えてないのか?
んー……30分間だけ待ってやろう。
◇◇◇◇◇
何とも不思議な場所です、ここは。あんなに美味なるものは、村では考えられなかったですよ。
貴族とはまた、違うような気もするです。オオトの言った通り、高名な魔物使いなのだろう……か?
勘ですが、それもまた嘘のような……いえ、考えるのはやめるです。こうして贅沢すぎる生活を送れるだけ、私は感謝をしなければならないのです。
だからこそはやく恩を返したいのですが中々——いっそ身体でも渡さない限り返しきれないような、しかし初めてというのは夢を持ちたいもので……
「これ、プシュプシュする」
……今はこの考えも、止めとくです。
「こうですか?」
「それを、クシャクシャー」
「くしゃくしゃー、なのですね」
「ザッパーん」
「ざっぱー……ん?」
「次クチュクチュ」
「む、難しいです」
それでも、何とかやり終えましたです。終わってみれば気持ちいいもの。
「ここ、ゆっくり、すーぱーホットホットだから気をつけて」
「はいです」
ゆっくり、ゆっくり……熱かったので足を引っ込めて、またゆっくり……今度は覚悟を決めて、ゆっくりと入っていくです。
——ふぁぁあ……考えるのを止めるというか、なんというか、ここにいると……それもどうでもいいような気がしてきますぅ。
「魔ノ月がよく見えるですね。外の景色を味わいながらの風呂が、こんなにも良いものとは……」
「きもちー?」
「とってもです」
「うむ、苦しゅうない」
?
「——ラピスは、オオトの事を好きですか?」
「……ん、とっても」
恥じらいながら、はっきりと。
これが答えなのです。他の言葉は必要ないのですよ、きっと。
オオトはラピスが好きで、ラピスはオオトの事が好き。ああ、羨ましい。羨ましいなんて思う自分に驚いて、どうしようもなくムーンを見上げる。
ムーンは世界のどこからでも見る事のできる不思議な物。ムーンは全てを知っているのでしょう。全てを見てきたのでしょう。ありとあらゆる何もかも……だったら聞きたい。私は、何を間違えたのかを。
「ポッカポカ〜」
「……そうですね。あまり、長くいるのは危ないです。そろそろ上がろうです」
「ん〜」
……ラピスみたいな子であったほうが、父と母は喜んだのだろうか。だったら私は……何のために?
——そういえば、空ばかり見上げていたが、ここからは普通に外の景色が見えるのだった。
——そしてそれは、偶然だった。
【鷹の目】
父から教えられたスキルを、少し遠くが見たかったが為に使う。
——そしてそれは、幸運だった。
木と木の間から、1人の女性が見えた。狐とまではいかないが鋭い目をした、あの女。忘れるはずもない、あの女。
……どうして、ここに? いや、そもそも見覚えがある場所だ。この周りは、何故か、知っている……どうしてあの女が、どうして知っている?
——まさか、まさかここは……
「?」
「……何でもないです。さぁ、上がるです」
——私は……
◇◇◇◇◇
30分間だけ待った結果、ラピスと狩人殿はお風呂から上がり、コーヒー牛乳を飲んだ。ゴクゴクと喉を鳴らしたいい飲みっぷりは、俺も今から楽しみで楽しみで仕方がない。
だから入らないと。早く、お風呂に。久しぶりに身体を動かしたせいか汗が出た。気持ち悪い。汗の出る身体の構造に気持ち悪い。
俺が冬より夏が嫌いな理由は、汗が出て虫が出るからだ。虫キライ。
ポチャン———
……誰もいないはずの風呂から、水の音がした。ラピスと狩人殿はあがったはず。自室でくつろいでいるのを確認した。
狩人殿なら俺に気付かれずにここへこれる? いや、気付くはずだ今の俺なら。刀術スキルが手に入ったおかげで、感覚が研ぎ澄まされている。あ、そうか、探ればいい。
俺も風呂に入る。同時に、意識を水の音へ集中した。
黒と白の世界が自分の周りに形成されていって、頭の中で組み立てる。空気の揺らめきから気配まで、情報をひとつひとつ当てはめる。
ぐんぐんと知覚できる範囲が増えていき、遂に水の音へたどり着き正体が分かった。
——分かったから俺は、しっかりと頭を洗い身体も洗って、そいつに会いに行く。
そいつの正体は……美人さん。一糸纏わぬ姿で、空を見上げていた。
「……しっかりと頭を洗って身体も洗う、何て余裕なんだい君は」
「余裕じゃないからそうしたんだ、察しろ」
考えてもみてくれ。モノクロとはいえ、美人さんの裸を見たんだぞ。見たんだぞ。完璧というのが仮にあるとすれば、まさにそれ。
完璧なんてつまらない? そんなの、本当の完璧を見たことがない人間が言える事だ。本当の完璧の前では、そんな事思えもしない。
エロ的なものを見て鼻血が出るなんてありえないと思っていたが、そんな経験ない俺でも反射的に鼻を押さえちまった。
というか今も、やっと理性君が帰ってきたから雁字搦めにして縛り上げているところだ。それくらい美人さんは強烈。かすかに水に濡れているから、スーパーとかハイパーとか前につくくらいエロい。もう、エロい。
「で、何しに来たんだ。まさか地球に帰らせてくれるっていうのか?」
「そんな訳ない。絶対に、帰させてなんかやんないよ。
やっと……やっと、連れてこられたんだから」
美人さんは腰を下ろした。見てはいけない部分が見えなくなったので、少しホッとしたような残念なような。
だがさらにエロくなったのはどういう事だ。これが、絶対領域と呼ばれるやつか。
「何でここにきた? まさか、学生全員にお前のあられもない姿を見せるわけじゃないだろう」
「私の裸はそんなに安いものじゃない。というより、もしかしたらのもしかしたらで、裸というのを見せたのは君が初めてだよ。
それとも何だい、他の学生に見せるのは許さないって? まさか、嫉妬?」
「なわけねえだろ」
まあ、見せたくないのは確かだ。独占欲くらい俺にはある。こいつの裸を見たのが俺だけというのに、少しだけ優越感を感じたのもまた事実。
もちろん疑う心は忘れないが。
「もう一度聞くが、何でここにいる」
「ご褒美、みたいなものかな。この世界で君たちの言う同郷——つまり地球人が殺されたのは2人。そのどちらも君が殺した。だから、来てみたんだ。君は、私の為になったから」
「私の為ってなんの事だ?」
「暇潰し」
ポチャン———
ゆらりゆらりと足を揺らし、その度に水面が揺れる。俺は立ち尽くしてしまった。というより、あれ、身体動かなくねえかこれ?
「君に、私の気持ちが分かるかな?」
「分からんが」
「……まあ、そうだよね。嘘は嫌いだけど、正直は好きだよ。
——誰だって私の気持ちを分かる存在なんて、いない。どこにも。いない」
美人さんはお湯を手ですくって、こぼれ落ちるそれを頭に顔にかける。
だから何でさっきからそんなエロいのか。誘ってんのかこのやろう。
「ざっと、三千二百那由多かけるの三十恒河沙」
「……何の事だ?」
「私が生きた時間」
それは……それはとんでもない。そりゃ分からないだろう。誰だって。
暗算してみようと思ったが、人間には無理だ。とういより、計算できない。
「私が時間を意識した瞬間から数えたから、本当はもっともっと昔から私は生きてたのかもしれない。
分からないだろうなぁ。私は、ずっとずっと1人だったんだよ。
寂しかったなぁ。私、いつの日か泣いちゃってさ、次の日は怒っちゃってさ、その次の日は無気力になって……わけワカメ」
今度は、美人さんがこちらを向いてきた。微かに敵意をまじえたその視線を、俺は怖いと思ってしまう。
「ざっと、200億回」
「……今度はなんなんだ?」
「1つの巨大な文明が滅んだ回数。本当はもっと少ないかもしれないし多いかもしれない。
数えるのって、結構飽きちゃうからね。それに、見ていていい気持ちじゃないし。まあ、そんな思いでさえいつの間にか無くなっていたんだけど」
時間とは、なんて恐ろしいのだろう。
これまでの美人さんの話す内容を考えれば、時間とは、神と等しき存在すら狂わせる。
「だから、ね、私は寂しかったから。戒めを解いたんだ。必要以上に干渉しないっていう自分ルールを、どうしてもって地球の神様にお願いして、君たちを連れてきた。
……ねえ、分かる? 私は、寂しかったんだ」
俺は動けない。
美人さんがこちらへ近づいてきても、世の男共を狂わせる身体が近づいてきても、何も反応できない。
……美人さんはくすぐるように、胸を触ってきた。
「あはっ、なーんだ……君も、ドキドキしてる」
「ヤメロバカ恥ずかしい」
「意外と普通っぽいからさ、ちょっと不安になっちゃった。
でも、そうか……やっぱり君は、君の父親の願いを確かに叶えた生き方をしているね。名前通りだよ王人君」
シンメトリーか? なんてぼけてみる。俺だって、自分の名前がどういった意味で作られたかどうか、もう分かっていた。
「妹さんは普通なんだね。というより、君が闇だとすれば、向こうはそれを照らす光だ。兄妹で争うことを、君の父親は望んでいたかもしれない」
「それはない。父さんは、どうしようもなく普通の人だから。父さんが普通じゃないのは、俺の時くらいだ」
「うん、知ってた」
……はぁ。
体が動きさえすれば、今すぐにでもこいつの胸を揉んでやる。
「……私、寂しかったんだぁ」
「何度も聞いた」
今度は美人さん、抱きついてきた。いや本当に止めてほしい!
なんの罰ゲームですかこれは! 人を殺した罪ですか!
「何度でも聞いてほしいな。私は、寂しくて苦しくて、怖かったんだから」
——美人さんが嘘をついているかどうか、俺には分からない。もしかしたら全てがつくり話なのかも。おちょくりたいが為の、偽物。
だから俺は美人さんを信用することはできないが、もしかしたら……もし本当だとしたら、美人さんもきっと、ある被害者なのだ。
でも……だとしても俺は……
「お前の事を俺は許しはしないぞ。ココを少しの間でも危険に晒せたお前はな」
「……うん、知ってた」
美人さんはやっと、俺から離れた。その寂しそうな顔は、情けない顔は、本当の本当に演技じゃないんだな?
だったら……
——許したいとも、思っているかもしれない。
許す許さないなんて、どれだけ傲慢な話をしているのか。まあ、どれだけ傲慢でも、その時は許してもらおう。
「——また来てもいいかな」
美人さんはクルリと回る。危ないと思ったが、こけた姿でも見たいなとも思った。
「……君は私の事嫌いでしょ?」
「結構な」
「……そ、でもさ、私も君たちの事、結構嫌いだよ。何で学ばないのかなって、昔は思ってた。争うなよーって、いくら思っても聞かないんだから。でも、今は私がそれをさせようしているんだから、おかしな話。
——シャープペンシルを初めて使った時の事を覚えてる? 使ったばっかりの頃はさ、ワクワクしなかった?」
覚えてる。中学生になって初めて使えるようになったから。大人の仲間入りみたいで嬉しかったような気もする。
「君達はさ、私にとってのシャープペンシルの芯なんだよ。最初は大事にしてたけど、時が経って、折れても気にしなくなった……そんな感じ。そしていつか、シャープペンシルごと捨てちゃうんだ。そしていつか、捨てた事を後悔する」
「……いつかって事は、まだって事なのか?」
俺の問いに美人さんは、怪しい笑みを浮かべるだけだった。俺は目の前の存在が、哀れに思えてきた。悲しいような、気がしなくもない。
美人さんは、こっちを見る。俺は目の前の存在が、とても小さく見えた。
「私はあなた達の事を恨んでます。きっとこれからもそれは変わらない。
それでもあなたは、私の事を愛してくれますか?」
急にかしこまった感じで、美人さんは言った。そして、俺が何かを言う前に、美人さんは消えてしまった。
——冷えてきた体を温める為、やっと動けるようになった体をお湯に沈める。病気予防に魔力回復、体力回復、美肌etc……
ああ、気持ちいいや。本当なら、何も考えずに味わっていたい。
のだが……
『私はあなた達の事を恨んでます。きっとこれからもそれは変わらない。
それでもあなたは、私の事を愛してくれますか?』
……人生で一番だ。こんな、切ない言葉は。全く俺にどうしろと。
ミステリアスな人間は嫌いじゃないが、回りくどいのは面倒くさいぜ。
「……上がるか」
風呂って気分じゃなくなった。今日はぐっすり寝よう。そして、また明日だ。
どうも狩人殿が何か思いつめた表情をしていたし……あー! イージーモード! どこかイージーモードは転がってないか!
ボタンぴこぴこ押すだけでクリアがいい。クソゲー万歳!
……はぁ。
〜〜〜〜〜
どんな状況にせよ、風呂上りのコーヒー牛乳は美味かった。外で食べるご飯が美味いように、こういうのは雰囲気も大事だからな。
「プハッーーっ!」
左手を腰に、右手をぐいっと。着替えはダンジョンからポイントで出してある。ダンジョンさまさまだ。
自室のベッドにはラピスが眠っていた。左手首にある、紐を結び直した俺とお揃いの宝石を大事に抱きしめて。
ソファーには、ココがいた。
「ボクはもう帰るね。ちょっと、長くいすぎちゃった」
「帰って風呂に入るんだろ? なんなら俺と一緒に入ればよかったのに」
グヘヘ、みたいな。
「恥ずかしいよ!」
……分からなくもない。俺も修学旅行時の健太みたいな『わははっ! フィジカルオープンッッ!!』っていうのは考えられない。あまりにもオープンすぎだし、うるさかったので熱々の湯に突き飛ばしてやった。あれ以降は静かにしてくれたから良かった。
「じゃあ今日はもうお別れか」
「うん、でも明日の朝には来るんだし、いいんじゃないかな」
「偶には泊まりにこいよ。それと、あのキングジュニアとは仲良くしてやってくれ」
「分かった。お休み、王人」
「お休みココ」
玉座さんの階まで来て、俺は手を振った。向こうからしてきたから、手を振り返したという方が正しい。
ココの姿は段々と消えていき、やがて見えなくなった。
……今日もまた、濃い1日だったなぁ、水で薄めたいなぁ、なんてバカな事を考えていると、自室では狩人殿がいた。さっきまで寝ていたはずなのに……狸寝入りか。
「どうしたんだ?」
「……今から私が言う事は、とても恥知らずで、申し訳がない事だと思っているです。
でも、どうしても、オオトに頼みたい事があるのです」
「内容にもよるが……何だ?」
「私を、あのダンジョンの所まで連れて行って欲しい」
強い意思のこもった目で、俺を睨んでくる。絶対にこれは何かあったはず。ずっと俺たちと一緒にいたのに、一体どこで何があったのか……
俺はその願いとやらを聞けるか考えてみた。まあ、ダンジョンポイントで軽めの睡眠薬でも取って、眠らせてから1階に放り込めば解決だ。しかし……
「何のために?」
「……今から私は、もしかしたら非道い事を言うかもしれないです。でも、どうか、聞いて欲しい」
重い口調で、狩人殿は喋り出した。夜だという事でよく聞こえる。時々ラピスの静かな寝息が、聞いてて楽に感じた。
「私は普通の村に生まれた、狩人の娘です。少しばかり狩りが得意な、村娘です。
いつも通り生活していたのですよ。その日は、よく晴れた日でした。雲ひとつない、清々しいほど空の真っ青さを感じました。
私は日課となった狩りに出かけたんです。最近では父の体の調子が悪く、その分私が出かける時間が多かったのです。
結果は天候が味方して、順調に終わりましたです。ウサギと鳥、ついでにと香草も1束持ち帰りました。
——ですが、村に帰る途中、嫌な予感がしたのです。微かですが、水の中に泥がいってき入ったような、嫌な空気でした。
私は父から教わった技、【鷹の目】を使いました。遠くから見る事のできるこれで、こっそりと村を覗いたんです。
そして私は見たのです」
——1人の女を……
「女、か」
「女です。丁度オオトと同じくらいの歳の、私と同じくらいの歳の女です。
キツネのように細い目をした女は、私の知らない人間でした。村で知らない人間なんているはずないですし、旅人かとも思いましたが、服装からして旅人のようには見えなく、ここで私は怪しみました。
……それは正しかったです。口の形で判断しましたが、女は私のよく知る愛想のいいおばさまに『ついてこい』と言ったです。ただそれだけです。なのに、おばさまは女の近くに寄り添いにいきました。強面のおじさまが止めようにもかかわらず、その手を振りほどいたのです。まるで、操られているかのようでした。
それをおじさまは分かったのです。斧を持って、女に斬り掛かりました。多分威嚇だったんだと思います。でも、それは当たらなかったのですよ。斧とおじさまは、途中の動作で止まりました。ピタリと、髪の毛ひとつ動いていないです」
——そして女はおじさまに、ついてこいと言ったのです。おじさまは、ついていったのです。
「怪しいな」
「全くです。これはおかしいと、私の父と母も女に近寄ったのですが、やはり『ついてこい』と言われて、ついていったのです。
最後には反抗しようとした村の人々は、全て時間が止まったみたいに動きを止めて、女に言われたです」
——ついてこい……と
「女は村のみんな1人残らず、私以外をどこかに連れて行きました。私はそこで……急に怖くなったのです。
得体の知れない事態に体が震えて——逃げたのです……!
助けようともせずに私は逃げてしまい、行く当てもないまま丸一日走りました。何度もこけながら、走りました。走って走って、逃げたのです。
……その間私は、1度も見捨てた事に後悔はしなかったのですよ。だって助けようとしても、みんなと同じく捕らえられて、摩訶不思議な力の前に操られるかと思うと、逃げるという選択肢以外は考えられなかったのですから」
狩人殿は自嘲気味に、まるで、さあ貶せと言わんばかりに俺を見る。
……正直言うと、俺も同じような事をしただろうから、狩人殿を責める事なんて間違っても出来ない。ココがいたらその限りじゃないんだが。
「あれ、じゃあ何で今更になって、お前はあそこへ戻りたいだなんて言い出したんだ? ダンジョンに戻って、村に帰りたくなったとでもいうのか?」
「……オオトとラピスを見て、私は羨ましく思ったのです。いいなぁと心の底から。
きっと父と母や村のみんなは、この世にいないか、どこか遠くで奴隷として暮らしているのかもしれないです。捕らえられた先の末路など、そんなものです。
遅いなんて分かっているのですよ。でも、とうしても、私はあの女を殺したくなった」
殺意の含んだ視線を、それは俺に対してじゃないと分かっていても震えてしまうほどの威圧感。
どうしてこんな、いきなり?
まさかとは思うが……
「その女を見たのか?」
「……はい。お風呂の眺めは、自然豊かで良かったですよ」
露天風呂で見ちゃったのか……だからいきなりねぇ……
そいつはきっと美羽だろう。美羽愛里。俺たちと同じ学生。まあ、後輩だけど。
だったら俺は、狩人殿に協力しなければならない。ダンジョンに連れて行け、か。断れるはずもないな。
「明日昼ごはんを食べたら連れていこう。それでいいか?」
「っ……感謝するですオオト」
「いいっていいって。袖振り合うも他生の縁。意味は忘れたが、そんなところだ」
適当な事を言いながら、眠くなってきたので体を横にする。
——唐突に出てきた【お知らせ】に嫌な予感を感じながら。
俺はそれをタッチした。
「今日はよく寝ておけよ。明日、もしかしたら、もしかするんだからな」
「はいです……本当にありがとうですオオト。もしも全てが終わって私が無事なら……その時は———
でも今日は、お休みなさいです」
「おう、お休み」
【お知らせ】を見てるから、狩人殿の言ってる事全然分からなかったが、まあいいだろう。
さーて、なになに……
—————
美人さん? 私が? 照れるなぁ……じゃあ、そんな私からみんなへのプレゼント♪。
明日玉座の近くに置いてあるから、楽しみにしてね。大事に使ってよ?
—————
美人さんスレが湧き上がるなこりゃ。
……この文を美人さんが書いていたとするなら、きっと淡々としてたんだろうなぁと想像しながら、俺は風呂場のセリフを思い出す。
——暇つぶし。
——私も君たちの事、結構嫌いだよ。
——君達はさ、私にとってのシャープペンシルの芯なんだよ。最初は大事にしてたけど、時が経って、折れても気にしなくなった……そんな感じ。
……プレゼントって、絶対にロクなもんじゃないなと思う。いよいよ美人さんが動き出した、という事なのかもしれない。
本当なら副会長として生徒会連盟のスレにいかなきゃらないが、これから俺は忙しくなりそうなので会長にお任せしよう。
……なんだかんだ言って今日は、とても素晴らしい1日だったかも。
ココに会えて手料理たべて、美人さんの裸を拝めて、前者はみんなに言ったら羨ましがられる。後者はみんなに言ったら殺される。冗談抜きで。
《……王人のエッチ》
なんとでも言えってんだ。俺は、絶対に今日を忘れない。記憶領域に裸を保存。一生の宝物だ。
異世界ってのも案外悪くない。今日の俺は、そう思った。