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【完結保証】追放された“改造師”、人間社会を再定義する ―《再定義者(リデファイア)》の軌跡―  作者: かくろう
第4章

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第98話「潮騒の夜、ティアは眠れない」

 リュミエルの夜は静かだった。


 昼間は船乗りの怒鳴り声や商人の値切り合いでうるさい港町も、夜になると潮と灯だけになる。外の通りにはゆっくり揺れるランタンが並び、海からの風が塩と魚と油の匂いを運んでくる。


 宿の二階。借りた部屋のひとつで、ティアはベッドの上に丸くなっていた。


 目は閉じない。眠れない。胸が落ち着かない。


 部屋の中には、彼女とミナ、そしてリアナ。壁は石と木でできていて、港町らしく少し湿っていた。窓は半分だけ開いていて、波音がずっと聞こえている。


 ミナはもう寝ている。布団に顔をうずめて、尻尾だけがふわふわ揺れていた。安心しきった動物みたいな寝息を立てている。その寝息が、ティアにはちょっとだけうらやましかった。


 リアナは小さな灯のそばで祈っていた。手を胸に当てて目を伏せ、誰かに許しを乞うような祈りじゃなく、誰かの無事を願う祈り。今のリアナはそういう祈りしかしない。ティアはそれをちゃんと知っている。


 ティアは天井を見た。


「…………」


 言葉にならない呼吸がこぼれる。


 さっきまでのことを思い出す。


 ユウリとセリスが二人で部屋に残って話していた。港と、街と、この先のこと。セリスが静かな顔で立ってて、ユウリが窓のそばで潮風を吸ってて、声の調子が落ち着いてて。


 その光景が、ティアの胸にずっと引っかかっている。


 ミナは言ってた。「ずるい」。あれは嫉妬の音だ。あの子は分かりやすい。


 ティアは、もう少し複雑だった。


 別にセリスが嫌いなわけじゃない。むしろ好きだ。戦い方はぜんぜん違うけど、体の使い方が無駄なくて、風みたいに動くエルフで、落ち着いてて、怖い場面でも顔が乱れない。かっこいい。そう思ってる。


 でも。


 胸の奥に、何かがつっかえて落ちない。


 モヤモヤ、という言葉だけでは足りない。熱いけど苦い。焼けるのに冷たい。息が浅くなる。戦ってる時の「熱」は気持ちいいけど、これはそうじゃない。のどの奥だけがぎゅっと掴まれて、叫んでも出ない。


 これ、なんだろう。


 ティアはそれを知りたいけど、うまく言葉にできない。


 たぶん、ユウリなら説明できる。でも、それを聞いてしまったら負けのような気もする。


 それがまた、よくわからなくて苦しい。


「ティア。眠れないのですか?」


 静かな声が落ちてきた。リアナが祈りを終えて、椅子から身を起こしていた。灯がやわらかく揺れて、金の髪が光る。


「……眠れない」


 ティアは小声で答える。


「喉、苦しくて。胸が、熱い。戦いの後のやつじゃない。なんか変。嫌いじゃないけど、好きな感じとも違う」


「ふふっ。ずいぶん素直に話してくれますね」


「主様に言われたもん」


「なんと?」


「“息がうまく入らないときは、黙ってひとりで抱えこむと倒れる。口に出して誰かに渡せ”って」


「……本当に優しいですね、あの人は」


 リアナはそう言って、ベッドの端に腰を下ろす。ティアとミナの間にそっと座る。座るだけで、温度が落ち着く。リアナってそういう人だ。熱を下げる。光を残す。


 しばらく、波の音だけが流れた。


「セリスさんのことを、考えていましたか?」


 ティアの肩が、ぴくっと動いた。


「べつに。……ちょっとだけ」


「ふふ」


「笑わないで」


「ごめんなさい」


 リアナの声はやわらかい。からかっている響きはない。ただ、うれしそうだった。ティアがちゃんと誰かを大事に思っていることが、嬉しそうだった。


「ティア。あなたは、ユウリ様の隣に立つのが、とても自然になりました」


「うん」


「それはあなたの力。あなたが、その場所を勝ち取ったから」


「うん」


「でも、自然になりすぎると、忘れがちになるんです。“それは誰にでもできることじゃない”って」


 ティアは一瞬だけ、リアナを見た。


 リアナは続けた。


「セリスさんは、あなたの居場所を奪いに来たわけではありません。彼女は彼女で、ユウリ様のそばに立つ理由を探している途中。今はまださまよっている段階です」


「さまよってる?」


「はい。ティア。あなたはもう、さまよっていないでしょう?」


 ティアはゆっくり瞬きをする。


 リアナの言っていることは、すぐには分からなかった。でも、なんとなく分かった。


 ――ボクは、もう迷子じゃない。


 それは、ティアが自分で思った言葉だった。


 封印から目覚めたとき。竜の角は重くて、世界は冷たくて、怖くて、何も信じられなかった。あれは、迷子の時間だった。


 けど。


 今は「主様」と呼べば振り向く人がいる。呼べば「なんだ」と返る。名を呼ぶと、そこが帰る場所になる。だから、もう迷っていない。


 そう思った瞬間、ティアの胸の苦しさはほんの少しほどけた。


 でも、全部ではない。


「……でも、セリス、すごいから」


 ティアは少しうつむく。


「頭いいし、主様と並んで立ってても似合うし、落ち着いてるし、ちゃんと役に立つ動きできるし。遠くの風のこととか、あたしには分からないこと、分かるし」


「あなたも同じですよ」


「ボクは突っ込んで燃やすだけだよ」


「違います」


 リアナの声が、少しだけ強くなった。


「あなたが一直線に飛び込んでくれるから、みんなが動けるんです。あなたが前に立つから、ユウリ様は攻めの手を選べるんです。あなたが突っ込んでくれるから、ミナは背中を守れるんです。あなたが燃えてくれるから、わたしは祈っていられるんです」


 ティアは息をのんだ。


 言われるまで、気づいていなかった。言われるまで、考えたこともなかった。


 自分が前に立つのは当たり前だと思っていた。そういうふうに作られたから。そういうふうに戦えるから。ただそれだけのことだった。


 でも。


 リアナの言い方は「役目」じゃなかった。「いてくれて、ありがとう」の言い方だった。


「……リアナ」


「はい」


「ボク、主様の役に立ってる?」


「ええ、もちろん」


「主様の“隣”に、いていい?」


「それは、あなたが決めていいことです」


 ティアはぱちぱちと瞬きをした。今度は、胸の奥が熱くて痛くてどうしようもなくなる、あの苦しい感じとは違う。じわっと広がる熱。落ち着く熱。焚き火に近い。やさしい熱。


「……なんか、あったかい」


「それはよかった」


「でも、ちょっとこわい。なんかこう、ぎゅうってしたい」


「ぎゅうっと?」


「主様を、ぎゅうって」


「あら」


「あと、主様の子どもほしいって、時々、思う」


 リアナの手が止まった。


 ティアは真剣な顔をしていた。恥ずかしいという気持ちはちゃんとある。でも、それを隠すより「これがボクだよ」と出す方が正しい、と彼女は信じている。それを止めたことは一度もない。


「……ティア」


「うん」


「それは、主様には、まだ言わない方がいいかもしれません」


「なんで?」


「今は、色々と準備が必要なので」


「じゅんび?」


「ええ。いろいろと。とてもいろいろと」


 リアナは小さく咳払いをした。頬がほんのり赤い。ティアはうつ伏せになって枕に顔を押しつけ、両足をばたばたさせた。


「はぁぁぁぁぁあああああ!」


「静かに。ミナが起きます」


「むぅ……」


 ミナは幸せそうに寝ている。ティアはその寝顔を見て、少しだけ嫉妬した。ミナはいい。素直で真っすぐで、好きなら好きってすぐ言える。ずるい。


 ティアは枕に顔を押しつけたまま、もごもごと声を出した。


「……主様、セリスと二人で歩いてた」


「はい」


「ボクも、二人で歩きたい」


「それは遠慮なく言って大丈夫ですよ。あなたはそれを言っていい人です」


「……言っていい?」


「言っていいです」


 ティアは顔を上げた。目が少し潤んで光っている。


「明日、言ってもいい?」


「明日、言いましょう」


「うん」


 ふっと、ティアの身体から力が抜けた。長く抱えていたものを少し床に置けた子ども、みたいに、肩が落ちて呼吸が深くなる。


 そのとき、窓の外から低い潮騒が響いた。


 波の音が少し変わった。さっきまでより近い。まるで海が足もとに寄ってきたみたいに感じる。


 ティアが首を傾げた。


「リアナ。今の音、分かった?」


「ええ。……満ちてきましたね」


 リアナは窓の外を見やった。灯が水面に揺れている。港の桟橋で、警備の男が二人、交代のあいさつをしていた。夜は深いのに、街は完全には眠らない。


「潮が満ちるのって、なんか好き」


 ティアはぽつりとつぶやいた。


「なんででしょう?」


「うーん……こう、街に“帰ってこい”って言ってる声みたいだから」


 リアナは目を細めて笑った。


「いい表現ですね」


「へへ」


「ティア」


「なに?」


「あなたも、帰れる場所があるんですよ」


「うん。ある。あるよ」


 ティアは胸に手を当てた。そこには熱いものがあった。怖くない熱。大丈夫な熱。


 封印の中の冷たい夢じゃない。誰かの命令でもない。鎖でつながれた檻の中の熱でもない。


 今そこにあるのは、自分で選んだ火だった。


「だから、ボクは、もう迷子じゃない」


「ええ。あなたはもう迷子じゃない」


「でも、主様はすぐどっか行く」


「ふふ。それはそうですね」


「だから、ちゃんと隣にいないと。セリスに取られちゃう」


「セリスさんは取っていきませんよ?」


「でも、もしかしたら、主様が倒れそうな時、支えるの、ボクじゃないとイヤ」


「それは、とても大事な気持ちです」


「でしょ?」


「はい。とても大事な気持ちです」


 リアナはそっとティアの頭に手を置いた。指先が髪を梳く。ティアは目を閉じた。安心が降りてくる。体の奥でざわざわしていた火が、毛布をかけられて丸くなる。


「明日、言う。ちゃんと主様に言う」


「なんと?」


「“ボクも一緒に歩きたい”って」


「ええ。伝えましょう」


「それから、“ちゃんと見てて”って」


 リアナは一拍置いて、小さく笑った。


「それも、伝えましょう」


「うん」


 静かになった。


 港の夜は揺れている。潮の音は低く深く、船と杭がこすれる音が周期的に鳴る。部屋の灯は小さく、三人の影が壁に寄り添って揺れている。


 ティアの呼吸がゆっくりになっていく。


 まぶたが落ちかけたところで、彼女はもう一度だけ口を開いた。


「リアナ」


「はい」


「ボク、明日もがんばって“主様の一番の槍”する」


「ええ。任せました」


「うん。……えへへ」


 ティアは眠りに落ちた。


 その寝顔は、戦いのときの鋭い表情とも、昼の元気な笑顔とも違う。守られる側の子どもではなく、明日また誰かを守りに行く子の顔だった。


 リアナはしばらく、その寝顔を見守った。


 優しく撫でたあと、灯を落とす。


 ミナの寝息、ティアの寝息、遠い波。


 穏やかな音だけが部屋に残る。


 その頃、別の部屋では、ユウリが窓辺でβの投影を見つめていた。


《報告。港の南にて、微弱な構文ゆらぎを検出。戦闘性は低。危険度、今は“無視推奨”です……たぶん》


「“たぶん”は新しいな」


《……学習中です》


「なら今日はいい。みんな寝かせろ。明日は誰も戦わせない」


《了解。ティアの心拍、安定しました。感情パラメータ、“安心・期待”。……主様、明日、呼び出されます》


「……そうか」


《はい。おそらく“歩きたい”と》


 ユウリはわずかに笑った。


「いいな。歩こう」


 灯台の明かりがまた一度だけ波に反射して、夜はゆっくりと更けていく。


 潮が満ちる。音が寄る。


 新しい朝の手前で、街全体がひと呼吸していた。

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