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【完結保証】追放された“改造師”、人間社会を再定義する ―《再定義者(リデファイア)》の軌跡―  作者: かくろう
第4章

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第77話「旅立ちの朝 ― 港の約束 ―」

 港町リベールの朝は早い。

 空が薄い桃色に染まるころ、船大工の槌の音と、魚市場の呼び声が重なった。


「ご主人様、起きて起きて! 朝いちの港パン、蜂蜜バターなんだって!」


 ティアが宿の扉を勢いよく開けた。


「主様、ミナも行きたいの!」


 ミナが尻尾をばさばさ揺らした。


「二人とも、先に顔を洗いなさい。塩風でべたつきますよ」


 リアナがタオルを渡した。


「出発は昼前だ。買い出しは三つに分かれる」


 ユウリが机に地図とメモを広げた。


「ティアとミナは食料と水。保存のきくもの優先。

 リアナは寄付の仕分けと、昨日の治療のお礼回り。

 セリスは港の風を見てくれ。帆走に向く潮の時間を知りたい」


「了解、隊長!」


 ティアがびしっと敬礼した。


「主様、ミナ、甘いのも買っていい?」


「重くない範囲ならな」


 セリスが窓際に立ち、潮の匂いを吸い込んだ。


「……風は穏やかです。午前、風向きは南東。出るなら、太陽が高くなる前が最適」


《補足。潮汐も良好。出航推奨時刻、午前十時から正午の間》


 βの声が静かに重なった。


「決まりだ。昼までに戻る。――行動開始」


 ユウリの合図で、皆が一斉に動き出した。



 市場は朝から熱気に満ちていた。

 パン屋の窓から焼きたての湯気が立ちのぼり、果物商が艶やかな皮を光らせている。


「いらっしゃい! 遠征かい? なら固焼きパンと干し肉だ!」


「ください! あと蜂蜜!」


 ティアが袋を抱えきれないほど受け取った。


「ミナ、干し果物も買うの。長旅は口が寂しくなるって、マリネさんが言ってた」


「二袋までだぞ」


「えーっ、三袋!」


「……二袋半」


「やったの!」


 笑い声が屋台の屋根へ飛んでいく。


 通りを挟んだ向こうで、重い音がした。

 港の荷揚げ場で、梱包の縄が弾け、樽が転がり出す。


「危ない、子どもが!」


 魚箱の影に小さな体がうずくまり、樽が一直線に迫っていた。


「ご主人様、行く!」


 ティアが飛び込んだ。

 足裏に熱を纏い、地面を蹴る。燃える軌跡が線を引き、樽の前へ滑り込んだ。


「《止まれーっ!》」


 両手で樽を受け止める。火花が散り、板が軋む。

 直後、ミナが横から樽に肩を当て、回転の向きを港外側へ逸らした。

 二つ三つ、樽が跳ねて海に落ち、白い水しぶきが上がった。


「……ふぅ。セーフ!」


「小さいの、大丈夫?」


 ミナが子どもの肩を撫でた。

 男の子は涙目で頷いた。


「ありがと……お姉ちゃん、あつくなかった?」


「ちょっと熱い。でも、平気」


 ティアが親指を立てた。


 作業員が駆け寄り、何度も頭を下げる。


「すまねえ! 結び目の確認が甘かった。怪我はないか?」


「大丈夫です。次は縄を二重にしてください」


 ユウリが結び目を指さし、手早く結束の仕方をやってみせた。


「この通りに。荷の重さが変わっても抜けにくい」


「助かった。本当に助かった」


 作業員の顔がほっと和らいだ。


 リアナが通りの端で包帯を替えていた。

 昨日、星祭りの混雑で転んだ老婆が、申し訳なさそうに手を振る。


「無理をしないでくださいね。膝は明日まで休ませましょう」


「ありがとうよ、綺麗なお嬢さん。……あんたら、どこまで行くんだい?」


「東です。風が呼んでいますから」


 セリスが答えた。

 老婆は目を細め、潮風に揺れる彼女の髪を眺めた。


「いい風だね。ならきっと、道もいいよ」



 日が上がるにつれて、港はさらに忙しくなった。

 帆の白が眩しく、舫い綱の上を猫がのんびり歩く。


「ご主人様、買い出し完了! ミナ、二袋半、ちゃんと守った!」


「偉いぞ」


「えっへん!」


 ティアが胸を張る。

 袋の隙間から、蜂蜜の瓶がきらりと光った。


「主様、味見してもいい?」


「船が出てからな」


「はぁい……」


 セリスが桟橋の端で目を閉じ、風の向きを確かめていた。

 髪が静かに流れる。潮の香りに、どこか山の気配が混じる。


「……不思議です」


「何が見える?」


「海風に、山の匂いが混じっています。向こうから吹いてくる。

 遠い高地で、古い扉が少しだけ開いた……そんな感じ」


《観測一致。山岳帯に微弱な構文残響。周波数、旧文明系。危険度は未知》


 βが報告した。


「十分だ。海を渡って、東の岸で陸路に入る。目指すは高地の手前の宿場町。

 そこから先は、風と相談しよう」


「了解」


 リアナが頷いた。

 ティアとミナも、声を合わせる。


「出発準備、できてます!」


「ミナも!」


「よし。――その前に」


 ユウリが市場へ向き直った。

 露店のあいだに、昨日の灯籠騒ぎで助けた子どもたちや、パン屋の親父、負傷した作業員たちの顔が見えた。

 皆がこちらを見て、少し照れたように手を振っている。


「行ってきます。戻るかどうかは約束できない。

 でも、この街の“普通の朝”は、ちゃんと続く。あなたたちが続けるんだ」


 ユウリの言葉に、港の空気が少しだけ引き締まった。

 返事の代わりに、いくつもの笑顔が揺れた。



 船の準備が整った。

 板橋が軋み、帆綱が歌い、舵輪が朝日を弾く。


「ご主人様、船、かっこいい!」


「ミナ、海こわくないの?」


「こわいけど、主様がいるから平気」


「えへへ。じゃあボクが一番前!」


「落ちるなよ」


 リアナが救命用の縄を巻きながら微笑んだ。


「セリス、風、お願いします」


「はい」


 セリスが片手を上げ、もう片手を胸に当てた。

 息を吸い、吐く。

 穏やかな風が帆へ届き、布が膨らみ、船が静かに滑り出す。


《出航最適化。微風補正、完了》


 βの声と同時に、港の鐘がひとつ鳴った。

 水面に輪が広がり、岸がゆっくり遠ざかる。


 桟橋の端で、魚箱を抱えた少年が全力で手を振っていた。

 市場でスリをし、昨日は灯籠の岸で泣いていたあの子だ。


「兄ちゃん! ちゃんと結ぶやつ、もう覚えた! 今日から“二重結び”だ!」


「よくやった。――次に会う時までに、港をまっすぐ立たせておけ」


「うん!」


 少年が大きく頷き、両手で輪を作って掲げた。

 港の人々の拍手が、風に紛れて届く。


「いい街だな」

 ユウリが呟いた。


「ええ。ここにも“明日”がある」


 リアナの声は、波の音に溶けた。


 ティアが振り返り、胸いっぱいに息を吸い込む。


「次は何が待ってるかな! ボク、ぜったい負けないから!」


「ミナも。いっぱい走って、いっぱい守るの!」


 セリスが笑みを浮かべ、視線を東へ向けた。


「風が示す道は一本です。――行きましょう」


 船首がきらりと光り、白い航跡が海に一本描かれる。

 日が高くなる前の、柔らかな光。

 港の約束を背に、彼らは新しい水平線へ滑っていった。

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