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十話 催淫効果の有用性と問題点

「おはようございます」


 控えめなノックに続いて、シィが顔をのぞかせる。

 ベッドのうえからそれを見た俺は、にこりと枯れきった笑みをむけた。


「おはよう。……いいところにきた。今、最後の使徒に選ばれた勇者スライムこと大スラ吉37世が、幾多の艱難辛苦を乗り越えて、ついに魔王城までたどりついたところだ。一匹のスライムが導きの手によって、ついに最強の魔王と相対する。彼の冒険の結末を、シィも一緒に見届けてやってくれ……」


 眠れない夜に自我をたもつため、脳内で創作していた物語の一端を披露する。


 眉をひそめたシィがこちらにやってくる。

 おずおずと手を伸ばして俺の額に手をあてた。熱がないか心配してくれているらしい。


 細い腕の向こうに心配そうな妖精の顔があった。俺はかすかに鱗粉の発光をともす蝶羽に、シィの死角からそっと手を伸ばしてみる。


「ひぁっ」


 可愛い悲鳴。びりっとした痛みが流れる。


「動くな」


 命令すると、シィは懸命にこらえる表情になってうなずいた。

 痛みが続く。それを無理やり我慢しているうちに、少しずつおさまっていった。

 シィが慣れてきたところで指先をすべらせる。


「っ」


 きつく結ばれたシィの口から空気が漏れる。

 妖精の羽はとてもナイーブなところだ。しばらくのあいだ、くすぐるようにしてから手を放すと、シィがもの問いたげな視線でこちらを見上げてきた。


 かすかに非難するような眼差しに、火照った様子はない。


 ……やっぱり、スラ子のいったとおりか。


 シィをとても敏感にしてしまうのに、スラ子の分泌するなにかが関わっていることは間違いなさそうだ。

 あるいは、俺の手先が絶望的にへたくそだという可能性も――いやいや、ありえない。そんなことは死んでも認めないぞ。認めてたまるか。男として。


「すまん。シィ、体調はどうだ?」


 小柄な妖精は不思議そうに小首をかしげた。


「……体調。ですか?」

「ああ。昨日も、スラ子とあっただろう。大丈夫か?」


 間接的な表現に気づいたシィが頬を染めた。顔をうつむかせて。うなずく。


「終わったあと、なんかおかしなことにはならないか? 気分とか、体調とか。魔力を吸われてる影響ってのは、当然あると思うが」

「すごく――、疲れます。けど。少し休めば、大丈夫です。魔力も」

「そか」


 催淫効果以外になにか悪影響が残ったりしないか。それを心配したのだが、シィの返答の限りではそうした恐れはないようだ。

 いや、結論を出すのはまだ早い。これからもしばらくは様子を見てみないとわからない。


「なら、いい。なにかあったらいってくれ。頼む」


 不思議そうなまま、シィは小さくうなずいた。


 シィと一緒に部屋をでるとき、ふと思って俺は訊ねてみた。


「シィ。スラ子とのあれは、嫌じゃないか?」


 それでシィが嫌だといったところで、じゃあやめようとなるわけでもないのだから、その質問にはまったく意味がなかった。シィのことを思えば、聞くこと自体にデリカシーがない。

 失言に気づいて、でも取り消すこともできずに自分に悪態をついていると、


「大丈夫です」


 恥ずかしさに首まで赤くなりながら、シィは答えた。


「嫌じゃ、ありません。……一日に一度くらいなら」


 その返答は嘘をいっているように思えなかったので、スラ子の指先やら分泌液やらを素直に凄いなと思ったり呆れたりしながら、となりを歩くシィの横顔を観察する。

 羞恥心に染まる繊細な表情は、庇護欲をかきたてられるとともにまったく別の衝動も他人に沸き起こさせて、ひどく魅力的だった。


  ◇


「おはようございます、マスター」


 食卓に朝食の準備を整えていたスラ子の挨拶は、いつもよりつっけんどんだった。その顔には普段の笑顔がない。


「おはよう。なんでお前が怒ってんだ」


 怒っていいのはむしろこっちのはずだ。軽くにらむようにしていうと、


「マスターがいけずだからです」

「なんだそりゃ」


 ぺしん、とスラ子がテーブルに両手をついた。


「据え膳を食べないのは男の恥だと思います」

「その膳に堂々と毒を盛っといていうことか」

「毒なんかじゃありません、マスターがもっと気持ちよくなれるようにっていう、……誠意です!」

「そんなはた迷惑な誠意があってたまるかあああ!」


 思わず叫んでいた。


 む、と一旦ひいたスラ子だったが、それでもまだ不服らしく、


「だいたいマスターはおかしいです。男のくせに野獣度がたりません。もっとこう、自分の欲望に正直になってもいいと思うんです」

「そんなはじめて聞くような度数のことなんかいわれても知るかっ」

「媚薬のことだって。普通、そういうのがあるってわかったら、うおー、これを使って世界中の女を虜にしてやるぜーっなんて欲望の炎を燃やすのが男の人の器量だと思いますっ。マスターがどうしてそうなのか、ゼンゼンわかりません」

「俺は、俺の知識をベースにしてるはずのお前から、どうしてそんな発想が生まれてくるのかが心の底から不思議だよ」


 うめきながら、ほとんど恐れにも近い気分だった。


「だいたい、薬品とかそういうのはな、怖いんだぞ」


 身体に影響がでるということは、身体に不自然な刺激を与えるということだ。

 それはいい意味だけとは限らない。

 副作用、有害作用。そうした危険性は必ずある。


「――それは。そうですが……」 


 スラ子が言葉の勢いを弱める。

 ふと俺たちを不安げに見るシィに気づいて、俺はため息をついた。


「もうやめるぞ。飯がまずくなる」

「……わかりました」


 朝食は、黙々と静かなまま進んだ。


 元から無口なシィはともかく、スラ子が黙っているとなんだか非常に空気が重い。ぼっち経験が、昔の記憶を思い出させる。とても胃が痛い。

 仕方なく、


「スラ子」

「はい」

「俺は普通のがいい。だから、今度はもっと普通にきてくれ」

「……普通にしたら、可愛がってくれますか?」


 期待の眼差し。

 朝っぱらからどうしてこんなやりとりをせにゃならんのだと思いつつ、渋面でうなずく。


「普通ならな」

「わかりました。今夜はマスターに普通に迫ってみたいと思います」

「だからそれをやめろ。わざわざ夜這いを宣言するやつがいるか」


 ひとまず、それで場の空気がいつもに近づいたのがわかったので、俺はほっと息をはいた。


「それとだ。さっきちょっといったことだけどな」

「よくない作用、ですね」


 スラ子がいった。


「ああ。さっきシィにも確認したが、聞いた限りじゃそういうのはなさそうだった。けど、まだわからない。もしそれにひどい中毒性があったりしたら。俺は、そういうのは好きじゃない」


 はっきりと告げる。わずかに唇をかんで、スラ子がうなずいた。


「……はい」

「勘違いするな。責めてるわけじゃない。中毒性があるかなんてまだわかってないしな。ただ、気をつけておいてほしい。お前の意識と、無意識について」

「無意識?」


 ああ、と俺はうなずいて、


「お前の意思、願いに沿って自分を変質させる。それがお前の特性だ。だったら、お前はそれをしっかり自分で制御できるようにならないと駄目だ。能力に振り回されたりなんかしないようにな。今回の件は、そのいい練習になる」

「無意識に負けるな、ということですね」

「そうだ。無意識なんてもの、誰にだってあるもんだ。はっきりした定義だってあいまいなものだが、それは普通、即の反応を起こしたりはしない。だが、お前の場合はそれがダイレクトに反映されるから――」

「わかりました」


 こちらの危惧していることを理解したのだろう。スラ子は真剣な表情でうなずいた。


「ちゃんと、自分の意思で分泌できるようになります。もちろん、無害な形で」


 ……ちょっとずれてるような気もするが、まあいいか。


 催淫能力そのものは別に悪いわけじゃない。それに付随して、それもスラ子の意図しない形で、それが悪い結果をうむことが俺は不安だった。

 小心者が悪く考えすぎているのかもしれない。しかしスラ子の特性には現状、幅がありすぎて、作成した俺ですら困惑するようなところがあった。

 幅がある――それは安定していない、ということにも繋がるからだ。


 自分でもなにか思うところがあるのか、考えこむような表情で黙り込むスラ子と、さっきからのやりとりをじっと静かに聞いているシィ。

 なんとなくまた重くなってしまった雰囲気をどうにか明るくしようと口をひらきかけて、



「――――――――――ッ!」



 天を衝き、山を震わせる咆哮が鳴り響いたのはその瞬間だった。


「嘘だろ、おい……予定にはまだ二日もはやいじゃないか」


 頭を抱える。

 大音声にびっくりした顔のスラ子とシィが俺を見た。


 二人には、俺の顔色が死人のように青くなっているのがわかるだろう。

 決して近くないはずなのに、鼓膜どころか心胆を震わせる雄たけび。

 そのもたらす意味は一つしかない。


 それは生まれながらの支配者にして、絶大な魔力の塊。

 天衣無縫にして傍若無人。世界が自分を中心に回っているどころか、世界を回しているのは自分だとまで驕ってはばからない、しかしそれが許される力を持った絶対的な上級種。


 敬慕と恐怖をもって語られるその伝説の生き物は、しかし決して幻などではなかった。


 ヤクザが、くる……!




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