続くかわからない前編
この小説には夢や希望がありません。読んでいる内に少しでも気分を害されましたらただちに読むのをお止め下さい。
またサブタイトルにありますように続くかどうかもわかりません。
後編は誠意執筆中ではありますが、投稿がいつになるかの目途はついておりません。
このように問題の多い作品ではありますが、読者の方々に楽しんでいただければ幸いです。
2022年。7月29日。16時7分。世界は唐突に姿を変えた。
季節は初夏として日は長く、地球規模の温暖化現象によりうだるような暑さに淀んでいた空気はソレが現れて1分ほどで臭いを変えた。
空色の絵の具をぶちまけたように澄んでいた空は黒色に塗りつぶされ、満天の星空が描かれた。
人々は空を指さし、ただ茫然と姿を変えた世界を見ていることしかできずにいた。
数か月後。世界中で観測されたその星空は『夕焼け彗星』と名付けられて、天変地異。異常気象の一つとして人々の記憶に刻まれた。その真の意味を知ることもなく。
そして、翌年。2023年7月29日。16時7分。再びソレは現れた。
次は人間の姿を変えるために。選ばれたのは皮肉にも、世界の次代担う。若者たちだった。
2023年8月29日。『有り明け彗星』と呼ばれた第2の変化から1か月が過ぎた横浜の地に一人の青年がいた。肩で息をし、逃げだした敗北者として、座り込んでいた。
「はぁ、はぁ、逃げ切れたのか」
横浜に広がる中華街。賑やかしい表道からたった数メートルしか離れていないというのに、人が寄り付かない死角となっている路地の裏。暗い日陰に隠れるようにへたり込む黒い影。
その青年はうだるような暑さの中で流れる滝のような汗を拭くことも忘れて何度も深呼吸を繰り返しながらブツブツと独り言を繰り返す。
「お腹減った。お腹減った。お腹減った。お腹減った。お腹減った。お腹減った。お腹減った。お腹減った。お腹減った。お腹減った。お腹減った。お腹減った。お腹減った。お腹減った。お腹減った。お腹が、ぐぅぐぅ五月蠅い」
青年がそういうのも無理はない。すでに彼は3日近く水以外を口に含んでいなかった。食べ盛りの年頃な彼にはその苦行は辛すぎた。ほんの1か月前までは彼はただの学生だったのだから。
「お腹減ったし、熱いし、臭いし、疲れたし。すこし、休もう。此処ならしばらくは大丈夫、だと思うし」
青年は腕時計に目を向ける。現在の時刻は15時23分。16時まで、37分間だけ休んだらまた走ろう。逃走を再開しよう。青年はそう決め、膝を抱えて目をつぶった。
どうして、どうしてこんなことになってしまったのか。1か月前起きた世界規模の変化によって青年の世界は変わってしまった。変わり果ててしまった。
楽しくなくもない平凡な学生生活を送っていたはずなのに、今の青年が贈るのは逃亡生活。にじむ涙を拭いながら青年は恨まずにはいられなかった。
青年を追う彼らのことを。そして、世界のすべてを。
どくんと、一拍だけ心臓の音が大きくなる。
「・・・また、伸びちゃったな」
1ケ月もの長い間、碌な手入れもしていないというのに艶を失わない自分の髪を触りながら青年は小さくつぶやく。
その時だった―――青年の体を衝撃が襲う。
一瞬、青年はいったい自分の身に何が起こったのかわからなかった。ただ上から圧し掛かってきた重みにされるがまま、地面と体をぶつけて倒れ伏す。歯を食いしばりその衝撃にたえ、とっさに閉じていた眼を開けてようやく自分の身に起こったことを青年は知る。
上から降ってきたのは鉄網だった。大型の猛獣を捕えるのに使う鉄でできた網が、青年が寄りかかっていた建物の屋上から投擲されたのだ。
青年を捕まえるために。
「っっ、ざっけんなよおっ!!」
青年は鉄網を押しのけ、這いずり回るように拘束から抜け出し、一目散に走り去る。
見つかった。自分を追う彼らに見つかってしまった。その事実が一瞬沸いた怒りを塗りつぶす。逃げるしかない。逃げて、逃げて、逃げ続けることしか青年にはできない。
彼らに見つかってしまったのならこれ以上人目を気にする必要はなかった。雑踏に紛れて逃げ切るために路地裏を抜けて、表道へと向かう。
ほんの数メートル。時間にしてわずか3秒。そのわずかな間に追いつかれる訳がない。
逃げ切れる。そう確信し、走り出していた青年は表道に出てすぐにその足を止めることになった。
静かすぎた。あるはず雑踏はなく。路地裏に入る前に見た人波も消えていた。
「どう、して。なんだよ、これ」
ほんの数分前までは賑わっていただろう中華街は静まりかえっていた。
道端には露店で売られていたのだろう、中華まんがいくつも落ちている。それ以外にもいろいろと道に捨てられていた。その光景がここにいた人たちがあわてて逃げ去ったのであろうことを告げていた。
人々は逃げた。ナニカから。
青年は逃げ遅れていた。
―いや、違う。
青年の目に自分を追っていた彼らの姿が映る。白と黒。点滅する赤色の光。
同じ制服に身を包んだ彼らは拡声器を使って青年にどこかで聞いたことのある言葉を投げかける。
「「「君は完全に包囲されている」」」
「「「おとなしくこちらの指示にしたがい、投降しなさい」」」
人々の安全を守る警察が、青年を追っていた彼らの正体。
そして、青年が逃げ遅れたのではなかった。人々が、青年から逃げ出したのだ。
「「「繰り返す。君は完全に包囲されている」」」
向かい合い声をかけてくる警察官の目が
「「「おとなしく投降しなさい」」」
まるでバケモノをみるように怯えていた。
「あ、あぁ」
怯えていたのは青年のほうではなかった。彼等こそ、青年におびえていたからこそ、鉄の網を使っていたのだ。
ならば、国家権力にすら怯えられる青年の正体は一体?
「ああぁぁあああああぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁあああああああぁああああぁぁぁあああ・・・・・・・・・・あぁ、お腹へった」
青年の艶のある黒髪が伸びて広がり増えていく。そして蠢き動き出す。何千何万本という髪を束ねて人の腕ほどの太さとなり、まさしくそれは触手のようで。
そんな触手が何十本、何百本、青年が創ろうと思えばいくらでも溢れ出た。
膨大な量の黒髪に全身を覆われ、すでに青年の姿は見えない。ただ髪の分け目から血走った片目だけが覗いていた。
「く、忌者に交戦の意思ありっ!発砲許可を申請します」
さっきまで拡声器を持っていた警官が無線機を持ちそう叫ぶ、返事はすぐに帰ってきた。
『発砲を許可する』
「よし、全員発砲準備!相手は少なく見積もってもA級容疑者だ!手加減がいらない、発砲を――」
それ以上、その警官の言葉は続かなかった。伸びてきた触手が、警官の足首を掴む。そして、髪の海へと引きずり込んだ。ほんの一瞬の間に。
警官は悲鳴すら、発することはできなかった。
呆然と固まる警察たち。静まり返る場に、青年の小さな呟きが聞こえた。
「おいしく、ないなぁ」
ポイと、髪の海の中から警官の帽子が投げ捨てられた。
悲鳴が、木霊する。
銃声が、響き渡る。
「け、けけ」
その中で、青年の笑い声が一等大きく聞こえていた。
「けたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけた」
変わり果ててしまった世界で、青年は笑う。自分と違う彼らを憎んで。世界のすべてを憎みながら、涙をこぼして笑い続けるのだった。
2022年。7月29日。16時7分。『夕焼け彗星』 世界の姿が変わる。
2023年。7月29日。16時7分。『有り明け彗星』 人間の姿が変わった。
人という生命体のどこかに異常をきたし、異形の物へと姿を変えた彼らのことを人々は『忌者』と呼び畏れた。
「けた、けたり」
青年は笑い終え。そして、終わった。気が付けば蝉の声しか聞こえない。それほど静かに、あっさりと、青年が逃げ回っていた相手との戦いは終わった。
凄惨な光景だった。青年を中心にあたりは破壊の限りが尽くされていた。電柱は横薙ぎに倒されていて、道路が大蛇でものたくったように網目状に陥没していた。
怪獣映画の中にでもありそうなこの惨状は全てが青年の仕業だった。
「・・・」
ツウと、青年の目から涙がこぼれる。
「だから嫌だったんだ、こんな風になってしまうから逃げていたのに。どうして自分にかまうんだ。こんなことはしたくなかったのに、お前たちの所為で――――」
と、言葉はそこで止まる。青年がすんでのところで飲み込んだ。その言葉だけは、言えなかった。言うわけにはいかなかった。
しかし、そんな青年の思いを踏みにじるように言葉は続く。
「こんなことになったのはお前たちの所為だ。俺は悪くねぇ」
あっさりとつぶやかれた言葉を聞いて、青年は咄嗟に口を両手でふさいだ。だが、違う。その言葉を言ったのは青年ではなかった。そもそも、聞こえてきたのは女性の声で。聞こえてきたのは上からだった。
「そう言えれば、楽なのにねえ。お兄さん、言わないんだ。それとも、言えないのかな」
青年が上を見上げると、ソレと目があった。ソレの顔は首を伸ばせば唇が触れてしまうほど近くにあった。
ソレはよく見れば女性の姿かたちをしていて、空中に逆さまに立っていた。
「ハロー、お兄さん」
にやりと、ソレは笑顔を浮かべた。
「ひぃっ」
青年は反射的に髪を、触手をソレに向けて振るった。
「おっと、そんな驚かなくてもいいでしょ」
ソレはそれを苦も無く、逆さまのまま逆さまに階段を下るような足運びで空へと上がり、青年の攻撃を避ける。
そのあくまで自然な振る舞いはまるで空と地面が逆転しているような、見下ろされていながら自分が見下ろしているのではないかと思わせる、そんな不可思議な光景だった。
「あても一応は女の子なんだからさ、顔を見られただけでそんなに驚かれちゃ傷つくってもんだよ」
女の子?どこの世界に空を逆さまに歩く女の子がいるというのだ。笑わせてくれるなよと、ソレが何者なのかを理解した青年はそう思う。
「俺と同じ、化け物がなにを言っているんだよ」
同じ化け物。自分で言っておきながら、青年の心は少し傷ついた。しかし、それが事実だった。
空を逆さに歩くソレも、髪を触手に造り替える青年も人から見ればやはり同じ化け物なのだ。
だというのにソレは
「いやいや、あてみたいな雑魚キャラとお兄さんみたいなのを一緒にしてもらっちゃ困るよ」
大きく首を振ってそういった。そしてあたり一面の惨状を、指さしながらこういった。
「あてにここまでの力はない。あてとお兄さんとじゃ化け物度合のレベルが違いすぎる。一緒にして欲しくないよ。流石にね」
ソレの、同族からのそんな言葉を受けて青年は固まった。
自分は化け物ですらないと、そういわれた気分だった。なら、いったい自分はなんなのだ。人でなくなってしまった自分は、一体何になってしまったのだと。そんなことを思ってしまう。
そんな青年の不安を感じ取ったのか、同族、否、逆さま彼女は何やら慌てた様子で腕を交差し×を作った。
「の、ノー。今のなしっ。ノーカン。ちょっと言い方がまずかった。ごめんね、お兄さん。別にあてはお兄さんに喧嘩売ってるって訳じゃありません。だからそのうごうごしている引っ込めてくれると嬉しいかな、なんて」
そこまで言われて、青年はようやく無意識のうちに動かしていた触手(さっきとは違い複数。軽く逆さま彼女の全体を簀巻きにできる量)に気が付いた。
逆さま彼女に言われるがまま、うごうごを引っ込める。
「これでいいか。悪い、別に何かしようとしたわけじゃないんだ。ただ、これは無意識のうちに、自分の感情に合わせて動くから。その、怖がらせて悪かった」
「い、いやあ、そこまで謝らなくてはいいよ。あてもちょっと過剰反応すぎだし。ただその、女の子としてはその手の物には若干嫌悪感があるわけでして。いや、別にお兄さんが嫌いって訳じゃないからね。嫌いだったら話しかけないから普通。その辺は信じてくれる問い嬉しいよね」
逆さま彼女はぎこちない笑顔でそういって、とっさに牽いていた距離を戻す。もっともここでいう二人の距離とは高さのことではあるが。頭一つ分、青年と逆さま彼女の高さが詰まった。
「しにてもさ、よかったよ。お兄さんが言葉の通じるタイプでさ。一線は越えてないみたいで何よりだよね。流石のあても同族喰らい相手はちょっちきついものがあるわけでして。いや、ホントよかったよ。お兄さんがまだまともでさ」
道端に打ち捨てられたまだ息のある人間たちを見て、逆さま彼女はそう言った。安堵しながら、そう言った。
「まあ、化け物のあてらがいうのもなんだけどさ、食人。親殺し。近親相姦は人類の三大タブーだからねー。それをあっさりやっちゃう奴は、人間だろうと化け物だろうと怖いさ」
「………」
「んん?お兄さん。どうかした?」
首を傾げる逆さまな彼女に青年は薄く笑い。何かを諦めてしまったように首を振る。
「いいや。なんでもないよ」
その時だった。青年と逆さまな彼女の耳に警報音が聞こえてくる。白くて黒い。そして赤く光る彼らの鳴らす威嚇の声が、遠くから近づいてきていた。
「ありゃりゃ。お早いお着きで。流石に正義と秩序を掲げるだけのことはあるねー。お兄さん、どうしよっか?」
「どうするって、なにを」
「お兄さん。逃げてたんでしょ、アイツらからさ。なら大人しく四国に入る気はないってことでしょ」
四国。忌者が現れてから一ヶ月の間に世界中に作られた忌者を治療し元に戻す更生施設。通称aria。
その日本支部が四国にはある。日本で捕えられた忌者はそこに送られ、治療され、二度と出てくることはない。
青年は怖い。どうしようもなく、ただ怖い。
青年を見て逆さな彼女はにやりと笑い。その笑いを隠すように優しく微笑んだ。
「なら、お兄さんが逝く道は二つだ。あてと二人で逃げるか。お兄さん一人で逃げるか」
「俺が、君と一緒に?」
「そう。どちらも逃走でどっちも情けないけど。どっちが温かいかはわかるよね。あてらは逃げるしかない。逃げ続ける逃げ道しかあてらに道はない。独りぼっちは、さみしいよ」
逆さまな彼女から伸ばされた手が比喩でなく青年には救いに見えた。暖かく。柔らかく。なにより優しく。一ヶ月もの間、他人と触れ合うことなく生きてきた青年。そんな彼にようやく伸ばされた救いの手。たとえ打算があり策謀があったとしても握らずにはいられない。
そんな手を前にした青年はただ静かに首を横に振った。
「どうして、お兄さん。お兄さんだって分かっているはずだよ。人間も化け物も独りぼっちじゃ生きられない」
「いや、違う」
そう言った青年の頭の中を過るのは、血のように赤い髪をした一人の少女。青年がまだ人間だった頃に出会った化け物だった少女。凍るような声で人間を呪い。焼かれるような瞳で人間を憎んでいた。弱く小さな幼い女の子。
「人は一人では生きられない。化け物も孤独には耐えられない。けれど、それでも俺達は一人で生きるんだ」
辛い孤独の中を。冷たい孤独の中を。孤高だと言い張り。
一人きりで生きていく。
茨の茂る険しい道を誰と共にあるわけでもなく。凍る吹雪の中を誰とも身を寄せ合うこともなく。
一人きりで生きていく。
自分たちは化け物なのだから。化け物らしく生きていく。
警告音があたりに響く。白と黒と赤を掲げて正義と秩序を守る者たちはもうすぐそこだ。
人間たちがやってくる。化け物を殺しにやってくる。
青年は彼らと戦うために。かつて守れなかった少女を守るように。逆さまな彼女に背を向けた。
「君は逃げろ。俺はもう逃げられない」
「逃げられないって何さ。逃げられるよ。お兄さんだって逃げられる。逃げたっていいんだ。戦いたくないなら、戦わなくたって――」
「食べたんだよ」
逆さまな彼女の言葉を遮るように青年は声をだした。それは楽しげな悲鳴のような声だった。
「食べたって………まさか」
「ああ、そうだ。お腹が減っていたんだ。お腹が減って死にそうだった。だから、食べた。俺はもう化け物だ。化け物の姿をした心まで化け物な化け物だ。化け物の姿をした化け物のような人間の君とは違う。本物の化け物だ」
青年の髪が伸びた。黒く黒く黒い、暗く暗く暗い、その髪は伸びて伸びて伸びて、いつしか青年の全てを覆い。そうして青年は触手だらけの化け物になった。
外界からの全てを拒絶するように殻にこもった青年を見下ろす逆さまな彼女は憎らしげに言った。
「お兄さんは、馬鹿だ。やっと、やっと、見つけたと思ったのに。大馬鹿野郎!」
逆さまな彼女は走った。逃げるように空に向かって逆さまに走り去った。
青年は笑った。走り去った逆さまな彼女の聞こえもしない足音を想像して化け物らしく笑ってみた。
「けたけた」
そして憎んだ。世界を憎んで。人間を憎んで。神様を憎んで。自分自身を憎んだ。
黒い髪を振り乱し。口元を三日月に裂きながら笑ううちに青年は楽しくなってきた。
憎みながら笑い。憎むために笑い。憎むからこそ笑い続けた。そして笑い続けるうちにいつしか楽しくなっていた。
なにを憎んでいたのか忘れるほどに。なにを守ろうとしていたのか忘れるほどに。
自分が人間だったことを忘れるほどに。
「けたけたけた。けたけたけた。けたけたけた」
笑っているうちに青年のなにかが崩れて砕けて零れて散った。
人間から化け物になってしまった青年は本当の化け物になった。
逆さまな彼女とは違い逃げることなく化け物になった。
赤髪の少女とは違い何も憎まず化け物になった。
化け物になった青年の周りには気が付けば正義と秩序を守るために化け物と戦う人間たちが大勢いた。
「あれが、本当に人間だったのか………。あんな、あんな悍ましいものが。あんな禍々しい肉塊が」
「………はい。岡部林太郎19歳。失踪届が出ていますので、間違いありません。しかし、もはやあの様子では四国送ったところで、治療のしようはないでしょう」
彼らの声は青年にも聞こえていた。しかし、青年には意味が解らなくなっていた。
「オカベリンタロウ。なんだっけそれは。何か大切な、すぐ近くにある、何かの名前だった気がする。忘れてしまった。わからない。わからないなら、もういいか。それよりも、お腹がへった。ケタケタケタ」
青年のその髪は触手のように振るわれ。触手は大蛇のように唸り。大蛇は嵐のように暴れた。人を殺し。人を捕え。人を喰らう。黒く暗い触手で塗れた化け物のような化け物は周囲の全てに触手を伸ばし手当たり次第に破壊して人間だけを選別しその血を啜り肉を千切り咀嚼した。その血の渇きを癒すために。
人間は抗う。触手の海に。空腹と飽食の津波に抗い。戦い。祈り。
そして、死んだ。大勢死んだ。
化け物は生き残り人間は死んだ。人間だった青年は死に化け物になった青年は生き残った。
青年を中心に半径約200㎞。そこにあったすべての生命を食い潰しようやく青年の空腹は収まった。満腹になり膨れたお腹をさすりながら青年の髪が短くなって行き元の姿を取り戻す。
そして青年は空を見上げて何時の間にか夜になっていることに気が付いた。
青年は光り輝く星々を見てそういえば逆さまな彼女は逃げ切れただろうかとそんなことを思い。
泣いた。
2022年7月29日。16時7分。『夕焼け彗星』から一年と一か月。
2023年8月29日。16時7分。『有り明け彗星』。から一ヶ月。
2023年9月29日。19時3分。横浜が死地となり化け物が生まれた。
今此処に人間が生きる世界に突如として現れた忌者たちの歴史が始まろうとしていた。
『暴食城』
人類三大禁忌の一つを犯しそう呼ばれることとなる化け物の誕生と共に。
2023年12月24日。清しこの夜。聖夜の京都。御所に集まっていた面々は3か月前の悪夢。横浜崩壊の映像が映し出されるスクリーンを見ていた。
衛星から撮影された映像は悪夢としか言いようがなかった。黒い触手が横浜全土を覆い建物を崩壊させ住まう命の全てを刈り取り、そして静かに引いて行った。
衛星はその全容を撮りながら、別のカメラで黒い触手の中心部。そこもまた映していた。
そこに居たのは一人の怪物。ただ一人で横浜を壊滅させた厄災。人の形をした化け物だった。
「酷い。これが本当に人間だったものがやることなの。いったい彼は何人の人間を………」
御所での会談。そこに集められた五人の要人たち。その中の一人、天心院逢の御傍付きである霧雨雨は目の前に映し出された映像を見て慄きながらそう言った。
「三百七十万千四百七十五」
「え?」
そんな霧雨雨の言葉に続けて数字を呟いたのは集められた要人の一人。霊標院昴。彼は右手でずれた眼鏡の位置を直しながら言う。
「横浜市の総人口は三百七十万千四百七十五人。うち生き残った者たちは横浜市の中心から最も離れた地域に居た者たちを含め運よく生き残った約千二百人ほど。つまりあの化け物は三百七十万人以上の人間を殺し喰らった」
五人の要人が集う円卓が叩かれる。拳を振り下ろした男の名は火礼院重蔵。集まった要人たちの中で最も年齢が高い初老の男。
「大飯喰らいの糞豚めが。人間をなんだと思っているのだ!我が国の国民を食い散らかしおってからに!」
「いや、つーか。飯としか思ってないに決まってんじゃん。相手は化け物。人間を殺してなんぼの生き物のでしょあいつら。横浜の連中、運悪かったよなー」
隣で荒れる火礼院重蔵に軽い言葉を返すのは風雲院亮太。彼だけのこの御所で唯一、御所の雰囲気に似合わない軽い服装をしていた。
「風雲院、貴様!この惨状を、地獄を!運が悪かったなどという言葉で済ませる気か!」
「いやいや、火礼院さん。実際運が悪かったとしか言いようがねぇじゃん。あんな化け物の覚醒は誰にも何もしようがなかったんだからさー。たまたまあの日横浜に居たのが悪かった。横浜に住んでたのが悪かった。化け物は悪くねえよ。だってあいつらもはやああいう現象じゃん?責任とれねぇんだから。人間じゃねぇあいつらは人間の法じゃ裁けねぇ」
「だからこその我々だろう!裁けぬ悪に正義の鉄槌を!そのための五参家!そのための末裔たる我ら!」
「………どなるなっての、うるせーな。これだからおっさんは」
「貴様、今なんと言った」
「そこまでにしてください。火礼院さん。風雲院。いまは我々が争っている場合でもなければ、時も少ない」
霊標院昴の仲介を得てとりあえずは落ち着く火礼院重蔵と風雲院亮太の両名。彼等もわかっている。今が争うべき時ではないことを。しかし、ある一つの事実が火礼院重蔵を焦らせ風雲院亮太を臆病にさせる。
「この国の有史、否、人間史において初めてとなる忌者という脅威に対して我々がどういった対応を取るべきか。それを決めるために我々は集いました。そして一刻も早く決めねばなりません。今、こうしている間にも悲劇が再び繰り返されるかもしれないのですから」
「我々がやるべきことなど決まっている。今すぐに自衛隊を編成し私兵を招集しあの化け物を踏破する。あの大飯喰らいの糞豚に駆逐される恐怖をあたえてやるのだ!」
「………たしかに、火礼院さんの言うことは正しい。横浜の化け物。ああいった悪しきものからこの国を守るために我々は存在しているのですから。しかし、それができれば苦労はしません。三百七十万人を殺したあの化け物をいったいどれだけの犠牲を払えば殺せるのか。四百万人ですか五百万人ですかそれとも一千万人ですか。いえ、たった一千万。人口の十三分の一を犠牲にして勝てるというのなら、この戦いに終止符が打てるというのなら安いものなのかもしれません。しかし、そうではない。その事実を我々は逃げることなく受け止めらければなりません」
霊標院昴の続く言葉に誰もが息を飲む。父親から大戦の恐怖を聞かされ戦後の激動の時代を生きた火礼院重蔵も。家柄に恵まれ容姿に恵まれ能力に恵まれ生まれて以来、苦労を知らずに生きてきた風雲院亮太も。誰も彼が息を飲む。
「化け物は横浜にいるだけではない。あの化け物が生まれて以来、次々と誕生してしまった。横浜クラスの化け物が、あと三人いる」
九月。横浜が死地となり人喰いの化け物が生まれた。
十月。札幌が死地となり親殺しの化け物が生まれた。
十一月。種子島が死地となり近親相姦の化け物が生まれた。
そして、十二月初頭。四国に同族解放を掲げる英雄的化け物が現れた。
「日本民族は今、絶滅の危機を迎えようとしている。四人の、四つの厄災を前に。このまま何もせずにいれば間違いなく我々は死に絶える。しかし、四つすべての厄災を祓うためにはいったい何人の犠牲が必要なのでしょう。一千万じゃもはや足りない。三千万か。五千万か。どちらにせよそれだけの人口を失えばこの国の基盤は崩壊する。どうすればいい。………どうすれば我々は、この国を守れる」
言葉は徐々に力を無くし、最後の呟きは霊標院昴本人以外に聞こえてはいなかった。
沈黙する場で最初に意見を言ったのは意外にも風雲院亮太だった。
「やっぱariaに援軍を頼むしかねぇんじゃねぇのか。そりゃ、こんな状況で外国に助けを求めれば足元を見られるだろうけどよ。もう、そんなこと言っている場合じゃねぇよ」
「………忘れたのか風雲院。そのariaの日本支部がつい二週間前にたった一人の化け物に壊滅させられたんだぞ。いまさら奴らに助けを求めてなんになる。ariaとて忌者の中にそんな化け物が生まれると知って今頃は本国で揉めている筈だ。我々に手を貸す余裕があるものか」
「なら、どうすればいいってんだよ。俺らだけじゃ戦力が足りねぇ。外国に助けも求めらんねぇ。俺達は一体、どうやって化け物と戦えばいいんだ」
停滞する会議。答えが出ないかのように見えたその時、答えを探そうとする懸命な声がした。
「そも、本当に私たちは戦わなければならないのでしょうか」
それは小鳥の囀りのように和やかで蜩のように悲しげな女性の声だった。
「天心院様。それはどういう意味でしょうか?」
「言葉通りの意味です。霊標院。私達人間は本当に彼らと忌者たちと戦わねばならぬのでしょうか。どこかに私達と彼ら、双方が共存できる道もあるのではないでしょうか」
その場にいる天心院逢以外の全員はきっとみんなが同じように思ったに違いない。
なにを馬鹿なと。事実、天心院逢に仕え彼女を神とまで仰ぐ霧雨雨すらそう思ってしまった。
忌者との共存。化け物との共存。そんなものは夢物語に他ならない。
「天心院様。お忘れですか、彼らは多くの人間を殺した。そんな糞どもと共存など出来る筈がない!」
「確かに、彼らは確かに多くの人間を殺しました。しかし、『しました』なのです。過去形なのです。現在、彼らは人を殺し続けているわけではありません。横浜から、札幌から、種子島から、四国から出てきてはいない。一歩も、一歩もです。私はそのことから彼らとの共存する方法は有ると見ました」
天心院逢はそう言うと立ち上がった。
「苦渋の決断でしょう。しかし、私たちは彼らと対話を――」
そして古来より日本を魔の者たちから守ってきた機関、四封院の代表として言葉を続けようとしたその時。
京の都が縦に揺れた。
「なっ」
「これはっ」
「マジかよっ」
「逢様!」
「落ち着きなさいっ!ただの地震です!」
否、それは違った。政府の最高機関にすら日時が秘匿されたこの会合の最中、狙ったようにおこったこの地震がただの地震であるはずもなく。
まるで予定調和であったかのように椅子から立ち上がった四封院の長である天心院逢の何かが拘束する。
それは黒く艶があり滑らかな髪を束ねて作ったかのような触手。
「………君、美味そうだね」
それは、あまりにも唐突な。然し予定調和であったであろう。化け物『暴食城』の登場であった。
誰もが一瞬、思考を停止する。圧倒的な化け物。横浜を殺し三百七十万人の命を奪った化け物を前にそこにいた五人の人間たちは考えるのを一瞬、放棄する。
それは触手に捕まれている天心院逢も例外ではない。
そしてそんな中、思考が停止しながらも感情のまま動く一人の人間が居た。
「逢様を離せ!化け物がぁあああ!」
霧雨雨は腰に刺した愛刀を抜き放ち、咆えた。
「切り裂き雨歌――節」
音もなく黒い触手は切り裂かれる。そして、天心院逢は霧雨雨の腕の中へと保護された。
「ご無事ですか!逢様!」
「ええ、ありがとう。雨」
「いえ、それよりお早くお下がりください」
天心院逢のいつもと変わらない声を聞いて安堵の笑みを彼女に向けた霧雨雨はすぐに『暴食城』へと向き直る。
そして、霧雨雨の眼に映ったものは切られた自分の触手の断面を物珍しげに観察している化け物の姿だった。
「やはり、末端を斬っただけではダメージは与えられないようですね」
霧雨雨の言葉に『暴食城』は呟いた。
「すごい。俺の触手を斬るなんて。君はもしかして人間じゃなくて化け物なのか?」
「ぶざけるな。私は人間だ。化け物め」
「へえ、そう。人間にしては強い。なるほど、つまるところ君は『ヒーロー』って奴か。………それは、食べたことないな。美味しそうだ」
触手の間から覗く血走った目が愉快そうに細そめながら『暴食城』は触手を伸ばす。
その数は無数。数え切れぬ数の触手が霧雨雨へと伸びる。
そんな脅威の波。数の暴力に対し霧雨雨は
「切り裂き雨歌――散」
更なる数の暴力を返す。無数に対する無尽蔵の斬撃が『暴食城』を包んでいた全ての触手を切り裂いた。
全ての触手を斬り飛ばされて、『暴食城』、彼を包んでいたものはなくなった。
身体の全てを包んでいた触手が消え去り彼の本体が姿を現した。
その姿にその場の誰もが息を飲む。その姿を見てしまったことを呼吸も忘れ後悔してしまう。
目の前の化け物から視線を切れば危険だと理解していながら、思わず天心院逢が目を逸らしてしまうほどに彼の姿は――――――美しかった。
180㎝を越えたほどの身長。服の上からでもよくわかるほど理想的についている筋肉。
顔の造形にはなんの欠点も見つけられない絵に描いたような美貌。
黒く蠢く黒髪と血のように赤い瞳が唯一彼を化け物だと理解させるパーツ。
「どうした、『ヒーロー』。もう終わりか?」
触手を切り裂くだけで止まった斬撃に彼は首を傾げた。
そして、僅かながらだが頬を赤く染める霧雨雨を見てため息をつき、微笑する。
「この俺の姿を美しいと思ったか?美しいのも当然だろうな。この姿は俺が生来持ち得ていたものじゃない。数百万の人間を喰らい、その者たちから良い部分を優れた部分のみを選び姿を象った。無論、姿形だけではなく知性や力においても」
―――俺は今、数百万の命の集合体だ。
そう続く筈だった『暴食城』の言葉は、霧雨雨によって切り取られた。
「切り裂き雨歌―――節」
空から降り注ぐ雨の滴、その全てを両断するとまで言われた秘剣『雨天御剣流』の斬撃を受けて『暴食城』の首が飛ぶ。その輝かしい顔貌は微笑を浮かべたままに綺麗な放物線を描きながら床に落ちた。
しかし、それで終わるはずもなく。あっさりと首を狩ることが出来たことへの驚きが喜びに変わる前に首のない『暴食城』の身体に変化が起こる。
「け…け…け」
噴出していた血が止まり頭のない首切り死体からありえない笑い声が漏れ、部屋に木霊した。
「けたけたけたけた」
笑い声を上げながら『暴食城』であった筈の首切り死体は身体を解れさせ黒々しい髪の束へと変わっていく。偽物の身体。偽りの本体。そのことに気付いた時にはすでに遅く、会議に出席していた五人の中で唯一『暴食城』に対抗できたかもしれない霧雨雨の身体は床から生えてきた黒い触手に縛られた。
続き聞こえてきた嘲笑に霧雨雨は息を飲むしかなく、
「けたけたり。触って分かる。本当に君は美味しそうだなぁ」
「よ、よせ、止めろ」
懇願する彼女の声など聴きもせず『暴食城』の黒い触手は蠢いた。
そして、
「いただきます」
ばりばり。ぼりぼり。
それは凄惨な光景だった。触手が人間を食っている。霧雨雨の美しい肢体に触手が絡み付き、服を破り中の肉を食っている。喉の奥に触手を押し込まれ声の上げられない状態で霧雨雨は生きながらに喰われるという生き地獄を味わった。
化け物が人を喰らう。
言葉にしてしまえばよく聞くその光景はこれほどまでに凄惨なものであるということをもはや固まってみていることしかできない四人は知った。
艶やかな黒髪も美しい四肢もたわわに実った柔らかい果実も穢れを知らない秘所も等しく触手に食される。
「あっ、」
声も上げられぬ苦しみの中で霧雨雨は神とすら仰ぐ天心院逢に向かって手を伸ばすが、その手すら直ぐに触手が喰らいつく。
「ああ………」
長年連れ添った者がこうも容易く死ぬのかと、声も出せぬ天心院逢は霧雨雨が必死に伸ばしたその腕の末路を目で追うことしかできなかった。
そして、食事は終わる。食べ残された服の切れ端と霧雨雨の愛刀『時雨』のみが彼女の此処にいた名残だった。それ以外の全てを『暴食城』は骨も残さず飲み込んだ。
人語に出来ぬ悪逆非道。弁護の余地などない。これが化け物。これぞ化け物。
人を喰らう人類の敵。忌者。
「ごちそうさまでした」
そう言って霧雨雨を食った『暴食城』は隠れていた床下から這い出てきた。触手で隠れた彼の顔はとても満足そうだった。事実、彼はとても満足していた。美味しかったとそう思っていた。初めて空腹を満たした3ヶ月前以来の幸福感が彼を包む。
「ヒーローって美味しいんだな」
暴食城はその美顔に似合わぬ無邪気な笑顔を浮かべた。
そして言う。
「けど、この美味しさに慣れちゃいけない。ヒーローなんてそうそう居るもんじゃないんだから。口直しが、必要だ」
残された四人に対する舌なめずりしながら言い放つ。
黒い触手が四人に伸びた。
「あ、あぁぁぁっ!?」
霊標院昴が喰われた。眼鏡だけが食べ残された。
「いやぁ、やめろぉ」
風雲院亮太が喰われた。ピアスだけが食べ残された。
「ぐぅぅ。ばけぇものめぇ」
火礼院重蔵は喰われまいと懐から拳銃を取出し『暴食城』に発砲した。けれど喰われた。
火礼院重蔵はとても美味しかったらしく食べ残しは無かった。
そして、食事は終わり天心院逢だけが生かされた。
天心院逢の四肢を触手で縛った『暴食城』は食事の間、舌を噛み切って自殺しない様に口に噛ませていた触手を取りのぞき聞いた。
「ねぇ、これからするけど化け物の姿の俺と人間の姿の俺、どっちにされたい?」
食欲を満たした化け物が。化け物に成り果ててしまったとはいえ元は人間であった男が食欲を満たした後に何を望むのか。それが解らないほどに天心院逢は子供ではなかった。
「ふ、ふふ」
天心院逢は笑った。古来より日本を守護してきた四封院の長である彼女は囚われ犯されようと誇りを失うことがないように精一杯に強がって笑った。
「そんなことを聞くなんて随分、優しいのですね。あなたは化け物の筈なのに、いえ、あなたは化け物の中では優しい方、なのですか」
「まあ、そうかな。だいだら法師も海坊主も吸血鬼も、そんなこと聞かずにするだろうね。ああ、いや、あいつ等は女だからこんなことはしないのか。ただ殺すだけか」
『暴食城』はそう言ってケタケタと笑い。笑いながら触手を天心院逢の身体に滑り込ませる。
「で、どうする?」
待ちきれないとばかりに身体を弄る触手の生々しい感触を全身に感じながら天心院逢は顔を伏せ小さな声で呟いた。
「………人の姿でお願いします」
流石にそこにもう笑顔はない。
「うん。わかった」
『暴食城』はそんないい返事を返すと触手になっていた髪を解き、髪の長さを縮めて行く。
全身を覆っていた触手は消え、彼の姿が現れる。その姿のなんと美しいことか。
霧雨雨が首を切った『暴食城』は偽物だったがその姿形は本当の彼を模したものだった。
そのことに天心院逢は少しだけ安心してしまい、これから犯されるというのに顔の緊張を緩ませる。
しかし、それを誰が責められる。抵抗が無意味なことはもはや明確。
そんな中で示された。殺されるか犯されるかの二択。
選択の余地など最初からなかった。
ならせめてとそう思う彼女の心は女性として当然のもの。
「じゃ、するね」
『暴食城』の手が天心院逢の後頭部に回る。近づいてくる顔に天心院逢の身体は意志に反して赤くなる。彼女が幼少期に思い描いた白馬の王子様だってこんな美顔ではなかった。
「いただきます」
「っっ」
天心院逢は食べられた。
2023年12月24日。
古来より裏で日本を守護してきた四封院は長たちを失い壊滅した。
忌者の治療兼対策の世界組織であるariaが先月に壊滅していたということもあり、これでもう日本を忌者から守る組織は失われた。この日、事実上、日本は滅んだと諸外国は認知した。
ご愛読ありがとうございます。