第12話:託されたタクト、魂のラストショット
第12話:託されたタクト、魂のラストショット
ピーーーーーッ!
最終第4クォーター開始を告げる甲高いブザーが、熱狂の渦巻くメインアリーナに鳴り響いた。
電光掲示板の数字は、『58対58』。
二十四分間の激闘を経て、点差はゼロ。
ベンチからコートへ足を踏み入れる両校の選手たちに、観客席から割れんばかりの手拍子と歓声が降り注ぐ。
対峙する荒井のユニフォームは、絞れるほどの汗で肌に張り付いていた。
だが、その瞳の奥に宿る闘志の炎は、衰えるどころかさらに激しく燃え盛っていた。
「如月。泣いても笑っても、あと八分だ。……テメエのチームを粉砕して、俺たちが決勝へ行く!」
「望むところだ、荒井」
俺――如月蓮は、深く静かに息を吐き出した。
心拍数は百四十二。
前世の記憶とバイオメカニクスに基づき、幼少期から丹念に鍛え上げてきた肉体。
腱にも関節にも、炎症や故障の兆候は微塵もない。
だが、相手は県内屈指のフィジカルを誇る北陽中だ。激しいプレッシャーを受けながらフルコートでゲームをコントロールし続けてきた代償として、太ももの筋肉にはずっしりとした疲労の重みが蓄積していた。
(この疲労感……生きている。仲間とともに、限界の先で戦っている)
前世でアキレス腱を断裂し、コートから永遠に追放されたあの日。
二度と味わえないと思っていた、極限の勝負の熱狂。
胸の奥で、魂が歓喜に震えていた。
南陽ボールのスローイン。
俺がボールを受け取ると、北陽中は前線から狂暴なオールコートプレスを仕掛けてきた。
荒井が低いスタンスで俺の進路を塞ぎ、もう一人のフォワードが挟み込みに飛び込んでくる。
激しい二対一のダブルチーム。
だが、俺は慌てない。
二人の重心が前へ傾いたコンマ一秒の隙を見逃さず、低空のレッグスルーで荒井の股下へボールを通し、自らの身体を滑り込ませた。
ダブルチームの完全突破。
「止めろォッ!」
北陽のセンターがゴール下から飛び出してくる。
俺はペイントエリアへ侵入すると同時に、背後の木村へノールックのタップパスを落とした。
木村がフリースローラインから落ち着いてミドルジャンパーを沈める。
――バスッ!
『60対58』。
だが、北陽中も即座に牙を剥き返してきた。
荒井が自らボールをプッシュし、俺のチェックを受けながらも、身体の芯をブラさずに右へ鋭いドライブ。
ヘルプに来た石井の頭上を越える絶妙なロブパスをゴール下へ通し、相手センターが強烈なショートジャンパーをねじ込む。
――バスッ!
『60対60』。
一進一退。
どちらかが2点を奪えば、もう一方が泥臭く2点を奪い返す。
互いにミスを犯さず、互いにすべてを出し切る、中学生の枠を遥かに超越した極限の鍔迫り合い。
残り三分で『66対66』。
残り二分で『70対70』。
そして――残り一分。
荒井が俺のディフェンスの逆を突き、タフなフェイダウェイシュートをねじ込み、さらにファウルをもぎ取った。
――バスッ!
ピピーーーッ!
「バスケットカウント! ワンスロー!」
『72対73』。
ボーナスのフリースローを沈めた北陽中が、土壇場で1点のリードを奪った。
観客席が地鳴りのような大歓声で揺れ動く。
「北陽逆転!」「守れェッ、北陽守り切れぇぇッ!!」
残り四十五秒、南陽中のオフェンス。
相手の決死のディフェンス網に阻まれ、放たれた三井のシュートがリングのバックリムを叩いて弾かれた。
リバウンドは北陽中!
「時間を全部使え! 焦るな!」
北陽ベンチから監督の指示が飛ぶ。
残り二十秒。
ボールをキープする荒井。
このままタイムアップを迎えれば、北陽中の勝利が決まる。
荒井がフロントコートでドリブルを突き、ショットクロックの数字を削っていく。
残り十秒。
荒井が勝負を決めるべく、最後のドライブを仕掛けてきた。
俺の右サイドを抉り、ペイントエリアへ飛び込んでくる。
だが――荒井の足元に、限界が訪れていた。
計三十二分間、フルでコートを駆け抜けてきた荒井の太ももが、最後の踏み込みでピクリと痙攣を起こし、ドリブルの打点がわずかに乱れたのだ。
「いまだ、木村ッ!!」
俺の叫び声がコートを切り裂いた。
ゴール下で待ち構えていた木村が、逃げることなく、どっしりと相手の突進コースへ自らの身体を滑り込ませた。
ドスンッ!
激しい接触。だが、木村は倒れない。
みぞおちを引き、骨盤を立てて荒井の突進力を受け流した。
完全に角度を失った荒井のシュートが、バックボードの角を叩いて虚しく弾け飛ぶ。
こぼれ球!
「ウオオオォォッ!!」
フロアへ最初に飛び込んだのは、フォワードの石井だった。
床へダイブし、全身を打ち付けながら、転がるボールを両手で弾き出し、ボールはサイドラインを割った。
「アウトオブバウンズでプレーが切れた瞬間。」
「タイムアウト!」
ベンチから佐々木先生がオフィシャルへ請求していたタイムアウトが認められた。
ピピーーーッ!
時計の針が止まった。
残り時間は、わずか『八秒』。
スコアは『72対73』。1点ビハインド。
ベンチへと駆け戻ってくる4人の身体は、汗みずくで、肩を大きく上下させていた。
誰もが極限の疲労で顔を歪めている。
だが、その瞳の奥には、消えることのない灼熱の闘志が宿っていた。
「蓮……! ラスト、どう攻める!?」
三井が荒い息を吐きながら、戦術ボードを差し出してきた。
俺はペンを握り、4人の顔を一人ずつ見つめた。
「相手の狙いは完全に読めている。北陽中は間違いなく、俺のドライブによる逆転レイアップを一番警戒してくる。俺がボールを持った瞬間、二人、あるいは三人がかりでインサイドの壁を作りにくるはずだ」
俺は戦術ボードの右コーナーをペン先で強く叩いた。
「だからこそ――俺は打たない。俺が囮になって相手ディフェンスの全員をペイントエリアへ引きつける」
三井が目を見張った。
「蓮……お前が囮に……!?」
「そうだ。木村、お前はトップで相手フォワードに強烈なフレアスクリーンをかけろ。相手が俺に気を取られているコンマ一秒の隙を突いて、三井、お前がスクリーンの裏を回って右コーナーへ飛び出せ」
俺は三井の目を真っ直ぐに見据えた。
「石井から俺へ、俺からコーナーのお前へラストパスを通す。……三井、最後の一本はお前が決めろ」
三井の呼吸が止まった。
県大会決勝への切符を懸けた、最後のラストショット。
そのすべてを、自分が託されたのだ。
「俺で……いいのかよ、蓮。お前が打った方が――」
「お前だから託すんだ」
俺は三井の胸元を強く叩いた。
「この一年間、誰よりもシュートを打ち込み、誰よりも泥臭くフォームを磨いてきたのはお前だ。お前の母指球のバネ、背筋の連動、神速のリリース……そのすべてを俺が保証する。お前は絶対に外さない」
三井の瞳から、ポロリと一筋の熱い涙が零れ落ちた。
三井はユニフォームの袖で乱暴に涙を拭い、獰猛な笑みを浮かべて頷いた。
「……当たり前だろ! 誰のパスを受けてきたと思ってんだ! 絶対に決めてやるよ!!」
ピーーーーーッ!
運命のラストエイトセカンズを告げるホイッスルが鳴り響いた。
スローイン。
サイドラインから石井がボールを放ち、トップの俺がボールをキャッチした。
残り七秒。
予想通りだった。
荒井ともう一人のフォワードが、死に物狂いで俺を取り囲みに飛び込んできた。
二人がかりのダブルチーム。
俺は迷わず、ペイントエリアへ向かって鋭いステップで切り込んだ。
さらにゴール下のセンターまでもが、俺のレイアップを阻止しようと前へ飛び出してくる。
相手ディフェンスの三人が、完全に俺という一点へと収縮した。
残り四秒。
トップの位置で、木村が相手ディフェンダーへ完璧なフレアスクリーンをヒットさせた。
ドスンッ!
「しまっ……裏だッ!!」
荒井が絶叫した時には、すでに遅かった。
三井がスクリーンの裏を矢のようにすり抜け、右コーナーへと飛び出す。
完全なるワイドオープン。
俺は跳び上がることなく、三人のディフェンスの腕の隙間を縫うようにして、右手首のスナップだけでノールックの低空スキップパスを弾き出した。
――ビュンッ!!
ボールは美しいスピンを描き、右コーナーで両足を揃えて待っていた三井の胸元へと、吸い込まれるように収まった。
残り二秒。
荒井が必死に振り返り、腕を伸ばして飛び込んでくる。
だが、三井の耳には、アリーナの喧騒も足音も届いていなかった。
(踵で踏み込まねえ……母指球で床の力を貰い、背筋の波を指先へ通す……!)
膝のタメはない。
極限の疲労の中でも、一切の力みがない、完璧なるワンモーション。
三井の指先から解き放たれたボールが、夕暮れの体育館の天井近くへと高く舞い上がった。
ブォォォォォッ!!
試合終了の長いブザーが鳴り響く。
赤く点灯するバックボード。
宙を舞うボール。
体育館中の数千人の視線を集めたその放物線は――リングのど真ん中へと、音もなく吸い込まれた。
――スパァァァンッ!!
『75対73』。
逆転サヨナラ、ブザービーター。
静寂。
そして――次の瞬間、メインアリーナの屋根を吹き飛ばすような狂乱の歓声が爆発した。
「「「決まったぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」」」
「うおおおおォォッ!!」
三井が両の拳を天高く突き上げて咆哮した。
フロアへ駆け寄った木村が、石井が、そしてベンチの後輩たちが三井の上に覆いかぶさり、涙を流しながら抱き合って歓喜の輪を作った。
二階席の最前列で、黎明高校の神崎拓也が立ち上がり、惜しみない拍手を送り続けていた。
「素晴らしい……。エースが自ら囮となり、一年間鍛え上げた仲間に勝負を託す。これこそが、真のチームだ」
フロアの中央。
荒井は両手を膝につき、肩で息をしながら、呆然とスコアボードを見上げていた。
その頬を、大粒の悔し涙が伝い落ちる。
俺は静かに荒井のもとへ歩み寄り、その前に立った。
「荒井」
荒井が顔を上げた。
その瞳には、敗北の悔しさと、すべてを出し切った者だけが宿す清々しい光が混ざり合っていた。
「……完敗だよ、如月」
荒井はユニフォームの袖で乱暴に涙を拭い、自嘲気味に笑った。
「お前だけじゃねえ。お前のチーム全員のバスケに……俺たちは負けた」
荒井が右手を差し出してきた。
「如月。決勝……絶対に優勝しろよ。あの帝陵中の鼻を、お前たちのバスケでへし折ってこい!」
俺はその手を、痛いほど強く握り返した。
「ああ。約束するよ」
拳と拳がぶつかり合う。
市立南陽中学校、創部初の県大会決勝進出。
新時代の知性と泥臭い絆を証明した少年たちの進撃は、いよいよ五連覇の絶対王者・帝陵中学校が待つ頂点の舞台へと王手をかけたのだ。
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