第94話「砂鎖の影 ― 幻走の追跡 ―」
夜のルマニアは、昼の喧噪が嘘のように静まり返っていた。
月明かりが砂壁を照らし、風が街路の隙間をすり抜ける。
その中を、ミナとリアナは音もなく進んでいた。
砂漠の風は夜になると冷たい。
リアナが薄い外套を整え、指先で小さな光球を浮かせる。
灯りというより、目印。
“見える者にしか見えない”祈りの光だ。
「……ここから先が、南区の旧倉庫街ね」
「うん。人の匂い、たくさんする。……悪い匂いも」
ミナの耳がぴくりと動いた。
建物の間をすり抜けるたび、足音を風が攫っていく。
遠くで金属がぶつかる音。短い怒号。
見張りの男が数人、松明を持って巡回していた。
「交代の時間みたい」
「じゃあ、入るの」
ミナは短く頷き、腰のポーチから小さな砂瓶を取り出す。
中の粉を指先に取り、床に軽く払った。
――しゅん、と音もなく霧が広がる。
幻術《幻走》の展開。
影が揺れ、二人の姿が夜気に溶けた。
◇◇◇
倉庫の内部は薄暗く、腐った布と油の臭いが充満していた。
積み上げられた木箱、鎖で封じられた樽。
その間を縫うように、数人の男が動いている。
「次の便はいつだ?」
「明日の夜明けだ。北の交易路から“素材”が届く」
「また子どもか?」
「ああ。孤児を装って“保護”するんだとよ。貴族の連中はよく考える」
リアナの眉が静かに動いた。
けれど、声は出さない。
ミナが振り返る。
その金の瞳が、薄暗い中で細く光った。
「……主様の言ってた、“根”のところ」
「ええ。間違いない」
二人は視線を交わす。
その時、ひときわ大きな扉が奥で開いた。
甲冑の擦れる音。
重厚な靴音が響く。
「現場を見せろ。失敗は許さん」
低い声。
月光の差し込む隙間から、その姿が見えた。
全身を黒鉄の装甲で包み、片眼だけが青く光っている。
――ゾルドの“端末”。
ユウリが予想していた通り、彼は遠隔制御でこの地に干渉していた。
男の動きは機械的で、まるで“操り人形”のよう。
「ゾルド……」
リアナが息をのむ。
「でも、これ……本体じゃない」
「うん。“にせもの”の匂いがするの」
ミナが腰を落とし、短剣を抜いた。
リアナが手を伸ばす。
「待って。まだ動くのは早い」
「でも――」
その時、βの通信が二人の耳飾りに届いた。
《通信接続。こちらユウリ。状況報告を》
「主様、発見。ゾルドの“コピー”がいるの」
《確認した。交戦は避けろ。解析優先》
「了解……でも、あれ、動く」
端末の片眼がぎらりと光り、倉庫の闇が青白く染まった。
音もなく、男たちが次々と崩れ落ちる。
「な、なにを――がっ!」
叫びは途切れ、全員が一瞬で倒れた。
《観測報告:端末個体、周囲生命体の神経信号を“吸収”中》
リアナの顔色が変わる。
「そんな……人の命を、構文に……!」
ミナは躊躇なく前に出た。
「主様の命令で動かない。でも――子どもたちの命、守るの!」
短剣に幻光が走る。
《幻尾烈閃》――ミナの閃光刃が夜気を裂いた。
端末の体を一閃。
だが、切り裂かれた金属はすぐに再生を始める。
《構文更新検知。自動修復機能……ゾルド本体からの遠隔供給です》
「ちっ……手強い」
ミナが歯を噛む。
リアナが詠唱を開始した。
「――《純聖再生》、命の残響を繋ぎ止めよ!」
倒れた男たちの呼吸がかすかに戻る。
その光の中で、ミナが再び跳んだ。
だが、端末が腕を振る。
衝撃波のような魔力が弾け、壁が崩れる。
「ミナ!」
「だいじょ……ぶ、まだ動ける!」
リアナが立ち上がり、両手を組む。
「ユウリ様、今です!」
《了解。改造構文――干渉開始》
βの声と同時に、天井越しに青白い線が走る。
それは遠く、宿の屋上からユウリが放った構文リンク。
「《改造構文:共鳴複製式》――発動!」
光が走り、ミナの短剣に青い回路が浮かぶ。
ユウリの“改造”が、彼女の武器と共鳴した。
「主様の力……!」
「切り刻め、幻の影!」
ミナが踏み込み、一閃。
刃が端末の心核を貫いた。
青光が弾け、構文が崩壊する。
《端末信号、消失確認。ゾルド本体とのリンク断絶》
静寂が戻った。
ミナは息を吐き、膝をつく。
リアナが駆け寄り、抱きとめる。
「よく頑張りました」
「……主様の声、聞こえたの。だから、こわくなかった」
月光が差し込み、崩れた倉庫の中に静かな光が広がる。
リアナは祈りの手を掲げた。
「どうか、この街に再び鎖が落ちませんように」
◇◇◇
夜明け前。
ユウリたちは倉庫街の外に集結していた。
風が冷たく、砂がまだ眠っているようだった。
「β、結果は?」
《解析完了。ゾルドは“砂鎖”を媒介に、砂漠全域に構文端末を配置していた模様》
「つまり、ここはまだ序章ってことか」
ティアが拳を握る。
「じゃあ、片っ端からぶっ壊せばいいんだね!」
「焦るな。敵は広い。だが、もう逃げられない」
ユウリは視線を東に向けた。
そこには、朝日を受けて金色に輝く砂の都。
「次は、奴の本拠地を探る」
セリスの瞳が静かに光る。
「“影”を暴けば、風は流れを変える」
βが淡く点滅した。
《次標的:シェルダ・フォール遺構。ゾルドの中枢信号、そこから発信中》
「行こう。――壊すためじゃない。直すために」
朝日が昇る。
砂が光を返し、風が彼らの背を押した。
新たな戦いが、静かに幕を開けようとしていた。




