人間が進化した存在、それが魔人
◇◇◇◇◇
その昔、世界には魔人がいた。
世界を滅ぼす魔人。
世界を救った魔人。
様々な文献に残っているが、そのどれもに載った確実な事実は、魔人が人を超えた力を持つという事。そしてどの文献からも消された事実、それはーー全ての人間は魔人になり得るという事。
人間から魔人になる事は可能である。むしろ、魔人などという種族は存在しない。
◇◇◇◇◇
不思議ちゃんは内臓を突き刺された。隣にいる生徒会長を庇ったおかげで、避けきれなかったのだ。
結局、生徒会長も「即死を免れた」だけに留めるしか出来なかったのだが、それでも不思議ちゃんは生徒会長を救った。
ゴフッーー
血を吐き出す。
このままでは不思議ちゃんも死ぬ事は確実だ。ご丁寧に、先ほどの凶器には毒が塗ってあった。
ーー本能だろう。いや、それを言ってしまえば、この怪我でさえわざとくらったものかもしれない。
不思議ちゃんは魔石を取り出す。ゴロゴロと、今まで魔物を狩ってきた成果で、お金はいらないし特に利用方法のなかったそれら。そしてその中に1つ、一際小さな魔石があった。それは、かつて狩人殿から貰ったものだ。
『これは、言葉では言い表せないのです。それだけ大事な、私の物です』
別に仲が良かった訳ではない。不思議ちゃんには、どうして狩人殿がそれをくれたのかも分からない。
確かな事は、嬉しかったという事。
なるほど、言葉に表せられない。
不思議ちゃんは誰にも気づかれず微笑んで、何を思ったか、魔石を呑み込んだ。
「っ……」
ドクドクドクッーー
身体中に熱が駆け巡る。血が燃えているようだ。抉り取られたはずの肉体が埋まり、心臓があるべき場所にはーー狩人殿の魔石。
思わず叫んだ。らしくない。
睨み合ってたハクと王人もギョッとして不思議ちゃんを見た。
彼らは見ただろう。
白い髪を蛇のように蠢かす不思議ちゃんの両目がーー真っ赤に、染まっているのを。
「やっぱり、不気味ちゃんだったか」
ハクがそう言って、いつの間にか真横にいた不思議ちゃんの蹴りを防ぐ。
重い。
それもそうだろう。今までの不思議ちゃんではない。全てにおいて能力が上がった彼女の総合力はハクを上回る。彼に鎧がなければ、既に勝敗は決していたかもしれないほど。
ハクの片目は真っ赤だ。不思議ちゃんの両目は真っ赤だ。それは不思議ちゃんこそ、真の魔人だという事に他ならない。人間だった頃のスペックは明らかに不思議ちゃんの方が上だったのだから、この結果は当然とも言える。
一方、2人の激戦の最中、不思議ちゃんと目があった王人は、そこから意思を汲み取り、生徒会長のもとへ走った。
「殺せ」
王人が来て、生徒会長の放った第一声はそれだった。
「……らしくないですよ会長。ほら、どうせ、傷を治すスキルくらい持っているでしょう」
「それを、奴が想定しないはずがないだろ。先ほどの攻撃には、毒があったに違いない……」
現に生徒会長の胸からは、血が溢れ出している。この状態で死んでないのが不思議なくらい……それでも確かに、最期は刻々と近づいていた。
「いや、やっぱり、らしくないですって。何で避けれなかったんですか。貴方ならそのくらい出来たはずでしょう」
「ふっ……買いかぶり、すぎだ。私はもともと普通だ。お前みたいに生まれも育ちも異常な奴に比べて……普通だ。
……そう。私は悪くないもん。あそこは、お前が私を助けるべきだった」
無茶苦茶な。しかし、その言葉が口から出る事はない。王人も何となく、会長の言いたい事が伝わっていた。
「らしくないのは、だからお前の方だぞ。いや……敢えて、らしいかもしれないがな。意識的にしろ、無意識的にしろお前は……」
ゴフッと、口から血を吐き出す生徒会長は、近寄る王人を手で止めて、またその言葉を言った。
「殺せ」
死に近づき、生徒会長は生気を衰えるどころか、尚の事存在感を放っている。王人はそんな生徒会長を見て嬉しく思った。
喋るのも苦痛だろうに。
眠った方が楽だろうに。
生徒会長は、燃える意思を宿した目で王人を見る。
「私の人生、面白かったぞ。そしてそれはお前なくして語れない。
……ああ、つまりな、これは我儘だ。怖いから……頭では分かっていても心が割り切れない。お前に殺されたくないという一生のお願い。……だから、私を殺せ」
どちらも同じような気がする、とは、王人も思わない。
生徒会長は王人をよく知っている。分かってくれている。だからこそ、こういう時に何をするかは予想出来ていたのだ。
すなわち……「殺す」
どうせ死ぬのなら、下品な話スキルを貰った方が合理的。だからこそ王人は自分を殺すのだろうという確信があったから。
自分で死を選ぶ。死に方を、選ぶ。生徒会長は最後まで、王人の味方でありたかった。
「……」
王人は無言で刀を取り出し。そして無言で構えをとって。それから……
「……ずっと一緒、みたいで、こっぱずかしいですね」
「ぶっ! 何だ、それ、キャラ、違うっ」
思わず吹き出した生徒会長は、馬鹿みたいにツボに嵌ったが笑うたびに傷が痛み、これこそ笑い死にだと呑気なことを思ったが。
急に目の前が真っ暗になって、ある事を思い出し……楽しみだ、と。心の中で呟いた。
〜〜〜〜〜
「ーーさて、と」
余韻に浸っている暇はない。王人は早速、ハクを視る。
使い方は理解していた。リスクも当然分かりきっている。
だというのに……
「ははっ、マジかよ会長」
スキルを身に宿し、真にその能力を理解した王人は、絶好の機会にそれを使う事を躊躇った。
天秤が釣り合わない。リスクの大きさに、思わず身が震える。これをどうして生徒会長が使いこなせていたのか、それがまるっきり理解できない。
視線の先で、不思議ちゃんとハクは更に激しい戦いになる。一見、不思議ちゃんの方が有利だが、同時に王人は「これでハクが終わるはずがない」という変な信頼があった。
……今しかない。チャンスが尻尾を巻いて逃げる前に、王人はスキルを使うべきだ。
天衣無縫を。
使わなければならない……のに。
《大丈夫です。安心してください。私が側にいることをお忘れなく》
「イッチー……」
異世界知識は所詮、脳の中。それでも王人は温もりを感じた気がする。左手を誰かに握られたような、安心感がある。……右手も、誰かに握られたような、安心感がある。
ーーそうだ、そうだよな。
「俺は……1人じゃない」
◇◇◇◇◇
ーーここまでとはっ!
不思議ちゃんの覚醒は予想外だったとはいえ、終始押され気味。
転移魔法などオマケみたいなものだ。そう思ってしまうほど、余りにも高度な戦い。魔法使いのあり得ない体術も、魔人となって拍車をかけた。
ーー参った
完敗だ。
ハクは諦めた。このままでは絶対に負けると……ならばそう、このままで無くすればいい。素晴らしい。初めてこの世界で本気が出せるのだとハクは歓喜する。
戦闘狂ではないが。
おいそれと使える力でもないため、持て余していた全力。
「“さらなる高みへ”!!」
自らの体に手を当てる。
これは1時間ポッキリの限定能力。それを過ぎれば全身が崩れ、ゆうに1ヶ月は寝たきり生活をする羽目になる諸刃の刃。
ーーハクの手は、存在を昇華させる。2倍の2倍で最高4倍。最初は人間だったが、無理に力を使って魔人にしたように。
そして今も、無理をする。2倍の2倍の2倍の2倍で最高……16倍。
「ぐぁぁっっあ!」
可笑しな事だが、死すら安らぐこの激痛には懐かしさを覚えた。なんせ、異世界で初めての行動を問われれば、この痛みだったと答えるだろうほどに。
痛みに伴い、ハクの鎧に変化が訪れる。ハク自身それを魔法線と名付けたが、全ての魔法線が輝きだした。
遂には鎧そのものが形を変え、今まで半分しか体を守っていなかったが、完全なシンメトリーとなってハクの全てを覆った。
ーーこれこそ完成系
今まで色と力を変えていたが、全ては1つになった黒の鎧。魔法線も全てが煌めきを放ち、我こそはと主張している。
〝魔王〟誕生。
「いや……まだだっ!!」
最初は人間だったが。2倍にして下地を作り、更に2倍をして魔人になり、更に2倍にして魔王となり、更にーー
暗雲が立ち込める。ハクの叫び声と呼応するように雷は鳴り、世界が歓迎しているようだ。その存在に。
鎧は液状化し、気化して、ハクは全身を黒い繭のようなもので包まれた。
ヒビが割れて。
中から現れたのはナニカ。
見た目だけなら、魔王の時の鎧姿の方が威圧感もあり、仰々しいが。あれは例えるなら暴力。
今のハクは洗練されている。研ぎ澄まされている。分かる者なら分かる、その身に内包された圧倒的なまでの力。
ーーこれこそ完全体
おとぎ話にも存在しない空想上の存在。神話の中の神話が姿を現した。
〝魔神〟降臨。
◇◇◇◇◇
王人は視ていた。ずっと。
そして変化が訪れる。巨大な繭に包まれて開花したハクは、既に不思議ちゃんを軽く捻る力を持っている。
視線の先には、なす術もなく蹂躙される不思議ちゃんがいて、激しい頭痛の中、王人は唇から血を流した。
ーーどうして……
不思議ちゃんの蹴りは、吸い込まれるようにハクの腹を狙う。フェイントも織り込まれた攻撃は、一瞬だけハクを凌駕して。
直撃した。
しかし……
直撃したのは足。それすなわち、力を16分の1にまで減らされた事になり、元よりハクの硬い体にダメージは無かった。
お返しなのだろう。ハクの右ストレートは、一切の誤魔化しを無効化して不思議ちゃんを殴る。それすなわち16倍の威力。元よりハクの強大な力と一緒に、不思議ちゃんを吹っ飛ばした。
ーーどうしてっ……お前は
王人は黙って見届けている。頭がクラクラして、視界が回る中、それでもハクを見続ける。ボロボロになった不思議ちゃんを見ても、見続ける。
「どうしてお前は、そこまでするんだ」
誰もその問いに答えてはくれない。
ーー遂に、というか、やっと……というべきか。不思議ちゃんの力が弱まっていく。何とか張り合っていた均衡が崩れ、ハクの攻撃をまともにくらった。
空で戦っていた2人のうち1人が、地に落ちていく。王人の目からは純粋なる賛辞のせいか、涙が溢れている。
朧げな視界の不思議ちゃんは、遠くでそんな王人を見て……フッと微笑んだ。自分は間違っていなかったと、そう思えた。
ーーだから
「まだ、私はっーー!」
「終わりです」
グサッと、ハクの手刀が不思議ちゃんの胸を貫いていた。
……こうして、あまりにもあっけなく、地味に、普通に、不思議ちゃんは命を落とした。しかしその顔に苦痛は見られない。むしろ清々しく、ほんのりと幸せそうな表情をしていると……ハクは思った。
不思議ちゃんという守りの消えた王人に、ハクが躊躇うはずがない。今しがた胸を貫いたその手で、ひと思いに貫こうと王人へ近づきーー
ーーパキンッ!
青白い壁に阻まれる。
そして違和感を覚えた。
寒すぎる、と。
「まさか……氷?」
カツン。
カツン。
……カツン。
霰は、あの爆発から逃げ切れなかった。王人の合図に気づくのが遅れて、あの無慈悲なる破壊の渦に呑み込まれ、急いで氷の最大防御で身を守ったものの、ひどい傷。
ひとまず日向のダンジョンに戻り、大雑把な応急措置をした後、もう一度ゾディアックへ向かった。王人がいる、そこへと。
問題だったのは日向。元々、戦闘に参加しないはずだが、友人がこうも傷ついて黙っていられるほど愚かではない。どうしても止まらないのならせめて、一緒に……
カツン……
カツン。
カツン……
「大丈夫、霰ちゃん?」
「……ぜんぜん問題なし」
日向の肩に担がれて、霰は階段をのぼる。今も形成している氷の階段を、音を鳴らしてのぼりつめる。
嫌な予感を感じてボロボロの中、霰は屋上へ来て、まず王人がいる事に歓喜すると、今までの傷は何だったのかと呆れるほど猛スピードで近寄った。
が、何やら集中している王人を察し、過度な態度は控える。代わりと言っては何だが、鬱憤をぶつけるためにハクを睨んだ。
「貴方が副会長を殺そうとしたのは見えました……つまり、死ぬ覚悟は、済ませてるんですね」
「怖いな……」
それは本音。力の差がどうとか、そういう問題ではなく。今の霰は、メデューサにも劣らない眼力をしていた。
「ちょっと、早いよ霰ちゃん。あんまり激しく動くと傷が……って、あれ、どういう事これ? え、えっと、敵はいないよ?」
「いいえ日向、あいつが敵です」
「あいつって……皇帝様!?」
すぐに、ハクが嫌な顔をする。久しい名だ。そして気に入らない名だ。その理屈で言えば妹は、皇妃となるのだから。
何となく、忌避してしまう。
「そんな、霰、皇帝様が敵ってどういう事!? あり得ないよ!」
「現にそうなっているのですから。見てください。あそこの白い髪の女性も、獣の耳を生やしたあちらの女性も……」王人の側に目をやって。「……会長も、あいつが殺ったのですよ」
実際は会長にとどめを刺したのは王人だが。王人自身いまは集中しており無視して、ハクも面倒な事になりそうだから否定はしなかった。
霰の友達、日向はまだ信じられないらしい。死体とハクを交互に見て首を横に振る。
「嘘だよ! 皇帝様は優しい人だもん!」
「ちょっと黙っていてください日向」
霰はそれ以上なにか言いたげの日向を置いて、王人の側に寄る。やはり王人は何の反応もしないが、そんな事はお構いなしに霰が話し始めた。
「副会長、覚えてくれているでしょうか。あの春の日の事を」
これは長くなりそうだ。
ーー残り……50分。
なら。まあいいかと。律儀に間抜けに、空中で正座のポーズをとるハクは瞑想を始めた。
「ーーそう、あの日、私は思ったのです。貴方の側にいたいと。そしてそれは、これからも変わりありません。
はい分かっています。その為には、あいつが邪魔ですね。見ていてください副会長。私の成長を」
霰はいつかのように、胸に手を当てた。
「覚悟を見せます」
血も涙もない心。
ここで王人はピクリと反応する。ほんの少しだけだが、霰を味方だと思えなくなってしまったのだ。
心を抑制した霰を。
その瞳には何の感情もうつっていない。ただ、冷たかった。
あろう事か霰はそのままハクーーには構わず、日向に近づき。「えっ」とその者ーー物が戸惑う中、力を行使した。
「凍れ」
一切の無駄が消えた純度100パーセントのスキル。それは日向を一瞬で氷で包み、さながら死者を収める棺のごとく造形された。
生すら閉じ込め、友人だった命を完璧に凍らせた霰は、自分のした事に喜びを隠しきれない。青白い顔にうっすらとピンクがかかった。
「どうですか副会長。私、今なら貴方に近づいていますよね。誰よりも。他のどんな何かよりも。
ずっと……ずっと。ずっとずっと。ずっとずっとずっとずーーっと、近い。至近距離。肌と肌が触れ合うくらい。吐息が交じり合うくらい。近く近く……もしかしたら」
ふうっ……と、霰が息を吐く。キラキラとダイヤモンドダストのように輝いてるそれは、王人の頬をなでた。
「貴方を、越えたかもしれない」
ゾッと背筋が震えた王人。気づけば髪には霜がおり、足はうっすらと氷の膜が張ってあっる。
霰はそれを知って、別に止めるわけでもなく王人に近づいた。
「あれれ。よく考えると副会長って……いらないのですかね?」
先ほどの崇拝はどこへいった。
まあ、仕方がないかもしれない。それら全ては、冷めてしまっている。千年の恋も凍る力を、自分自身に使ったのだから。
「……違う」
呟いたのはーー霰本人。
自分でも驚いたのだろう。はっと口元をおさえる。勝手に動いた口は気味悪いが、何だかーーよーく考えると何かがおかしいかもしれない。そう思えた。
……思っただけ。
だがーー
「霰……」
「っ……何ですか副会長?」
彼女は気づいてない。声が若干嬉しそうに踊っているのを。
「もしも俺を殺すなら、今すぐにでも殺してやるぞ」
「ーーーっ!!」
彼女は気づいていない。今にも自分の体がスキップしそうなのを。
つまり……根っこの部分は、そう変わらないという事なのだろうか。ハクは呆れながら欠伸をした。
冷めていても、熱い熱い。千年の恋は凍っても、1年の愛は氷が溶けてしまう。蕩けてしまう。
胸の高まりを霰は必死に抑え、無表情ながらも真っ赤の顔をスキルを使って冷やしまくる。まだ顔に朱が残っていたが、霰は何事もないように振る舞う。
「さて……と、分かっています。私の仕事は。アレを止めておけばいいんですね。任せて下さい。完璧にやり遂げれますから」
「……信じてる」
集中を途切れさせてしまい、更に事を遅らせてしまった王人。今度こそは完成させようと目を瞑る。
霰は愛しの王人の命令をこなす為に、ハクと対峙した。ハクもやっとか……と思いながら正座をとき、目の前の敵を全力で潰しにかかる。
「待たせてすいません」
「ああ、こちらも時間が大切なんでな。もうサービス期間は終了だ。俺を殺そうとしているならもちろん、死ぬ覚悟は済ませてあるんだろ?
悪いが、手加減はしないぞ」
「あはは。そんなの当たり前じゃないですか。私も手加減なんかしませんから」
「そうか、ならーー」
ハクの姿が消えた。
違う、目の前にいた。
「死んでいろ」
お決まりの右ストレート。
霰は不思議ちゃんのように身体能力はさほど高くないし、会長のように化け物ではない。
だが、化け物じみている。
一瞬で防げないと冷静に悟った霰は、せめて右手を前に出して防御した。本来それは、右手ごとぶっ飛ばす勢いのものだったかもしれないが……
エネルギーを凍らされた。
そのまま時すら凍らされ……
「舐めるな、よ」
「へぇ……」
強引に、その者は時間を突き破ってきた。空間も固定するが、そんなものは意味がない。魔神に常識は通用しない。
口では余裕ぶりながら、想定をはるかに上回るハクの実力を危険に思い、霰は自分の右手を前に突き出した。
「凍れ」
氷の濁流がハクを襲う。
細胞1つ残らず、全てを凍らす。
本来なら、そうなのだが……
「ーーだから」
声が聞こえる。
「舐めるなと言っている!」
全てを壊すその様は、破壊神と呼ぶべきなのかもしれない。
純粋な力は氷を砕き、真っ直ぐに霰へ伸びる。未だ右手を伸ばしたままの、霰の手へ……
「いえ。舐めてませんよ」
ハクの右ストレートが、霰の手を貫通していき……ピタリと、途中で動きを止める。
「日向は献身的なのです」
【重い遣り】
自らの傷を代償に事を為すスキル。傷が大きく深いほど、願いは叶う。
因みにもう1つ2つは家庭用スキルで、今は使い物にならない。
ーー代償。
肘から先を失い、霰はいつも以上の力を発動させた。
「氷死」
自らの心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えたハクは、本能的に後ろへ逃れる。
ふと、右手に違和感を覚え、それを見た。かき氷のように粉々となって散る、自分の右手を。
ーーそれがどうした。
ハクは自分の右手を生やす。いつもより治りは遅いが、逆に言えばそれだけだった。
「その程度じゃ、俺は殺せないぞ」
「ふふ、そうかもしれません」
霰は肘から先の透明な手を見つめて、何度か動作を確かめるように動かし、まあ上出来だったのだろう。
氷の手は、問題なく動く。
「ですが、それでいいのです。元より私は貴方に勝てるかどうかは自信がないところなので。何分持ちますかね。いえ何秒でしょうか。
私、頑張りますよ」
「……はぁ……何というか、お前達のチームはみんな、疲れるなぁ」
本来なら、生にしがみつこうとするもの、生き物。だが今の霰は死を恐れず、それ故に逃げる事も怯える事も遅れをとる事もしない、とてもーー厄介。
……厄介なだけで、難解ではない。立ち塞がるのなら、倒せばいい。それだけの事。それだけの、簡単な事。
ーーハクは距離の概念を壊し、目の前で手を振る。霰が危険を察知し、避けたーーが、左手が吹き飛ぶ。焦る事なく氷の手を作り、代償の力が今度はハクを襲う。
ーーハクが失った左手首を生やして、自分から溢れ出る神力のような物を直接霰に向けて放つ。霰は下半身を失う。焦る事なく氷で補い、代償の力が今度はハクを襲う。
ーーハクは全身の固まった血液を元に戻し、転移魔法を使って霰の目の前で迫ると、さっきと同じ攻撃を使い、霰の上半身を吹っ飛ばす。代償の力は……来ない。
「……ざっと1分。頑張った方ですね。だからこの場合の問題は副会長、貴方ですよ」
王人はまだ、目を瞑っている。
「何かを始めるのならば、早くしてくれないと……俺もそろそろ、待ってはいられません」
ここでようやく、王人はゆっくりと目を開いた。
ーーまだ、終わってない……
「……なよ」
「ん、今なんと?」
その時、ハクの背筋を冷気がなぞる。
「俺の後輩を、舐めるなよ」
「っーー」
ハクが後ろを向く。
そこでは、氷が動いていた。
ただの氷ではない。霰の形を模した氷だ。失った上半身も補い、これで全身を氷と化した霰だ。
〝アイスローター〟
霰が本当の意味で人間をやめた瞬間。命を失った代償に、氷の虐殺人形と成った瞬間。
「本当に、疲れる」
とりあえず壊した。
すぐに氷が再生し、中途半端な攻撃じゃ意味がない事を悟ると、今度は木っ端微塵に壊した。
2度と、そのアイスローターは戻らなかったが……今までに霰が出した氷から、新たなアイスローターは生み出される。
1体、10体、100体……
「きりがないじゃないか……いや、時間稼ぎとしては最高の技だな。こういう時には何と言うんだったか。
そう、敵ながら天晴れ。なんだが」
開戦の合図として、上から氷の槍が降ってくる。こうして、魔神と化け物の戦いが……
〜〜〜〜〜
「言っただろう」
戦いが……終わっていた。
「もう待ちきれない、と」
アイスローターが動きを止め、次に王人が瞬きをした後、もう一度見ると全ては粉々に散っていた。
ーーあと少しっ……
王人は舌打ちをする。
霰があっさりと殺られてしまったからではない。不思議ちゃんが粘ってくれなかったからではない。
ここまで時間を貰ったというのに、自分がまだ【天衣無縫】を使いきれてない事に苛立っている。
それも仕方のない事だ。あれは会長のスキルであり、王人は奪っただけにすぎない。誰にでも使えるからといって、使いこなせるかどうかはまた別だ。
そういう意味では王人も頑張っている……それはあと、ほんの少しの時間で事足りるというのに……
「神槍」
ハクが痺れを切らした。
「10秒待ちます」
槍を構えて、死の宣告が始まる。
「9……」「8……」「7……」「6……」「5……」「4……」「3………」「2………「………」「1…………」「…………」
ハクが悲しそうな顔をした。少なくとも王人には、そう見えた。
「残念です」
ハクが槍を引きしぼる。狙うは心臓。一撃で終わらせるつもりだった……
ーーバチッ
ハクの顔に、静電気にも似たピリリとする感覚がする。気怠げに横を見ると、息を切らしたラピスがいた。
予想外だったのは王人だ。ラピスがそこまで気配を消せる事でもなく、雷という特質な魔法を使っている事でもなく。
ーー何故ここに?
漠然とした思いのまま、反射的に浮かんだ言葉を叫んでいた。
「逃げろ!」
声が聞こえたのだろう。ラピスは王人を見て、他の誰かがそうしたように微笑む。そしてもう一度、ハクに向かって全力の魔法を使った。もちろんハクには通用しない。
「……あんまり、こういう事はしたくないんだが。でも、ヒロインが死んで覚醒というのも、よく聞く話ですよね」
「ハク!」
ハクは槍の矛先を変えた。「止められるものなら止めてみろ」という期待を込めて、全てを貫通させる槍を投げた。
一直線にラピスへ向かう。
王人が走る。
……間に合わない。
巨大な槍はラピスの腹に穴を開けた。
サポートキャラは血を出さず、虹色のエフェクトを放ちながら消えていく。王人はラピスの手を伸ばすが、ラピスも手を伸ばすが……それもサラサラと光になり、ついぞ手が繋がれる事はなかった。
「ーー神葬」
ハクがそう呟くと、ラピスに突き刺さる槍が爆発を起こす。近くには王人もいて、至近距離からそれを浴びた。
全てを貫く槍の爆発は、全てを破壊する。そこに例外はなく……
〜〜〜〜〜
爆風も晴れて、ハクはディスプレイを開く。ーー犬 王人と表示された欄が消えていくのを見て、人知れずため息をついた。
満足感はなく、ただただ虚無。
もっとこう、期待していた何かが拍子抜けで、嬉しいというよりも虚しく。
「あと、1人……か」
ディスプレイには、伊瑠夏という名前がひっそりと残っていた。願いを叶えるためには、その最後を終わらせれるだけ。
適当にここから斬れば当たるかなーーと、ハクは考えて。
直後、後ろに神の気配を感じる。魔神となったハクはそれが分かった。
おかしい……まだその時ではないだろう。
ーー違った。
そこにいたのは、全てを終えて願いを叶えてくれるはずの美人さんではなく。
黒い繭。
「まさかっ」
もう一度ハクはディスプレイを開いた。自分と伊瑠夏という名前しか残っていないはずだが、文字が再び現れる。
ーー人 三人
ーー大 王人
ーー犬 王人
「ははっ……」
死んだ人間が蘇るという異常を、ハクは親友を迎えるように喜んだ。




