第10話:快進撃と、荒井の覚醒
一回戦での圧勝劇は、瞬く間に県大会の会場全体へと知れ渡っていた。
「おい、去年の初戦負けの南陽中が、第8シードの東雲中を粉砕したらしいぞ」
「顧問がいなくて、生徒だけで勝手に作戦を組み立ててシード校をボコボコにしたってマジかよ?」
「あの4番のシューター(三井)と、5番のポイントガード(如月)だ。あいつらがボールを持つと、相手のディフェンスがまるで手品みたいに崩れていくんだよ」
メインアリーナの通路を行き交う他校の選手や指導者たちのざわめきをよそに、俺たち南陽中学校の快進撃は、誰にも止められない嵐となって吹き荒れていた。
翌日の二回戦・城南中戦は『76対31』。
三日目の準々決勝・西陵中戦は『81対38』。
中学バスケの公式戦は、1クォーター8分の前後半制――計32分間の戦いだ。
南陽中の戦いは、派手な個人技による無双劇などではない。徹底した「空間の幾何学」と「運動効率」の支配だった。
相手オフェンスの初動を観察し、利き足や骨盤の傾きからドライブコースを9割の精度で予測して先回りする。
リバウンドを拾えば、無駄なドリブルを一回も挟まず、広大なオープンスペースへ長距離チェストパスを通す。
木村がトップから綺麗なスリーポイントを沈めて相手のインサイドを空っぽにし、そこへ三井が神速のバックドアカットで侵入してレイアップをねじ込む。
前半の十六分間で完全に相手の戦術を解体し、三十点以上のセーフティリードを奪う。
そして後半の十六分間は、交代で入る後輩の一年生たちにゲームを託し、俺や三井はベンチでアイシングと電解質補給に専念して翌戦へ向けて体力を温存した。
ベンチに座る俺がホワイトボードを使って相手の弱点をリアルタイムで指示し、一年生たちも実戦のプレッシャーの中でメキメキと経験値を積み上げていく。
誰一人として関節や靭帯に過剰な負荷を残さず、疲労骨折や筋痙攣の兆候すら出さない。
水分と電解質の補給を体重管理に基づいて徹底し、運動直後の静的ストレッチで筋肉の緊張をリセットする。
他校が炎天下の過酷な連戦で主力選手を疲弊させ、足をつらせて脱落していく中、南陽中の部員たちだけは、毎試合まるで初日の朝のような万全のコンディションでコートを駆け抜けていた。
◇
「おいおい……蓮、俺たち本当に来ちまったぞ……!」
準々決勝を終えた直後の控室。
氷嚢を首筋に当ててアイシングをしていた三井が、興奮を抑えきれない様子で声を震わせた。
その手には、ベスト4進出を証明する県大会準決勝のトーナメント表が握られている。
「夢みたいだ……。一年前、権藤に怒鳴られながら毎日体育館の隅でボール拾いばかりさせられて、初戦で負けて泣いてた俺たちが……県ベスト4だぞ!?」
「僕も……こんな大舞台で準決勝を戦えるなんて、信じられないよ」
木村が太ももを撫でながら破顔し、石井も力強く拳を握りしめていた。
顧問の佐々木先生も、スコアブックを抱きしめながら「みんな、本当に立派よ……!」と涙ぐんでいる。
「夢じゃないよ、みんな」
俺――如月蓮は、自らの手首に指を当ててストップウォッチで脈拍を数え終え、穏やかな笑みを浮かべた。
「心拍数は全員、平常値まで綺麗に戻っている。筋肉の過緊張もない。……正しい身体操作で関節を守り、スペースの幾何学に従って確率の高いシュートを打つ。やるべきことを正確に遂行すれば、結果がついてくるのは数学の定理と同じ必然だ」
俺の言葉に、三井たちが誇らしげに胸を張る。
だが――俺は戦術ボードを引き寄せ、表情を静かに引き締めた。
「だが、次の準決勝は、今までのように大差をつけて主力を温存できるほど甘くはないぞ」
三井の瞳が引き締まった。
「……相手は、北陽中だな」
「そうだ。一年前の夏、練習試合で戦ったあの県立北陽中学校だ」
練習試合では88対31と大差をつけて粉砕した相手。
普通のチームなら「一度勝った相手だ、楽勝だ」と油断が生まれるところだ。
だが、俺の視線は冷徹そのものだった。
「控室のモニターを見ろ」
俺がリモコンでテレビのスイッチを入れると、先ほど行われた北陽中と第3シード・城北中との準々決勝の録画映像が画面に映し出された。
そこに映し出されていた光景に、三井と木村が息を呑んだ。
「な……んだこれ……!? これ、本当にあの北陽中かよ!?」
三井が画面に身を乗り出した。
画面の中で躍動していたのは、北陽のエースガード――三年生の荒井だった。
かつての荒井は、中学生離れした七十キロの筋肉に任せ、力任せに前傾姿勢で突進してファウルを貰うだけの、典型的な昭和のパワープレイヤーだった。
だが――画面に映る荒井の右膝には、かつて巻かれていた分厚いサポーターが完全に消え去っていた。
上体を完全な垂直に保ち、骨盤を立ててドリブルを突く。
相手ディフェンダーが間合いを詰めてきた瞬間、右足の母指球で急激なブレーキを踏み、滑らかなクロスオーバーで相手を置き去りにする。
相手がペイントエリアを固めれば、無理に突っ込まず、外側へフリーになった味方へピンポイントのキックアウトパスを配給する。
「荒井のやつ……フォームを完全に修正してきているな」
俺は画面を見つめながら呟いた。
「えっ……! 一年前、蓮が練習試合の後に言ってた、あの『膝のケア』か!?」
石井が目を丸くする。
「そうだ。一年前の練習試合の帰り際、俺が荒井に伝えた言葉を、あいつは真正面から受け止めたんだ」
俺は深く息を吐き出した。
『大腿四頭筋の外側ばかり使って内転筋が眠っている。無理な筋トレと脱水をやめなければ、その膝は高校に上がる前に壊れるぞ』
荒井はその忠告を侮るどころか、整形外科で膝の治療に専念し、自らの長年の悪癖を解体して、ゼロからバイオメカニクスに基づいた身体操作を叩き直してきたのだ。
無駄な力みを捨てたことで、荒井の本来持っていた恵まれた体躯とパワーが、爆発的な敏捷性と広い視野へと昇華されていた。
「荒井の今大会のスタッツは、一試合平均二十八得点、九アシスト。荒井が無理な突進をやめてゲームをコントロールするようになったことで、北陽中全体が有機的に機能し始めている」
俺は三井たちの目を真っ直ぐに見据えた。
「今の北陽中は、昨年の夏とは完全に別物だ。昭和の力任せのチームではなく、現代的なスピードと技術を身につけた本物の強豪へと生まれ変わっている。……極限の戦いになるぞ」
体育館の控室に、張り詰めた緊張感が満ちた。
だが――三井の口元に、怯えの色は微塵もなかった。
三井はユニフォームの胸元を強く握りしめ、獰猛な笑みを浮かべて立ち上がった。
「望むところだぜ……!」
三井が拳を打ち鳴らした。
「蓮に教わって一年間泥を啜ってきた俺たちのバスケと、生まれ変わった北陽のエース。どっちが本物か、コートの上で白黒つけてやろうじゃねえか!」
「僕も……負けないよ」
木村が静かに立ち上がり、石井も鋭い眼光で頷いた。
「ああ。全員で、最高のバスケをぶつけ合おう」
◇
メインコートへと続く、薄暗い地下通路。
準決勝を告げるアナウンスが響く中、ウォーミングアップへ向かう南陽中の5人の前に――通路の角から歩み出てきた一団があった。
グリーンの鮮やかなウォームアップウェア。
その先頭に立っていたのは、百七十五センチの逞しい体躯を誇る北陽中の主将――荒井だった。
一年前のような、荒削りで濁った威嚇の眼光ではない。
研ぎ澄まされた日本刀のように静かで、深い光を湛えた瞳。
「如月」
荒井が足を止め、真っ直ぐに俺を見つめてきた。
「荒井。サポーター、外れたな」
俺が声をかけると、荒井はふっと口元を緩め、自らの右脚を軽く叩いた。
「ああ。あの日、お前に言われた通り、病院に行って膝の精密検査を受けたよ。外側半月板がすり減りかけてて、あのまま無理を続けてたら本当に選手生命が終わってたそうだ。……一年間、膝を休ませて、お前が言ってた内転筋と母指球の連動を一からやり直した」
荒井が一歩前へ踏み出してきた。
「お前のおかげで、俺のバスケ人生は救われた。……だが、コートに立てば話は別だ。恩返しは、お前たちを全力で叩き潰して決勝へ行くことで果たす!」
力強い宣戦布告。
「受けて立つよ、荒井。最高のコンディションのお前と戦えるのを、心から楽しみにしていた」
ガシッ! と固い握手が交わされる。
互いの手のひらから伝わってくる、鋼のような強靭さと、研ぎ澄まされた熱量。
怪我の恐怖に怯えることなく、誰かを傷つけるためでもなく、ただ純粋に最高のバスケットボールを競い合える歓喜。
胸の奥で、前世ケビン・ウォーカーの熱い血が、激しく騒ぎ立っていた。
ピーーーーーッ!
アリーナから、準決勝の開始を告げるブザーが轟き渡った。
決勝進出をかけた、極限の知性とプライドの激突が、いま火蓋を切ろうとしていた。
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