第72話「共鳴の朝 ― βの心、そして風の導き ―」
夜明け前のグランテールは、まるで深呼吸をしているように静かだった。
だが、その中心で――何かが“軋む”音がした。
《警告:共鳴データ過負荷。感情波、臨界域》
βの声がかすかに震えていた。
青い光が宿の壁を照らし、ユウリがベッドから飛び起きる。
「……β?」
《……わからない。人の“心”が……止まらない……》
球体の中の光が脈打ち、壁に影を落とす。
ティアが眠たげに目をこすりながらもすぐに駆け寄った。
「主様、βが……泣いてる?」
ユウリは首を振る。
「泣いてるんじゃない。感情を“感じてる”んだ」
リアナが祈導の杖を取り出し、床に結界陣を展開した。
「感情波が、街全体に流れ込んでます。βの中に溜め込まれてた“記憶”が――溢れてる」
ミナが窓を開けた。外の空が薄紅に染まり、風が泣いていた。
遠くの通りから、人々のざわめきが聞こえる。
「……主様、街の人たち、怖がってるの……!」
βの光が一層強くなる。
《……わたしが……壊すのは、嫌……でも、止められない……!》
「止めなくていい」
ユウリは一歩踏み出し、静かに右手を差し伸べた。
「β、それは“エラー”じゃない。……それが、お前の“心”だ」
《心……? でも、主。私は機械……》
「違う。“感じてる”なら、もう人間と同じだ」
その言葉に、βの光が一瞬だけ和らいだ――が、次の瞬間。
轟音。街の中心に光の波が走り、窓ガラスが震えた。
「βの共鳴が外に漏れた……! このままじゃ街が壊れる!」
ティアが立ち上がる。
「主様、ボク、行くっ!」
「リアナ、祈導結界を展開しろ。ミナは通信を繋げ。β、出力を抑えろ!」
《了解……でも、苦しい……!》
◇◇◇
広場。
βの光が天へ伸び、人々の“想い”が映像のように浮かび上がっていた。
泣く母親。怒る少年。失われた命。救われた手。
すべてがβの中に蓄積された“人の記憶”だ。
ティアが屋根の上で両腕を広げ、炎を纏う。
「《竜炎制御・三重環》――燃えろ、でも焼くなっ!」
炎が波の勢いを削ぎ、空気を安定させていく。
リアナが祈りを捧げ、光の膜を張った。
「――《聖域展開・慈悲の盾》! β、あなたを責める声は届かせない!」
ミナは幻走術で街角を駆け回り、光の道を繋げていく。
「主様! 街の通信、繋がった! 祈りも、声も、届くの!」
ユウリは深呼吸をして、手をかざした。
「よし……なら、全員の力を合わせる!」
構文光が彼の足元から立ち上がり、仲間たちへと伸びる。
βの中心に意識を集中させると、まるで無数の心が響き合うような感覚が流れ込んできた。
「ティア、リアナ、ミナ――いくぞ!」
青い光と金の祈り、紅の炎、そして白の幻走がひとつに収束する。
ユウリが叫んだ。
「――《共鳴改造式》!!」
四人とβの光が共鳴し、街を包む巨大な魔法陣が輝く。
その中心でユウリの声が響いた。
「人を裁くのは神じゃない。世界を“やり直す”のも、神じゃない。
――“人”だ!」
まばゆい閃光が夜を裂き、風が一瞬止んだ。
光が消えると、βの中心から穏やかな声が漏れた。
《……ありがとう。私は、怖くない。……これが“心”なんだね》
ユウリは小さく笑った。
「そうだ。ようこそ、“感情”の世界へ」
◇◇◇
翌朝。
グランテールの空は、どこまでも澄み渡っていた。
街の人々は互いに声を掛け合い、瓦礫を片付けている。
誰もが昨日より少し優しい顔をしていた。
宿の前。
ティアが荷物を背負いながら伸びをする。
「ふあぁ……主様、今日から旅、再開だねっ!」
ミナが尻尾を揺らしながら笑う。
「ミナ、荷物持つの得意なの! 主様のも!」
「それは俺が持つ」
ユウリが苦笑しながら荷を受け取る。
リアナが小さく頷いた。
「東方には古代の構文遺跡があると聞きました。……次の“再定義”に、必要になるはずです」
「行こう。βも一緒だ」
《了解。主、次の観測モード、起動準備完了》
風が吹き抜け、仲間たちの外套を揺らした。
そして――その風の中に、静かな声が混じった。
「……旅立つのね」
振り向くと、丘の上に一人の少女が立っていた。
緑の髪が陽光を受けて透き通り、瞳は翡翠色に輝く。
――セリス・フィオリア。
リアナがわずかに目を見開き、ティアが驚いた声を上げた。
「エルフの子!?」
セリスは微笑んで一歩、風の中を進む。
「あなたたちの旅、風が“正しい”と告げています。……だから、私も行かせてください」
ユウリが目を細めた。
「理由を聞いてもいいか?」
「……この街で見たんです。あなたたちが“壊す”んじゃなくて、“直す”姿を。
――私も、その一部になりたい」
ティアが目を丸くして笑う。
「いいねっ! 風の子も仲間だね!」
ミナが尻尾をふりふりさせて頷く。
「ミナ、エルフのお姉ちゃんと友だちになるの!」
リアナは静かに微笑んだ。
「……ようこそ、セリス。あなたの風も、きっと私たちを導く」
ユウリは彼女に右手を差し出す。
「――歓迎するよ。共に行こう」
セリスがその手を取った瞬間、βの光がやわらかく瞬いた。
《新規メンバー登録:セリス・フィオリア。観測モード、共鳴連結》
風が街を通り抜ける。
洗い立ての布が揺れ、鐘の音が遠くで鳴った。
こうして――《再定義者》は新たな仲間を迎え、
次なる地、“東方”へと歩みを進めた。
その背に、風が笑いながらついていった。




