三話 不思議な赤子と開拓の村
天気が崩れる気配もなかったので、その日の夜は川の近くに露営して一晩を過ごすことになった。
馬車を止め、馬を繋いで餌と水を与え、薪を組んで火を起こす。
そうこうしているうちに日が落ちかけてきたので、俺たちは全員で暖色の焚火を囲んだ。
「しっかし、こんなところでご主人のアカデミー時代のご友人に会うとは、世の中なにがあるかわかりませんねぇ」
焚火の調整をしながら、スケルがしみじみという。
「ほんとほんと。あたしもびっくり。そういやこのあたりで管理の仕事してたんだっけ。すっかり忘れてたよ!」
応えるルヴェは、初対面だというのにまったくそれを感じさせない態度。
それを見て本当に彼女なんだなと俺は実感していた。
種族の垣根や価値観の違いなんておかまいなしに、誰とでも気さくに接する性格はアカデミーにいた頃からちっとも変わっていない。
ほとんどずうずうしいくらい一方的に、他人との距離を近づけて仲良くなってしまう。
彼女はそういう迷惑さと紙一重な才能を持った人間で、だからこそ俺みたいなやつとも知り合いなのだった。
今も、会ったばかりの相手を前にあっさりとうちとけてしまっている。
元々物怖じしない性格のスケルだけでなく、カーラやタイリン、人との接し方に距離感のあるルクレティアさえ、ルヴェを相手に邪険な対応をとれずにいた。
こと誰かと仲良くなることにかけては、恐らく世界でも最強じゃないかと思う。
そのルヴェとスケルたちが仲良く会話をしているのを聞きながら、俺は残る一人の様子をうかがっていた。
半透明の人型を模したスラ子は、他のメンバーと一緒に火のそばにいる。
時たま会話に相槌をうってるし、話にも参加していて、表情には笑みが浮かんでいた。
最近俺の前では見せてくれない普段どおりの仕草。さっきまでなかった様子に、だからこそ違和感をおぼえてスラ子を注視していた。
――じゃあ。とスラ子がなにかをいいかけていた、そのことが気にかかっていた。
「ルーヴェさんは、どうしてこんなところに?」
カーラが訊ねると、ルヴェはにっこりと人当たりのよい笑顔で、
「ルヴェでいいよ。あたしもカーラって呼びたいし。呼んでもい?」
「あ、うん。ルヴェ」
「実はね、ちょっとした拾いものしちゃってさ」
いいながら、それまで片時も離さずに抱えていた包みから布をとり払う。
全員の視線が注目して、
「――赤ちゃん?」
ルヴェがずっと大事そうに抱えていたのは、赤子だった。
まだ生まれて半年くらいだろうか。
両手に収まるくらいの小さな生き物が、寝息もなく目を閉じて眠っている。
赤ん坊を抱えて戦闘なんてしてたのか、と呆れる前に、俺は脳天を殴られたような衝撃をおぼえていた。
ふと、ルヴェ以外の全員がなぜかこちらを見ているのに気づく。
俺はなんとか平静をとりつくろって、
「子ども、いるのか……。お、おめでとぅ――」
完全に動揺を隠しきれてはいなかった。
あははとルヴェが笑う。
「拾ったっていったじゃん! まあ、あたしが拾ったんだからあたしの子、かな? 親とかもいないみたいだったしね」
「……親は、死んだのか?」
「それがわっかんないんだよね」
がしがしと頭をかいて、
「西の国境にずいぶん古い遺跡がいくつか残ってる場所、あるでしょ。そこの近くでさ、いきなり見つけたんだよ。いや、ほんとだよ? ほんとに落ちてたんだってば!」
子どもが、落ちてた?
そんな馬鹿な。
「誰かが落とした――わけもないか。近くに集落とかは?」
「ないない。あんな場所、集落なんか出来てもすぐ襲われちゃうって」
「魔物の子、とかでもなさそうだよな」
人間に近い姿の魔物は色々あるが、この外見はどう見ても人間の赤子そのものだ。
「ルヴェ! ルヴェ! おっぱい、どうしてるんだ?」
興味津々といった表情で赤子を見つめていたタイリンが、俺には絶対に聞けないことを訊ねてくれた。
そうだ。この赤ん坊がルヴェの子ではないのなら、授乳なんてできるはずがない。
あれ、妊娠してなくてもでるんだったか? 駄目だ、まだちょっと頭が混乱してる。
「それがねー」
ルヴェは困ったように眉を寄せた。
「この子、いらないみたいなんだよ」
「いらない、だって?」
俺はびっくりして聞き返していた。
「あたしも拾ったときはびっくりしたからさ、とりあえず大急ぎで近くの人がいるとこまで飛んだんだ。ちょうどお乳でる人いたから、お願いして飲ませてもらったんだけど」
「……飲まなかったのか」
「お乳だけじゃなくてね。水とか、そういうのもまるで含もうとしないし、泣いたりもしないの。変わってるでしょ」
――変わってるどころじゃないだろう。
平然とした説明を聞きながら、俺は顔をひきつらせた。
……食べ物を必要としない生き物なんて、存在するだろうか?
少なくとも、人間は食べ物と水がなければ生きてはいけない。
動物だけじゃなく、植物だって土から栄養を吸い上げ、水分だって必要だ。
目に見える形でなくとも、なにかに生かされて、なにかを生かしている。
生き物っていうのはそういうものだ。
なら、お乳どころか水さえ飲もうとしないこの赤ちゃんはいったい――
ふと俺は自分にも似たような出来事があったのを思い出した。
少し前、正体不明の生き物を拾った覚えがある。
「……ドラ子みたいだな」
マンドラゴラを頭に生やしたちんまいドラ子。
魔性植物とよばれるものに竜の血がかかって生まれたドラ子も、普通の生き物ではない。
だが、ドラ子は一応、それでも水を必要としている。
ずっと水に浸かってないといけないわけではないが、夜は水槽のなかで大人しくしている。
スラ子とルクレティアもおなじことを思ったらしく、
「ドラ子さんのような不思議な気配は、しませんわね」
「はい。ドラちゃんとは違うと思います。精霊っぽい感じはありません」
普通の生き方と少し違った存在といえば精霊だが、そういうことでもなさそうだ。
とにかく、普通じゃない。
「ルヴェ、他に変わったことはないのか?」
「どうかなあ。なんかよく魔物に狙われるようになった気がするけど、そのくらいかな。大したことないよ」
「いや。全然、大したことだろう」
そういえば昼間も魔物に襲われていた。
魔物なんて世界中にいるとはいえ、普通に旅をしていて遭遇なんてそうそう連続するものでもない。
旅慣れた人間なら危険を避けるし、誰だって魔物と遭わないように努めるからだ。
それでも自然遭遇をゼロにできるわけではないが、その回数が度を越しているなら、なにか要因があると考えるべきだ。
まさか、と自然に目が向かったのは、ルヴェの腕のなかで眠る赤子だった。
……この子が狙われてるのか?
けど、魔物が、ただの赤ちゃんにしか見えない相手を狙う理由なんて。
「どうだろうなー。けど、この子が普通の子だったら、そんなことあるわけないよね」
子どもを拾ったということと魔物の襲撃に相関関係がないか、あるか。
後者なら、それはこの子が普通じゃないという証拠にもなる。
俺は深刻に眉間に皺をつくったが、当の本人であるルヴェはあっけらかんとした表情で、腕のなかの赤子の寝顔を眺めている。
――こういうやつだ。
人里もない場所に落ちてた赤ん坊。
そんなの、普通に考えたら怪しすぎる。
それがきっかけで魔物に襲われてるのだとしたらなおさらだが、目の前の相手はまるでそんなこと感じてもいない様子だった。
「それで。ルヴェ、これからどうするつもりなんだ?」
ん、と馬の尻尾みたいな髪を揺らして、アカデミー時代の知人は不思議そうに首を傾げて、
「どうするって、育てるつもりだけど? 拾ったんだし。それに、この子の親がどこかにいたら、届けてあげたいしね」
当然とばかりにそういった。
この時世、赤の他人の子どもを拾って迷いなくいいきれるあたりが、やっぱり彼女らしい。
「けど、人一人育てるなんて。大変だろ。金とか――いや、その子に金はかからないのかもしれないけど」
「まあ、子ども抱えて遺跡掘りってわけにもいかないよね。とりあえず、今まで見つけたマジックアイテムを売ったりなんかして、路銀はまかなえてるよ」
子どもに金はかからなくても、ルヴェが生活していくのには金が必要だ。
「アカデミーにいってみればどうだ?」
彼女の身を心配して、俺は提案した。
「あそこならその子もかくまえる。これからのことだって、先生が相談にのってくれるかもしれない」
「あー、うん。それは考えたんだけどさ」
ルヴェは肩をすくめた。
「子ども一人抱えてあそこまで行くのは、ちょっとしんどそうかなあって」
なら、と俺は勢い込んで、
「俺たちと一緒にいけばいい。俺たちもちょうど、アカデミーに向かってるんだ。大勢でいれば魔物に襲われたって平気だからな」
「ええっ、いいよ、そんなの。そんなことしたら、マギたちまで巻き込んじゃうじゃんか」
「こんなとこで会っておいて、巻き込むもなにもないだろ。はじめから同じ目的地なんだから、迷惑でもなんでもない」
「いや、そうだけどさ。そんなに心配してくれなくても大丈夫だってば」
「なんだよそれ。普通、心配するだろ」
いってるうちに、ふと自分でも必死すぎるように思えてきてなんだか恥ずかしかった。
スラ子たちに呆れられているかもしれない。
なんとなくそちらに顔を向けられずにいると、
「よかったらご一緒しませんか?」
同行を渋っているルヴェにいったのは、なかでも特に視線を合わせづらい相手の声だった。
ちらりと見ると、不定形の生き物が柔和に微笑んでいる。
「マスターのおっしゃるとおり、お一人の旅は大変だと思います」
「そういってくれるのはすっごく嬉しいよ。けど、関係ない人たちまで迷惑かけるってのはさ、ちょっと違うと思うんだよね」
「関係なくなんか、ありません」
スラ子は断言するようにいった。
「ルヴェさんはマスターのお知り合いです。……それなら、私たちにとっても大事な人です」
柔らかい、けれど押しの強い台詞。
ルヴェはうーんと大きく唸ってから、はっと目を見開いて俺を見て、
「マスター? マスターって、マギっ?」
「はい。私たちの、マスターです」
スラ子を見たルヴェが、ぽかんとしてから、他の女たちへと視線を移していく。
「えと。マスターです」
「ご主人が、ご主人っすね」
「……誠に遺憾ながら、主様ですわ」
「悪いヤツだ!」
カーラから始まってタイリンまで、四人がそれぞれ答えてから、改めて俺のほうを振り向いたルヴェにびしりと人差し指を突きつけられる。
「さ、サイテー! 変態ー!」
「最低かどうかはともかく、変態じゃあない!」
そこだけははっきりと否定しておかないといけない。
「うわぁ、こんな可愛い子だけ集めてとか、ちょっと信じらんない。なに、マギってそういうやつだった?」
「いや、色々と事情が……」
弁解しかけてから我に返る。
「そんなことより! どうするんだよ。一緒にアカデミーいくのか、いかないのか?」
また腕を組んで考え込んだルヴェが、ちらりとこちらを見た。
「――ホントに、迷惑じゃないかなあ?」
「そういってるだろ」
「……なら、ちょっとお世話になっちゃおうかな。この子もそのほうが安全だし」
俺はほっと息を吐いて、
「そうするといい。ああ、アカデミーにいく前にギーツの街に寄るけど、いいかな」
「うん。もし迷惑かけるようだったら、出て行くからさ」
「大丈夫だっていってるだろ。じゃあ、あらためて紹介しとく。俺と同じ時期にアカデミーにいた、ルーヴェ・ラナセ。ルヴェ、彼女らは俺の住んでる洞窟とかその近くに住んでる仲間で、スラ子に、カーラ。スケル、ルクレティア。タイリンだ」
「よろしく! ルヴェって呼んでね」
にこにこと握手を求めていたルヴェが、スラ子との順番になって顔をしかめた。
少し変わった手触りに眉をひそめた――のではなく、相手をまじまじと見つめて、
「あれ。――誰かに似てない?」
――そういえば、そのことがまだだった。
◇
次の日の夕方ごろ、俺たちは開拓村に辿り着いた。
イラドという名前のその集落は、山間部を切り拓いてつくられていた。
水場まで遠いわけではないが、農地を目的とするならたしかにもっと良い場所がありそうな立地で、ルクレティアのいっていたこともあながち間違っていなさそうだ。
簡単な堀と柵を立てた入り口の近くで、両側にたつ強面の番兵がじろりと馬車でやってきたこちらをねめつけてきた。
「何者だ。この村になんの用がある」
居丈高な口上。
俺がなにかいう前に、馬車から顔をだしたルクレティアが落ち着いて答える。
「メジハの長の身内です。領主様に呼ばれた祖父の名代としてギーツへ向かっているところですが、一晩の宿をお借りできますかしら」
番兵が濃い眉を寄せる。
「メジハ……? なにか身分を明かすものはあるのか」
「領主様からのお手紙がここに。これは祖父からの返書です」
綺麗な手すき紙を折りたたんだ書面を見せると、男はしかめっ面で文字の羅列を見て、ちらりと隣の同僚を見た。
痩せた外見のもう一人の番兵が肩をすくめる。
一人目の男はいっそう顔をしかめて、手紙を押し返した。
文字を読める人間は多くないから、ミミズがのたくってるようにしか見えなかったのかもしれない。
「……わかった。入っていいぞ」
「ありがとうございます」
俺たちを見送る男たちは、最後まで刺すような視線を向けたままだった。
――山からいつ魔物が下りて来るかもしれないとはいえ、ちょっと警戒が強すぎやしないか?
メジハもあまり余所者に開かれた町ではなかったが、さすがに入り口で締め出そうとするまではない。
これじゃあ村というより本当に砦かなにかみたいだな、と思いながら、中へ進む。
村はいかにも入植したばかりという感じだった。
掘ったて小屋じみた家屋がいくつも並んで、その近くでは新しい家を建てようとしている人や、畑を耕そうとしている人が黙々と働いている。
うさんくさそうにこちらを見上げてくる人々のあいだを通り、とりあえず村の奥へと馬車を向けた。
陰気というのではないが、あまり活気のない村の様子を見ながら、不安そうにカーラがつぶやく。
「宿とか、あるのかな……」
「どうだろうな」
宿屋や酒場のない集落なんて聞いたこともないが、こういう所に来たのは俺もはじめてだった。
と、背後からいきなりの大声。
振り返ると、幌のなかで休んでいたルヴェの腕のなかで赤子が泣き出していた。
「わわっ。どうしたの!」
こんな小さな身体のどこにこんなエネルギーがあるんだと驚くくらいの大声だった。
ルヴェがあやそうとするが、一心不乱に泣き続ける。
「ルヴェ? 大丈夫かっ?」
「ごめんっ。こんなこと珍しいんだけど……おしっことかでもないし! どうしたのー、怖くないよー」
「おっぱいが恋しいんじゃないっすかね」
スケルがいった。
「お乳を飲む飲まないはともかく。男の人には大人になってからもそういう人がいるらしいっすが、そのあたりどうですかい。ご主人」
俺はそうだなあと顔を上げてから、真顔になって答えた。
「……なんでそこで俺に話を振るんだ?」
「いえね、ご主人がおっぱい村の住人という噂も無きにしもあらずでして」
「どこの噂だ、それは」
ちょっと本気で問いただしたかったが、そんな俺を余所に話は続いていて、
「とりあえず、おっぱいをあげてみたらいかがです? 触れさせるだけでも安心するかもしれません。ええと、まずはやっぱりルクレティアさんから――」
「……どうしてそこで私に話が来るのですか」
「そこは、大きさ的にといいますか」
「知りませんわよ」
「わはっ。おっぱい、おっぱい!」
「た、タイリンちゃん、そんな大声でいっちゃダメだってば」
楽しそうに手をたたいているタイリンを、恥ずかしそうにカーラが止めている。
なんとなく話が気まずい方向になってきたので、俺は幌から視線を戻した。
声だけが背中に届く。
「ごめんよー。とりあえずあたしのおっぱいでいいかい? お乳でないし、ここにいらっしゃる方々からしたら情けないくらい小物だけどさ」
「……ルーヴェさんまで、どうして私を見るのですか」
「いやいや、ルクレティアさんとスラ姉には控えておいてもらいましょう。大物は最後に出てくるもんです。まずはあっしらが徒党を組んで挑戦してからでも遅くはありません」
「貴女がたは先ほどから人のことをなんだと――」
「あれ、カーラはどうしてちょっとへこんでるんだー!? どうしたー!」
後ろのやりとりとその光景に興味がひかれないわけがなかったが、今さら振り返りでもしたら即座になにか物でも投げつけられそうだったので、俺は平静を装って馬車の操縦に努めた。
――赤子の泣き声ってのは、聞いてるだけでなんとなく不安になってくる。
それからも後ろではわいわいがやがやとやっていたが、しばらく馬車を走らせて一番大きな建物に辿り着くまで、泣き声はずっと止まないままだった。




