第75話「星祭りの夜 ― 絆の灯火 ―」
港町リベールの夜は、昼とはまるで違う顔をしていた。
夕陽が海に沈み、空が群青へと変わるころ、街の至るところで提灯が灯り始める。
子どもたちが走り回り、店の前には人だかり。
年に一度の「星祭り」の夜が、始まろうとしていた。
「主様、見て見てっ! 綿あめ三段重ね!」
ティアが両手に抱えた巨大な綿あめを誇らしげに掲げる。
「……もはや武器だな」
「ふわふわの武器なのっ!」
ミナが笑う。
二人の後ろで、リアナは苦笑しながら手を合わせた。
「お願いですから、祭りの途中で吹き飛ばしたりしないでくださいね」
「リアナ姉、信用ないの?」
「ええ、まったく」
そんな中、セリスは一歩後ろを歩き、静かに祭りの光景を見つめていた。
通りのあちこちに吊られた星形の灯り、風に流れる音楽、焼き菓子の甘い香り。
どれもが、彼女にとって“初めて”の世界だった。
「……人は、こんなに短い命なのに、こんなにも輝けるのですね」
「生き急いでるだけかもしれないけどな」
隣に立つユウリが、紙の灯籠を渡す。
「星祭りでは願いを書いて灯すんだ。風に流して、夜空に還す」
「願い、ですか……」
セリスは灯籠を両手で受け取った。
小さな炎が揺れ、彼女の瞳に映り込む。
「私は……まだ、願いの立て方を知りません」
「難しく考えるな。誰かの笑顔でも、明日の天気でもいい」
「……では、考えてみます」
セリスは微笑み、筆を取った。
◇◇◇
夜が深まると、祭りの通りはさらに賑わった。
笛と太鼓の音が混ざり、屋台の灯りが海面に反射してきらめく。
ティアは的当て屋台で真剣な顔になっていた。
「よーし、今度こそ! 主様、見てて!」
的を狙って矢を放つ――だが、矢は派手に外れて屋根に刺さった。
「惜しい、あと三軒分ずれてたな」
「うう、次は絶対当てるっ!」
ミナが後ろで手を叩く。
「ティア、がんばれー! 外したらアイス奢ってね!」
「なんで!?」
そのやりとりに、周囲の人たちが笑う。
ユウリも思わず口元を緩めた。
一方、セリスは人混みを避けるように、通りの外れへ歩いていた。
光と音に包まれながらも、心のどこかでざわめきを感じていたのだ。
――自分は、本当にここにいていいのだろうか。
エルフの森では、千年を生きても一人きりだった。
人の時の速さに、まだ心が追いついていない。
そんな時、背後から声がした。
「こんな場所に隠れてると、見失うぞ」
振り向くと、ユウリがいた。
手には二つの温かい紙コップ。
「ホットベリー酒。アルコールは飛ばしてある」
「……ありがとうございます」
受け取ると、手のひらにじんわり熱が広がった。
そのぬくもりが、まるで心の奥まで届くようだった。
「ユウリ。あなたは、何を願うのですか?」
「俺か?」
ユウリはしばらく考え、夜空を見上げた。
「“明日も誰かを助けられるように”――かな」
「シンプルですね」
「それしかできないからな」
セリスはふっと笑った。
それは、彼女にしては珍しく柔らかな笑みだった。
「……今の答え、好きです」
風が吹き、遠くで花火が上がる。
色とりどりの光が夜空を染めた。
◇◇◇
そのとき――港の方から叫び声が上がった。
「灯籠船が! 流されたぞ!」
「子どもが乗ってる!」
群衆がざわめき、海辺へ駆け出す。
波打ち際では、強い風に煽られた船が沖へ流されていた。
小さな影が、その上で泣き叫んでいる。
ユウリが即座に構文を展開しようとしたが、セリスが前に出た。
「私に任せてください」
翡翠色の瞳が、月明かりを反射する。
次の瞬間、風が一変した。
渦を巻く潮風が静まり、海面が凪いでいく。
セリスの両手がゆるやかに舞う。
唇が古の言葉を紡ぎ、淡い光が空を走った。
「――《風精霊律・調和の歌》」
その声はまるで子守歌のようで、嵐そのものが眠るように鎮まっていく。
風が静かに船を押し戻し、子どもを岸へと導いた。
ミナが素早く飛び込み、手を伸ばす。
「こっちっ!」
ティアも続いて手を取り、子どもを抱き上げた。
拍手が広がり、街全体が歓声に包まれる。
「すごい……」「魔法みたいだ……!」
誰かがそう呟いた。
セリスは少し照れたように微笑む。
「魔法ではありません。風の願いを、少しだけ聞いただけです」
リアナが優しく頷いた。
「あなたの力、やっぱり美しいわね。守るための魔法」
ティアが子どもを抱き上げ、笑う。
「セリス、かっこよかった! 主様よりスマート!」
「おい」ユウリが肩をすくめる。
「俺は荒っぽい係なんだよ」
笑い声が重なり、祭りの夜が再び息を吹き返す。
◇◇◇
深夜。
港の波音だけが残り、灯籠の灯が静かに海へ流れていく。
ユウリたちは並んで腰を下ろし、それぞれの灯籠を水面に浮かべた。
「ボクは、“ずっと一緒にいられますように”って書いた!」ティアが胸を張る。
「ミナは“お肉が毎日食べられますように”」
「食欲と友情が同じ願いか……」ユウリが苦笑する。
リアナは祈りのように手を合わせた。
「“この光が、誰かの明日を照らせますように”」
そして、セリスがそっと灯籠を押し出した。
「私は……“もう一度、人を好きになれますように”」
その言葉に、波が静かに応えたように見えた。
ユウリが振り向くと、彼女の瞳は星よりも澄んでいた。
ティアとミナが同時に笑う。
「セリス、もう好きになってるよ!」
「うん! 主様のこと!」
「ちょっ……」
ユウリが咳払いをした。
「はいはい、そろそろ宿に戻るぞ」
セリスはそんなやり取りを見つめ、静かに笑った。
それは、確かに“仲間の笑顔”の中にある一人の少女の表情だった。
――星の夜が明けていく。
灯りが波間に溶け、港の風が再び穏やかになる。
その風は、確かに新しい絆の匂いを運んでいた。




