第14話:解体されるフルプレス
ピーーーーーッ!
主審の甲高いホイッスルとともに、オレンジ色のボールが高々と宙へ弾き上げられた。
ジャンプボール。
帝陵中の百八十五センチの巨漢センターが、唸りを上げて床を蹴った。
ドガァンッ!
凄まじい跳躍力と筋力。木村の頭上から、長い腕がボールを後方へ力強く叩き落とす。
ボールを確保したのは、主将の赤沼。
赤沼がボールを両手で掴み取った瞬間、会場の空気が一気に凍りついた。
「全員プレッシャー! 息の根を止めろォッ!!」
赤沼の野獣のような咆哮とともに、帝陵中の黒いユニフォームが一斉に襲いかかってきた。
セットオフェンスではない。ボールを保持した瞬間の南陽中の陣形を物理的に押し潰す、狂暴なオールコート・マンツーマンプレス。
スローインからボールを受けた俺――如月蓮の前に、帝陵のガード二人が猛然と立ちはだかり、露骨に胸と腕をぶつけてきた。
激しいフィジカルコンタクトを利用した、力づくの威圧。
「どうしたチビ! 前に一歩も進めねえだろ!」
相手ガードが嘲笑いながら、全体重を預けて俺をペイントエリアの奥へ押し込もうと突進してくる。
だが――俺の視界は、静止画のように冷徹だった。
相手が正面から全体重を預けてきた、まさにそのコンマ一秒の瞬間。
俺は腰を引いて耐えるのではなく、相手の右足の爪先の向きに合わせて、半歩だけ骨盤を外側へスライドさせた。
合気道の理にも通じる、バイオメカニクス的な力の受け流し。
「なっ……!?」
力いっぱい押し込もうとしていた相手ガードは、壁だと思っていた俺の身体がスルリと消え去ったことで、自らの突進力に耐えきれずに大きく前のめりによろめいた。
その刹那、空いたわずかな隙間へ、俺は低空のドリブルで滑り込んだ。
カバーに来たもう一人のガードが慌てて腕を伸ばしてくるが、俺は相手の指先が届かない絶妙な角度でボールを懐に収め、頭上高く掲げた。
(三井、いまだ!)
フロントコートの逆サイド。
帝陵中の選手全員が蓮へのダブルチームに気を取られ、センターラインの裏側に、ぽっかりと広大な空白地帯が生まれていた。
キャプテンの三井は、蓮との約束通り、相手マーカーの重心が前へかかった瞬間に、背後へ爆発的なスプリントを仕掛けていた。
――ビュッ!!
俺の両手から放たれたのは、力任せの遠投ではない。手首のスナップと強烈なバックスピンを効かせた、空気抵抗を切り裂く低弾道のレーザービーム。
ボールは帝陵のフォワード二人の頭上を鮮やかにすり抜け、トップスピードで駆け抜ける三井の胸元へ、まるで吸い寄せられるように収まった。
「嘘だろ……あんな体勢からあそこへ通すのかよ!?」
観客席から悲鳴のような歓声が上がる。
完全なノーマークでボールを受け取った三井。
追いつけるディフェンダーは一人もいない。
三井は落ち着いて二歩のステップを踏み、手首を柔らかく使ってレイアップシュートをリングへ沈めた。
――バスッ!
『2対0』。開始わずか五秒。
帝陵中の自慢のフルコートプレスが、完膚なきまでに解体された瞬間だった。
「クソが……偶然だ! オフェンス、一本取り返すぞ!」
赤沼が顔を真っ赤にして怒鳴り、ボールを要求する。
帝陵中のオフェンス。赤沼が百八十二センチの頑強な体躯を生かし、トップから俺へのパワーペネトレーション(力任せのドライブ)を仕掛けてきた。
ドガッ! と鈍い音が響くほどの体当たり。
並の中学生なら肋骨が軋み、フロアへ吹き飛ばされる威力だ。
だが、俺は相手の突進を正面から受け止めず、胸骨と大腿骨の角度をわずかに逃がし、衝撃をフロアの摩擦面へ分散させた。
体幹が一切ブレない。
逆に、全速力でぶつかったはずの赤沼のほうが、硬質なゴムまりを叩いたかのように跳ね返され、ドリブルの打点を乱した。
(重心が完全に浮いている。右手のボールコントロールが雑だ)
赤沼が体勢を立て直そうとしたコンマ一秒の隙。
俺の左手が、電光石火の速度でボールの下から突き出された。
――パシィッ!
「な……ッ!?」
赤沼の手元から、ボールが軽やかに弾き飛ばされる。
完璧なスティール。
フロアに転がるボールを、いち早く反応した石井がダイブして奪い取った。
「走れ木村! 逆サイドだ!」
石井から蓮へ、そして蓮からゴール下へ走り込んでいた木村へ。
息つく間もない電光石火のトランジション。
木村が落ち着いてゴール下にボールをねじ込んだ。
――バスッ!
『4対0』!
「タイムアウト! 帝陵中タイムアウト!」
第1クォーター開始から、わずか一分半。
あの絶対王者・帝陵中学校が、たまらず最初のタイムアウトを請求した。
体育館中が、信じられないものを見たかのように静まり返っていた。
二階席でビデオカメラを回す神崎拓也は、手元のバインダーを強く握りしめ、獰猛な笑みを噛み殺していた。
「相手の突進力をそのまま自滅の力に変える身体操作、そしてプレスを逆手に取った垂直方向へのスペーシング……。如月蓮、君は中学生のコートで何を教えているんだ。これでは帝陵の選手たちが赤子同然じゃないか」
だが――五連覇の絶対王者は、そのまま黙って引き下がるタマではなかった。
タイムアウト明け。
帝陵中は無謀なオールコートプレスを取りやめ、ハーフコートでの徹底的なインサイドの肉弾戦へと戦術を切り替えてきた。
赤沼と巨漢センターによる強烈なピック&ロール。
激しい接触。審判の見えない位置での肘打ちやユニフォームの引っ張り。
王者のプライドを賭けた暴力的な圧力が、南陽中の一年生たちを苦しめる。
第1クォーター(八分間)終了時点で『16対12』。
第2クォーターに入ると、帝陵中の赤沼が意地のミドルシュートとフリースローを沈め、点差を詰めてくる。
だが、南陽中も蓮の緻密なゲームメイクのもと、木村のトップからのストレッチスリー、三井のバックカットで応酬。
前半(計十六分間)終了時点で、スコアは『32対28』。
南陽中が4点のリードを保ったまま、ハーフタイムを迎えた。
◇
そして迎えた、第3クォーター(八分間)。
ここで、両チームの『一年前からの積み重ね』の差が、残酷なまでにフロアに現れ始めた。
帝陵中の選手たちは、肩で激しく息をし、ユニフォームは重い汗で肌に張り付いていた。
水分補給を「甘え」として制限され、過剰な筋トレで熱を閉じ込めた彼らの太ももは、乳酸の過剰蓄積によって鉛のように硬直しかけていたのだ。
ダッシュの一歩目が鈍り、ディフェンスの戻りが明らかに遅れる。
対する南陽中の4人は、ハーフタイムに電解質と水分を完璧に補給し、呼吸筋を整えていた。
蓮が指示するスペースの幾何学――『ファイブ・アウト』が、疲弊した帝陵中の守備網をズタズタに切り裂いていく。
木村がトップへ開いて相手センターを釣り出し、空いたペイントエリアへ三井がダイブ。
石井がコーナーから冷静にドライブを仕掛け、ディフェンスを引きつけて逆サイドへキックアウト。
待っていた三井が、美しい神速ワンモーションで高弾道のスリーポイントをネットに突き刺す!
――スパァァァンッ!!
『48対38』! ついに点差は10点に開いた。
「バカ者どもが! 足を動かせ! 根性を見せんかッ!」
帝陵ベンチから監督の怒号が飛ぶが、選手たちの足は痙攣寸前だった。
それでも、赤沼だけは諦めなかった。
赤沼は血走った目で強引にゴール下へ突進し、バスケットカウントをもぎ取って食らいつく。
王者の意地と、新時代の知性の激突。
ブォォォォォッ!!
第3クォーター終了を告げるブザーが鳴り響いた。
電光掲示板に刻まれた数字は――
『南陽中 52 - 46 帝陵中』
6点リード。
計二十四分間を戦い抜き、県大会五連覇の絶対王者を相手に、公立の南陽中学校がリードを保ったまま最終ピリオドを迎えようとしていた。
だが――ベンチへ戻ってくる南陽中の部員たちの身体にも、激しい肉弾戦の代償が確実に蓄積していた。
三井の足は重く、木村の胸元は相手の肘打ちで真っ赤に腫れ上がり、石井のふくらはぎも張りが限界に近づいていた。
そして、蓮の心拍数は百二十。
運命の最終第4クォーター――最後の八分間。
栄光と挫折、そして未来への扉を開く最後の戦いが、いま始まろうとしていた。
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