第84話「決戦の咆哮 ― 風を取り戻す者たち ―」
空が裂けた。
風喰い――嵐そのものが生きた怪物は、最後の抵抗を見せるように天地を裏返す。
上も下もない。
ただ風が牙を持って渦巻き、世界を呑み込もうとしていた。
それでも、その嵐の中心に立つ影があった。
黒い外套をなびかせ、右手に蒼い光を灯す男――ユウリ。
そしてその背を追うように、ティアとミナが渦の中を駆ける。
「主様っ! あと少しで核に届く!」
ミナの叫びが、風にちぎれながら響く。
「急げ! 奴、また吸い込みを始めてる!」
「了解っ!」
ティアが咆哮と共に跳ぶ。
その瞬間、彼女の周囲の風が爆ぜ、紅と蒼が混ざる。
まるで竜の翼が現れたかのように、炎と風が一体化した。
「ボクの風まで喰うなんて、よっぽど食い意地張ってるじゃん! ――でもな!」
ティアが拳を構えた。
「ボクたちの“想い”までは、絶対に喰わせないッ!!」
拳が空気を震わせ、渦の皮膜を突き破る。
だがその奥――核の表面が黒く変色し、風喰いが逆にティアの力を飲み込もうとした。
「ちょ、うそっ!? 拳、引っ張られて――!」
「ティアッ!!」
ミナがすかさず跳ぶ。
光の尾を引いて幻影が幾重にも広がり、ティアの体を包み込む。
まるで風そのものが抱きとめるように。
「……大丈夫っ! ミナが守るの!」
その瞬間、二人の間に緑の風が走った。
温かく、懐かしい匂いのする風――セリスの魔法だった。
『聞こえますか、ティア、ミナ。風の流れを“こちら”と繋げました。――落ちないで』
「セリス! 風、届いてるよ!」
『よかった。なら……全員、力を貸してください。風は繋がった。次は“音”を合わせる番です』
「音?」
『あなたたちの鼓動です。ひとつに重ねてください』
風の音と心臓の鼓動が重なった。
セリスの声が柔らかく響く。
リアナの祈りの光が空に走り、風を包む膜のように変わっていく。
「――《聖環》!」
光の輪が広がり、渦の流れを切り裂いた。
嵐の奔流が一瞬止まり、空間が静止する。
その一瞬――ユウリが動いた。
「β、出力限界まで上げろ。構文同期、全チャンネル開放」
《了解。全同期開始――構文式、安定率92%。》
「よし……あいつの“風の骨”を再定義する。あの核を砕くのは、ティアの役目だ」
ティアが拳を構え直す。
「主様の命令だもん。全力でいくっ!」
ミナが隣で短剣を構える。
「幻影、三層展開。ティア、隙ができたら叩き込んで!」
「了解っ!」
ユウリの手が空中を走る。
構文光が幾何学的な円を描き、風喰いの周囲に絡みつく。
まるで嵐の筋肉を一つずつ分解していくように、渦の構造を“解析”していく。
《解析報告:内部循環構造を特定。中心に“制御核”を確認。外部からの信号波を検出――》
「ゾルド・ガルバ、だろ?」
《……はい。識別一致。通信波の出所、既知の信号と一致。遠隔観測を継続中。》
「見てやがるんだな、こっちを」
ユウリが口の端を上げた。
「なら、見せてやるよ。俺たちの“答え”を」
◇
リアナは船上で膝をつき、両手を掲げていた。
結界の維持が限界に近い。
額の汗が光り、白い息が出るたびに祈りの言葉が空に溶けていく。
「どうか……導きを」
セリスが隣で風の糸を操る。
その手は震えていたが、瞳は澄んでいた。
「リアナ、耐えて。あと少しで風の道が安定する」
「ええ……でも、もうすぐ、結界が――」
空が爆ぜた。
船を揺らす轟音と共に、風喰いが雄叫びを上げる。
リアナの光が消えかけた瞬間――βの声が響いた。
《祈導波を増幅。出力を補助します。》
「β……あなた……?」
《演算支援だけです。あなたの祈りを“量子構文”に変換します》
「そんなこと、できるの?」
《マスターを見て学びました》
リアナが微笑んだ。
「……ほんと、あなたたちは似てきましたね」
《そう、でしょうか》
「ええ。人の心を、少しずつ理解してきてる」
βの光が祈りの輪に混ざり、結界が再び輝きを取り戻した。
◇
渦の中心――。
ティアが走る。
ミナの幻影が何十にも分かれて、風喰いの眼を惑わせる。
雷鳴が交錯し、空気が燃える。
それでもティアは止まらない。
「主様っ! ボク、行くよ!!」
「行け、ティア!」
ユウリが手を突き出し、構文光が伸びる。
蒼と金の光が彼女の背を包み、翼のように広がった。
「《共鳴構文・風律共鳴》――発動!」
風喰いの体が痙攣した。
渦の流れが逆転し、吸い込むはずの風が逆に吹き出す。
それはまるで、長年閉じ込められた風が解放されるように――。
「今だ、ティア!」
「――うんっ!!」
ティアが跳ぶ。
拳に炎が灯り、風と混ざって黄金の閃光を描いた。
「これがボクたちの風ッ!!」
拳が核に直撃した。
轟音とともに灰色の金属がひび割れ、光が溢れ出す。
「……まだっ、砕けきってない!」
「ミナ、幻尾っ!」
「うんっ!」
ミナの幻が光の刃に変わり、ティアの拳に絡みつく。
炎と風と幻がひとつになり――
二人が同時に叫んだ。
「――《双奏爆破》!!」
世界が閃光に包まれた。
音が消え、風が鳴き、嵐が割れた。
風喰いの核は粉砕され、光の粒が空へと散っていく。
◇
静寂。
数秒遅れて、蒼い風が空一面を流れた。
それは優しく頬を撫でる風――もう、誰かを傷つける風ではない。
ティアが膝をつき、息を荒げながら笑った。
「……ふ、はぁ……勝ったぁ……!」
ミナが彼女の肩を支える。
「ティア、よく頑張ったの! ミナ、誇らしいの!」
「ふふん、当然っ。主様に褒めてもらうのボクの仕事だもん!」
ユウリが近づいてきて、ティアの頭に手を置いた。
「よくやった。お前の拳、確かに“風”を救ったよ」
「へへっ、主様のほうこそ、かっこよかったっ!」
「次からは、もうちょっと抑えろ」
「えぇーっ!?」
そんな二人のやり取りに、リアナが苦笑し、セリスが微かに肩を揺らした。
アルシェ号の甲板に全員が戻る。
風は穏やかで、空はすっかり青く澄み渡っていた。
《解析完了。敵性構文、完全消滅。干渉波信号、消失。ゾルド・ガルバの反応、一時途絶。》
「一時、か」
ユウリは空を見上げる。
どこかで、確実に誰かが笑っている気がした。
「つまり、まだ終わっていない」
《はい。遠隔観測は意図的に遮断。再干渉の可能性、74%》
「上等だ。――見てろよ、ゾルド。お前の“計算”には、俺たちの意思は入ってねぇ」
◇
夕刻。
風が静かに戻った空の下、アルシェ号は滑るように航行を続けていた。
セリスがマストに登り、目を細めて呟く。
「……風が笑っていますね」
「そうだな」
ユウリが操舵輪に手を置き、答える。
ティアが背後で寝転びながら手を振った。
「ねぇ主様ー! 次の街に着いたらさ、焼き串食べたい!」
「肉?」
「肉!」
「ミナは甘いの!」
「リアナは……静かなお茶がいいですね」
「じゃあ三人まとめて行くか。セリスも行く?」
「ええ。風が案内してくれますから」
βの声が穏やかに重なる。
《航路安定。気流良好。……皆さんの心拍数、正常値です》
「β、それ、嬉しそうに聞こえるのは気のせいか?」
《……解析不能》
ティアが笑った。
「βも風に乗ったら気持ちいいよ!」
《風は感じられませんが……今の“音”は、少し心地良いです》
「へへっ、それでいいの!」
甲板を渡る風は優しく、音もなく吹き抜けた。
嵐の夜を越えた仲間たちは、それぞれの笑顔を取り戻す。
――だが、はるか東方。
瓦礫に埋もれた古代の研究区画で、ひとつの機械眼が静かに光を灯していた。
《データ収集完了。対象コード:ユウリ・アークライト。観測成功。》
冷たい声が闇の奥で呟く。
《次段階実行――ゾルド・ガルバ、起動》
その瞬間、遠い空で風が震えた。




