フランダースの犬
フランダースの冬は冷たかった。
ネロはもう、ほとんど歩けなかった。足は棒のようで、腹は空っぽで、パトラッシュの体温だけが頼りだった。
「もうだめかもしれないなあ」
そう言いながら、ふと、思い出した。
あの教会の絵。昔、一度だけ見たことがある。布に覆われていたやつだ。
ネロは、ふらふらと立ち上がり、教会へ向かった。
中は暗く、誰もいない。静まり返っている。
あの絵は、まだ布に覆われていた。
「最後に、もう一度だけ……」
ネロは手を伸ばし、布を引いた。
するり、と落ちた。
現れた絵を見て、ネロは首をかしげた。
「……あれ?」
なんだか、おかしい。
前に見たときと、少し違う気がする。いや、違うどころじゃない。どこか安っぽい。色も浅い。
じっと見ているうちに、ネロは思い出した。
「これ、見たことあるぞ」
教会じゃない。もっと、身近な場所で。
頭の奥で、何かが繋がった。
爺さんだ。
ネロを育ててくれた爺さんは、貧乏なはずなのに、なぜか時々、やたら金を持っていた。あの時の、妙に余裕のある顔。
「……まさか」
ネロは教会を飛び出した。
体はボロボロのはずなのに、不思議と動いた。
山小屋に戻る。
久しぶりの場所は、静かで、冷えていた。
ネロは床板をめくった。
前に一度、爺さんが慌てて隠していた場所だ。
地下へ降りると、そこには——
絵、絵、絵。
積み上げられたキャンバス。
どれもどこかで見たことのあるような、有名そうな絵ばかり。
だが、どれも微妙に違う。
「……偽物か」
ネロはしばらく黙っていたが、やがて、笑った。
「なんだ、そういうことか」
それからのネロは、早かった。
爺さんの残した絵を持ち出し、町へ行き、売った。
最初は怪しまれたが、数が増えるにつれ、買う側も慣れていった。誰も本物かどうかなんて、真剣には見ていなかった。
金はどんどん増えた。
ネロは服を買い、家を買い、食べ物を買った。
パトラッシュにも、山ほど餌をやった。
「ほら、好きなだけ食え」
パトラッシュは嬉しそうに食べた。
毎日、食べた。飽きるほど食べた。
ある日、動かなくなった。
「……食いすぎだろ」
ネロは少しだけ困った顔をしたが、それだけだった。
埋めるのも面倒だったので、誰かに任せた。
その頃には、ネロはもう大富豪だった。
教会の絵も、いつの間にか本物にすり替わっていたらしい。
あるいは、最初からどうでもよかったのかもしれない。
ネロはもう、絵を見ても何も思わなかった。
代わりに、夜の街へ出かけた。
金でいくらでも笑う人間がいることを知った。
「こっちのほうが楽しいな」
ネロは笑った。
あの冬の日、教会で何を感じたのか、もう思い出せなかった。




