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【完結保証】追放された“改造師”、人間社会を再定義する ―《再定義者(リデファイア)》の軌跡―  作者: かくろう
第4章

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第82話「風裂の空域 ― 嵐の門を越えて ―」

  海は切り裂かれていた。


 アルシェ号の前方、空と海の境目に、黒い壁みたいな雲が立ちはだかっている。渦を巻く雷雲が、まるで巨大な生き物の口みたいに開いて、こちらを飲み込もうとしていた。


「……あそこが“風の門”か」


 ユウリが舵輪を握りながら低く言った。


「門っていうより、バケモノののどちんこって感じなんだけど……」


 ティアが腕を組んで唸った。


「のどちんこって言わないの」リアナが即座に言った。


「じゃあ何? アホみたいな大嵐?」


「それはそれで語彙がひどいな」


 言葉は軽くても、緊張は全員の空気に乗っていた。


 この嵐は普通じゃない。風の流れが不自然だ。押し寄せてくるはずの風が逆向きに吸い込まれ、音が途中でちぎれて消える。


 ミナが甲板にしゃがみこみ、指先を板に当てた。


「……音、飲まれてる。船のきしむ音も、波の音も、途中で消えるの」


「また“止める力”か」


 セリスが風を感じるように目を閉じる。髪が揺れるたびに、彼女の表情が少しずつ険しくなった。


「違います。これは“止める”じゃない。“吸ってる”んです。風そのものを食べてる」


「食べてる?」ティアが眉をひそめる。


「はい。だから嵐が生き物みたいに膨らんでる。風を全部、自分の身体にしてる」


「……風を喰うやつ、ね」


 ユウリは舵を固定し、全員に視線を向けた。


「よし、行くぞ。《再定義者》全員、臨戦態勢。役割確認だ」


「はい!」


「はーい!」


「了解」


「任せてください」


 それぞれの声が重なる。


「ティアは前線。突入役。無茶はするけど死なない範囲で暴れろ」


「死なない範囲ならOKってことね! うん任せて!」


「そういう言い方じゃない」


「はいはい真面目にやりますっ」


「ミナは索敵とルート確保。風の流れを読むのはお前が一番速い。みんなを迷わせるな」


「うん。ミナ、ちゃんと導くの」


「リアナは防御と支援。雷が直撃したら即回復。あと俺が倒れたら優先で起こせ」


「あなたが先に倒れる前提で話すの、やめてくださいね?」


「それは全員の命が乗ってるからだ」


「……ええ、わかってます」


「セリスは風そのものの制御。あの嵐は風を奪って武器にしてる。なら“奪われない風”ってのをこちら側に固定してくれ。お前にしかできない」


 セリスは迷いなく頷いた。


「やっと私の番ですね」


「βは常時解析。異常反応は一秒でも早く知らせろ。隠すな、濁すな、わかりにくい言い方するな」


《了解。曖昧な表現は使用しません。》


「よし、全員行動開始だ。突入する」


 アルシェ号は嵐へ向かって進みだした。


 空が低く唸る。黒い雲がうねり、雷が縫い糸のように走る。


 あの雲の奥で、何かが目を覚ましている。


 生き物の気配だった。



 渦の縁を越えた瞬間、世界がひっくり返った。


 風が消えた。音も消えた。


 船が悲鳴を上げているのに、その音すら途中で飲み込まれる。


 空気が重い。息をするだけで胸が痛い。


 ティアが歯を食いしばる。


「っ、……なんだコレ、動きが鈍い……!」


「押し返されてるんじゃない。吸われてる」


 ユウリはそう言うと、片手を上げる。青い構文光が彼の周囲に浮かんだ。


「《局所加速・甲板上限定》 ――ティア、身体速度を三割上乗せ。行け」


「了解っ!」


 ティアの足元が熱を帯びる。火花が散り、そのまま炎のような軌跡を残して前に跳ぶ。


 風がないのに、炎が揺れる。


 それはティア自身の熱だ。彼女は風に頼らない。自分の力で空気を押し出して、殴るための道を無理やりこじ開ける。


「主様ぁぁぁ! ボク先行くから、絶対来てねぇぇぇ!!」


「おい待て突っ走るな! ……くそ、速い」


 ティアは船縁を蹴って跳び上がり、真っ黒な雲の層の中へと突入していった。


 その背を、すぐに小さな影が追う。


 ミナだ。


「ミナ巡回開始! ティア、見失わせないの!」


 ミナは地を蹴るのではなく、揺れる甲板とロープ、マストの上を猫みたいに移動していく。影の上、影の隙間を縫うように跳び続け、いつでもティアを視界に置き続ける。


 セリスが両手を前に伸ばした。


「ユウリ。船、このままだと押し戻されます。ここは風が全部、あっちに吸われています」


「ああ。だから――ここに、俺たちの風を固定する」


「固定……?」


「風ってのは流れるもんだろ? なら流れを縛るのは間違いだけど、“ここから逃げないで”って頼むくらいなら、まだ許されるはずだ」


 ユウリは片膝をつき、甲板に手のひらを押し当てる。


「β、構文展開。名称リグ・ウィンド。この船の周囲一帯に限定で、風流の最低値を保て」


《了解。構文リグ・ウィンド起動。風流最低域を固定。流出制限を開始。》


 ふっと、呼吸が楽になった。


 リアナが目を瞬いた。


「……空気、戻りました」


「最低限だけな。酸素も風も、この船からは持っていかせない。こっちはこっちで呼吸する」


「そんなことまでできるんですか、あなた」


「できる。仲間が動けるなら、それでいい」


 セリスが一瞬目を見開き、そしてふっと笑った。


「ユウリ、あなたってやっぱり、風のことをわたしよりわかってる気がします」


「それはない。俺はお前の言ってること半分も理解できてない。今のも正しいかどうか怪しい」


「……そういうところが安心するんですよ」


 リアナははっとしたように振り返った。


「ティアたち、上空層に入りました!」


 黒い雲が裂け、その中に赤い光が揺れる。ティアの炎だ。


 でも、その炎が――急に、細くなった。


 ティアの声が、通信の魔導細線越しに割れた。


『なにこれっ、火が吸われる!? 燃えろって言ってんのに、逆に冷える! ちょっと待って、これヤバ――』


「ティア!」


 ミナが叫ぶ。


 だが、声は途中でぷつりと途切れた。


 雷の残光が、闇の中に巨大な影を映した。


 それは、形だけ見れば“竜”に近かった。


 だが翼はなく、代わりに無数の風の渦がはためいている。口のあたりは空洞で、内部は暴れる嵐そのものだ。輪郭は揺らぎ続け、まともな実体をとらえさせない。


 「……………」


 音はないのに、見ているだけで胃の底が冷える種類の“圧”があった。


 セリスが震えた声で言った。


「風喰い……。風を食べて、生きるもの……」


《補足。敵性存在を“風の捕食個体”として仮定。暫定呼称《風喰い》。》


 リアナが息を呑んだ。


「そんなものが実在するなんて……」


「現に目の前にいる」


 ユウリは低く言った。


「ティア、ミナの回線は?」


《通信断。干渉が強すぎます》


「……っ。よし、状況変更だ」


 ユウリが即座に指示を飛ばす。


「セリスはここで風圧を安定させろ。リアナはセリスと船の防御。βは常に位置追跡。俺は援護に行く」


「ユウリ様、待ってください! 嵐の中に直接飛び込むのは――」


「行かないとティアがあのまま飲まれる。ミナも、あいつを一人にしたくない」


 リアナは一瞬だけ目を閉じ、息を整えた。


「……わかりました。戻ってきてください。ちゃんと」


「戻るさ。ティアに怒鳴られない程度の顔でな」


「それでいいです」


 リアナが結界を強め、セリスが風を束ねる。


 ユウリはロープを腰に巻き、マストの支柱を蹴って跳んだ。


 甲板から空へ。

 黒い渦の中へ。



 上空は、ほとんど別の世界だった。


 風がないのに激しく揺れる。上下の感覚が狂う。普通なら一瞬で酔うはずの空間の中で、ティアは低い姿勢でしがみつくように構え、ミナは彼女の背中に組み付くように貼り付いていた。


「ティア、息っ、して!」


「してる! してるけど、火がぜんぶ吸われるの、これムカつくんだけど!!」


「ミナも、幻が引っ張られるの……あいつ、ミナの“気配”まで食べようとするの!」


 ティアは顔を上げた。


 目の前に“風喰い”がいた。


 竜の形をした嵐。口が開くたび、中で雷がうねり、吸い込まれた炎が丸ごと消えていく。


 ティアの炎ごと、力を、食っている。


 ティアが奥歯を噛みしめた。


「おいコラ風ドロボー!! それボクの! 返せぇぇぇ!!」


 叫んでも、音が飲まれていく。


 ミナが低く呟いた。


「……ティア。あいつ、真ん中。胸のとこ。渦が逆回転してる場所あるでしょ。そこだけ吸い込んでないの」


 ティアは一瞬、目を細めた。


「あそこが本体?」


「たぶん。あそこなら、燃やせる」


「よっっっしゃわかった!!」


 ティアは拳を握り直し、全身に熱を叩きつける。


 でも、熱はまた吸われる。

 奪われる。

 削られる。


 それでも彼女は笑った。


「いいよ。そのぶん倍返ししてやるから!」


 その瞬間、横から青い線が走った。


 ユウリだ。


 黒い嵐の中に飛び込み、片腕だけを押し出している。

 その腕の周りに青い構文光が輝き、ティアとミナの周囲に淡い膜を張った。


「遅ぇぇぇぇぇぇ!! 置いてくとかひどくない!? 主様ひどくない!?」

 

「はいはい文句は後。生きてるからいいだろ」


「生きてるけどさぁ!!」


 ティアが文句を言っているうちにも、“風喰い”が口を開いた。


 吸う。

 奪う。

 空気だけじゃない。力ごと奪う。


 ユウリはそれを見据え、低く呟いた。


「……なるほどな。これは風を止めるんじゃない。“動こうとするもの”を全部まとめて飲み込んで、自分の続きにしようとしてやがる」


「つまり?」ミナが問う。


「“動くもの=生きてるやつ”全員が、こいつのエサ扱いってことだ」


 ティアの瞳が細くなる。


「じゃあムカつくね。殴っていいね」


「殴れるだけの道を俺が作る。ティアは渦の心臓をぶち抜け。ミナは動きのズレを教え続けろ」


「了解!」


「まかせるの!」


 ユウリは構文を展開した。


 青い陣がいくつも並び、風喰いの周囲に小さな歯車みたいな光の輪が浮かぶ。それは回転を始め、渦の一部を“正しい向き”に噛み合わせるように動きだした。


「……すご」


 ミナが息を飲んだ。


 ティアも目を丸くした。


「主様、それなに! 今のなに! ずるい! 教えて!」


「即席の“くさび”だ。あいつの身体は風のかたまりだろ。なら、いったん押さえつける留め具があれば、そっから先は殴れる」


「なるほどわかった! わかんないけどわかった!!」


「わかんないなら分かったって言うなよ」


「こういうのは体でわかるんだよーっ!!」


 ティアが吠えた。


 風喰いの身体の一部、その巨大な胸の中心――一ヶ所だけ逆向きに揺れている渦に向けて、全力で踏み込む。


 炎は、もう周囲には広がらない。

 全部、拳に圧縮されている。

 燃やせないなら、燃える力ごと殴ればいい。ティアはそういうタイプだ。


「くらえぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 拳が走った。


 衝撃が走った。


 風喰いの胸に、初めて“形のある傷”が刻まれた。


 渦がぶれる。

 吠え声のない吠え声。

 空そのものが悲鳴を上げる。


 ユウリが短く息を吐いた。


「よし。効くな」


 けれど。


 勝ちではない。


 そこまでだった。


 風喰いの全身から、新たな渦があふれ出した。

 それは一気にティアたちへ向かい、叩きつけるように押し寄せてくる。


「――ッ!」


「ティア、下がって!」


「ミナ、掴まってろ!」


 ユウリは咄嗟に構文膜を強めて二人を後ろへ跳ばすが、自分の身体は渦の直撃を受けた。


 視界が真っ暗になる。

 鼓膜がきしむ。

 全身から力が抜ける。吸われる。


「主様っ!?」


 ティアが叫んだ。


 ユウリの姿が、嵐の奥へ引きずられる。


 ミナが歯を噛みしめる。


「だめ。主様取らせないの!」


 小さな体で、全身の魔力を解放した。

 幻走――彼女の得意な、気配をずらし、存在そのものをぼかす技。その術式を逆に使い、今度はユウリの存在を“ここだ”と強く結びつける。


 風喰いはそれを飲み込めない。

 “存在そのものを押し付けられる”と、捕食がうまく働かないのだ。


 セリスとリアナの声が、遅れて届いた。


『ティア! ミナ! 聞こえる!?』


「聞こえるけど今それどころじゃなぁぁぁぁい!!」


『構図は把握しました! 外側から押さえられます! ユウリ様の位置、固定中!』


『今の一撃、通ってます。撃ち抜けます! いけます!』


「いけるって言ってる!」


「いけるって言ってるね!」


 二人の声に、ティアがにっと笑った。


「よし。じゃあここで逃がしたら、カッコ悪いよね」


 ミナがこくりと頷く。


「うん。ミナ、ティア守るから。ティアは殴るの」


「了解っ!」


「やったれ、ティア」


 嵐が再び唸る。

 風喰いの口が大きく開く。


 ティアが拳を握り、燃える瞳で吠えた。


「次で終わらせるから、ちゃんと見てろよ――主様!!」


 そして――渦の中心へ、再び突っ込んだ。


 だが、その瞬間。


 嵐のさらに奥。

 誰もいないはずの空っぽの方角から、もうひとつの“目”が、彼らを見ている気配がした。


 冷たく、観察するだけの目。


 そこにはまだ、誰も気づいていなかった。


 戦いは、まだ終わっていない。


 これは、ただの一合目だった。

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