第一話 英雄の曲が流れる時 10
その時に弟の王子が咄嗟にバイオリンの弦を掴んで衝撃で落としてしまったのだ。
バイオリンを弾き終えたら食べるはずだった食事にも毒が入っており、その日参加しなかった三番目の王子に疑いの目が向けられたという事である。
だが、真実は分からない。
彼もまた無実を訴えて処刑されたからである。
月は弦を微妙に緩め魂柱の位置を確認しながら調整を始めた。
バイオリンの魂柱は表板と裏板の間に立っており音のエネルギーを表板から裏板へと伝える重要な役目を果たしておりその位置によって音の響きが変わるのである。
しかも、板と板の間に立っているが接着剤などは使われておらず弦によって固定されているのである。
正に魂柱の扱いはプロにしかできない仕事であった。
月は調律を終えたバイオリンを手に
「一曲、贈りましょう」
とゆっくりと奏で始めた。
静寂が広がる中で突然激しい旋律が響き渡った。
強く。
激しく。
更に激しく。
まるでそれは何かと戦い跪きそうな己を鼓舞するような自身の弱い心と自身を威圧するモノへの怒りに似て……立て、立て、立ち上がれと言っているような迫力があった。
ショパンの練習曲集10―12……『革命のエチュード』と呼ばれる曲である。
一際激しい曲であった。
政治的、また国家間の圧力や横暴に怒りを覚え立ち向かう者たちへの曲である。
成澤も高木も窓を背に約束通り沈黙を守ったまま立ちつくし、その激しい旋律に息を飲み込んでいた。
陽は知らないのだがこれまで持明院月の元には多くのVIPが訪れていた。
だが、それは全てVIPである本人が望んで訪れたことで警察としては踏み込むことも強制的に守りに入ることもできなかった。
要請はするがこれまで一度として持明院月が応えることはなかったのだ。
『仕事なので邪魔しないでください』の一言でさっぱりと切り捨てられてきたのである。
つまり今回は彼らからすれば正にイレギュラー中のイレギュラーだったのである。
誰もが沈黙を守る中でバイオリンの旋律は怒涛のように流れていく。
運命に抗え。
負けるな、抗えと、訴えかけるように激しく強く周囲に広がった。
家の周囲には機動隊が警備についており、政府の要人用の車が待っていたが、その誰もが息をのんでその曲に耳を向けていた。
月は曲を弾き終えるとシェールの前に行きバイオリンを渡すと
「外では日本政府のSPが貴方を空港へお送りするために待っております」
と静かに微笑んで告げた。
シェールは一つ大きく息を吐き出すと何かを決心したように
「やはり、持明院はプロだ。成すべきことをやり切る。私も見習わねばな。その曲……確かに戴いた。私は逃げてはならない」
と告げて立ち上がった。
月は静かに笑むとシェールと共に家を出た警視庁の警備部警護課の成澤達に会釈して彼らを見送った。
陽と勇介たちも弾除けに両側に立ってシェールを見送ったのである。




