LL.1
その日の朝、U太はS市の環状線に乗っていた。
始発から数本目のその電車は、その時間にしてはそこそこ混んでいた。まだ薄暗
いホームから外へと滑り出したその風景を、U太は両脇を疲れたサラリーマンと革
ジャンの兄ちゃんに挟まれたままじっと見つめていた。場末の映画館の土曜のオー
ルナイトのバイト明けで、気だるい疲労感がベールの様にゆっくりと身体を包んで
いる。
そのバイトはサークルの先輩から紹介されたものだった。オールナイトの営業の
間、チケットを売るブースに入ったり、チケットのモギリだったり売店の店員だっ
たり。客が多く入る作品なら上映と上映の間は殺人的に忙しいが、上映が始まると
その場所は無になる。その小さな映画館では上映中は売店も一人きりだ。二時間弱
のひっそりとした時間が辺りを包み込む。U太はそんな時間が好きだった。地方か
らやってきて数年が経ち、もうこの街には慣れたものの何処か此処は違うーーそん
な感覚も同時に持っていた。とは言え、地元にいてもそれはずっと同じだったのだ。
「変わろっか」
友人のK一が声をかけてきて、バイト中のU太ははっと顔を上げた。
その映画館は寂れたアミューズメント施設の中程にあり、U太のいる百人弱しか
入らない劇場の一つ下の階にはもう少し広め…と言っても二百人程度の劇場がもう
一つあり、そこでは同じ様なバイトが二人配置されていた。K一は気を使ってくれ
ているのだろうが、U太はむしろ望んで一人の方の場所にいた。
「寂しくない?一人で」
「ん…慣れてるから」
「そ?下だと映画観れたりするよ」
上映の合間の時間さえ何とかやり過ごせば、上映中は暇なのだ。二人いれば一人
はこっそり劇場に入って映画を観ていても構わなかった。クレジットが始まれば出
てくれば良いのだ。
「大丈夫、あれもう観たから」
実はU太は今階下で上映中の映画は既に四度観ていた。いつもK一に気を使わせ
ていても何なので、数回に一回は二人の階にも入ったりしていた。その映画はB級
のクライムストーリーだった。運の悪い主人公が次々と不運に見舞われ、ラストは
相棒と共に寂れたダイナーでギャングたちに取り囲まれ、あえない最期を遂げる。
何故こんなマイナー映画を上映することにしたのかU太には分からなかったが、そ
の死の間際の会話がこうだった。
「I wanna "LL" ….」
「What's?」
「Lucky Life.」
何てことの無い会話が、U太の何処かに引っかかっていた。それから、U太は『
LL』という言葉に取り付かれつつあった。
例えば今はこうーー『Little Lie(小さな嘘)』。
本当は、一人が良い。唯一話せるK一ならともかく、他のバイトと二人きりだと
余計に気を使う。でもK一を心配させたく無いから、小さな嘘をつく。今は、あち
こちでそれを行っている自分がいる。
でもーー本当はK一も気付いてたりするんだろうな。
U太は、ゆっくりと止まりつつある外の風景へと目をやった。
ドアが開いて、早起きして休日を楽しもうとする家族や夜通し遊んだ若者がポツ
リポツリと入って来る。その向こうで、革ジャンのカップルが言い合いをしていた。
男性の方がかなり強く怒鳴っていて、ヒラヒラのスカートを履いた金髪の女の子の
方が涙を流している。
「………」
U太はそれをボーッと眺めていた。やがてドアは閉じ、電車は微かな揺れと共に
ホームを出て行く。ガラスの向こうでカップルは言い合いを続けたまま退場してい
きつつあった。そのフレームアウトの最後の瞬間、女性は踵を返し涙を拭きながら
歩き出した。男の方はふてくされた様に立ち止まったまま退場していった。
* *