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二十話 竜の麓に生きる町

 広場には大勢が集まっていた。


 午前の仕事を終えた人々が、昼の休みを使って話し合いのためにやってきている。

 人口千人にも満たない、決して大きくないメジハの町。その全員が集合しているわけではないにしても、広場には百人以上が密集して異様な雰囲気だった。


 集まっているのはほとんどが農夫だ。

 元々、町というより大きな村といったメジハでは大半が畑仕事に関わって生活を営んでいる。それはようするに、ほとんどの人が先日の戦闘で被害を受けているということでもあった。


 彼らがぐるりと円をかいた中央にある顔ぶれは、町の顔役を務める面々。このあいだの話し合いで顔を見た連中が神妙な顔つきで揃っている。


「皆さん。お忙しいところありがとうございます。今日は、皆さんにご報告とお願いがあって集まっていただきました」


 その一同のなか、堂々とした佇まいで立つルクレティアが口を開いた。


「先日の竜の騒ぎから、メジハには多くの来訪者がやって来るようになりました。冒険者、商人。竜殺しの実際を見聞きしたいといって彼方から。そうした人々が訪れることで、メジハは今までになく忙しく、また商うことができました。これには皆さんのご協力があってのこと、祖父に代わって私から改めてお礼を申します――」


 他人に聞かせることに長けた、広場の隅までよく通る声。


「しかし、人が集まることは同時に別のものも呼び込みます。ここ最近、町に見知らぬ顔ぶれが増え、不安な思いをお持ちだった方々もいらっしゃるはず。そして、実際にそれが起こってしまいました」


 ざわりと民衆が波打った。


「町に紛れる不審な影。我々の安全を脅かす存在に対する警戒の必要性は、先日の寄り合いで話し合ったばかりでした。そしてその直後に起こってしまったのです。被害にあったのは、我々がもっとも大事にしなければならない麦でした」


 ルクレティアが髪を振る。やや大げさな態度は観衆へ向けた芝居なのだろう。


「親と子と家畜たちを生かす大地の恵み。それを守るための万全の対策に欠け、被害をだしてしまった責任は私にもあります。然るべき責をとらせていただくことは当然として、しかしその前に皆さんには決めてもらわれなければなりません。犯人の、処遇について」


 人々の輪が割れて、そこから一人の少女が連れてこられる。


 汚れた軽装に身を包んだ小柄な相手は両手を鎖に繋がれ、目隠しをされていた。念入りな魔力封じがされているらしく、少し衰弱した様子で歩いてくる。

 鎖の一方を持った男が乱暴に突き飛ばし、転びかけたタイリンの腕をルクレティアが支えた。


「……法とは町のものであり、罰とはそこに生きる人が決めるもの。我々がこの少女にどのような扱いで報いるべきか、皆さんの意見を聞かせてください」


 目隠しが外された。

 自分の周囲にいる大勢の姿にぎょっと身をすくめ、タイリンが怯えるように後ずさる。


 はじめ、広場に集まった人々は連れられてきた相手がまだ子どもだと知って、戸惑っている様子だった。


 メジハの住人は排他的であっても、決して悪人ではない。

 善良な、普通の素朴な人たちだ。


 だけど集団というのは個人の良識や戸惑いなんか簡単に吹き飛ばす。


「ッ! うううっ!」


 俺の姿を見つけたタイリンが暴れた。飛び掛ろうとするのを鎖にはばまれ、魔力を練ることもできず唸り声をあげる。


「うう! うーっ!」


 鎖を噛み、暴れ狂う様子を見た町の誰かがいった。


「……まるで獣じゃないか」


 一つの呟きをきっかけに、囁きが伝播していく。


「言葉もしゃべれないのかよ」

「なんだ、あの凶暴なガキは。あれで俺らの麦を食い散らかそうとでもしてたのか」

「恐ろしいね。あんなのが町のなかに潜んでたなんて――」


 そこにあるのは呆れや恐れ。怒り、蔑み。

 偏見という名の不理解。


 町の人々の眼差しは、まさしく“魔物”を見るそれだった。


「かまうことねえ、獣が相手でも罰は罰だ。自分のやったことの責任はとってもらわねえとな」

「だがどうする。あれじゃあ、自分のやったことの反省なんて出来そうにもないじゃないか。鞭叩きや、腕一本落としたところで、恨みを買うことになりやしないか」

「だったらくびり殺しちまえばいい。手負いの獣はやっかいだ、そのほうが後の心配がない」

「――じゃ、ない……」


 俺の隣でカーラがつぶやいた。

 顔をうつむかせ、悔しそうに繰り返す。


「……獣じゃあ、ないのに――」


 それまでいったいどうやればタイリンの処遇を少しでも穏便にすませられるか、ない頭を必死に考えさせていた俺は、その声を聞いて心を決めた。


 歩き出す。

 広場の中央、俺を睨みつけて唸り続けるタイリンの横までいって、その隣に立つ。


 ルクレティアの冷ややかな視線がこちらをみすえている。

 それを無視するようにして、円をつくってこちらを見る人々の無数の視線を直視して。


 息が潰れた。


 針のような悪意の固まりが四方八方から全身に突き刺さる。

 視線はそのまま俺の身体を縫い合わしてその場に繋ぎとめ、もうここから一歩も動けそうになかった。


 膝が震える。

 手に汗をかき、背筋をつたってぞくりとする。


 衆人のなかに立つなんてそれだけで卒倒しそうだっていうのに、しかもその眼差しは悪意に満ちて、集団という暴力性をあらわしていた。


 ――怖い。帰りたい。


 こんな恐ろしい連中の前になんて、一秒だって立っていたくない。

 早く帰って安心したい。

 暗くて温かい。あの洞窟へ。


 暗い暗い奥底から誰かがこちらに手招きしている。

 それにすがってしまわないよう目をつぶって、


「……この相手は」


 唇を噛みつぶして己を奮い立たせ、搾り出した声は、情けないくらいにガチガチに震えていた。


「見てのとおり……俺に向かって、敵意を持っています。このあいだの戦闘も、それが原因です。つまり、この子は町の麦を狙ったわけじゃなくて」


 痺れたように呂律がまわらない舌をなんとか動かして、


「だから。町の麦穂が駄目になった責任は、俺にもあって。いや、俺にこそあるんであって。ようするに――すみません、でした」


 タイリンを救う妙手なんて浮かばない。

 こんな短時間ですぐに名案を思いつけるほど頭もよろしくないなら、どうする?


 諦めるのか。違う。じゃあどうする。


 簡単な話だ。


 元々、麦穂を痛めたのはスラ子の魔法で、そのスラ子は俺を護るためにそうやった。

 だったら、タイリンをどうやって救おうとかじゃなくて。俺は、自分でやったことの責任をとればいいだけじゃないか。


 ……痛いのは嫌だ。

 指を折られたり、腕を落とされたりするのも嫌だ。冗談じゃない。


 でも、誰かが傷つくのも嫌で、自分が傷つくのも嫌なんていうのは――たしかに都合がよすぎるだろう。


 頭をさげる。

 そんなもん誰にだってできる。


 必要なのは、自分のやったことの責任をとることだ。

 俺が我がままでタイリンを救いたいというのなら、これがその責任の取り方だ。


「……誰だありゃ」

「あれだよ。町の外に昔から住んでる――」


 戸惑いが、すぐに悪意へと再び渦を巻きはじめる。束ねられた集団意識が流れを決める前に、頭をさげたそばに誰かが立った。


「……ボクも。一緒にいて、麦に被害がでるのを止められませんでした。――ごめんなさい」


 カーラが並んで頭をさげてくれている。


 涙がでそうになった。

 自分一人じゃないということはどんな時にもありがたい。


 けれど、それはあくまで俺の心情の話であって、町の人々にとってはまったく関係ないことだった。


「――なにがごめんなさいだ!」


 カーラが加わったことで怒りに火をそそがれたように、誰かが怒鳴り声をあげた。


「謝ればすむと思ってるのか!」

「そうだ! 麦がなければ俺たちは生きていけん! どうしてくれる!」

「畑も耕さんやつに、俺らの苦労がわかるか!」


 誰かがいった。


「所詮は、魔物まじりだ……!」


 はっきりと憎悪を込めた怨嗟の声。

 その言葉は俺の隣で頭をさげるカーラに向けられていて、けれど同時にいわれているのは俺もおなじだった。


 カーラが魔物まじりなら、俺は魔物そのものだ。

 魔物。そう人間から名づけられた、人間社会の爪弾き。


 けれど、そのなかで懸命に打ち解けてもらおうと努力していたカーラより、俺はもっと性質が悪い。“魔物”という響きに頼って、今まで町と関わってこようとしてこなかったのだから。


 町の人々から信頼を得られていないのは俺が魔物だからなんかじゃない。

 俺が、なにもやってこなかったからだ。


 だから俺が今こうして非難を浴びるのは当然のことで、けれど腹のなかになにかが生まれる。


 相手からの正論を聞いて起こる反発心。

 カーラにまでそんなことをいうなと、誰かのせいを気取った腹立ち。

 お前らなんか、と怒鳴りつけたくなる衝動。


 身勝手で凶暴な感情が身体のなかでふつふつと湧き上がって、



 ――やってしまいましょう。



 その声は、水の底から。土の中から。閉じたまぶたの裏側から。

 俺のなかに染み入るように、聞こえてきた。



 ――この場にいる全員、ことごとく食べてしまいましょう。そのあとに全部、作りなおしてしまえばいい。従順で、忠誠を誓う木偶。あなたの意のままに動く手足に変えてあげればいいんです。



 それは、ぞっとするほど優しい口調だった。

 まるで子どもをあやすように、ゆったりと。なにもかも心配いらないんだよと囁きかけるような。



 ――あなたにならそれができます。私になら、それができます。



 だまってろ。



 脳裏に囁く誘惑を、強引にねじ伏せた。


 誰もそんなこと望んでない。

 今まで俺が、洞窟に引きこもってなにもやってこなかった結果がこれなら――俺がなにかを始めるのもここからだ。



 だから。――お前は、手を出すな。



 脳裏の声がやんだ。


 その一方で、町の人間たちの怒号は次第に声量を増し、呼応してさらに大きくうなりをあげていき、


「――おい、ちょっと待ちな」


 かかった声はまったく知らない誰かのものだった。


 顔をあげる。

 発言者はやっぱり見たこともない相手だ。いかにも冒険者らしく生やした無精ひげを撫でた男が、しかめ面で周囲を見回している。


「さっきから聞いてるとよぉ。そこにいる二人、町の麦が駄目になった原因をつくったってことらしいんだが――守れなかったって意味なら、そいつらだけの責任じゃない気がするんだがな。あの日、夜警にでてたのはもっといるぜ?」


 男は凄みのある眼差しで、


「つまりだ。あんたらは、俺達ギルド員全体に責任があるっていいたいわけか? そういうふうにしか聞こえねえんだが」


 剣呑な気配に一瞬、町の人々が気圧されるようにたじろいて、すぐに誰かがいいかえした。


「そうだ! そのとおりだ! お前らが無能だからこんなことになる!」

「なにいってやがる。お前らだって巡回してたじゃねえか」


 別の冒険者らしい誰かがすかさず皮肉った。


「それもお前たちが無能だからだろう! 金を払ってるんだから、せめてもらった金の分くらいまともに働いてみせたらどうだ、この穀潰しども!」

「あんだとぉ……」


 集団のなかでにらみ合い、あちらこちらで怒鳴り声があがる。


 突然の場外乱闘。

 俺はすぐに事態の不味さに気づいた。


 町の人間と麦穂を駄目にした犯人、という構図から、いつの間にか町とギルドの争いにシフトしてしまっている。

 余所者や外れ者の集まりでしかないギルドは、町にとって自衛に必要だが、決して信用できる相手ではない。


 あくまで金を媒介しただけの利害関係。

 メジハもその例にもれず、両者の関係はよくなかった。このまま騒ぎが大きくなれば暴動だって起こりかねない。


 俺はルクレティアを見る。


 ――我が目を疑った。


 金髪の令嬢は、戸惑う様子を見せる他の顔役連中と違って、一人、平然とその場の状況を見守っていた。


「ふざけんな! 俺達がいつもどんな思いで働いてると思ってやがる!」

「昼間っから酒場にいりびたってるような連中がなにを偉そうに!」

「てめえらが作ったクソ不味い酒をわざわざ金をはらって消費してやってんだ、ありがたく思え!」

「誰がお前たちなんかに飲ませるために作ってる! ろくに畑仕事もできん連中が――」

「だったら手前らが魔物を倒してみろよ! 先月からこっち、俺らがどれだけ町や森におかしなやつがいないか、見回りをしてたと思ってんだ!」

「お前らみたいなのがいるほうが、よっぽど治安が心配だろうが!」


 罵りあいが加熱していく。


 タイリンや俺たちのことなんて忘れてしまったかのような白熱ぶりに、俺はどうしたものかともう一度ルクレティアを仰ぎ見て、やっぱり動じていない様子に顔をしかめて。不意に気づいた。


 聴衆の騒ぎを前に、あまりに冷静すぎるその理由。


 こいつ。ルクレティアのこの態度は――


「お静かに」


 場が十分に沸騰するのを待っていたようなタイミングで、ルクレティアは口を開いた。


 決して大きくはない声量。けれどどんな罵声よりも耳に届く清涼な響きに、罵詈雑言の嵐を巻き起こしていた連中が口をつぐむ。

 その場にいる全員が静まるのを待ってから、令嬢が続ける。


「異なる立場同士でお互いを罵り合っても仕方がありません。畑を耕す人がいなくて麦ができますか。畑を護る人がいなくて麦が守れますか。責めるなら互いの存在ではなく、その在り方にすべきでしょう」 


 無言でにらみ合う町人を等分に、


「今まではよかったのです。メジハは小さな町でした。他の街からも遠く、たまに訪れる行商に外の物資を頼って細々と自給自足していました。しかし状況が変わったのです。竜殺しの舞台としてメジハは知られ、そして状況が変わればメジハもまた変わる必要があります」


 抽象的な物言いに人々が顔をしかめる。


「変わるったって。いったいどういうふうにですかい、ルクレティア様」

「たとえば。私達はもう、畑仕事などしなくてよいかもしれません」 


 その発言に大きなざわめきが生まれた。


「竜を用いた商いは領主様から控えるようにお達しがありましたが、それでも竜に関わろうとする人々はこれからもメジハにやってくるでしょう。彼らを相手とする商いで、私達は生活していけるかもしれません。もう日々を土にまみれて生きていく必要はないのです」


 誰だって、毎日しんどい思いをしたくはない。

 もう畑仕事なんてしなくていいといわれたら、誰だってそちらになびいてしまうだろう。


 町の人々がそうした反応を起こす前に、ルクレティアは続けた。


「しかし、それは領主様のお怒りをかうかもしれません。そうでなくとも、竜を扱う商いには重い税がかかるでしょうから、以前より厳しい生活になる可能性もあります。またそれ以外に、もっと大きな問題が残っています」


 人差し指を空に掲げて、


「竜です」


 ああ、と絶望的なうめき声が人々からあがった。


「メジハは竜の麓にある町。我々が度を越した行いにでれば、山頂の黄金竜はすぐにでも町を踏み潰してしまうでしょう。我々は竜に生かされているのではありません。無関心ゆえに放置されているだけなのです。これ以上竜殺しを喧伝すれば、それが竜の勘気をこうむる恐れは十二分にあります」

「そんなのは御免だ!」


 悲鳴のような声。

 ルクレティアはそちらに頷いて、


「それを恐れるならば、やはり私達はこれからも麦を育てていかなければならないでしょう。そして、外からやってくる不届き者が竜の怒りを招かないよう警戒しなくてはなりません」


 ルクレティアの発言には今さら驚かなかった。

 それらはすべて俺が前に聞かされていた内容だったからだ。


 驚いたのは、それを今この場で大勢に説いている行為そのものにある。


 ルクレティアは、民意を作り出そうとしていた。

 いや、それどころか決めようとしているのだ。メジハという町の在り方、今後将来どのようにするべきかを、今この場で。


 その主導権は自然とルクレティアが握って、顔役たちがそれを疎ましく思っていなくとも、一度話が始まってしまえば邪魔はできない。あるいは茶々をいれるタイミングをはかっているのだろうが、ルクレティアのほうもそれこそを待ち望んでいるのかもしれなかった。


 ともかく、顔役たちが躊躇しているうちにルクレティアはさらに話を続ける。


「そのために先日のようなことがあってはなりません。ギルドに所属する人員の錬度は一層の向上を心がける必要があります」

「そうだ! ギルドの奴らの不手際で麦が駄目になったのは事実じゃないか!」


 流れかけた話題を戻そうと町の誰かが吠える。


「はい。そして私は申し上げました。責任はとりますと」


 ルクレティアはあっさりと、


「――痛んだ麦は全て、買い取らせていただきます」


 一瞬の沈黙。

 町人のあいだから、今日一番の動揺が生まれた。


「もちろん、町の貯蓄金を使ってなどということではありません。麦を買い取ってもよいという方がいらっしゃるのです。そちらにいる――バーデンゲン商会のディルク・スウェッダさんです」


 広場の隅で他人事の表情で事態を見守っていた優男風の若者が、紹介を受けて驚いたように目を丸くしている。

 ルクレティアに招かれて中央に立った相手は、いきなりのことに照れた表情を浮かべつつ、


「ああ、これはこれは。いきなりのご紹介に驚いてしまいました。どうも皆さん、少し前から泊まらせていただいています、ディルクと申します」

「本当に。本当に、麦を買い取ってくれるのかい」


 問いかけに、男は商売用の完璧な仕草でうなずいた。


「はい、そのようにミス・イミテーゼルとお話をさせていただいております」

「だが、いったいどうして……」

「皆さんのご懸念はわかります」


 突然の舞台にたたされた男。

 しかしその人物は、如才ない笑みを浮かべて与えられた役劇をこなしてみせる。


「収獲直前に振られた麦は発芽してしまい、栄養がなくなる。収穫量も減り、売り物にならなくなってしまうことさえ。しかし私が見立てたところ、こちらの麦はまったく売り物にならないほどではありません。買取は十分に可能だと判断いたしました」

「値段は。値段はどうなるんだ! どうせ安く買い叩くつもりなんだろう!」

「もちろん、あえて高価で買取をというわけには参りませんが、昨年の内額には決して劣らないものでお応えできるかと思います」


 自信に満ちた表情。

 信じられない、といった顔で沈黙する町の人々にルクレティアからの補足がはいる。


「今までメジハにやってくる行商の方々は取り扱える量も多くなく、行き来するだけで往復の危険性もある。他の町と離れたメジハの土地柄もあり、そして麦はいたるところで栽培されています。危険を圧してわざわざメジハから買わなくともよい。自然と買い値は低く落ち着いてしまいます」

「そして私はそれを正当に近い値段で買い取らせていただこうというだけです。むろん、痛んだ分を安く見積もらせていただくことにはなりますが」

「……だが、わざわざ高く買い付けようってことには変わらないだろう。それこそ、他から買えばいい話じゃあないのか」


 まだ疑い半分の声が重ねて訊ねた。


「はい。しかし私は、こちらの町と今回限りのお付き合いを望んでいるわけではありません」


 しかめ面で黙り込んでいた顔役の一人があごをなでながら首をかしげた。


「つまり、これから長く付き合ってこうってことかい?」

「私どもバーデンゲン商会はギーツを拠点とした商会です。商いの規模を広げるため、末永くお付き合いできる取引先を探しておりました。これを機によい関係ができればと思っております」


 おお、と町の人間たちから声があがる。


「ディルクさんにはそればかりでなく、新しい農具や今までと異なる種類の麦苗など、これまで他方で麦取引を扱ってきた経験を生かしてご協力いただこうと思います。より多くの穂が実り、皆さんの生活が楽になるように」


 ルクレティアと商人は、先日の密談のなかで語られた話についてまったく明かすことはなかった。

 だが、そんなことには町の人々は気づかない。


 賛同の拍手が沸いた。


 町の連中からの支持をとりつけたルクレティアが、そこで初めて顔役たちを見る。

 顔役たちは一様に渋い表情だった。


 若いルクレティアに主導権をとられていることが面白いはずがないが、麦の買取りを喜ぶ町の人々の手前、それらしい理由がなければ表立って反対もできない。


 聴衆の前という開かれた環境を利用して、ルクレティアは顔役たちを通さず一気に自分の考えを町全体に浸透させてしまったのだ。


「また、ギルドについては現在、私が祖父から任されております。今後よりよい在り方についてこれから改善していくよう努めますので、どうぞ皆様にもご協力と、ご理解をいただけたら嬉しく思います」


 先ほどまでの激昂も忘れ、住民から不平や不満の声はなかった。


 麦が売れて一安心。というだけではないだろう。

 彼らの態度は、町に商取引を持ちかけてきたバーデンゲン商会、それが今後もたらす将来への期待。それらをまとめあげたルクレティアに対する、町の人間からの信任の証だった。


 言い合いの一方をつとめた冒険者連中は町の人間の豹変ぶりに呆れかえっていたが、わざわざ改めてケンカをふっかける気配でもない。不満そうに、自分たちの上役でもあるルクレティアの言葉に沈黙していた。


「失礼。話題がずれてしまいましたわね。話を戻して、先ほどの件ですが――」


 ルクレティアが続ける。


「麦穂を痛めた原因はこの少女、そして私からの指図で夜警に出た二人。あるいは他のギルド員、そして町の巡回に出られた方々にまで。罪は等しく分けられるべきとして、その全員に罪を問うというのはさすがに行き過ぎだと思われます」


 この集会の本題をまるでさまつなことを話しているような口振り。


 町の人々が顔を見合わせる。

 彼らの表情は今さらそんな話かといいたげで。そう思わせたのが、ルクレティアだった。


「いかがでしょう。町の方々やギルド員にはそれぞれの職分で励んでいただく。こちらの少女には、相応の労働報酬であがなってもらうという形ではどうでしょうか」


 反対の声は、やはりあがらなかった。



 タイリンの処遇がきまったそのあっけなさに、俺は声もなかった。

 怒り狂っていた町の連中がまるで文句のない様子でいることもだが、なによりそこまで話をもっていったルクレティアの仕業に呆れた。


 問題を拡大し、関わる人々を増やすことで責任をあいまいにしたうえで、そこにまったく別口からの解決方法で相手の賛同を引き出し、そのまま最初の問題までなし崩しに決着させてしまう。


 ――ひどい手管だ。

 まるで真似できない。しようとも思わない。


 というか、俺はなんだったんだ。

 泣きそうになりながら聴衆の前にでたりして馬鹿みたいじゃないか。ただの道化だ。


 だが、悪魔じみた金髪の令嬢のはかりごとはそれだけでは終わらなかった。


 広間での話し合いが終わったあと、顔役連中は講堂に移っていた。

 そこで口を開いた彼らの意見は当然のようにルクレティアへの非難に集中して、


「いったいどういうことだ、ルクレティア。あんな重要な話を寄り合いも通さずに!」

「申し訳ありませんでした。町の人々を落ち着かせるために、どうしても必要だと思いましたので」


 小さな町の顔役にだって面子はある。それをないがしろにされて不満顔を見せる連中に、ルクレティアは殊勝な仕草で頭をさげた。


「……それはまあ、わかるが。しかしどうなんだ。さっきの話は」

「信用できるのか。商人なんていうのは舌先三寸でなんとでもいう連中だぞ」


 当の商人がその場にいるのも気にもかけず、彼らは不審を口にした。

 若い男の商人が苦笑を浮かべる。


 閉鎖的な町の在り方を代表する顔役連中は、慎重で抜け目がない。

 ルクレティアが町政の舵をにぎることを良く思っていない連中もいる。自分が成り代わろうという積極的な野心だけでなく、ただ従うのが気に食わないというだけの相手も。


 そうした姿の見えない敵を前にして、


「もちろん、バーデンゲン商会との話し合いの推移や、商談の内容については取り決め前に皆様にご相談いたします。私はまだ若輩の身ですので、至らないところはぜひ指摘していただければと思います」


 ルクレティアはしおらしく答えた。

 相手の面子をたてた台詞。その言葉を、自分達がこれから蚊帳の外におかれるわけではないという意味にとった顔役たちは、それで多少は溜飲をさげたらしい。


「まあ、気をつけてくれればいいんだがよぉ……」

「俺達も、この話自体はいい話と思うからな」

「だがどうする。これまでだってつきあいのある商人がいないわけじゃない」

「かまわんよ。高く買ってくれるほうに売るのは当然だろう――」


 途端にそれぞれ勝手な皮算用をはじめる。

 町が豊かになれば、彼らの生活にも直結する。顔役ともなればそれ以上だ。


 わかりやすい反応を見せる人々にルクレティアが微笑んだ。


「ええ。ですからさっそく、皆さんに見ていただきたいものがあります」


 扉が開き、誰かが連れられてくる。

 その引きずられるようにしてやってくる相手の姿に、その場にいた何人かの顔が強張った。


 目隠しをされていたタイリンと違い、頭に布袋を被せられている。しかし体格から若い男だとわかるその人物が誰か、服装への見覚えから思い至った。


 ルクレティアの家の地下にとらわれていた男だ。

 たしか――ブラクト・スウェッダ。


 もう一人、その姓を名乗っていた相手がいることを思い出してそちらを見ると、それまで笑みをたたえていた男がはじめて、その表情を硬いものにしていた。


 笑みをかたどったまま、眼差しの奥でするどくルクレティアを見ている。

 ルクレティアはそれにいつものように超然と対していた。


 顔役の一人が硬い声で訊ねる。


「……ルクレティア、その男は?」

「先日捕らえた賊ですわ。町に不審な輩がまぎれていることは前にお話した通り、その一人ということですが――」


 ルクレティアはそこで一拍を置いて、


「どうも、この相手は町の誰かと関わりがあるようなのです」


 部屋の空気がはっきりと凍った。

 それを肌に感じていないわけもなく、ルクレティアは口元に冷ややかな笑みを浮かべている。


 さっきまでの殊勝さなんてどこへやらだ。

 ルクレティアは、明らかにその場にいる全員を挑発していた。


「ぜひ皆様と意見を共にして、この人物の対処を決めさせていただけませんかしら」


 顔役たちが表情を強張らせる理由が俺には理解できた。


 連中のなかに、密偵をつかってルクレティアを探らせていた相手がいるのは間違いない。

 顔が隠されていても、放った当人にはそれが誰かくらいわかるだろう。


 そして、実際にこの男を放った相手でなくとも、それぞれ冒険者を自宅に抱えたり、外との接触をはかっていたりという行動をとっていたはずだ。

 ここにいる全員、恐らくやましいところのない相手はいない。


 ルクレティアはそれをわかったうえで、犯人の晒し上げようとしていた。顔役たちが求めてきた、“物事を進めるなら自分たちにも了解をとれ”という言葉を盾に。


「殺せばいい」


 顔役の一人がいった。

 その顔色が悪く見えるのは、密偵を放った本人だからか、自分もすねに傷を持っているが故に誰かをかばっているのか。それとも単純な顔役同士の仲間意識なのか。


 きっとルクレティアには相手がそのどれでもいいはずだ。

 だから、わざとらしく眉をひそめて、


「しかし、先ほどの少女は労働で罪をあがなうということになりました。この相手も密偵とはいえ、殺すというのは少々過激すぎるのではありませんか? もっと軽い刑罰でも」

「そんな必要ない」


 他の顔役がいった。


「町を混乱させようとしていた輩なんだろう。そんなものはさっさと殺してしまえばいい話だ」

「ですが、その前にせめて相手の詳細や背景などは確認しておきませんと」

「こんな連中がなにをいおうと信用できるか。嘘を並べ立てるに決まってる!」


 顔役連中は一丸となって、頑なに処刑を求めてくる。


 彼らの台詞は露骨だった。

 自分たちの腹を探られたくないから、強引に口封じをしてしまおうという。


 保身。ただそれだけだ。


 ルクレティアがそれを追求するのは容易い。

 だが、ルクレティアにとってはそんなことよりもっと価値があることがある。


 この密偵の犯人を特定したところで、それでルクレティアが葬り去れるのはたった一人。当然、残った顔役たちからはいい顔をされないだろう。


 だが、ここでルクレティアが彼らの言い分を呑めば、それは顔役たちに貸しをつくったことになる。


 ルクレティアは“目に見える敵”を倒すことではなく、“目に見えない敵”を押さえつけることを選ぶだろう――


「なるほど。それでは皆様は、私にこのまま密偵を処断してしまえというのですね? まだなんの話も聞けていない段階で、今すぐに」


 恩着せがましい確認に、顔役連中は渋面でなにも返せない。


 相手に妥協させるのではなく、妥協してもらうしかないという立場を彼らは理解している。

 それは同時に、ルクレティアと顔役たちの力関係に大勢がついたことを意味していた。


「けっこう。皆様がそうとまでおっしゃるのでしたら、私もそちらに従おうと思いますが――」


 町の話はすんだ。

 しかし、この密偵が関わっているのは町の人間だけではない。


 ルクレティアはほとんど冷然とした一瞥を顔役たちに残して、残る最後の人物へと視線を移した。


「ディルクさん。貴方はどうお思いになりますか?」

「……さあ、どうでしょうか。それを私に訊ねられても困ってしまいます」


 問いかけられた商人は、強張った笑顔をぎこちなく動かした。


「ただ、すぐに殺すというのはたしかに少々乱暴な気がいたしますが……」


 余計なことをいうなと顔役たちが睨みつける。

 無言の圧力を受けた商人が言葉をとぎらせ、自嘲気味に唇を歪めた。


 ここで目の前の男の助命を願えば、顔役達からは余計なことをしてくれたと恨まれることになる。

 ディルクが持ちかけた町との商売は上手くいかないだろう。商いというのはまずお互いの信頼関係があってのものだからだ。


 よしんばバーデンゲン商会とメジハの商談が上手くいったとしても。その取引をまとめる商人は間違いなく、ディルクではない。


 だが、ディルクとこの密偵はどちらもスウェッダという同姓を名乗っている。

 同じ血筋か、少なくとも縁のあるもの。


 もちろんただのでたらめということもある。ルクレティアとの交渉を有利にすすめるために、密偵の存在を上手く使っただけかもしれない。


 しかし、ディルクと密偵との関係性がどうであろうと、メジハとの商談をすすめるためにはディルクはこの相手を見捨てるしかない。


 ルクレティアは、顔役連中に続いて今度は目の前の商人に選択を突きつけていた。


 商談か目の前の男か。

 商人としての成功か、人間としての情をとるのか。


 ――本当に、悪魔みたいな女だ。


 ルクレティアと顔役連中の双方に射すくめられ、せめぎあう自身の葛藤に商人は苦渋に顔をゆがめる。

 その結末は意外な形でついた。


「うわああああああ!」


 それまで沈黙していた男が突然、頭から布袋をかぶされたまま絶叫をあげた。


 壁に向かって走り出す。

 頭からぶつかってひっくり返り、そのままぴくりとも動かない。


 あわてて近くの人間が駆け寄った。

 布袋を外すと、男の頭からは大量の出血が流れている。


 男が自らで始末をつけたことで、その場の話は終わった。


 

「ひどい方ですね、貴女は」


 顔役たちが去ったあとの講堂で、物言わぬ躯となった男をディルクが見おろしている。


「はじめから、私まで試すつもりだったのですか」

「これから取引をしようという相手の本性を知りたいと思うのは当然でしょう」


 悪びれもせずにルクレティアがいう。

 商人は顔いっぱいの苦笑を浮かべた。頭を振る。


「そうですね。……私のほうこそ、貴女という人柄をもう少し知っておくべきでした。貴方が捕虜という手札をここで切るとは思いませんでした。そこまで考えが至らなかった、我が身の甘さを後悔するばかりです」

「そちらの方とはどのようなご関係だったのですか?」

「兄です」


 男は答えた。

 それを聞いても眉一つ動かさないルクレティアに、男が笑う。


「驚かれないのですね」

「商人の方の言葉は信用できません」


 ルクレティアはいって、けれどもと続ける。


「手のひらを見せていただけますか」


 若い商人はいわれたとおりに手のひらを広げて見せた。

 中央に赤いものがにじんでいる。それは倒れている男の流した血ではなかった。


「それほど強くにぎりこんで、表情にはなにひとつ出すことがなかったのは大したものだと思います」

「信用していただけた、と理解してよろしいのでしょうか」


 皮肉げに唇を歪める男に、ルクレティアは小首をかしげた。


「商人としての力量は。しかし、往々にして商人としての力量と、個人としての信用は両立しえないものでしょう――」

「……とんだ皮肉をおっしゃるものだ」


 さすがに我慢できないというように、ディルクの言葉に怒気がこもった。


「信用の証を示すために身内を見殺しにさせ、いざそうしたらその行為をもって信用ができないとおっしゃるのでは、はじめから答えなどないのではありませんか」

「それは私の問題ではありません。あなたにこそ問いかけられるべき問答です。貴方は身内を殺した人間と、なんの確執もなく商売をおこなえるのですか?」

「私は商人です。それが商いの場である限り、どのような相手にでも仁義は通します」


 男はきっぱりと断言した。

 そして暗い炎を宿した眼差しで、ルクレティアをねめつけた。


「しかし、私個人として貴女を許すことはできないでしょう。これから先、なにがあったとしても」

「――けっこう。それを聞いて安心しました」


 ルクレティアが頷いた。


 合図。それを待っていたように扉が開く。


 そこから現れたのは一人の男だった。

 無精ひげ。ぼろぼろの格好。


 ブラクト・スウェッダとかいう、つい先ほど“死んだはず”の男。


 ああ――と、今さらながらに目の前の茶番のすべてを理解して、俺は脱力してその場に崩れ落ちかけた。

 それを、背後から見えない誰かに支えられる。


「ふふー。マスター、びっくりしちゃいました?」


 とっておきの悪戯を披露したような小声の囁きに、わざとらしく驚いてやる元気もなく、床を見る。


 そこにあったはずの死体がない。

 血も、服装も、なにもかもが忽然と消えてしまっている。


 魔法や幻覚じゃない。

 これは、もっと性質が悪いものだった。


 俺とおなじように絶句している若い商人に、連れられてきた男が照れくさそうに声をかけた。


「よう、ディルク。元気だったか」

「兄さん。これは、しかし――」


 ほとんど放心状態で事態の説明を求める。

 それを見るルクレティアはいつもの冷ややかな美貌を崩さず、口元に小さな笑みを浮かべていた。


「私がどういう人間か、ご理解していただけましたかしら」


 若い商人に返答する余裕がなかったようだから、かわりに俺が答えておいた。


「……ひどい女だ。ひどすぎる」

「失礼な」


 ルクレティアが心外そうに顔をしかめるが、そんな表情をされるこっちのほうが心外だった。


「こういうことになってるんなら、最初っから教えといてくれればよかっただろ!」


 なにが、俺にタイリンを救いたいのなら勝手にしろ――だ。

 なにがスラ子がタイリンの身代わりをするのは甘すぎる、だ。


 たしかにそうだ。

 字面だけなら、ルクレティアは嘘なんかついていない。


 あいつはタイリンを救うのにスラ子を使わず、自分の弁舌だけで町の人間たちをあれよあれよと説得してしまった。


 そして、地下に捕まえていた賊を使って顔役たちを脅し、今後の力関係をはっきりとさせておくと同時、その賊を処刑する振りをして商人ディルクの能力と、信用がおける相手がどうかまで試した。


 始めからルクレティアは決めていたのだ。

 こうすることを。こうなることを。


 それを、わざわざこちらに隠しておく理由がなにがある?


 俺の恨みがましい目つきを受けた金髪の令嬢は、いっそ傲然とした態度で言い放った。


「そんなもの、嫌がらせに決まっているでしょう」


 ――身も蓋もないとはこのことだ。


 ◇


 空は晴れやかな秋晴れが高く、掃いたような雲が段々になって流れている。

 乾燥した空気がかいた汗をすぐにさらっていって、あとには心地の良さだけが残った――わけではなかった。


 ……腰が痛い。


 いくら天気が清々しくたって慣れない畑仕事が辛くないはずもなく、俺は手に持った鍬を放り出した。まだそこら中に大小さまざまな石ころが転がった土の上に、腰を降ろして座り込む。


「もう音をあげるのですか?」


 頭上から響いた冷ややかな声に顔をあげると、声に劣らず冷め切った眼差しが見おろしていた。


「帰れ、まだ冬が来るには早いぞ。北風の女王」

「貴方様の人生に冬以外の季節があったとは驚きです。さぞ冬のほうからも鬱陶しがられているでしょうね」


 ひでえ。


「見張りか? ちょっと休んでただけだ、サボってなんかない」

「作業の様子を見に来ただけです。別にご主人様を見に来たわけではありません」


 だったら放っておいて欲しいと心から思った。


 俺や、多くの人間が農具を振るっているのはメジハの外れに広がる荒地だ。

 妖精の森や俺達の洞窟がある方とは反対の方角。


 川から遠く、今まで使われていなかった場所を掘り返しているのは、もちろん新しい農作地として利用しようというからだが、本格的な冬が来るまでに開拓を終えるのはさすがに今からでは間に合わない。

 いくら牛犂やその他の農具を使い、あるいはそれ以上の力を使ってもだ。


「私にいってもらえたら、このあたり一帯を畑に変えるくらいやりますのにー」


 地中からひょっこり姿をあらわしたスラ子が不満そうにいう。


「それじゃあ罰にならないだろ。俺にもカーラにも、タイリンにも」


 先日あった広場での集会で、タイリンには労働報酬を対価とすることが決まった。


 しかし、メジハの麦は収獲が終わったばかりで、冬蒔きが始まるまでしばらく畑は休まされることになる。

 その代わりにとあてがわれたのが新しい農作地の開墾だった。


 竜騒ぎで得られた収入とバーデンゲン商会との提携で、メジハはこれから大きく変わっていく。


 その第一歩として決まった農作地の拡張に、メジハの町の人間やギルドのメンバーなどが取り掛かっている。

 それに参加しているカーラやタイリンは、今は俺から遠く離れたところで作業に励んでいた。彼女たちと一緒にスケルもいる。


「スラ子さんには、水流や土壌の具合を見ていただけるだけで十分です。あまりにあからさまなことをしてしまうと、おかしな風に思われてしまうかもしれません」


 むう、と唇をとがらせたスラ子がぺしんぺしんと地面をたたく。


「人の目を気にしないといけないなんて、面倒ですねえ」

「そう思うなら出てくるなよ」

「姿は消してるので問題ありませんっ」


 半透明の頭を土のなかに引っ込めようと押し込むと、違うところからひょっこり頭をだしてくる。


「生首でモグラみたいなことするな、気持ち悪!」

「ふふー。土のなかに引きずり込んでさしあげましょう」

「なにをやっているのですか。……スラ子さん、地下水の流れのほうはどうですか?」

「粘土層をずらしたので大丈夫だと思いますよ? 念のためにもう一回見てきましょうか」


 スラ子が地中に消える。

 俺はため息をついた。それを見る冷ややかな視線に気づいて、


「なんだよ」

「なんでもありません」


 ふんと鼻息を吹く。

 仲良さそうに農具を振るっているカーラとスケル、タイリンを遠くに眺めたルクレティアが、話題を変えた。


「あの暗殺者の小娘は、洞窟でお飼いにならなくてよろしいのですか」

「飼うってなんだ。……日当たり最悪の洞窟なんて、子どもが住んでいい環境じゃないだろ。それに、俺はああだしな」


 タイリンは今、ルクレティアの家で世話をしてもらっていた。

 刷り込みで俺のことを暗殺対象と捉えているのはそのままで、そんな状況で一緒に住めるわけがなかったし、監視の必要もある。


 俺以外の相手とは決して話せないわけじゃあないようだから、少しずつ町での生活に慣れてくれればいいのだが――


「悪いな。結局、お前に世話になってる」

「それはかまいませんが。ご主人様が町にお住みになるという選択肢もあるのではありませんか」

「俺が?」


 まさか、と笑い飛ばす。


「俺は魔物だぞ。住処は洞窟だ」


 もう洞窟の奥底に引きこもりはしないと決めた。


 けれど、だからといって俺が住む場所は変わらない。

 スラ子やシィやスケルがいて、地下に蜥蜴族だったり魚人族だったりが住んでいる。あそこが俺の帰る家だ。


「俺が町にいたらタイリンの気が休まらないだろうし、そっちのほうがいいさ」

「……そうですか。ご主人様がそうおっしゃるのなら、それでよろしいのでしょうね」


 しばらく沈黙する。


 俺は数日前のことになった騒動について思い出していた。


 結局、このあいだの件はルクレティアの一人勝ちだった。

 町の顔役たちに貸しをつくって黙らせて、町の人間にはバーデンゲン商会との取引を明かすことでその信任を得た。町での騒動がギルドの改革に手をつけるきっかけにもなって、バーデンゲン商会との繋がりも掴んだ。


 一石二鳥どころじゃない。三鳥か四鳥にもなるだろう。


「あら、一番大事なものを忘れています」

「まだなにかあったか」

「あります。どこかの馬鹿で愚図で馬鹿な主様の尻を蹴り飛ばすことです」


 俺は空を見上げて、それから訊ねた。


「馬鹿って二回いわなかったか?」

「いいましたがなにか?」

「いえ。なんでもありません……」


 そっと視線を外そうとして、その胸倉を思い切り掴まれた。

 ぐいと引っ張られる。細腕に持ち上げられ、冷ややかな激情を灯した眼差しに至近から覗き込まれた。


「ご主人様。私、この間からとても怒っていますの」

「さ、さーせん!」

「は?」

「すいませんでした!」


 あまりに怖いのでとりあえず全力で謝っておく。


「どうして私が怒っているかわかりますか」


 掴んだ手に力がこもって、ほとんど首を絞められているようだった。


「それは、やっぱり……タイリンのことで。危ないことをした、から」

「違います」


 吐き捨てたルクレティアがさらに力を込める。


「貴方が我がままをなさるのはけっこう。少しは傲慢になってくださいといったのは私です。ですがそれでしたら、どうしてこの私に手伝えと、一言、命じることができないのですか」


 一言、一言を噛みしめるようにルクレティアが告げた。

 そのあまりの迫力におびえながら、


「いや。だって――お前のいってることは、間違ってなかったし」


 自分のわがままを、正論をいってる相手に押し付けるのは間違ってるだろう。

 だが、ルクレティアは心の底から不快そうに顔を歪め、


「それで、なんでもお優しいスラ子さんや従順なカーラ、シィさんにスケルさんだけを連れて事を成そうと? そうした行為をなんとおっしゃるか、血の巡りの悪いご主人様に教えてさしあげましょうか。それは侮辱というのです」

「す、すいません……!」


 意識が遠くなる。


 落ちそうになったところをようやく解放され、呼吸が許される。

 げほげほと涙目で咳き込んだ。


「二度とふざけたことをなさらないでください。今度は怒ります」

「たった今、盛大に怒ってたじゃないか……」

「なにかおっしゃいましたか」

「なんでもありません」


 ルクレティアの激怒を見たのははじめてかもしれなかった。かなり怖い。


 それはともかく。

 目元ににじんだ涙をぬぐいながら、俺は一連の台詞を思い返してみた。


「じゃあ、ルクレティア。お前、最初から俺のことを――」


 令嬢が冷笑でこたえた。


「そうです。町の人間の前で、あれだけ堂々と姿を見せたのです。今さら洞窟に引きこもろうなどともう出来ませんでしょう?」


 顔役や町の連中、信用できるかわからない商人を手玉にとっただけじゃなくて。

 タイリンを餌に、俺までひっかけたのか。


 ――この女、やっぱりひどい。極悪人だ。


「なにか?」

「いえ。別に」


 ルクレティアの思惑どおりになったのは腹立たしくあるが。 

 そういう覚悟はあの日、町の連中の前にでていったときにとっくにすませてあった。


 だから俺は今、こうして似合いもしない鍬なんぞを持っている。

 自分に出来ることを一つ一つやっていくためにだ。


「それにしても。ルクレティア、お前こそ――」

「私がなにか?」

「いや。……リリアーヌの婆さんがいってた。お前が町の人間と一緒に畑仕事でもすれば、それだけで住民からの信頼なんて集まるって。わざわざ、このあいだみたいな芝居を打たなくてもよかったんじゃないか?」


 ルクレティアは冷ややかに笑った。


「私の仕事は、彼らと一緒に汗を流すことではありません。彼らに安心して汗を流してもらえるようにすることが、私の役目です」


 どっちが頑固なんだか。

 ため息をつけばまた睨まれてしまいそうで、俺は遠くのカーラたちを眺めた。


 三人は他の集団から離れて作業をしている。


 そこに誰かが声をかけた。

 町の人間? ギルド所属の誰かかもしれないが、どちらでもいいことだ。


 やがて三人が他の集団にまじって作業をはじめる。


 まだ完全に打ち解けあっているわけじゃあない。

 けれどそれは、遠くから眺めていてとても嬉しい光景だった。


 それを眺めながら、ふと俺は考える。


 もしかしたら――このあいだの騒動、広場でギルドの連中と町の連中が口論になったあのことさえもルクレティアが関わっているのかもしれない。


 ギルドと町には溝がある。

 誰かが端を発してしまえば、ついた火は簡単に燃え上がってしまうほどに。


 その一言目を、ルクレティアが誰かにいわせたのだというのは決して見当違いな考えとは思えなかった。


 ギルドに所属する人員の質は決して高くないというのは、ルクレティア自身がいったことだ。

 少し扇動をされたくらいで、すぐにのせられてしまうだろう、と。 


 カーラが、というより俺が町の人間たちの前に出て、もう今度は洞窟にひっこんでおくわけにはいかなくなった時点で、ルクレティアは騒動の収集に動いていたのだ。


 ルクレティアが流れを掌握して自分の思い通りの結果を導き出しただけではなく、その発端さえその手の内にあった。

 決して偶然やその場の勢いでなく、その場にいる全員を手玉にとって――


 思いついたそれらの仮定を本人に確かめる気になれず、かわりに目の前の光景について訊ねてみた。


「……あれもお前の計算どおりか?」

「あんなものが。計算出来るはずがないでしょう」


 ルクレティアがいった。


「あれはただ、カーラがこれまで努力した結果です。そういう人でしょう」

「そうか。……そうだな」


 うなずいて、俺は立ち上がった。


 鍬を持つ。

 とりあえず働こう。俺だって努力しよう。


 負けないように。

 置いていかれないように。


 まだほとんど畑らしく見えない、その荒地の端っこに歩き出しかけて、ふと足を止めた。


「なあ、ルクレティア。これからメジハは変わるよな」

「……そうですわね。町の規模を大きくするということは、狙われる危険が増えるということです。周辺に生息する魔物たちにも影響はあるでしょう。争いが起こることも」


 そこで言葉を切り、試すような眼差しが俺を見た。


「怖気づきにでもなりましたか」

「いいや、そうじゃない」


 首を振って、


「けど。俺やお前がいるあいだはいいかもしれないけど、その後は? 人間なんてすぐに死ぬ。俺はできるだけ仲間たちに迷惑をかけたくない。でも俺たちが死んだ後、でかくなったメジハはどうなる。妖精や、蜥蜴族に魚人族。俺がいなくなったあとはどうなるんだろうなって考えると、やっぱり少し怖い気がする」

「そんなことですか」


 ルクレティアは小馬鹿にするように笑った。


「簡単です。知ったことではありません。後進の行いまで心配しようなどというのは、余計なお世話というのです。私達はただ子孫が十全に生きる機会を残すだけです。残された財を食いつぶすのも、与えられた平和を破り捨てるのも、それぞれの世代の責任でしょう」

「……そんなもんか」

「そんなものですわ」


 なるほどね、と考えて。


 気づいた。


 このあいだからずっと心のどこかにあった疑問。

 その答えがなんのはなしに天から降ってきて、すこんっと頭に直撃した。


「ああ。そういうことか――」

「ご主人様?」


 心配そうな声に、振り返って頭を振る。


「いや、なんかわかった気がして」

「なにがですか」

「前にお前がいっただろ。スラ子にどういうふうにあってほしいのかって。それがわかった気がする」

「……どうあってほしいのですか?」


 慎重な態度で訊ねてくるルクレティアに、うなずいた。


「ほら、俺って弱いし。そのうち多分、ころっと死んじゃうだろうからさ」


 だから、


「俺が死んだあと。スラ子が今と変わらないように笑ったり、この町の近くで生きてくれてたら――そういうふうになってくれたら、いいな」


 ひどく自然体に思いついた、それは希望だった。


 ◇


 その日の仕事を終え、へとへとになりながら洞窟への帰路についた。


 カーラとスケルはタイリンと町に寄り、スラ子は地質の様子を探りにいってまだ帰ってこない。

 スラ子が戻るのを待っていてもよかったが、疲れていたので先に帰ることにした。


 タイリンの件も片づいた今、一人で帰ったところで問題はないだろう。


 帰って泥を落としたい。

 そして泥のように眠りたい。

 ……筋肉痛が死ぬほど辛い。


 そんなことをうとうとと考えながら歩いていると、


“マギさん”


 脳裏に響いた声に、俺はしばらくその存在のことを忘れてしまっていた。


「ああ、あんたか。……そういえばいたな、最近ずっとだんまりしてたから、忘れてた」

“そりゃどうも。いえ、自分もそろそろお暇しようかと思いまして”

「おー」


 一日、土仕事をしていた疲労と眠気もあって、感動は薄かった。


「そりゃよかった」

“ええ。マギさんの人となりもわかりましたしね”

「なにも問題ないってわかってくれたわけだ」

“そうですね。一言でいって平凡でした。小胆ですし、ここまで徹底して器が小さい人間というのも珍しいんじゃないですかね。いえ、他の人間のことはよく知らないんですが”


 なんだかかなり失礼なことをいわれてる気がするが、いなくなってくれるのならこの際どうでもいい。


「そうかいそうかい。じゃあとっとと頭だか目のなかだかから出て行ってくれますか」

“そうさせてもらいます。そろそろお嬢も戻ってくるかもしれませんしね。万が一、こんなとこにいるのがばれたらこっちが殺されます”

「ああ。そりゃさっさと帰ったほうがいいでしょうね」

“ええ、そこでマギさん。一つお願いなんですが――”


 やっかいな存在が今から立ち去ってくれるとわかった俺は、大抵のことなら聞き流してしまえる気分になっていて、


「なんですか。俺にできることなら、やれるかもしれません。できないことはやれません」

“いやいや、別にたいしたことじゃありません。帰る前に、あのおかしなスライムを消させといてもらってもよろしいですかね?”


 世間話でもするかのような軽い口調で竜がいった。




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