第91話「港の記憶 ― 義腕の少年 ―」
リュミエル港に朝日が差す。
昨夜の戦いの余韻がまだ街のあちこちに残っていた。崩れた倉庫、焦げた船着き場、黒く変色した海面。けれど、住民たちはそれでも手を止めなかった。
壊れた桟橋を直し、網を干し、祈りを口にしながら、また一歩を踏み出している。
ユウリたちは港湾区域の奥にある、アイアン・コアの工房跡を調べていた。
かつて海運を支えたはずの技術拠点は、今や焼け焦げた鉄と歪んだ回路の塊に変わっている。
ティアが金属の欠片を蹴飛ばし、顔をしかめた。
「うわっ、焦げ臭い……こんなとこでよく人が働いてたね」
「……働いてたというより、使われてた、だな」
ユウリは黒い焦げ跡を指でなぞる。鉄の表面に、うっすらと魔導刻印が残っていた。
形は――ゾルド式。
《構文解析完了。暴走の原因、制御式の多重書き換え。おそらく複数の人格データを重ねて使用していました》
βの報告に、セリスが眉を寄せる。
「人格を……“部品”のように使った、ということ?」
「ゾルドのやり口だな。自分の断片を人に埋めて、代わりに動かす」
ユウリの声には、わずかに怒気が混じっていた。
彼は焼け落ちた作業台の下を覗き込み、何かが動いたのを見つける。
鉄屑の影で、かすかに息をしていた少年がいた。
年の頃は十にも満たない。腕から肘にかけて、金属の義肢が食い込んでいる。
「……っ!」
ティアが駆け寄ろうとするのを、ユウリが制した。
「待て。反応がある」
少年の義腕が微かに光り、唸るような音を立てた。
次の瞬間、装置の中から赤い閃光が走る。
ユウリはとっさに構文を展開した。
「《改造構文・静音領域展開》」
光が吸い込まれ、義腕の暴走が止まる。
「……だ、大丈夫……?」
リアナがそっと近づき、少年の額に手をかざした。
微弱な鼓動。意識はまだ戻らない。
「義腕が暴走の原因か」
ユウリは膝をつき、接合部を慎重に観察した。
黒い導線の奥から、ゾルド式の刻印が浮かび上がる。
《解析結果:構文由来の人格フラグメントを埋め込み制御。使用者を“支配対象”として管理》
「……人を機械の一部にする気か」
セリスが小さく息を呑んだ。
「そんな……子どもにまで」
「ゾルドのやり方は、人を数字に変える。それが“秩序”だと思ってる」
ユウリの声は低く、静かな怒りを孕んでいた。
ティアが拳を握る。
「主様、これ、直せる?」
「直すさ。――こんなもん、子どもに背負わせる理由はない」
彼は少年の義腕に手をかざした。
青白い構文光が走り、複雑な回路が浮かび上がる。
「《コピー&改造:再定義モード》」
周囲の鉄屑から微弱な波紋が伝わり、βが解析データを投影した。
《模倣対象確立。支配信号の解除には再定義構文が必要》
「了解。――奪う改造じゃなく、返す改造だ」
ユウリの指先が光に包まれる。
義腕内部の構文が書き換わり、赤から青へと変化していく。
少年の表情が少し緩んだ。
「……痛くない……」
かすかな声。少年が目を開けた。
「大丈夫だ。もう誰にも操られない」
「ぼく……ガルスさんに、直してもらったんだ。でも、途中で……怖くて」
「ガルス?」
ミナが首をかしげる。
「主様、この子、あの工房の人?」
《確認一致。元アイアン・コア補助技師。登録名リオ》
βの光が少年の顔を照らす。
リアナが微笑んで膝をついた。
「リオくん。もう大丈夫。あなたの腕は、あなたのものよ」
少年は小さく頷き、ユウリの手を見つめた。
「ありがとう……お兄ちゃん、すごいね」
「改造師だからな。直すのが仕事だ」
ティアが腕を組んで笑う。
「やっぱり主様ってカッコいい! ね、セリス?」
セリスは少し頬を染め、視線を逸らした。
「……確かに。けれど、格好良さより、その手の優しさが――」
言いかけて、言葉を飲み込む。
ユウリは気づかぬふりをして、少年の義腕を再確認した。
「これで完全に安定。β、動作確認を」
《正常稼働。ゾルド由来の構文反応、完全消失》
「よし。……リオ、立てるか」
少年が恐る恐る立ち上がる。金属の指がぎこちなく動き、やがて自然な動きへ変わった。
「すごい……ちゃんと動く」
「本来、技術ってのは人を苦しめるためのもんじゃない。生きるためのもんだ」
ユウリの言葉に、リオは泣きそうに笑った。
◇◇◇
その日の午後。港の復旧作業が進む中、リオは他の子どもたちと一緒に船着き場で手伝っていた。
義腕はもう、ただの“手”だ。
リアナがその様子を見て微笑む。
「……強い子ですね」
「ああ。あいつもきっと、もう大丈夫だ」
セリスが海風に髪をなびかせながら、静かに言った。
「あなたの“改造”って、不思議ね。壊すんじゃなく、ほどくみたい」
「ほどいて、結び直す。俺の仕事はそれだけだ」
「……そう。だからあなたは、見ていて安心する」
セリスの声は潮騒に溶けた。
その横でティアが大声を上げる。
「主様ー! 魚屋のおじさんがタダでくれたー!」
ミナが駆けてくる。
「見て見て、リオが網直したのー!」
喧噪と笑い声。
焦げた街に、ようやく人の息遣いが戻ってきた。
ユウリは空を見上げ、遠くの水平線に沈む光を見つめた。
「……ゾルド。お前の歪みは、どこまで広がってるんだ」
《観測ログ更新:南方以外にも信号片検出。内陸方向にデータ流出》
「内陸……つまり、まだ“次”があるってことか」
ユウリはゆっくりと息を吐き、港の風を受け止めた。
この街はもう、自分たちの手を離れても歩ける。
ならば――進むしかない。
夕日が波間を照らす中、再定義者たちの影がゆっくりと伸びていく。
風の匂いは、次の旅の始まりを告げていた。




