第12話 愚者の希望
エルセリアが「死んで」から、王都の冬はかつてないほど長く、厳しいものとなっていた。かつて彼女が丹精込めて手入れしていた王城の庭園は、今や結界の弱まりと共に枯れ果て、不気味な骸骨のような枝を空に伸ばしている。
「……見つけた。……ついに、見つけたぞ……!」
王城の奥深く。埃の舞う執務室で、ヴィンセントは一枚の薄汚れた紙を握りしめ、喉の奥から絞り出すような笑い声を上げた。その傍らには、王室直属の隠密が、深い傷を負った姿で跪いている。
「それは、間違いないだろうな? 嘘であれば、貴様の首を跳ねるぞ」
「はっ……。隣国の国境に近い港町セレンにて、『神の如き手』を持つという若き女薬師の噂を掴みました。ピンクゴールドの髪とアメジスト色の瞳を持つ女です」
ヴィンセントの指が、報告書をなぞる。そこには、その女薬師が処方したという「薬の成分分析」が記されていた。
「この配合……月光草を銀の滴で薄め、低温で煮出す手法。……これは、エルセリアがかつて、私の風邪を治すために独自に編み出したレシピだ。王立薬学院の老いぼれたちですら『邪道だ』と吐き捨てた、彼女だけの、優しい魔法……」
ヴィンセントは、その紙に愛おしそうに頬を擦り寄せた。彼の中では、もはやエルセリアが生きているかどうかは疑問ではなかった。
彼女は生きている。自分の残酷な仕打ちから逃れ、どこかで自分以外の誰かを救っている。その事実が、彼の歪んだプライドと独占欲を激しく燃え上がらせた。
「ミレーヌ。……おい、ミレーヌ!」
ヴィンセントが叫ぶと、薄汚れたドレスを引きずってミレーヌが現れた。彼女もまた、この数年で急速に美貌を損なっていた。エルセリアという比較対象がいなくなったことで、彼女の内面の醜悪さがそのまま外見に滲み出たのだろう。
「殿下、どうなさいましたの? そんなに大声を出して……」
「エルセリアが生きていたぞ。港町だ。あいつは、逃げ出していたんだ!」
「……えっ?」
ミレーヌの顔が、恐怖で引き攣る。彼女にとってエルセリアの死は、自分の勝利の証だった。もし彼女が生きて戻ってくれば、今の地位は一瞬で崩れ去る。
「そんなはずありませんわ! お姉様はあの火事で死んだのです。これはきっと、偽物ですわ! お金に困った卑しい女が、お姉様の名前を騙っているだけに決まっています!」
「黙れ! エルセリアの技術を模倣できる者など、この世にいない! ……あいつが戻れば、この不作も、魔物の被害もすべて収まる。私は再び、偉大なる王として君臨できるのだ」
ヴィンセントは、ミレーヌの肩を強く掴み、その瞳に狂気の色を宿して言い放った。
「準備をしろ。自ら港町へ向かう。……私の女を、檻に連れ戻すために」
◇ ◇ ◇
その頃。港町セレンにて。バルドスの屋敷の廊下で、ギルベルトは壁に背を預け、冷たい月を見上げていた。彼の指先には、今しがた仕留めたばかりの「鼠」——王都の密偵が持っていた通信用の魔道具が、飴細工のように無惨にひしゃげている。
「……鼠が、一匹逃げたようですね」
音もなく現れたマルタが、血の付いたナイフを布で拭いながら告げた。ギルベルトは、金色の瞳を細める。
「あぁ。致命傷は負わせたが、バルドスの部下との乱戦に紛れて、王都行きの馬車に飛び込んだ男がいた。……情報の断片は、王都へ届くだろう」
「お嬢様の『薬』ですね。あんなに、目立つようなことはしないようにと釘を刺したというのに」
「……エルセリアを責めるな。あの方は、そういう方だ。目の前の命を放っておけないから、俺は救われた」
ギルベルトは、ひしゃげた魔道具を握りつぶした。
「……あの愚かな王子と女を断罪する時が、ようやく来たか」
「ええ。お嬢様を泥で汚し、絶望の中で死なせようとした、あのゴミ屑共を許してはおけません」
二人の間に、冷酷な沈黙が流れる。
「バルドスに通しておこう。港を封鎖し、街に入る全ての道を監視させる。……エルセリアには、何も知らせるな。あの方は、何も知らずに笑っていればいい」
「……言われずとも。私の愛刀を汚す価値もないゴミ共ですが、お嬢様の安眠を妨げるというのなら、今度こそ根絶やしにします」
階下では、何も知らないエルセリアが、リナと一緒に明日作る薬の相談をして、楽しそうに笑っている声が聞こえてくる。
その笑い声を、一秒でも長く守り抜く。
「エルセリア。あなたに指一本でも触れる不届き者がいれば……その者の血で、この世界を染めてみせますよ」
ギルベルトの呟きは、夜風にさらわれて消えていった。




