白王 帝の行動原理
◇◇◇◇◇
Uの4。それが俺の位置だ。俺というか、ダンジョンの。
——今日は気持ち良く起きれた。と、思ったが……そういえば異世界に来たんだったなと寝ぼけた頭で理解して、一時的な苛立ちが募ってくる。
いつもは妹が起こしに来てくれたんだ。昨日名前を全て確認したが、空椎高校の学生だけ。妹は中学3年生だからいるはずもない。あいつ、俺がいないで受験勉強は出来るのか?
母さんが1番心配だな。精神が脆弱だから、もしかしたら寝込んでるのかも。
まあ父さんがいるから安心か。別に俺がいなくても、白王家は大丈夫だと、そう思うことにしよう。
……まず、ダンジョンを出るにあたって自分の身体能力を確認し、慣れる事に。自分に流れる魔力 (みたいなもの)を体の内側に留めることを修得。それとどんな敵が来ても、自然に能力を使えるイメージトレーニング済み。
終わってみればもう昼時。俺は紅茶を飲みサンドイッチを食べると、収納袋verポーチに必要な物を全て収納してようやく、ダンジョンを出た。
まずは、昨日確認したダンジョンマップである所の、北を目指そうかと思う。意味なんてない。何となく、だ。
何も無かったら、下に行こう。ただ……それは最終手段だ。下の方こそ何もなあ気がすると、マップを見てそう思ったから。
「ここ……森だったのか」
振り返ると真っ暗闇の入り口。周りを見渡すと、生い茂る木々。
方向感覚を失わないよう気をつける。
因みに、今の鎧は肩から下に流れる線、仮にこれは変形線と名付けよう。変形線を爪でなぞった、漆黒の鎧となっている。これが1番応用が利くと思ったからだ。
「何だったか……そう、何日も喋らないでいると、いざ話そうとするときに話せないんだったな」
と、思った事をわざわざ口に出す。
沈黙が場を支配しているこの森。
独り言でも何でもいい。何か喋っていた方がこれからの為だ。1人しりとりという虚しすぎる遊びでもするか真面目に検討する。歌を歌うのは……流石に、な。
いや待てよ。
確か昨日、緋子は気になることを言わなかったか?
『森に入ったら襲われている人間がいるだろうから、助けてやれ』
……俺は最初から森にいたパターンだが、これは果たして当てはまるか否か。
「———っ!!」
「————!?」
遠くで獣の雄叫びと、甲高い声の悲鳴を聞きながらそんな事を思う。
俺は真偽を確かめるべく、その声の元へ行く事にした。
〜〜〜〜〜
……目的まで近づくと、ライトグリーンの髪を肩まで伸ばした、先に少し癖っ毛が見られる女1人が地面にへたりこんでいた。そして、それを庇うように傍へ立っている、頭まで狐色のローブを羽織った者。少し離れて、顔から燻んだ煙を出している凶暴そうな熊みたいな魔物が……
俺は木に隠れるようにしてそれを見ていたのだが、助けはしない。
別に、他人だからとかいう理由ではない。その必要性がないと思ったからだ。そもそも助けるという言葉が成立しないのだ。それは、助けられる側が助けを求めている時だけ。
何が言いたいかというと、これがピンチではない気がする。俺は仮面の下に隠された赤目で、ジッとローブの人間に目を凝らした。
へたりこんでいる人間の弱々しい魔力と比べて、熊の魔物の身体中を駆け巡っている荒ぶる魔力と比べて、繊細かつ強大な魔力を身に秘めているローブの人間。
「グゥ……グルルラァァア!!」
その証拠に、殺気を撒き散らす熊の魔物が2人に襲いかかろうとして、ローブの人間の魔力が激しく動き出す。
……成る程、魔法の予備動作を確認できた。後で俺も出来そうだな。
ローブの人間の、一部の魔力が熊の目の前へ移動して、魔力は1つの赤い炎に変わり、熊の顔を焦がした。恐らくだが、これは2回目なのだろう。
その証拠にへたり込む少女は悲鳴を上げていない。怖がってはいるようだが、危険ではないと理解したらしい。
「[灼熱小雨]」
倒れた熊の魔物にさらなる追い討ち。ローブの人間の周りに展開された魔力の粒が、全て強烈な熱を持った炎に変わり、降り注ぐ雨の如く熊を焼け殺した。
……緋子の奴もあてにならない。何が襲われている人間がいる、だ。これはどう見ても、魔物を襲ってる人間だ。
ローブの人間は戦いが終わり、すぐにへたり込む少女へと近づく。少女は安心したように力ない笑顔を浮かべた。
さて、もうここに用はないと、俺は早々に立ち去ろうとしたのだが——
「——動かないで」
そこまで大きくない凛とした声が、俺の歩みを止めた。目で確認するまでもなく、背後の方で魔力が展開されているのが分かる。
俺は、熊のようになりたくなかった。
あんな焦げ臭い死臭を出して死ぬなんて、絶対に後悔する。
「ゆっくりと出てきて」
特に無視する必要もないので、言われた通りにした。このまま走って逃げてもいいが、禍根を残すのは良くない。
大きな木を挟んで隠れていたので横に移動。見れば、へたり込む少女は俺を不審そうな目で伺ってくる。ローブの人間の黄土色の目は、俺を睨みつける。
「……一体、何をしてたの」
ローブの人間から……声からして女性みたいだな。言い直そう。
ローブの女性から、変な質問をされる。その質問に答えるなら、ただ見てただけだが。
「悲鳴が聞こえたんでな、来ただけだ」
「どういう事? つまり貴方は、他人が死ぬのを見ていたい特殊な性癖でも持ってるの?」
ローブの女性の言葉に、一瞬何を言われたか分からなかったが、納得した。俺と彼女とでは、大きく認識が間違っている。
側から見れば俺は、ひと2人を見殺しにしようとしたクズだ。悲鳴が聞こえたから来たという事は、それなりの力を持って然るべきなのだから。
「俺はアンタが強いと分かった。だから助けに入らなくてもいいだろうと、もっと言えば邪魔になるだけだと思い、手は出さなかった。
俺の判断は間違っているか?」
「……ううん。それならいいの」
そう言ってローブの女性は、しかし今も尚、俺を警戒し続けている。
何故なのか……いや、初対面の人間を全面的に信じる方がバカだな。向こうは何も悪くない。
ただ、気にくわない。勝手に警戒されるのは見ていて滑稽で、そして苛つく。こちらは何もするつもりはないというのに。
——しばらく俺とローブの人間は睨み合っていた。まあ、睨んでいたのは向こうだけだが。俺はそろそろ行っていいかと切り出そうとしていた。
その時、糸の切れた操り人形のように、ローブの女性が膝から崩れ落ちる。慌てて近くにいた少女が受け止めようとするものの、クッション代わりにしかならない。
きっとその場から動けないだろうな。人を運ぶというのは、案外キツイのだ。
「……」
ここで少女が、俺の方を向いてきた。こちらも俺を警戒している目と、同時に何だか縋るような目つき。
これは知っている。駄々をこねる目だ。子供の目だ。
……大丈夫だろうと思って助けに入らなかったが、それでも非情に見ているだけだった事実に変わりはない。
罪滅ぼしという訳でもないが、元々助けようとしていたのだし、ここで見捨てるのも後味が悪いだけだ。
「手、貸そうか」
「っ……お、お願いします!」
途端、少女には安心が見られる。心の底から安堵したように、ローブの女性を見ていた。
……自分の事より他者を心配。それは流石に真似できない。どこまでいっても大事なのは、やはり自分自身だ。
——さて、さっきも言ったように人を運ぶというのはキツイ。何かしら道具があって、初めて楽になれる。
この近くでそんな便利な物はあるか? 答え、「ある」だ。俺が変形線をなぞり、デフォルトを漆黒の鎧で生活すると決めた理由はこれ。
……漆黒の鎧に、魔力を通していく。この鎧は魔力を通す事で、自由に形を変える事が出来るのだ。魔力が循環している訳ではないので、形を変えている間は魔力が永遠に消費されていく。数字に表すと形を変えた時に10。形を変えた後は毎秒5は減る。
イメージしたのは、アルプスにいる羊飼いが、立ち上がれない女性を山に登るため作った背負子。左肩の鎧から、質量保存の法則なんかを無視したかたちで簡単に作れる。
他にもこういった使い方。左手の鎧から巨大なアームを作り出し、倒れたローブの女性を掴む事ができ、簡単に背負子で背負える。俺は実質ほとんど動いていない。その代わり魔力が10、10、10、と恐るべし速度で減っていた筈なのだが、便利な物は便利だ。やはり漆黒の鎧は愛用しよう。
収納袋verポーチも、実は漆黒の鎧で普段は覆っているので安全だ。
そうそう、〈クッション・高性能〉をひいてある。これでお尻が痛む事はない。
「さあ、どこに行けばいいんだ」
「……」
少女はポカンと口を開けて呆けている。そうか、珍しいのか。これは迂闊に人前で見せられないことが分かった。
「魔法だ気にするな。それよりこいつ、何で倒れたのか分からないし、そう言った事情も含めて思考を放棄している暇はないぞ」
「ぁ……そ、そうでした。眠くて倒れた……は違いますかね?」
……その発想はなかった。あり得ないことはないが、急に倒れる人間をみて眠たかったからなどと、何というポジティブ発言。将来この子は大物になれるぞ。
俺はそんなに楽観視しないので、後ろに手を伸ばして脈を確かめようとした。場所か分からず唇に触れてしまったが、不可抗力。
そうだ、気配を探ればいい。魔力でも何でも感じればいい。
初めっからしなかった事に申し訳ない気持ちになるが、やはり不可抗力なので気にしない。
……魔力はちゃんと身体中で巡っているな。お陰で見らずとも場所は明確に分かる。
呼吸もしているし心臓も動いている。ただ、呼吸が少し弱々しい気がする。まさか本当に眠りこけているだけではないだろうから、ただ疲労が溜まりすぎた事のせいだと推測。そういえば声も力がなかったし。まるで何日も食べてない、寝てないとでも言いたげな。
しばらく安静にしていれば大丈夫だろう。
……ポジティブだなんて、俺も人の事は言えないか。
「で、どこに行けばいいんだ」
「あ、すいませんっ! えぇっと、こっち! ああ間違えました。あっちです!」
……何だか、この子を見ているとポジティブになれない。本当にあっちでいいのか、俺は不安で仕方がなかった。
だが、そっちならいいと思った。俺が目指している方向と同じだから。
——しばらく歩く。一言も会話しない。俺にはどこも、同じ風景しか見えない。
森は厄介だ。そう思った。
コンパスでも取っていれば良かったと反省するが、今更戻られない。食料と寝床には一切困らないから、甘く見ていたのかもな。
……俺自身はなんとも思ってないが、この沈黙は少女からしてどうなんだろう。妹よりも幼い……中学1年生といったところか。
そんな子供が、見ず知らずの男を隣に、しかもここは異世界。俺がこの2人を殺したとしても、決してバレる事はないと思う。もしくはただ殺すではなく、欲望をぶつけたり。
もしもそんな事を思われてるのなら、甚だ不本意だ。
「……聞いたなかったな。今はどこに行こうとしてるんだ」
「わ、私の住んでる町です。ここから少し遠いです」
「私、か……こいつは?」
背中の人間を指差す。
「その方とは、今日……さっきお知り合いになりました。私が狼さんに食べられそうになった時、助けてくれたのです。その後熊さんに食べられそうになった時も、助けてもらいました」
なんだ、俺がしようとした事を、先にこいつがやっていたのか。自分の体調を顧みずな行い。随分なお人好しみたいだ。
というか食べられすぎだ。お前はそんなに美味しいのか。
「貴方も、助けようとしてくれたのですよね?」
少女にそう言われて、俺からすれば答えに困る疑問だった。確かにそうだが、それは何か格好悪い。
「助けてない。それが事実だ」
「でも今は助けてくれてますよね?」
「ん、それは否定しない」
「……何故ですか?」
聞いてないフリをして「ん?」と、とぼけてみたが、「何故ですか?」とまた聞かれる。聞かれたくないと察しろよ。
これもまた答えに困る疑問なのだ。特に深く考えていた訳でもなく、だからと言って考えなしだったんじゃない。
だから俺は少し、考えた。答えは意外とすぐに見つかる。
「妹に言われたからだ」
「妹……さん?」
「ああ、俺が人を助けて、助けた人から感謝されて、それを見るのがとても嬉しいのだと言われた。
母さんが言ってたからだ。自分が苦しまない限り、他人を思いやれる人間になってほしいと。
父さんが誇らしそうにしていたからだ。妹か
俺の話を聞いて、自分の事のように喜んでいたからだ。
……理由はまあ、こんなところだな」
話し終えて少女を見るが、パチパチと目を瞬きさせて、最後にクスリと笑った。
俺は笑われた。
不思議と嫌な感じはしなかった。
「優しい家族だったんですね」
……だった?
「別に、みんな生きてるぞ」
「あれ……えっと、す、すいません!」
「いい。俺も勘違いさせてしまったようだ。確かに今は事情があって離れているが、いつかは……」
いつかは……なんだ? 俺は、まだそんな事を考えていたのか。
いけないな。どうも、ポジティブ発言だ。
「まあ、優しい家族に間違いはない」
「そうですか……私も! 私の父さんと母さんも優しいです!
お父さんは少しエッチですけど、お母さんは時々アホですけど、優しいです!」
「……良かったな」
「はい!」
……
「お前も乗るか?」
「えっ……そこに、ですか?」
「ああ、大きさも自由だしな。乗りたいのなら構わない。
こんなに歩きっぱなしではキツイだろう」
「……お、お言葉に甘えても?」
後ろの背負子を少し大きく、そして今度はアームで少女を掴み、ローブの女性の横に乗せる。
分かった事があった。アームは難しい。動かしながらというのは、相当の集中力が必要になる。しかし1度固定さえすれば、後ろろのように2人分の体重が加わろうがピクリとも動かない。安定している。
「わ、わわ、これフワッフワしてます!」
「大丈夫か?」
「ぜ、全然です!」
それはどっちなんだ。
嬉しそうな声を出していたから、全然大丈夫なんだな。興奮して落ちなければいいが。
「そうだ、私の名前、ソイチッチです。色々とありがとうございますお兄さん!」
「……お兄さんはやめろ。名前は、ハク。ハクと呼べ」
「ハク兄さん!」
ソイチッチの元気な声が、頭の中で変換される。ハク兄さん、ではなく吐く兄さん。
でも、きっと帝は無理だろうから……諦めよう。地球の頃も諦めていた。何しろハクコールなんてザラだったからな。吐くコールなんて。
「あっ、もうちょっと右ですハク兄さん!」
「了解……ソイチッチ」
孤独には耐えられない。
ソイチッチと話す事で、確かに楽しいと思える自分がいた。しかし、ローブの女性がいなければ、ソイチッチは死んでいた。
……今度から、悲鳴には気をつけよう。それと、緋子の知識もある程度信用しよう。
「そういえばお前、何でこんな森にいるんだ。これが普通か? お前は毎日美味しくいただかれようとしていたのか?」
「それはエッチな意味ですか?」
「そうじゃない意味でだ」
というか、何故そっちを思い浮かんだ。遺伝か、遺伝なのか。
この子、実はアホでエッチな子なのか。
「じ、実はですね、お母さんが……その、病気にかかっちゃったんです。この森にはお薬の元の特別な薬草が生えてるので、だから……」
「1人で来たんだな」
「……はい」
怒られると思っているのか、それとも申し訳ないのか……両方だな。
別に怒りはしない。それはまた、適切な役の人間がいる。それに俺は、この子の行動を否定できない。同じ立場ならきっと俺もそうしただろうから。
だが——
「こいつには迷惑かけたな。俺がいなければ、あのまま動けず魔物のエサになっていた。あとでちゃんと、お礼を言っておけよ」
「はい!」
「……で、見つかったのか?」
「はい! ……はい?」
「特別な薬草とやらだ」
「そ、それは、もういいんです。これ以上はもっともっと迷惑かけちゃうですから……自分で頑張りますよ」
……些細な事だ。さっきの熊程度なら、スキルを使わずとも殺せるし。
「目的変更だ。あらかた薬草の場所は知っているのだろう。案内しろ」
「で、でも!」
「ソイチッチ、ごちゃごちゃ言うなら美味しくいただくぞ」
「そ、それは、エッチな意味ですか!?」
「そうじゃない意味でだ」
「怖い!!」
カニバリズム。
響きだけは好きだ。因みにポリエチレンテレフタラートも個人的に響きがいい。パラジクロロベンゼンなど、科学は偉大だな。
——俺は、俺たちは、薬草を探し始める。特徴を聞いたがタンポポのはずだ。
黄色い花を咲かせ、綿毛の種子を作るらしい。だから運が良ければ、森の入り口にもあるらしいが……逆に言うと何故か森からは出ないし、小さな小動物が餌として食すことも珍しくない。
探すのに30分はかかった。
しかも木の上。ソイチッチだけじゃ、届かなかっただろうな。俺は消防車についてある梯子みたいに、後ろの背負子を上に上に移動させ、ソイチッチに取らせた。
魔力が連続で消費されていく。もう数字換算で1万は消費された。
「どうだ、本当にあってるか?」
「はい! これです! ……だけど」
「今更遠慮なんて意味ないぞ」
「はい、実は6本いるんですけど、2本しか取れませんでした」
6本か……なら、問題ない。
「貸してみろ」
ソイチッチなら薬草を受け取り、スキル【道を切り開く手】を発動させる。まずは2本が4本に、4本を8本にした。余分なのは問題ないだろう。
「ほら、増えたぞ」
「え、ええっ!? そそ、それはどうゆう事なのですか!?」
「あー、あれだ、偶々地面に6本生えていた。良かったな」
適当な事を言ってあしらい、もう1度6本を受け取るとポーチへ収める。とりあえずこれで、やっと町にいける。
——と思っていたが、最後の最後に障害が現れた。
「く、熊さんっ……」
「グルルゥウ」
もちろん、さっきローブの女性が倒したのとは違う。目に傷があり、歴戦の熊さん的な雰囲気を出している魔物だ。
熊はこっちを見て、よだれをポタポタ垂らしていた。隣の木を爪で引っ掻いている。
「ど、どうしましょう!」
「食べても美味しくないと伝えればいい」
「その手がありました!
——く、熊さ〜ん、私はお肉がついてなくて美味しくないですよー! ほら、全然ガチガチお肉です! 余分な所が無いんです!
胸だって! ……胸、だって」
そういえばソイチッチ、胸が貧しかった気がする。自爆してどうすんだ。
「……いいです、ひと思いに食べちゃってください。胸に余分な脂肪の無い私でいいならですけどね!」
「ガルルラァァア!!」
熊が襲いかかってきた。
「いいみたいだぞ」
「ひぃぃ、ごめんらさい冗談れす!」
呂律の回ってい無いソイチッチ。謝っても熊が思いとどまる事はなく、凶暴な爪を振りかざしてきた。
——右足で止める。
鎧と爪がぶつかり、耳障りな金属音が響いた。熊は知力でもあるのかどうか、目を見開いた気がする。
なんだ、弱いな。スキルを使ってもないのにこれか。
伊達に俺は、魔人になっていなかった。
「グルッ……ガァァ!」
1度退いた熊は、今度は両手を使って俺を切り裂こうとしてくる。
……これは実験だ。
別に使わなくても構わないのだが、スキル【地を踏みつける脚】を発動。
触れた瞬間、相手の威力を4分の1と重さ4分の1、俺は軽々相手の攻撃を弾きかえす事ができた。
ついでに【道を切り開く手】も発動。
自分の左手の鎧をグローブのように変形させ、威力を4倍。
まだ重さが4分の1になってる熊にこれは耐えきれず、面白いほど上空に吹っ飛んだ。内臓の潰れる感覚が手にきたから、死にはしなくとも重傷だろう。
「と、飛べる熊さん……」
「ただの熊じゃないらしい。まあ、飛ばされてる熊なんだが」
止めとばかりに俺は、背負子だけ後ろへ待機さへ、自分は地を蹴り上空に飛び出すと、自然落下する熊にかかと落としをきめ、体を捻って連続で殴り飛ばす。地球では出来なかった動きだ。
……最初の蹴りで重さは普通に戻り、次のパンチで重さを4倍。
大きさが横綱並みの熊さんが地に叩きつけられ、それはもう地面の割れる鈍い音と、聞こえちゃいけないグチャッとした音がした。
俺は地面に着くと同時に、伝わる衝撃を4分の1。なんの痛みも傷もなく、初めての戦闘は幕を終えたのだった。
——次はもうちょっと歯ごたえのある相手がいい。少子物足りなさを感じながら、後ろへ伸ばした背負子を背中に戻す。
ソイチッチは興奮していた。
「すご、凄いです! このお方もそうでしたけど、ハク兄さんも凄いですね!
変な格好だなんて思っててごめんなさい!」
「……おい、変だと?」
「片方の顔だけ隠してるなんて、ちゃんちゃら可笑しいですよ」
笑いながらそんな事を言うソイチッチに、俺は少し落ち込んだ。
格好悪いだと?
そんな事言われた事がなかった。これが俗に言う、服のセンスがダサいというやつか。私服なんて母の買ってきた服に妹のチョイスだったから、考えた事がない。
そういえば顔に仮面をつけているやつなんて、ローブの女性も何を思ったのか。考えるのも嫌になる。
「あっ、ハク兄さん!」
俺がこっそりと顔の仮面を外すと、ソイチッチは熊に近づいた。意外とグロ耐性はあるらしい。
「魔石を取らないと!」
「……魔石?」
グチュリーー
恐ろしい事に、ソイチッチは腰にぶら下げた短剣で熊の腹を突き刺す。1度では貫通しないのか、何度も何度も突き刺し、今度は中身を探りだした。
グロ耐性どころじゃない。
少し引く。
「あっ、ありましたよ!」
死体をかき回し、嬉しそうな声を出す少女は中々にシュールな光景だった。
そんな少女の手には、紅蓮の魔石。血ではなく、本当に体内にそんな物が出来ていたらしい。結構な量の魔力が内包されているのがよく分かる。
……ただ俺は、何となくそれに見覚えがあった。恐る恐る自分を観ると、体内に似たような作りのそれが、心臓の横にある。もちろんソイチッチにはない。
——魔人にはどうやら、魔石があるらしい事が判明した。
「まあいいか……」
「何を落ち込んでいるんですかハク兄さん。それよりもこれ、ハク兄さんのですよ。お金たんまりですよ!」
「へえ、金になるのか」
「はい、それはもう——」
ここでソイチッチが俺を見て、ピクリとも動かなくなる。
何だ俺はメデューサか、なんて思ったがこれはただ事じゃない。
……何故急に?
よく見るとソイチッチは俺の顔を……目を見ている。そういえば赤目だったなと今頃思い出したが、ソイチッチは驚くべき事を呟いた。
「ま、魔人……」
何故分かった?
そんな事を聞く暇もなく、「きゅ〜」と可愛らしい悲鳴を出しながら、ソイチッチはバタンと倒れた。
ローブの女性も倒れ、熊も倒れ、ソイチッチも倒れる。
一体何なんだとため息をついて、俺は再び、顔の仮面を付け直した。
◆後書き◆
思ったよりもハクの話が続く。これは感想であった通りに、ダブル主人公タグをつけるべきなのか。




