I am Chained〜矜持〜
私は縛られている。母と、プライドと、昔の自分に。
季節外れの白詰草、2枚目の葉が乱れ落つ。
「十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人」とは、本当にそうだと思う。それは、この私が証明している。
「ねぇ、千菜はどうだった?」
教室の後ろから、机の森を掻き分け掻き分け、足にばねが付いたようにしゃがんだままぴょんぴょんと跳んできたこの花が私に問うた。
そんな私が手に持っていたのは、先ほど先生から帰ってきた、期末考査の成績表。総合成績のところには、「21」と順位がはっきりと示されている。
・・・駄目だ。
これじゃあ、母は喜ばない。
「・・・どうしたの、千菜?」
この花はまだ、私を無垢な目で見つめる。
いいよなぁ、この花は。いつも楽しそうで、何も悩んでいなさそう。きっと、毎日が充実しているんだ。全く、勉強なんてしてなさそうな感じなのに・・・なのに、何で、いつも成績は1位か2位なわけ?私はこんなに、こんなに、努力しているのに。
「・・・まぁまぁ」
「そっか」
この花は頬を桃色に染めて、満面の笑みをこぼした。そして来たとき同様、ばねのように飛び跳ねて、私の前の席の明里に話しかけていた。そこでもまた、明るい笑顔を見せていた。
じっと、彼女を見据えてみる。
この花にとって私は、この仲の良い4人組の中の1人という程度かもしれない。でも私にとってこの花は、
憧れで、
苛立ちで、
昔と今を重ね合わせてしまう原因・・・
そう、彼女を見るたび思い出す、自信に満ち、堂々とした姿勢・・・。忘れたい、でも忘れられない、私たちを縛り付ける者・・・。
私は「天才」と言われていた。
幼稚園の頃に、もうひらがなやカタカナが完璧に出来て、漢字も簡単なものなら書けて。算数だって、足し算引き算は完璧で・・・。そんなの、自分だって出来ていたって子もいるかもしれないけど、私の周りでは、そんなことを出来たのは私しかいなかった。
近所でも、幼稚園でも、「頭がいい」「天才」っていろんな子のお母さんに言われて、それを誇りに思っていた。
しかし、私以上に誇りを持ったのは、私の母であった。
小学校に入り、ますますその「天才」ぶりを発揮した私は、先生にも褒められ、校長先生に褒められたこともあった。学級委員を決めるとき、推薦でいつも上げられるのは、私であった。
それに喜んだ母は、授業参観となると毎回駆けつけ、運動会は毎回一番前の席を取り、「あれは私の娘」という言葉を数え切れないほどの母親に語って、「天才児の母」として学校中に名を馳せた。
テストで100点は当たり前で、授業でもよくあてられた。
そして私は、先生にあてられながらも、分からない分からないと頭を抱える生徒を見て、心の中で思ったのだ。
こいつらは馬鹿だ、と。
小4になったころ、私は塾に入った。
母が、私を有名な私立の中学校に入れてあげる、と言い出したのだ。
塾にいる子たちは、小学校の子に比べて頭がよく、「馬鹿」とは思わなかった。しかしその中でも、私の成績はいつも一番だった。
月に1度行われる統一テストでも、いつも上位には入っていた。
そしてそれがきっと、私の母を狂わせた。
6年生になって、志望校を確定する三者面談が塾で行われていた。
クーラーの効いた広い教室の中央で、私と母、そして塾の先生が向かい合っている。静寂が、部屋を包む。いつもは十数人もいるのに、3人しかいない教室は、私にとって新鮮であった。
「・・・本当に、これでいいのでしょうか」
ぴしっとスーツを着こなした先生が、口角を無理に引きつらせて言う。震えた声は、不安そのものだった。
そんなこともよそに、私の隣に座る母は、背中を綺麗に伸ばし、顎を引き、両手をひざの上に置いていて、その瞳は大人気ないほどに輝いていた。
3人の間にある机の上には、母の綺麗な文字で書かれた、中学校の志望校が記されている。
第一志望校は、隣県にある、大学までエスカレーター式の超一流の名門校。第二志望校は、第一志望校よりは劣るが、それでもたくさんの卒業生が有名大学に旅立っていく地元の中学校だ。
「はい。何か問題でも?」
「い、いやぁ・・・」
いつもは大きな声で熱心に授業を行う先生も、今日だけは頭が上がらないようだった。
「さすがにこの二つではリスクが大きすぎます。滑り止めを考えたほうがいいと思いますよ」
ちなみに、第一志望校の偏差値は70前後。第二志望校の偏差値は65前後である。
「だから、滑り止めはこの第二志望の中学校です」
母は自信有り気に言う。そして、言い切ったのだ。
「大丈夫です。私の千菜は『天才』なのですから」
その後、2つの受験を終えた数日後に私の家へ届いたのは、「不合格」とだけ書かれた一枚の紙の入った、2つの軽い封筒だった。
私は今でも覚えている。あの日、ダイニングで涙を流す母の姿を・・・。顔を覆った手からあふれ出す、悲しみと、悔しさと・・・何かの涙を。
こうして私は、公立の中学に行くことになったのだが、当然、私も母も、周りからよく言われるようになった。何故、中学に落ちたのか、と。母が皆に言いふらしていたから、他の受験した人よりも、なおさら言われた。
だから決めたのだ。高校は絶対、いいところに行ってやる、と。ちゃんと自分の実力を把握して、精一杯勉強して、そして自分の望める、良い県立の高校へ行ってやる、と。
しかし、母はまだ、諦めていなかったのである。
母は私の志望校を勝手に決めた。今度は県内で一番頭の良い県立高校である。
しかし、劣っていく私の成績では、その高校へ行くことは難しかった。だから私はきちんと、無理だと母に伝えた。
「千菜、そんなこと言わないの。あなたは『天才』なんだから」
それが母の返答であった。
あの時、それ以上反抗しなかったのは、自分で何かを感じたからだろう。それはきっと・・・
結局、私は高校受験にも失敗し、この私立高校に至る。
でも、もう母を苦しめたくないから、この学校内で高みを望んでいるのだが、昔のようには上手くいかない。これが今の現状だ。それに母は、まだ気付いていない。
だから、
母は言い続ける。千菜は「天才」だ、と。
そう、母は縛り付けられているのだ。あの時の私が母に築いたプライドに。そして昔の私自身に。
そして私も縛られている。それはきっと、今頃気付いた、母を変えた自分への責任感。その責任感が、母への反抗をためらわせて、母の空想が止まらなくなっていく。
テスト返しを終えた教室は、ざわめきに包まれていた。
スクールバッグから取り出した文庫本を読むふりをして、ふいに再び、この花に目を向ける。
明里に笑顔を向けるこの花。無垢で何にも縛られていないその笑みは皆に安心を開放させる。
それに比べ私は、縛り、縛られ、母を蝕む、馬鹿な怪物だ。
あぁ、何時になれば私は、自由になれるのだろうか。
私はふいに足を動かす。その足は重くて、鈍い金属音がしたような気がした。




