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第54話 狂犬の監禁宣告


 クレイウスの空は、どこまでも高く、突き抜けるような青。精霊王の目覚めによって蘇った巨大な水源は、王都の至る所に清らかな運河を形成し、かつて死の都と呼ばれかけたサフィールは、今や砂漠の真珠としての輝きを取り戻していた。


「エルセリア、準備はいいかい? 今日は君を、我が国で最も美しいオアシス街へ招待したいんだ」


 エドワードの誘い。それは、連日の激務と戦いの緊張からエルセリアを解き放つための、彼なりの精一杯の気遣いだった。


 しかし、その準備が終わった姿を見た瞬間。王宮の一室に凍り付くような沈黙と、その直後に火山のような熱量の絶叫が響き渡った。


「…………っ、認めない!! 断じて認めません、俺は!!!」


 叫びの主は、言わずもがな、エルセリアの騎士兼猛獣ギルベルトである。彼は血走った眼差しで、部屋の中央に立つエルセリアを凝視し、今にも発狂せんばかりに自分の髪を掻きむしっていた。


「ギル、そんなに叫ばないで……。これはエドワード様が、砂漠を歩くには一番適していると用意してくださった装束なのよ」


 エルセリアは困ったように、けれど少しだけ気恥ずかしそうに身をよじった。


 彼女が纏っているのは、クレイウス伝統の最高級シルクを用いた砂漠装束だ。透けるような薄いヴェール。胸元は美しい金糸の刺繍で縁取られ、肩や二の腕は惜しげもなく露出している。ウエスト部分は大胆にカットされ、動くたびに白くしなやかな腰のラインが覗き、足首には歩くたびに涼やかな音を立てる金のアンクレット。まさに、砂漠に咲く一輪の白百合が、情熱的な熱砂の女神に変貌したかのような神々しさだった。


「……露出が、露出が多すぎます!! エルセのその、真珠のような肩も、羽のように繊細な二の腕も、そして……あぁ、その眩しすぎるお腹周りも! これは公然猥褻です! 全人類の視線がエルセの肌を汚すなど、俺は耐えられない!!」

「ギルベルト、落ち着け。これは我が国では至極正当な高貴な女性の正装だ。砂漠の熱を逃がし、風を纏うための知恵なんだよ」


 エドワードが苦笑しながらなだめようとするが、ギルベルトはもはや理性の箍が外れていた。


「黙れ、暴君王子! お前の下心はお見通しだ! エルセ、今すぐその薄い布を脱ぎ捨てて、俺が予備で持ってきた厚手の外套(毛皮付き)に着替えてください! さもなくば……さもなくば俺は今この場で、エルセを誰も入ってこられない地下牢に閉じ込め、一生俺だけがその美しさを愛でる生活へと移行しますよ!!」

「まあ、ギル……。地下牢だなんて、物騒なことを言わないで」

「本気です! 地下の最深部に、ふかふかの絨毯と最高級の食事、そして俺という完璧な娯楽を用意して、エルセを永遠に隠匿する……。あぁ、なんて素晴らしい名案なんだ! 暴君、すぐに工事の手配を」

「するわけないだろう! マルタ、何とかしてくれ!」


 エドワードが助けを求めると、背後で静かにお出かけ用の日傘を用意していたマルタが、氷のように冷たい視線をギルベルトに向けた。


「狂犬。……お嬢様の美しいお姿に興奮して、知能指数が魚類以下まで低下したのですか? お嬢様がこの装束を選ばれたのは、クレイウスの文化を尊重したいという、尊い慈愛のお心ゆえです。それを監禁だの地下牢だの、あなたの薄汚い欲望で汚すのは万死に値します」

「ぐっ、正論……。だが仮面女、お前は平気なのか? このエルセの無防備な背中を見て、全人類から守らなければという本能が疼かないのか!」

「疼きます。ですから、お嬢様の周囲三メートルに近づく男は、私がこの日傘の先端で一人残らず再起不能(去勢)にしますので、ご安心を」

「……マルタ、あなたの方が怖いわ……」


 結局、ギルベルトが泣きながら「せめて、せめてこの大きなストールを羽織ってください!」と、巨大な布でエルセリアをぐるぐる巻きにしようとするのをカインが羽交い締めで食い止め、一行はようやく街へと繰り出すことになった。





 王都サフィールから少し離れたオアシス街『アル・シャムス』。そこは、巨大なヤシの木が木陰を作り、エメラルドグリーンの湖を囲むようにして、色鮮やかな露店が立ち並ぶ活気ある場所だった。


「わあ……! セレンとはまた違った、力強い活気ですね」


 エルセリアが目を輝かせ、露店に並ぶガラス細工や色とりどりの果物を見つめる。彼女が歩くたびに、ヴェールが風に舞い、街の人々はそのあまりの美しさに足を止め、ため息を漏らした。


「見てくれ、あの美しい方を。まるで精霊王様の愛し子のようだ……」「我が国をお救いいただいた聖女様じゃないか? ああ、なんて神々しい姿なんだ」


 好意的な民衆の視線。しかし、その後ろを歩くギルベルトの表情は、完全に地獄の番人そのものだった。彼は、エルセリアを一目見ただけの通行人を一人ずつ指差しては、「今、エルセの鎖骨を見たな? 目を焼き切ってやる」「その鼻の下を伸ばした顔を、砂に埋めてやろうか」と、呪いの言葉を吐き散らしている。


「カイン、悪いがギルベルトを適当な串焼き屋にでも繋いでおいてくれないか? エルセリアが買い物を楽しめない」

「了解、閣下。おい、ギルベルト。あっちに『激辛サソリ串』の店があるぞ。お前の今の煮え繰り返った腹には丁度いいだろ」

「放せ、カイン! 今、あの商人がエルセの手を……果物の試食と称してエルセの指先に触れようとしたんだ! あの指を三枚に下ろして——」


 騒がしい道中だったが、エルセリアは楽しそうに笑っていた。市場で冷たい果実水を飲み、精霊の加護で潤った大地の息吹を感じる。ふと、街の中央にある大きな噴水の前に辿り着いたとき、エルセリアは足を止めた。


 そこには、子供たちが元気に水を掛け合って遊ぶ姿があった。かつて、一滴の水のために泣いていた、あの枯死の村の光景を思い出す。彼らも、今はこうして笑っているのだろうか。


「……ギル。私、本当に嬉しいわ。みんながこうして、笑っていられることが」


 エルセリアが優しく微笑み、ギルベルトの方を向く。その逆光に照らされた彼女の姿——風に揺れるヴェール、露わになった白い肌、そして何よりも慈愛に満ちたその表情。


 それを見た瞬間、ギルベルトの荒ぶっていた殺気が、霧散するように消えた。彼は深く、深いため息をつき、その場に跪く。


「……エルセ。一旦はあなたを閉じ込める計画は中止します。……その代わり、一つだけお約束ください」

「なあに、ギル?」

「……いつか、この旅が終わったら。……俺と二人きりの時に、もう一度だけその格好をしてください。その時は、誰の視線も気にせず、俺があなたのすべてを、死ぬまで愛で尽くしますから」


 あまりにも熱く、直球すぎる言葉に、エルセリアは顔を真っ赤に染めた。


「……バ、バカなことを言わないで、ギル……っ!」

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