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四話 だいたい竜のせい

「ええと、ちょっと待ってくれ。ようするに、ハシーナ入りの煙草で金を稼いで、それを財源に自分のとこの貨幣を発行する。ここの領主が、そんなことを考えてるってのか?」


 血の巡りのよくない自分のおつむが疎ましい。

 それがいったいどれほどのことなのか、いまいちよくわからなかった。


「……自分とこで貨幣を発行するってのは、そんなに凄いことなのか? いや、金貨をいくらでも自由に作れるってんなら、そりゃたいしたことだってのは俺にだってわかるさ。でも、貨幣の製造だなんて、そんな単純なものじゃないんじゃないのか?」


 作るだけでいいのなら、今ごろ世の中には自作の貨幣があふれかえっている。そうならないのは、そうならないだけの理由があるからだ。


「もちろん、つくった金貨が無計画に市場へあふれるようなことがあれば、それは混乱をひきおこすだけです。信用価値の下落が物価の高騰をまねき、さらなる混乱へ。そうした悪循環は容易に想像できますね」


 いわゆる悪銭というやつだ。

 貨幣の価値は、そのなかに含まれる金や銀などの含有量で決まる。あるいは、含まれていると信じられた量で。


 ――ああ、それが貨幣の信用か。


「私貨幣ってのは、自領内での流通を限定としたもので、余所へいくと途端に価値をうしなう。そうだろう」

「基本的には、そうした認識でよろしいかと思います。土地をおさめる領主が代替わりになった途端、先代の発行した貨幣の取り扱いを禁止してしまうようなできごとが、実際にあったこともあります。まあ、権力者にしてみれば、貨幣の発行というのは手っ取り早い金策ではあるのですが……それも、自身の信用を身切りしてすぐに手痛いしっぺ返しを食らってしまう、下策にもなりかねませんが」


 冗談のような本当の話が、実際にあるのが世の中だ。


「現実問題として、領主様が新しい貨幣をおつくりになっただけでは、たいした意味はないのですよ。経済的な背景をもたない新貨幣が発行されたところで、余所の力も信用もある貨幣に押し潰されるだけですからね。しかし、今回のお話の面白いところは、そこに一枚、別のものが噛んでいるところです」

「そこで、竜か」

「そういうことになります」


 ディルクがうなずいた。


「竜の経済価値。そのとほうもない潜在性、可能性については、皆様もご存知でいらっしゃるでしょう。売り物の名前に竜という冠をつけるだけで、売値が跳ね上がってしまう。無論、そんなことを乱発してしまえば希少価値という重みがなくなりますし。詐欺のような話にもなってきてしまいますが。貨幣とおなじく、信用がさがってしまう。しかし、ギーツでは実際に竜殺しを成功しています」

「詐欺じゃあない。少なくとも、一番初めの信用問題はクリアしてる」

「竜殺しの記念硬貨というお題目も、十分に受け入れられることでしょう。相手がドラゴンゾンビとはいえ、竜殺しというのは人類史に残る、それほどのことですから」

「それで、領主は竜貨とやらで大もうけできるわけだ。ハシーナで元手をかせいでから、それで記念貨幣とやらをつくってもっと大金を手に入れる。よくできた話じゃないか」


 感心してしまった。


「私もそう思います。商人としてはうらやましくもある、夢のような話ではありますが」 


 微苦笑で頭をふる商人に、


「――ことの本質は、そこではありませんわ」


 ルクレティアが静かな口調で告げた。


 ディルクもふくめた全員の視線が注目する。


「そこじゃない?」

「貨幣を発行することによる儲けも、さぞ莫大なものになるでしょう。しかし、それ以上に大きな意味を持つのは、価値を認められ、有用とされた貨幣が市場に流通するというその事実です」


 ルクレティアがいった。


「竜という名を冠した貨幣。それは巷にある公貨幣を模造したものとは根本的に異なります。その新しい貨幣が、飾りでなく、貨幣としての経済的価値をともなって流通する。今までとはちがう貨幣として認められるということは、いったいどのような意味をもつのでしょうか」 

「今までと違う、貨幣……」


 若い商人が表情をはっとさせた。


 ルクレティアがぐるりと一同をみわたす。

 スラ子は静かな表情で沈黙をたもち、カーラやスケルは意味がつかめないのか困惑した表情をうかべている。冷ややかなまでに落ち着いた面持ちで、ルクレティアはつづけた。


「記念硬貨の発行による一時の金稼ぎ。もしも、領主様の考えがそんな次元のものではなく、まったく新しい貨幣の継続発行と、その普及と認知にあるのだとしたら。それはもはや、金稼ぎ云々という領域の問題ではありません」

「馬鹿な」


 ディルクは信じられない、といった表情だった。


「そんな、大それたことが。そのようなことが叶うはずがありません。まったく新しい貨幣。価値を創造する。それは、」

「ほとんど王権の範疇にある話ですね」


 鋭い眼差しで、ルクレティアがうなずいた。


「王家の力が衰えて久しいとはいえ、そのようなことをやれば大きな騒ぎになってしまいます。しかし、お忘れなく。これは“竜”なのですよ」


 ああ、と男が頭をかかえた。


「衰退する王。台頭する地方有力者。事態を打開する切り札を欲しがっているのは、この国そのものです。他国に対してばかりでなく、自国へもむけて。その価値を欲しがる人はいくらでもおりますわ」

「……貴女様のような方にとっては、そうでしょう」


 ディルクが自嘲するようにつぶやいた。

 ちらりとルクレティアが男をみる。若い商人はひどく打ちひしがれた様子だった。


「失礼しました。ですぎたことを申しました」


 顔をうつむかせる相手から、俺はルクレティアに目をむけた。

 さっきから、また置いてけぼりになっている感がある。視線で説明をもとめると、


「流通する貨幣。独自の価値をもち、まわる経済。財源と信用。その中心にあるのは、人からすれば神とも等しい存在。竜という超越種を根幹にすえた経済圏です」

「竜の、経済圏?」

「それはとても魅力的な、危険に満ち満ちた代物になるでしょう」


 ルクレティアが微笑む。

 人一倍の野心と挑戦にあふれた、ぞっとするほど魅惑的な表情だった。



 商館での話をおえて、俺たちはディルクの案内で近くの宿屋におくられた。


「出来る限り上等な宿をと思ったのですが、部屋続きで空いているところがなかなか見つからなかったのです。質は中の上といったところですが、お許しください」

「田舎育ちの人間にとっちゃ、上も上だよ。気にしないでくれ」


 案内された室内をみまわしてみる。

 広いし、洗面台にはきれいな水置きがあるし、ベッドはよく整っていて、窓もある。十分すぎる宿だった。


「ありがとうございます。ルクレティア様にもそのように思っていただければよいのですが」


 機嫌を損ねないか心配するような若い商人に、同情してしまった。


「あんたも大変だな。イラドのことといい、面倒ごとを次から次におしつけられてさ」

「私は商人ですから。求められるということは、ありがたいことです」


 しかし、と頭をふる。


「今日のようなことがあると、自信をうしなってしまいそうになります」

「さっきの話か? なんでだよ。十分、話についていけてたじゃないか。俺は感心しっきりだったけどな」

「とんでもない。自分の程度を思い知らされましたよ。竜殺しの記念貨幣。その話をきいて、私が考えたのは貨幣発行による儲けという目先のことばかりでした。それさえもダシにして、独自の経済流通をつくろうとしている可能性などと。そのようなこと、想像にもしなかったのですからね」


 そういえば、さっきルクレティアからその話をきいて俺たち以上に衝撃を受けていたのは、この若い商人だった。


「あー。いや、でもそれは普通なんじゃないか? というか、ルクレティアが普通じゃないんだろ」


 竜の経済圏だとかなんとか。

 そんなものを考えつくほうが異常なんだろう。


「それは、そのとおりですが。器の違いというのを見せつけられたのは、事実ですから」


 はあ、とため息をつく。

 金回りのことなら絶対的な自信をもっているのが商人だ。専門家である自分以上の発想をみせつけられたのが、相当ショックだったらしい。


「この世で己がもっとも才能にめぐまれている、などという驕りは、商人になってすぐただの過信だと思い知らされましたが。結局、私の器とはうだつのあがらない小商人なんでしょうね」


 なにやら鬱モードにはいりかけている相手に、俺はぽんとその肩を叩いてやった。


「ルクレティアに取引相手として認められた、小商人だろ。たいしたもんだと思うけどな」

「そうでしょうか」

「才能がないなら、あのルクレティアが相手に選ぶもんか。それに、ルクレティアだって一人でなんでもできるわけじゃないから、あんたを頼ってるんじゃないか」

「……そうですね」

「ルクレティアが凄いなら、近くでそのやりかたを盗めばいい。隙をつけば、寝首をかくぐらいできるかもよ」

「寝首をかく必要はありませんが……」 


 苦笑したディルクが、息をはいて表情をあらためた。


「失礼。先ほどの話をひきずって、おかしなことを口にしてしまいました。聞かなかったことにしてもらえると助かります」

「ああ、わかった」


 まじまじと、男がこちらを見つめてくる。

 俺は顔をしかめた。


「なんだよ?」

「マギさん、というお名前でしたよね。こんなふうにお話しするのははじめてですが、不思議ですね。貴方は鈍いのか、敏いのか。よくわからない」


 しみじみとそんなことをいわれても、なんと返せばいいかわからなかった。


「ただの下っ端だよ。元ひきこもりで、田舎者の」

「変わった部下をお持ちだ。そのあたりもあのお方の器量ということでしょうか」

「……自分もふくめて、変わってるってのは否定できないな」


 なにせ魔物なんだから。

 そんなことは知らないディルクは冗談の類だと思ったらしい。相好をくずして笑った。


「兄ともども、拾われた私はどうやら幸運だったようです。このうえは、せいぜい全力でお役立ちになりますよ。自分自身のためにね」

「そうしてくれ」


 それでは、と頭をさげたディルクが部屋をでる間際、ぽつりと残していった。


「――それでも、お気をつけになるべきだと思います。あの方の才気は、恐ろしい。竜という絶大な存在を、良くも悪くも最大限に活用できるのは、あの方以外にないでしょう」


 良くも、悪くも。

 つまりは破滅をも招きかねないという、それは忠告以外のなにものでもなかった。



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