第88話「波間の残響 ― 港を修理する者たち ―」
朝の海は、まだ眠っているように穏やかだった。
リュミエル港の波止場には、崩れた桟橋と折れたクレーンの残骸が並び、潮の匂いと焦げた木の匂いが入り混じっている。
昨日の戦いで港の半分が瓦礫と化したが、今はもう誰もが手を動かしていた。
ユウリたち《再定義者》もその中にいた。
ユウリは袖をまくり、崩落した支柱の基部を覗き込む。
「腐食じゃない。……これは意図的な構造崩壊だな」
ティアが顔をしかめる。
「誰かが壊したの? モンスターじゃなくて?」
「多分な。爆破の角度が内側だ。港の外から攻撃した跡じゃない」
ユウリが低く答えると、βの光が彼の肩の横で淡く浮かんだ。
《解析開始。素材成分に異常反応。……構造式内に“改造痕”を検出》
「改造痕?」とセリスが首を傾げた。
翠の髪が潮風になびく。彼女は目を細め、指先で光を編むように魔力を広げた。
「……確かに。地脈の流れが乱れています。人工的な干渉……それも、ユウリ様の構文に似ている」
彼女の声には静かな驚きが混じっていた。
ユウリは苦い顔で頷く。
「似てる、というより“盗用”だろうな」
《補足:コードパターンはゾルド・ガルバ式構文断片と一致率42%》
「ゾルド……」セリスが低く呟く。
ミナが耳を伏せた。
「また、あの……“見えない敵”?」
「ああ。だが今回は、直接じゃない。――残滓だ」
ユウリは崩れた支柱を軽く叩く。
「奴の技術を真似てる誰かがいる」
リアナが祈るように目を閉じた。
「つまり、人の世界にまで“改造”が流れ込んでいるのですね」
「放っておくと、この街も飲み込まれる」
ティアが拳を鳴らした。
「じゃあ直す! ボクたちの出番だねっ!」
明るい声に、ユウリの口元が少し緩む。
「……ああ。仕事だ」
◇◇◇
港の修復作業は、街の職人たちと共同で進められた。
ティアは炎魔法で鉄材を溶接し、セリスは地魔法で基礎を安定させる。
リアナは負傷者の治療をしながら、子どもたちに笑いかけていた。
そしてミナは、港の倉庫で瓦礫を片付けながら鼻をひくつかせる。
「この匂い、なんか違うの。鉄と……油? でも、どっちも人の手の匂い」
《補足:高濃度エーテル燃料の残留を確認。ゾルド系動力炉由来の可能性あり》
「……つまり、誰かがゾルドの技術を使ってた?」
《肯定。港の修理ギルド《アイアン・コア》の関与率:73%》
ユウリが顔を上げる。
「その名、どこで聞いた?」
《昨夜、市民会話ログより収集。“港の新しい修理屋”として急成長中》
セリスが静かに息を吸った。
「修理を名乗る者が、破壊の技術を使う……皮肉ですね」
その声は冷たい風に溶けた。
◇◇◇
昼過ぎ。
波止場に仮設の屋台が立ち、職人たちが塩漬けの魚とパンを配っていた。
ユウリたちはその片隅で昼食を取りながら、βのデータを確認する。
《ゾルド由来技術:形状再構築構文の一部流出。出所は不明。現在もリュミエル周辺で複数の“修理師”が活動中》
「修理師ね……ずいぶん耳障りのいい看板だ」ユウリがぼそりと呟く。
「でもさ、同じ“直す仕事”でも、使い方で全然違うんでしょ?」とティア。
「ああ。道具は中立だ。人がどう使うかで、意味が変わる」
ミナがパンをもぐもぐ食べながら首を傾げる。
「主様の“改造”は、怖くないの。光って、あったかい。あの人のは……冷たかった」
ユウリが笑った。
「お前は感覚が鋭いな。技術にも“温度”があるってわけか」
セリスが横で静かに頷く。
「人が触れるものには、必ず心が宿ります。だからこそ、心が壊れていれば、技も歪む」
リアナが祈るように微笑む。
「なら、私たちは“直す心”を広めていけばいいのですね」
潮風が吹き抜け、港の鐘が鳴った。
陽光が海面に反射してきらきらと跳ねる。
その輝きの向こうに、古びた倉庫の屋根が見えた。
ユウリは視線をそちらに向ける。
――屋根の上に、見覚えのない紋章が刻まれていた。
《解析開始。……構文一致:ゾルド・ガルバ式制御陣形の断片。改変率34%》
「……やはりか」
ティアが立ち上がる。
「主様、行くの?」
「少し見てくる」
「ボクも!」
「お前たちはここで休んでろ。β、同行」
《了解。観測モード移行》
潮風が、ユウリの外套を翻した。
桟橋の板を踏みしめる音が響く。
海の向こうで、白い帆がゆっくりと動き出した。
水平線の彼方では、雲の切れ間から光が差し、海面に銀の道を描いている。
港の喧騒は少しずつ遠のき、波と風だけが世界を満たしていた。
ユウリは立ち止まり、崩れかけた防波堤を見下ろす。
掌に残る砂の感触が、まだ温かい。
――この街の時間は確かに動き出している。けれど、その裏側では何かが、音もなく軋んでいる。
瓦礫の隙間から、ひとすじの光が漏れた。
βの視界が薄く点滅し、波紋のように情報が広がる。
《観測補足。港湾地下構造に、未解析の構文断片を検出。ゾルド技術由来の可能性、55%》
ユウリは口の端をわずかに吊り上げる。
「……やっぱり、奴の痕跡か」
潮風が髪を揺らし、外套の裾が翻る。
ティアたちの笑い声が遠くから聞こえてくる。
リアナは子どもたちの手当てを続け、ミナは魚屋の手伝いをしている。
その穏やかな風景の中にあって、ユウリの瞳だけが、鋭く海を見つめていた。
――この港の奥に、まだ“誰か”がいる。
ゾルドの技術を知り、それを利用している者が。
そしてその者たちは、世界の“修理”を装いながら、別の何かを造ろうとしている。
ユウリは静かに歩き出した。
足音が波のリズムに溶けていく。
βの光が肩越しに寄り添い、微かな電子音を立てた。
《主、これからの行動方針を》
「決まってる。……世界を直す仕事は、まだ終わっちゃいない」
その声は風に乗り、海へと流れた。
波が防波堤にぶつかり、白い飛沫が上がる。
沈みかけた太陽がその水面を照らし、港を黄金色に染める。
ユウリの足跡は潮に洗われ、すぐに消えた。
だがその背中に残る意思だけは、どんな波にも消せない光を宿していた。




