第2話 呼ばれてはいないけれど
さて、『はるぶすと』で、サンディを囲んだお茶会が開かれていたその頃。
「秋渡くん! こっちこっち! 」
私は、もうすぐ点灯されるツリーを少しでも良い場所で眺められるようにと、パーク内を急いでいた。他の人の考えも同じよね。ツリーに近づくにつれて、どんどん人口密度が上がってくる。
「由利香さん、待って。あ、すみません。…これじゃあはぐれちゃうよ、」
「だって秋渡くんが遅いから、あ、だったらこうしましょ」
と、私は秋渡くんの手を取った。もちろん寒いから2人とも手袋着用なんだけど。
すると秋渡くんの手に少し力が入るのがわかる。
「どうしたの? 」
「い、いや。由利香さんがいきなり手なんかつないでくるから、ビックリして」
人混みをくぐりぬけて急いでいるからか、秋渡くんの頬が少し赤くなっている。
「はぐれちゃうって言ったのはそっちでしょ。これが1番手っ取り早いもの」
「そう、だね」
少し弾んだ声で言う秋渡くんに、彼もようやくスイッチ入ってきたのかな、よしよし、なんて、どこまでも鈍感な私は思っていたのだった。
ツリーの少し手前に到着すると。
全体が見渡せるあたりに、ちょうど2人分のスペースを見つけて、そこに陣取った。
「ああ、間に合った。この点灯式って毎日行われてるんですって。楽しみね」
「ああ、パンフレットに書いてあったよね」
しばらくすると、ファンファーレが鳴り出し、一度そのあたりだけ照明がすべて落とされた。
そして心が弾むような可愛げな音楽が流れてきたかと思うと。
(フェアリーワールドへようこそ。今日はクリスマスイヴ。私たちはいつでもみなさんの幸せを願っていますが、今日は、もっと、もっと、とびっきりの幸せをお届けします)
どこからか、フェアリー? の声が聞こえてくる。
(それではこれからツリーに魔法をかけます。みなさん、一緒にカウントダウンしてね)
10・9・8・……皆が声をそろえてカウントダウンし始める。
3・2・1!
ゼロ! のかけ声とともに、下の方から螺旋階段を上がるようにツリーに灯がともる。
そして、てっぺんの星に明かりが届いた瞬間。
ドオーン! とその向こうの空に花火が上がったのだ。
ウオー! ワオー! うわあー!
色んな叫び声と満面の笑顔。
みんな飛び跳ねたり、手をたたき合ったりして大はしゃぎだ。
「綺麗~キレイ~。ねえ、素敵ねー」
「ホントだ」
秋渡くんも私も、明かりの灯ったツリーにしばし見とれていたんだけど。
いつの間にかさっきより人が増えていて、手をつないでいるだけでは、またはぐれそうになるのだ。私は楽しさも手伝って、思わず秋渡くんの腕に自分の腕をからめていた。
すると、いきなりでビックリしたのか、また身体に力が入る秋渡くん。
「これで絶対はぐれないわよ。それに、こうするとあったかーい。なんで最初からこうしなかったのかしら」
と、私はキュッと絡めた腕にさらに力をこめる。
「あ、ああ」
(この体勢で閉園までいるのか? 俺、理性がもつかな…)とは、秋渡くんの心の声。
「次はあっち行きましょ」
「うん」
今日は何の我慢大会なんだ。と、彼が思ったかどうか。
で、またまたここは『はるぶすと』
今日のお茶には、鞍馬くん特製のクリスマスケーキが添えられていた。
「去年のお約束です。日本流に生クリームをたっぷり使ったホールケーキです」
去年は、北欧などでクリスマスに食べるジンジャーやスパイスの効いたクッキーを、おもてなしした鞍馬くん。鞍馬くんなりに気を遣ったつもりが、遊び心満載のサンディにはお気に召さなかったらしい。
お茶に添えられたクッキーを見て、サンディは唇をとがらせる。
「おお、わしはこのクッキー、もう食べ飽きたよ。日本に行くから、きっと日本流のクリスマススイーツが出てくると思ったのに~」
そんな子供じみた、と、鞍馬くんは思ったらしいけど、初めての国で、その土地の習慣を知る興味深さは彼もよく知るところだったので、ひとつ提案してみた。
「ご期待に添えず、申し訳ありませんでした。そうですね、でしたら、もしまたいつか日本の担当に選ばれましたら、そのときは日本流のケーキをご用意させていただきます」
「わあお、そうかね。だったら頑張って日本に来させてもらうよ。楽しみだねえ」
「ただし、本気はなしですよ」
「えーシュウは意地悪だねえ」
「恐縮です」
そんなやり取りをしていたので、今年も担当が決まったときに、サンディは真っ先に鞍くんに連絡してきたのだ。
約束を違えずにクリスマスケーキを作った鞍馬くんは、ホールのままだったケーキを綺麗に切り分けて皆にサーブする。
本気モードでないとは言え、やっぱりそれはとても美味しかったのよ。へへ、何を隠そう、私もその夜、お店に帰ってからしっかりいただきました。
ケーキを食べ終えたサンディが、ふいっと天を見上げる。
「そろそろ行かなくては。この店にクロークはあるかね? 」
「いえ、残念ながら。ですが、お荷物は個室でお預かりします。着替えをされるのでしたら、それもそちらで」
どこから取り出したのか、大きな鞄を手に提げてソファから立ち上がったサンディを、鞍馬くんがディナー用個室へと案内する。
「ありがとう。それと、どうやら相棒も到着したよ」
とサンディが言うそばから、夏樹の嬉しそうな声がした。
「うわっ。お前たち今年も来たんだ。ハハハ、そんなに甘えるなって」
こちらもいつの間にか、特大のトナカイが2頭、玄関のあたりで夏樹に鼻をすり寄せている。
そんなとき。
今まで風ひとつなかった晴れた店の上空に、ビュウと風が巻き起こった。
何だろう、と、外の様子が気になった夏樹が窓の方へ行こうとすると。
ガガーン! バリバリバリ!
ものすごい音をたてながら、『はるぶすと』の暖炉がその上の煙突から破壊されていく。と、思うまもなく店内の暖炉前に噴煙が上がっていた。
その上驚くことに、さっきバラバラに崩れ落ちた煙突と暖炉が、数秒後には元通りになっていたのだ。そこにいた誰もが、まぼろしを見たのかと思ったそのとき。
「サンディ、日本に来たのなら、俺にも顔見せろよな」
噴煙の中から声がした。
霧が晴れるように、すうっとなくなっていく噴煙から現れたのは、黒い髪を長く伸ばし、額には王冠のようなものを着け、腰に剣を下げた精悍な男だった。
「ホーッホ。ヤオヨロズじゃないかねー。久しぶりだね。どうしたんだい」
「どうしたもこうしたも。さっきお前の気配を感じたから、待ってたんだぜ」
「おやおや」
「そしたら、俺んとこすっ飛ばしてこっちへ来たんで、なんでだよって」
夏樹は現れ方が現れ方だったので、ちょっと驚いた様子で2人の会話を聞いている。鞍馬くんは少し考えている様子。
そんな中、言葉を発したのは言わずと知れた冬里だった。
「相変わらず気が短いね、ヤオヨロズ」
ヤオヨロズと呼ばれた男は、今までどうして気がつかなかったのか、サンディの横に座る冬里を一目見ると、ガアッと殺気だって言った。
「ととと! 冬里! てめっ、なんだってこんなところにいやがる! 」
「だって、ここ、僕んちだもん」
「なんだと! 」
すると、ヤオヨロズの殺気がふくれあがる。
「ありゃりゃ、どうしよう」
と、のどかに言うサンディに笑いかけると、冬里は立ち上がってヤオヨロズに近づいていく。思わず夏樹が「危ないっすよ~」とつぶやいたのもつかの間。
冬里が「久しぶり、まあ落ち着いて」と、ハグして背中をトントン叩くと、すうっと殺気が消えた。
「くそっ! しかたねえな」
少し頬を赤らめて、明後日の方を向いたヤオヨロズが言った。
しばし悔しそうにしていたヤオヨロズだったが、夏樹を見て、そのあと鞍馬くんに気づくと、こちらも彼の顔を見ながら首をひねって考え出した。
しばらく見つめ合ったあと。
「あっ」
「あ」
2人は同時に声を上げた。
「お前は」
「あなたは」
「鞍馬!」
「ヤオさん」
騒ぎが収まるとサンディは、幸せのプレゼントを配らなくてはならないから、後でまた、と言い残して空へと舞い上がって行った。
そして、さっきサンディが座っていたその場所にどっかりと座り込んで、ヤオヨロズが楽しそうに言う。
「いやー、鞍馬。なんだその格好は。しばらくお前だってわからなかったぜ」
「私もです。たしかあのときは髪の形も違っていましたし」
2人は互いに可笑しそうに、でも懐かしそうに言い合っている。
残された4人のうち、3人は知り合いだったと判明し。その事実に夏樹はまたむくれていたが、きちんとした紹介をしてもらうと、目を白黒させた。
「神さま?」
「うん。日本では八百万の神々と言う言い方をするよねー。ヤオヨロズはそのうちの1人」
「で? なんで神さまが冬里とシュウさんの知り合いなんですか? 」
その後、冬里が語ったところによると。
冬里が料亭紫水7代目のシナリオ通り、京都に戻ってくると、そこは幕末、まさにカオスのような状況だった。
勤王だ、佐幕だ、と、毎日のように人が斬られ。争いは収まらず。
むごたらしい殺しあいは何度も経験してきた冬里なので、またか、と言う感想しかなく、恐ろしくも何ともなかった。
そんなときに出会ったのがヤオヨロズだった。
日本では、神さまはどこにでも宿っていて人々を護ると言われているが、それは間違いではない。そして、すべての人の願いを聞き入れてくれる。
正月に神社で願った願い事は、一瞬で神社におられる神さまが感じ取って、すべて叶えているのだ。
ただし、それは純粋な心の底からの願いのみ。
しかも宇宙の意思に反することは決して叶えられることはない。
そして一見何もないように見えても、形を変えて叶っていたり、ほんの些細な変化なので、気づかなかったりしているだけなのだ。
ただ、戦争中は人々の気持ちが混沌として定まりようがないので、それが難しいことがある。
幕末の京都はまさにそんな中にあった。
神さまたちは、何とかしたいと思っていたはずだ。
けれど悲しいかな、神さまには地上での実体がないのだ。
ただし、実体を作れる神さまもいる。ヤオヨロズはその一人。
彼は平民の姿で騒乱の京都に住み、普段はヤオさんの愛称で皆に親しまれつつ、騒ぎの中心から離れた、一見すると何の関係もないようなところの事象を動かす。神さまの中にもルールがあって、直接歴史を動かすような人物に関わることは禁止されている。
けれど彼が一押しすることで、ドミノが倒れていくように意外なところが次々動いて、思いも寄らない好転につながっていくのだ。さすがは神さまと言わざるを得ない。
冬里は料亭という立場を利用して、彼を陰に日向に支えてきたのだが、何のしがらみもなく彼と動けて、かつ、最高に信用のおける人物が必要だと常々考えていた。
そこへ、傷心で少し荒れ気味の鞍馬くんがやってきたのだ。
この好機を逃すはずのない冬里は、鞍馬くんをヤオヨロズの弟子にしてしまった。いつもの感じでね。
幸運にも、鞍馬くんには剣の才能があった。
ヤオヨロズの指導で確かな腕をつけた鞍馬くんは、料亭の仕事をしつつ、ヤオヨロズとともに、ありとあらゆる人、動物、はては小さな虫に至るまでを助けて、状況を動かしていったのだ。
その後は歴史が語るとおり。
決してすべてが上手くいったとは限らないけれど、そのときは最良の選択だったのだろう。
「ヤオさんはただ者ではないと思っていたけど、まさか神さまだったなんてね。当時、冬里はなにも教えてくれなかったね」
「そりゃあそうだよ。僕だって半信半疑だったんだもん。いくら千年人とはいえ、まさか神さまと通じてるなんてーって。それに、こんなに短期で口の悪いのが神さまなんて、とうてい思えないじゃない。歩くたびに何か破壊するし。さっきだって暖炉をさ」
「ああ? ちゃんと元通りにしただろーが! 」
「それも僕が教えてあげたんだよねー。壊したものは元に戻すことって」
「う、ぐ…」
痛いところを突かれたのか、ヤオヨロズはぐうの音も出ない。
反論するように小声でブツブツと言っている。
「だいたい、地上のヤツらが造るものが華奢すぎんだよ。俺は普通にしてるだけだってのによ…」
その直後に、はっと何かを思い出したみたいだ。
「あ! だからか! てめえがあんなに俺のことをこけにしてたのは」
迫力満点でヤオヨロズが言うけれど、冬里はてんでこたえていない。
「こけになんてしてないよー。ひどおい、何とか言ってやってよ、シュウ」
「なんとも言えませんね」
いつものごとく、こちらもこたえていない鞍馬くんは、あっさりと言い切る。
「ふん! 」
そう言ってふんぞり返るヤオヨロズに、夏樹がまたひとつ、もっともな疑問を投げかけた。
「で、どうしてその神さまがサンタクロースと知り合いなんですか? 」
その問いには、
「ああ、それはだな」
と、ヤオヨロズか語り出す。
「おととし、サンタの休憩所は俺んとこだったんだよ。で、とても世話になったからって、ウィンディ、…ってのがそのときのサンタだ。そいつが、お礼の品を俺んちに届けてくれってサンディに託したんだ。だからあいつのことも知ってるんだよ」
「へえー」
感心する夏樹をふっと微笑んで見ていたヤオヨロズは、そのあとうーんと伸びをして立ち上がった。
「さあーってと、じゃあもう行くかな。サンディにも会えたことだし」
「え?! もう行くんすかー。もっと話、したかったのに」
するとヤオヨロズは、嬉しそうに夏樹の頭をガシガシすると、ご満悦で言い出した。
「おお、そうかそうか。お前は良い奴だな。けど、神さまってのは年末は何かと忙しいんだ。あ、だったら、初詣に俺んとこにこい。歓迎するぜ」
「はい。えーと、ヤオヨロズさんのとこって…」
夏樹が誰に聞くともなく言うと、冬里が答えた。
「京都だよ。それも霊験あらたかな神社」
「へえー、すごいっすね」
「まあな。冬里も鞍馬も、年が明けたら来るといい」
鞍馬くんは「はい」と、素直に頷いたが、冬里はひとこと。
「じゃあ。百年人も2人ほど連れて行くね。いいよね? 」
「はあ? またややこしいことを言いやがる。けど、わかったよ。それなりの準備はしておく」
「ありがとう」
「まあ、お前には世話になったし」
ちょっと照れたように、またあさっての方を向いて言ったヤオヨロズは、そのあと胸の前で人差し指を立てて何かを唱えた。
ヤオヨロズの周りに風が舞い始めたかと思うと。
ガガーン! バリバリバリ!
来たときと同じように、また暖炉を破壊して彼の身体は外へと飛び出していった。
もちろん、数秒後に元に戻すことも忘れずに。
「行っちゃったー。すごい迫力っすね」
感心しながら言う夏樹に、冬里が可笑しそうに言う。
「ヤオヨロズは破壊神のひとりとも言われてるから。でも、今年は初詣、京都に決まっちゃったみたいだよ」
「そうだね。けれど、百年人ふたりって、もしかして」
「うん、由利香と椿に決まってるじゃない? 」
「椿も呼ぶんすか? 京都ってことは、泊まりっすよね。やった! 俺、椿とはいっぺんゆっくり語りあいたかったんすよー」
夏樹は手放しで喜ぶが、鞍馬くんはそうはいかないようだった。
「由利香さんは私たちの事を知っているから、ヤオさんと引き合わせても良いだろうけど」
「だーいじょうぶだよ。シュウだってヤオヨロズが百年人に溶け込んでたの、よく知ってるじゃない」
「それは…まあ」
気にする風もなく言う冬里に、心配性の鞍馬くんはちょっと戸惑い気味だった。
そしてまた場面はフェアリーワールド。
全国に幸せを運び終えたサンディが、最後の最後に立ち寄ったのがフェアリーワールドだった。
「ホッホー。やはりここは何もしなくても、みんな幸せいっぱい…、ん? ひとりだけ、すごく緊張してるね。ああ、そうかそうか。じゃあ、君には、とっておきを」
と言いながら、サンディは金色の小さな星くずを誰かに落とす。
「よく頑張ったね。椿、お幸せに」
ウィンクひとつ残して、サンディは『はるぶすと』へと帰って行った。
もうすぐ閉園時間だ。
私は寒い事もあって、外ではあれからずっと秋渡くんとくっついたままだ。
今も出口へと向かいながら腕を組んであれこれしゃべっていた。
☆☆……え? 星?
なぜなんだろう。目の前に星が落ちてきたとたん、なんでそんな事を言い出したのか、自分でもわからないくらい、いきなり思いついたの。でも、言わずにはいられなかったのよね。
「楽しかったねー。ホントに夢みたいに楽しかった」
「そうだね」
「秋渡くん。私たちって相性良いと思わない? 」
「え? なに、いきなり」
「だって、こんなに長い時間一緒にいて、少しも退屈しなかったし、心地よかったし」
「どうしたの? 由利香さん」
「そうよ! ねえ、私たち、付き合わない? ううん、付き合いましょうよ」
「ええー?! 」
そうなの。何でかわからないけど、このとき私は、どうしても今すぐ秋渡くんとおつきあいしたくて、たまらなくって。
驚く秋渡くんに、了解を取り付けるまで言いつづけた私。
このことをきっかけに、私がまた恋愛することを受け入れはじめたのは言うまでもない。
けれど、サンディだって無理矢理くっつけたわけじゃないのよ。私の中に、秋渡くんへの愛情が芽生えつつあるのを感じた彼が、ほんの少し背中を押してくれただけ。
そしてそれは、サンディから秋渡くんへの、小さなクリスマスプレゼントだった。