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第58話 夜明けの悲鳴


 窓から差し込む朝の陽光は、世界を祝福するかのように穏やかだった。


「……ん、ぅ……」


 エルセリアは、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。頭の奥がズキズキと痛む。これが噂に聞く二日酔いというものだろうか。喉はカラカラで、記憶は昨夜の宴の途中で、甘いお酒を一口飲んだところでプツリと途切れている。


(……私、どうやってお部屋に戻ったのかな……?)


 ぼんやりとした思考のまま、彼女は寝返りを打とうとした。だが、体が動かない。何かに、とても強力な力で押さえつけられているような感覚。


 おそるおそる視線を落としたエルセリアは、次の瞬間、心臓が跳ね上がるほどの衝撃を受けた。


「…………えっ?」


 そこには、服を乱したギルベルトがいた。彼はエルセリアの体に覆いかぶさるような体勢で、彼女の腰に腕を回し、その顔を彼女の胸元に埋めるようにして、この世の至福を噛み締めるような陶酔しきった寝顔で眠っている。


 さらに最悪なことに、エルセリア自身の服装もひどく乱れていた。薄絹のドレスは肩がはだけ、脚のラインが露わになっている。


「………………きゃ、きゃああああああああああああああああっ!!!」


 王宮の静寂を切り裂く悲鳴。その声に驚いて飛び起きたのは、幸せな夢の真っ只中にいたギルベルトだった。


「——っ!? 敵襲か!? エルセ、ご安心を。この俺が……あ、エルセ? おはようございます」


 ギルベルトは寝ぼけ眼のまま、しかしその口元には、昨夜の甘美な余韻を引きずっているかのような、ひどくいかがわしい笑みを浮かべた。


「エルセ、昨夜は素晴らしかったですね……。あなたのあの熱い吐息、しがみついてくる細い指先、そして俺の名前を何度も呼んでくださったあの声……。俺はもう、死んでも構わないと思いました」

「な、ななな……何を言っているの!? ギル、あなた、私に何をしたの!」

「何をしたか、ですか? ……すべてですよ、エルセ。あなたの望むままに、俺は僕の持てる限りの……愛を注ぎました」


 彼の言葉は、添い寝と一睡もせず見守っていたことへの誇張表現であったが、記憶のないエルセリアにとって、その言葉は完全に一線を超えた宣告にしか聞こえなかった。


「最低……! ギルのエッチ! 最低! ひどい!!」

「最低!? あんなに『行かないで』と俺を求めてくださったのに!?」


 その時。寝室の重厚な扉が、外側から凄まじい音を立てて震えた。


「——お嬢様の悲鳴が聞こえました」


 マルタの声だ。だが、扉は開かない。ギルベルトが、昨夜無意識のうちに、誰にも邪魔されないようにと協力すぎる魔力の結界を幾重にも張り巡らせていたからだ。


「……邪魔をするな、マルタ。今俺は、この件の責任の取り方についてエルセと話し合う必要がある」

「死になさい」


 ——ズガァァァァァンッ!!


 マルタが結界ごと扉を粉砕した。砂塵と共に現れたのは、もはや人間とは思えないほど冷徹な、殺意の化身と化した侍女。彼女の手には、対・狂犬用として特注された、巨大な長柄の斧が握られている。


「よくも……よくもお嬢様を穢しましたね」

「待てマルタ、話を聞け。これはエルセの要請だ。合意の上だ!」

「お嬢様がそんな合意をするはずがありません。あなたが強引に事を進めたのでしょう。いつかはやると思いましたが、お嬢様の意識がはっきりとしない時を狙うなど……万死に値する。肉片すら残さないように、今ここで挽き肉にして差し上げます」

「やめて、マルタ! 死んじゃう、ギルが死んじゃう!」


 エルセリアがシーツを抱えて止めようとするが、マルタの斧がギルベルトの首筋をかすめる。ギルベルトも寝台から飛び降り、短剣を抜いて応戦する。狭い室内で、クレイウスの英雄二人が本気の乱闘を始めた。


「待って……! マルタ、止まって! ギル、あなたも弁明して!」

「弁明も何も、俺はエルセに『大好きだ』と言われた記憶を糧に、今なら精霊王とも素手で戦えるほど満たされて——おぁっ!? マルタ、今のは本気で膝を狙っただろ!」

「当たり前です。あなたの汚れた下半身をまずは浄化して差し上げなければ」


 十数分に及ぶ、部屋を半壊させるほどの激闘の末。エルセリアの「お願い、二人とも落ち着いて!!」という、涙が混じった必死の叫びで、ようやく二人は動きを止めた。




「……つまり。お嬢様に泣きつかれ、手を握られ、添い寝を強要されたから……そのまま、朝まで『見ていただけ』だと。……そういうことですね?」


 ボロボロになった寝室の隅で正座させられたギルベルトを、マルタが氷のような目で見下ろしていた。


「……そうだ。ただ、エルセがあまりに可愛かったので、一度だけ……いや、何度か口づけをしたが。……それは不可抗力というものだ」

「死ね」

「あがっ!?」


 マルタの鉄拳がギルベルトの脳天に炸裂する。



 一方、エルセリアは。ギルベルトの口から語られる「昨夜の自分の醜態」を聞くにつれ、顔が沸騰しそうなほど真っ赤になっていた。


(……私……ギルに『行かないで』って……『大好き』だなんて……しかも、口づけまで……!)


 断片的な記憶が、火花のように脳裏を掠める。彼の熱い体温。自分を抱きしめる強い腕。そして、甘く蕩けるような唇の感触。


「……っ……ぁぁ……」


 エルセリアは枕に顔を埋め、足をバタバタとさせて絶叫した。羞恥。悶絶。そして、それ以上に……彼にそんなことをしてしまった、自分への情けなさ。


「ご、ごめんなさい……っ! ギル、私、お酒のせいで……そんな、はしたないことを……!」

「エルセ。謝らないでください。……俺にとって、生涯最高の夜でした」


 ギルベルトが、ボロボロの姿のまま、聖母を見るような恍惚とした表情で微笑む。


「あなたのその赤くなった可愛らしい顔を見られただけで、俺はあと百年は戦えます。……責任、取ってくださいね?」

「取ります! 取ればいいんでしょう! ……でも、とりあえず今は、その……顔を見ないでください!!」


 エルセリアがシーツの中に完全に隠れてしまう。マルタは大きくため息をつき、半壊した部屋を見渡して、この惨状をどうエドワードに説明しようかと思案し始めた。

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