LL.2
U太はうつらうつらとしながら電車に揺られていた。電車はX谷に差し掛かろう
としていた。いつの間にか両側の乗客は女子高生とおばちゃんに変わっている。皆
眠そうな顔で、携帯を見たりしかめ面で腕組みをしたりしている。
「………」
U太は少し腰を前にズラして椅子に潜り込んだ。
そうしてボーッと考え込んだ。
自分は、何をしていたのだろう。大学にはしばらく顔を出していなかった。理由
は無いが、何処か行きたく無い。行きたくないから、無理に夜更かしをする。朝起
きるとダルくて、何となく外に出てみたりはするが、結局何もせずに帰ってくる。
ーーそんな感じでここ数年を過ごしてきた。このままだと恐らく卒業は難しいだろ
う。久しぶりに電話した実家の父親は怒っていた。当然だ。今期の卒業はダメだと
して、次は頑張らなきゃ。そしてそろそろ就職活動も始めなければーー分かっては
いるが、全てがじっとりと重たかった。さて、どうするかーーそんなことを思いな
がら、U太は微弱な揺れに身を任せていた。
U太は、映画系のサークルに入っていた。と言ってもそれはバリバリの映像製作
集団と言うよりは映画好きが集まった遊びサークルに近く、本当に映画を撮ってい
るのは数人で、それぞれが自分たちでグループを作っては好き勝手に映画を作って
いた。特にサークルを上げての映像制作というのは無い感じだった。U太も自分で
動こうとするのではなく、時々熱心に撮っている彼らを手伝う程度で部室に顔を出
すことも少なくなっていた。いつも頑張っている彼らはキラキラとしていて眩しく、
U太の心を妙にざわつかせた。
いつしか、U太は自分で小説を書き始めていた。それはライトノベルとも幻想小
説とも付かない、まだまだ拙いものに過ぎないことは分かっている。とある辺境の
小さな惑星での、青年とネコとそこに落ちて来る男女の話だった。そこではその時
々で星の風景が変わり、一同はそれに巻き込まれながら日々の生活を送る。そんな
世界に、U太は憧れていた。別に将来物書きで生活を立てようとは思っていない。
特に美術系と言う訳でも無い公立大学の映像サークルのほとんどの人間も、勿論そ
んなことは考えてはいないだろう。一人や二人は映像系に向かう人間もいるのかも
知れないが。
U太はその小説を二度、投稿したことがある。一度目は初めてそれを書いた時だ
った。勿論結果が出る筈も無く、それを大分書き直し、構成も変えて二度目を出し
た。結果はまだ来ていない。だが恐らく結果は同じだろう。でもーーだから、何な
のだ?以来U太はその一作目はそれとして、続き話としてその青年とネコと男女の
話を書き続けていた。既に十数話まで来ている。恐らく二十数本にはなるだろう。
U太はそれで自分の人生をどうこうしようなどとは考えてはいなかった。ただ、話
を考えたり書いたりしている時間が、それだけが楽しかったのだ。
先月も、U太は一人で劇場の売店の中で小説を書いていた。劇場のドアからは微
かに映画の音声が流れている。今日の作品はマイナーなヨーロッパ映画だった。フ
ランス語で言い合っていると何故ああも綺麗に聞こえるのだろうか、自分たちの話
す言葉とは全く趣が異なって思えるーーU太はそんなことを思いながら最近買った
小さめのタブレットでコツコツと文章を重ねていた。
「どうっすか、調子は」
声をかけられてU太は顔を上げた。階下のキャパが大きな方によくバイトに入っ
ているA児だった。近場の私立大学の一つ下で、口を開けば女と金の話ばかりなタ
イプなのでU太はどちらかと言うと苦手にしていた。向こうも向こうで自分のこと
は只の真面目君、程度の認識なのではないかと勝手に思っていた。
「あぁ、まぁまぁ」
U太は曖昧な笑顔を作って返した。
「下は暇なんでね」
A児はそのまま売店のショーケースに肘をついて中身を眺めている。U太はため
息を吐いてタブレットを側に置いて立ち上がった。一人が良かったが邪険にするの
も変だ。世間話位はしないとなーー。
U太は売店のショーケースの上に積んであるパンフレットなど眺めた。A児はそ
んなU太に気付いていないのか、普通に話しかけて来る。
「この映画、観ました?」
「ん、まだ」
この階のバイトは一人だけのことが多く、流石に中に入って観るのは気が引けた。
「この映画、彼女が観たいって言ってたんすよ。俺はイマイチよく分からないです
けど。何なら、俺がいますから観て来ていいっすよ」
そう言えば前に派手な娘をバイト中に呼んでずっと二人でだべっていたこともあ
ったっけ。特にイケメンという訳でも無いA児が何故こんなにモテるのだろうか。
U太は少し考えた。前に自分に彼女がいたのはもう数年前だ。ひどく幼い恋愛で
あった気がした。
「いやーーその間に下の休憩時間来るでしょ」
「あぁ…そういえばそうっすね」
A児はへラッとした笑顔を浮かべた。U太は曖昧な笑顔を作って返した。
一人の時間が欲しい。そう思った。
「何をしている」
声がして向くと、社員のE田が降りて来ていた。今日のオールナイトの管理人だ。
バーコードハゲの中年で、いつもイライラして見えるのでバイトの連中も煙たがっ
ている。恐らく事務所のモニターで観ていたのだろう。
「あ、すいませ〜ん」
A児は軽く頭を下げて階下への階段へ向かおうとして、ショーケースの上のU太
のタブレットを取り落とした。タブレットは音を立てて転がった。
「あっ」
「あ…すいません」
A児はE田の視線を避ける様に走っていった。U太はそっとため息を吐きながら
タブレットを拾って埃を払った。幸い画面には傷は無い様だが、少し嫌な気分だっ
た。
「仕事はちゃんとしろよ」
E田はタブレットにチラリと目をやってからブツブツ言いながら踵を返した。
「ったく、最近の学生はよ…」
それ自分も学生の頃は言われてたでしょ、とU太は思ったが口には出さなかった。
噂では高校生の娘がいて、入試を控えてピリピリとしているらしい。それを此処で
ぶつけられてもな、と皆は話していた。
こういう時、U太は考える。『Low Level(低レベル)』。この場所もA児もE
田も、そんなことですぐ嫌な気分になる自分も。こういうことを考えていることも。
U太は目を覚ました。電車はL屋に差し掛かりつつあった。
いつの間にかU太の右隣は開いていた。U太は少し左との間を空けようと座席に
右手を突いた。
「!?」
U太は右手に触れた水分の感触でしばし止まった。座席が濡れている?はっとし
て指を臭ってみたが無臭だった。ただの水の様だ。一応自分の下も触ってみたが、
何ともなかった。何故…?と思って再び横に目をやった瞬間、そこに人が座った。
「あ」
中年の女性が、不思議そうにU太に目をやった。U太は開いた口を閉じ、何も言
えずに下を向いた。その女性は暖かそうなコートを来ていた。中まで染み込む程の
湿りではない、とは思う。ただ…。一言言ってあげるべきだったろうか。U太は思
った。こういう時、結局何も言えない自分も、『Low Level』だ。
「フゥ……」
そしてU太はまた別の考えに囚われていた。この席は、一体どうして濡れていた
のだろう。そして、気付かずに座る人たちをいつまで濡らしてゆくのだろう。気付
く人、気付かない人。それをずっと観ている自分。この堂々巡りは、いつまで続く
のだろうか。
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