第87話「風を裂く声 ― 港に潜む“異風”」
「潮の匂い……懐かしいですね」
「ボク、こういう街好き! なんか“冒険の入口”って感じ!」
「静かで、でも広い。風が、笑ってる」
「港はいい。行き交う船が、次の旅を呼んでるみたいだ」
白い帆が並ぶ埠頭に、潮風が吹き抜けた。
セリスが長い緑髪を指で押さえ、目を細める。
ティアは荷車を押しながらはしゃぎ、ミナは波を眺めて尻尾を小さく揺らしている。
リアナが微笑み、ユウリは海図を広げていた。
港町リュミエル――南への玄関口。
グランテールでの戦いを終えた彼らは、ようやく次の目的地へ向かう準備を整えていた。
「主様、宿はどうする?」
「ティアとミナで先に押さえておけ。安くて人通りの多い場所を選べ」
「りょーかい! 主様は?」
「俺は少し、港の整備所を見てくる。船の修理技術が気になる」
ティアとミナが元気よく駆け出し、リアナはその後ろ姿を見送って笑った。
傍らで、セリスが小さく首を傾げる。
「……ユウリ、もしよければ、私もご一緒していいですか?」
「構わない。船に興味があるのか?」
「ええ。人の作る“器”って、少し魔法に似ています。
壊れても、もう一度浮かせる――そんな意志を感じるんです」
ユウリは短く頷き、地図を畳んだ。
二人は石畳の坂道を下り、港の外れにある整備所へ向かう。
潮風に混じって油の匂いが漂い、槌音と職人たちの掛け声が響いていた。
セリスは物珍しそうに目を輝かせ、木材を削る職人をじっと見つめる。
「……人の手で、こんなに緻密に形を作るんですね」
「魔法の術式より正確だ。精度を誤れば、船は沈む」
「だから、“改造師”なんですね。あなたの力も、似た理屈ですか?」
「俺のはもっと雑だよ。人の理を組み替えてるだけだ」
「……でも、優しい理です。触れると、温かい」
風が吹き抜けた。
セリスの髪が流れ、ユウリの外套がなびく。
言葉が途切れ、波の音だけが残る。
「セリス」
「はい」
「お前は、どうして俺たちの旅に?」
「理由は……ひとつじゃありません。
でも、あなたが“壊す”よりも“直す”選択をするのを見て、確信しました。
私はあなたの側で、それを見届けたい」
「……そうか」
ユウリの声は短く、しかし柔らかかった。
その時、背後で金属が弾けるような音が響いた。
作業台の奥、風見の塔の影から黒煙が立ち上る。
職人たちが叫び声を上げ、工具を放り出して走る。
「火薬庫がっ!」
「圧力弁が壊れた! 蒸気弾が暴発するぞ!」
ユウリが一瞬で構文を展開する。
「《改造構文・局所圧縮領域》――解除!」
青い光が走り、空間から制御板を取り出す。
爆発の寸前、彼は部品に手をかざし、式を書き換えた。
「《流圧構文・断層制御》!」
空気の層が一瞬で弁を包み込み、内部の圧力が霧散する。
破裂音が止み、白い蒸気だけが立ちこめた。
「……止まった?」
「弁の調整が甘かっただけだ。誰かが触った跡がある」
「誰か……?」
セリスが振り向いた瞬間、黒い外套の男が屋根の上を走り抜けた。
仮面で顔を覆い、銀色の装置を抱えている。
「ユウリ!」
「ああ、見えた。逃がすな!」
ユウリが飛び出すと同時に、セリスが手を翳す。
「《時流干渉・風路》!」
足元の風が渦を巻き、二人の体を押し上げた。
跳躍。
屋根瓦の上に着地し、仮面の男を追う。
「こいつ、ただの盗人じゃない……!」
「動きが機械的だ。人間じゃないかもしれん」
男の腕の関節が異様な角度に曲がり、金属音を立てた。
背中の装置が蒼く光る。
高熱の蒸気弾が放たれ、屋根の一部が吹き飛ぶ。
「ッ――下がれ、セリス!」
「《結界術・風壁》!」
衝撃波を受け、二人は瓦を蹴って反転する。
風と炎がぶつかり、火花が散った。
耳元でβの声が響く。
《解析完了。対象は人造体。構造式、既存記録の“ゾルド技術系列”と一致》
「……また“ゾルド”か」
《はい。古代文明シェルダ期の改造兵技術と同系統。以前検出した信号データと酷似》
「奴の手が、もうここにまで届いているというわけか」
セリスが静かに頷く。
「気配が、普通の人ではありません……冷たいのに、痛い」
ユウリは手を掲げた。
「なら、修理じゃなく破壊だ。《再定義構文・断層展開》!」
光が弾け、屋根全体を覆う構文陣が浮かぶ。
男が咆哮を上げ、腕を振りかざす。
爆音と共に蒸気が弾け、屋根が崩れ落ちた。
瓦礫が飛ぶ。
風がうねる。
そして、二人の視線が交わる。
「ユウリ、合わせます!」
「行くぞ、セリス――!」
風と光が重なり、爆炎を押し返した。
煙の中、蒼い閃光が走る。
構文光が人造体の胸部を貫き、装置が爆ぜた。
残骸が崩れ、空へ白い蒸気だけが昇っていく。
港に静寂が戻る。
遠くで船鐘が鳴り、波の音がまた戻ってきた。
セリスが息を整えながら呟く。
「……これが、“ゾルド”の影……」
「ああ。名前だけの亡霊かと思っていたが、もう動いている。放ってはおけない」
「なら、また旅が続くんですね」
「そうだ。止まっていられる時間なんて、今はもうない」
ユウリは潮風を受けながら、遠くの水平線を見つめた。
その横顔を見上げ、セリスはそっと微笑む。
「……風が、あなたの背を押してます」
「だったら、吹くままに進もう」
白い帆が翻り、港の鐘がもう一度鳴った。
新しい旅の音が、確かに始まりを告げていた。




