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第37話 旅立ちの朝


 クレイウス王国への出発。それは、エルセリアたちがこの港町セレンに根を下ろして以来、初めての長い別れになる。


 出発の朝、まだ太陽が水平線の向こうで微睡んでいる時間だというのに、薬屋の前の広場には驚くほど多くの人々が集まっていた。


「先生! 本当に行っちゃうのかい?」「エルセ様、これを持ってってくれ。俺の船で昨日とった一番いい干物だ。砂漠は暑いんだろ? 塩分が大事だぜ!」「先生、これ。お守り……私が編んだの」


 バルドスの部下たち、市場のおかみさん、そして小さな子供たち。平民としてこの街に移り住んだ彼女を温かく受け入れてくれたこの街の人々が皆、名残惜しそうにエルセリアを囲んでいる。


「皆さん、ありがとうございます。……でも、そんなに悲しまないで。必ず帰ってきます。少し、お隣の国を助けに行くだけですから」


 エルセリアが微笑むと、リナが彼女のスカートをぎゅっと握りしめて涙をこぼした。


「エルセ様……嫌だぁ。ギルお兄ちゃんも、マルタさんも行っちゃうの?」


 その言葉に、荷馬車に大量の「エルセ用砂漠対策用具(最高級の日傘、冷却魔石、万能薬等)」を積み込んでいたギルベルトが、一瞬だけ動きを止めた。彼はしゃがみ込み、珍しく穏やかな手つきでリナの頭を撫でる。


「……リナ殿。エルセは、世界で一番尊いお方です。そのお方が、助けを求める民を見捨てられないと仰った。騎士である僕が、それを止める権利はありません。ですが、安心してください。エルセに傷一つ付けることなく、必ずこの街に連れ戻します。……もし万が一、王子が不埒な真似をすれば、その時はクレイウスという国そのものを、お土産として持って帰ってきてあげますから」

「ギル、不吉な約束をしないでちょうだい」


 エルセリアが苦笑すると、背後から「やれやれ」と声がした。


「全くだ。私を悪役にするのはやめてほしいな、ギルベルト。……セレンの諸君! 安心したまえ、エルセリアは我が国の賓客として、私の命に代えても守り抜く。彼女が再びこの街の土を踏むとき、彼女は世界を救った聖女として、さらなる輝きを纏っていることだろう!」


 エドワードが、その肌を朝日に輝かせながら大仰に宣言する。街の人々は「王子様、頼んだぜ!」「先生を泣かせたら承知しねえぞ!」と、王族相手とは思えない威勢の良さで送り出しの声を上げた。


「……さて。感傷はこれくらいにしましょう。お嬢様、出発の時間です」


 マルタが冷静に、けれど少しだけ名残惜しそうに店に鍵をかけた。その隣では、カインが既に馬に跨り、碧い瞳で街道の先を見据えている。


「カインさん、もう準備ができたのですか?」

「ええ。僕の任務は、あなたを無事に送り届けることですから。でも、これほど多くの人に見送られる旅なんて、前代未聞ですよ。……エルセ、あなたは本当に、人を狂わせる」


 カインが小さく笑い、馬を歩かせ始めた。


 馬車がゆっくりと動き出す。エルセリアは窓から身を乗り出し、小さくなっていく街の景色と、いつまでも手を振り続けてくれる人々に、何度も何度も手を振り返した。


(……ありがとう、セレン。私の本当の故郷)


 潮騒の音が遠ざかり、代わりに乾いた風が吹き始める。港町の琥珀色の思い出を胸に、彼女たちは灼熱の砂漠が広がるクレイウス王国へと足を踏み出す。


 隣でギルベルトが、「エルセ、寂しければ俺の腕をぎゅっと掴んでも構いませんよ」と相変わらずの暴走を始めていたが……それさえも、これからの厳しい旅路には欠かせない、いつもの心地よい光景のように感じられた。

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