LL.9
遠くで、耳鳴りがしていた。
そこは白く飛んだ、別世界の様な電車の中だった。
U太は、ゆっくりと目を開いた。身体がしびれて動かなかった。U太は白い世界
の中で背もたれに体重を預け、佇んでいた。
「………?」
外は白く飛んで何も見えない。静かな車内にはU太しかいなかった。
そうだ、タブレットーーーU太は目だけで膝元に目をやった。鞄は確かにそこに
あった。手に触れた感触ではタブレットは確かにそこにある様だったが、何故かそ
れ以上手を動かすことは出来なかった。
ーーー自分は、死んだのだろうか。
此処は、死後の世界?
U太はそっと思った。
何故か恐怖は無かった。
まだ、何もしていない。
でも、後悔も無い。
何も無かったから。
何も知らない自分は、何も無いまま終わるのだ。
U太はゆっくりと目を閉じた。それ以外には出来る事は無かった。
次に目を開いた時、そこは周りが白く飛んだ映画館だった。
「……!?」
何故だ?U太はそっと辺りを見渡したが、そこは確かに電車の座席だった。だが
目の前の座席や窓や壁は無く、白く飛んだ空間だけがあってそこには古い映画が流
れていた。
それは古びたダイナーだ。見覚えのある不運な二人が周りをギャングたちに取り
囲まれて今にも最期を遂げようとしていた。片方が言う。
「I wanna "LL" ….」
もう一人が返す。
「What's?」
「Lucky Life.」
そう、いつか観た『LL』の映画だった。
観たのはいつのことだったろうか。確か前の彼女と一緒だったっけ。いや、バイ
トの途中だったか?
そんなことを思っている間に、画面の中ではU太の知らない別の場面が流れていた。
それはギャングたちにぐるりと取り囲まれてダイナーごと蜂の巣になったその後。
少し離れたところの枯れた井戸からはい出てくる二人の姿だった。
「Yea,It's…」
「Lucky Life.」
そしてクレジットが流れていく。
「あぁ………」
U太は、思った。何故、自分はこのラストを覚えていないのだろう。いや、本当
にそんなラストはあったのか?これは既に死んだ自分の、夢の中なのではないかー
ー?
ガタッと音がした。
U太はハッと目をやる。
気がつくと映画の画面はクレジットを流したままどんどん白い空間の奥へと流れ
ていっていた。そして自分の前には、それまでは無かった別の座席ーーやはりそれ
は電車のそれっぽくはあったが、向かい合う様にではなく、映画館の様に背中側が
見えていたのだがーーが現れ、そこからスーツの男が立ち上がったところだった。
男は横に歩いていく。まるで映画を見終わって出て行くかの様に。
「!?」
その顔はーー自分!?
それは、おそらくサラリーマンになった自分の姿だったろうか。
ガタッ。
また一人、また奥に現れた電車の様な座席から立ち上がる姿があった。
無精髭にゆったりしたリネンのジャケットにチノパンの男。手には小さな見覚え
のあるタブレットがあった。
U太は確信した。
それは、小説家になった自分だ。
映画のスクリーンはどんどん白い空間に溶けていき、座席は次々と現れる。
そして色々な姿のU太が立ち上がってはそこを出て行った。
年老いても映画館でバイトしている自分。
小説など忘れ、金と女に走った自分。
子供連れの自分。
やつれ果て、断筆する自分。
割れるタブレット。
「!!」
U太は呻いた。
その後に現れ始めたのは、同じ様な座席ーーだが今度見えてきたのは背中側では
なく向き合った形ーー丁度電車の姿に戻る様に、奥から座席が流れて来ていた。
そして、そこにはU太の姿があった。
* *