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第52話 白銀の守護獣


 クレイウスに降り注いだ慈雨は、三日三晩続いた。大地が十分に水を吸い、枯れ果てた水路に清流が戻った頃、王都サフィールは建国以来最大とも言える熱狂に包まれていた。


 王宮前の広場には色鮮やかな絨毯が敷き詰められ、砂漠の民たちが色とりどりの布を振って踊っている。市場には溢れんばかりの果実と香辛料が並び、街中にエルセリアを讃える歌が響き渡っていた。


 そして今日、その歓迎祭は絶頂を迎える。


「……エルセ、あまり身を乗り出してはいけません。民衆の熱気でエルセの体温が上がりすぎたら大変です。俺が特製の冷却魔石を周囲に浮かべましょうか?」

「ギル、お祭りなのよ。少しは落ち着いて。……それより、見て! 街中がこんなに明るいなんて」


 バルコニーに立つエルセリアは、純白のドレスに身を包んでいた。十分な治療を経て、彼女の肌は潤いを取り戻し、その瞳には救った大地への慈愛が満ちている。


 隣には、漆黒の礼装を完璧に着こなしたギルベルト。彼は相変わらず、エルセリアの周囲一メートル以内に不浄な視線を通さないという強い意志を持って背後に控えていたが、その表情にはどこか誇らしげな色が混じっていた。


「……さて。皆、準備は良いか?」


 エルセリア達が頷いたのを確認し、エドワードがバルコニーの先端に立ち、民衆に向けて両手を広げた。


「クレイウスの民よ! 我らの大地は蘇った。そして今、我らが救世主を祝福するため、古の盟約が形を成して現れる!」


 エドワードが天を仰いだ瞬間、サフィールの空が、抜けるような青空であるにもかかわらず、キラキラと雪のような光の粉で満たされた。


 ——グォォォォォンッ!!


 地鳴りのような、けれど不思議と耳に心地よい咆哮が王都に轟く。王宮の背後にそびえる聖なる山から、一筋の白い雷光が駆け降りてきた。


 民衆が息を呑み、そして一斉にひれ伏す。そこに現れたのは、神々しい翼を広げ、全身を白銀の毛並みで覆われた、巨大で立派な神獣の姿を象る精霊王だ。


 五つの尾を持ち、額には翡翠色の巨大な魔石が輝いている。その堂々たる姿は、クレイウスの象徴そのものだ。精霊王は優雅な足取りで空を歩き、エルセリアの立つバルコニーへと舞い降りた。


「……精霊王様」


 エルセリアがそっと手を伸ばすと、山のように大きな純白の神獣は、その恐ろしくも美しい頭を下げ、彼女の掌に鼻先を寄せる。


『……聖なる乙女よ。そして、その影なる守護者よ』


 精霊王の声は、風に乗って民衆全員の心に直接響き渡った。


『我が夢を救い、この地に再び命の脈動を戻した者の名は、エルセリア。……彼女がいる限り、クレイウスの泉が濁ることは二度とない。民よ、この光を永遠に刻むがいい』


 精霊王が翼を広げると、眩いばかりの光の羽根が街中に降り注いだ。それに触れた人々の疲れが癒え、病んでいた者の顔に赤みが差す。街は、もはやお祭り騒ぎを通り越して、奇跡の目撃に対する法悦の渦に飲み込まれていた。


「……すごい。みんな笑っています」


 エルセリアが目を細めて笑うと、精霊王はその大きな翡翠の瞳をギルベルトに向けた。


『……黒き人間よ。貴殿の狂気にも似た執念が、この娘を現世に繋ぎ止めた。……その忠誠、我が認めよう』

「……精霊の王に認められずとも、俺の忠誠は既に完成されています。……ですが、エルセを褒めたことだけは評価して差し上げましょう」


 ギルベルトが不遜に言い放つと、精霊王は可笑しそうに喉を鳴らし、再び天へと舞い上がった。


 祝祭は夜まで続き、王宮のホールでは盛大な晩餐会が始まった。エドワードは、自国の宝物庫から取り出した最高級の宝石をエルセリアに贈ろうとしたが、ギルベルトが「エルセの輝きに比べれば石炭同然です」と一蹴し、代わりに自分が摘んできた砂漠の珍しい花を彼女の髪に挿した。


「……マルタさん。あの二人、もうどこに行っても変わらないですね」


 カインが呆れたようにワインを煽ると、マルタは優雅に会釈しながら答えた。


「ええ。ですが、お嬢様が笑っていらっしゃる。……それだけで、世界は輝いて見えますよ」


 窓の外では、精霊たちが星空を駆けている。砂漠の国に訪れた、これ以上ないほど輝かしい夜。


 エルセリアは、自分を抱き寄せ「今夜のダンスは俺以外とは踊らせません」と囁くギルベルトの腕の中で、幸せそうに瞳を閉じた。




 しかし、祝祭の影で。あの精霊の少年の言葉が、彼女の胸の奥で静かに火を灯していた。


(——君の魔力は、ただ癒やすためのものじゃない。それは、失われた『魂』を呼び戻すための……)


 その言葉の真意を知る日は、そう遠くないのかもしれない。けれど今はただ、この優しい雨音と、隣にいる彼の温もりに浸っていたい。


 エルセリアの新しい物語は、まだ始まったばかりなのだから。

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