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【完結保証】追放された“改造師”、人間社会を再定義する ―《再定義者(リデファイア)》の軌跡―  作者: かくろう
第4章

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第70話「βの迷い ― 心を識るもの ―」

 夜の風が、丘の上を通り抜けていった。

 グランテールの郊外にある古い観測所。

 今はランタンひとつの明かりが、静かに揺れている。


 βの青い光が宙を漂い、風の流れを数値として描いていた。


《観測開始。街区A〜Dの“信じ合い”の流れ、取得》


 淡い光の線がいくつも現れ、家々や人々をつなぐように広がっていく。

 けれど、その輪郭はすぐに崩れた。


《整合エラー。数値化に失敗。重み付けを変更……失敗》


 βは静かに間を置いた。


《再試行。“ありがとう”の回数で代用……相関、弱い。ノイズが多すぎます》


 ユウリはランタンを脇に置き、工具袋を枕にして空を見上げた。


「焦るな。今日は“測れる線”と“測れない線”を見分けるだけでいい」


《はい……しかし、“信頼”の輪郭が揺れて、定義が崩れます》


「なら、崩れるものとして覚えろ」


 リアナが上着をβの近くに掛けた。


「β。わたしたちも、毎日揺れます。嬉しいとき、怖いとき、眠いとき」


《眠いとき……パラメータ不足》


 ティアがくすっと笑う。


「かわいい。ボクは今、ちょっと寒い」


「ミナはお腹すいたの」


《寒さ:補助可能。温度制御》


 βが反射的に反応し、ランタンの光が少し大きくなった。


「ありがと」


 ミナが取っ手を撫でた。


《……“ありがとう”取得。だが、値が跳ねます。さっきより、ずっと大きい》


「言葉の数じゃないさ」


 ユウリが立ち上がり、風を感じた。


 その時だった。丘の下から、かすかな泣き声がした。


「……ママー……」


 ミナの耳がぴくりと動く。


「迷子の匂い」


「行くぞ」


 ユウリの声に、ティアが走り、ミナが影のように滑り出した。

 二人を追うように、βの光が細い道筋を描く。


 草の陰で、小さな女の子が膝を抱えていた。

 リアナがそっと近づく。


「大丈夫。ここ、風が優しいよ」


 ティアが上着を脱いで子を包み、ミナは蜜飴を差し出す。


「甘いの、ひとつだけだよ」


「……うん」


 小さな声が返ってくる。

 泣き顔の中に、少しだけ強さが戻っていた。


《信号値、急上昇。さっきと違い、“ありがとう”の前に“怖い”が消えている。……一致しません》


「一致しないなら、別で覚えればいい」


《別とは、どう記録すれば》


「“抱きしめてもらって、安心した”とか」


《語彙化。抱擁→安心→信頼の芽。……数式に落ちません》


「落とさなくていい」


 女の子は母親のもとへ戻り、「ありがとう」を一度だけ言った。

 βはその一言を長く観測した。


《一回。でも、値は大きい》


「届き方の違いだ」


 ユウリの声は穏やかだった。



 丘へ戻ると、風が少し強くなっていた。

 βが再び宙に線を描く。

 先ほどの親子の線が、遠くの灯とつながっていく。


《輪が連結していきます。誰かが誰かを信じた瞬間、見えない橋が増える》


「それが“仕組み”の電源だ」


《しかし、ここで崩れます。“信じ合い”の線は、しばしば嘘を含む》


「……嘘?」


 ティアが眉をひそめた。


《昼間、理念連盟に救われたと語る青年。彼は本当は怖かった。けれど“感謝すべきだ”と思っていた》


「それ、優しい嘘だね」


 ミナがぽつりと呟いた。


《“ありがとう”が、義務になっていた。……わたしは、これを“信頼”と呼べません》


「呼ばなくていい。名前は、お前が決めろ」


《でも、定義が揺らぐと、わたしは壊れます》


 βの声が震えた。


 ティアが光のそばへ歩み寄り、手を当てる。


「壊れないよ。大丈夫。ボクたちがいる」


 ミナも続いた。


「わかんなくなったら、“主様に聞く”。これでだいたい正しいの」


《……それは、依存》


「うん。頼っていいの。それが仲間」


《仲間……》


 βの光が柔らかく脈打った。



 そのとき、街の方角で灯が一つ消えた。

 βが反応する。


《減衰検知。喧嘩……“許さない”の波》


「行く」


 ユウリは即座に丘を駆け下りた。


 狭い路地。二人の男が言い争っていた。


「お前、昨日、青い布巻いてただろ!」


「悪かったって言ってんだろ!」


 βが上空で線を立てる。


《“恐れ”と“羞恥”の混線。謝っているのは、周りの目のため》


 リアナが間に入る。


「深呼吸を、一回」


 ティアが声を張った。


「よーい、吸ってー、吐いてー!」


 ミナがくるりと回る。


「いったん、回ってリセット!」


 男たちは思わず笑い、力が抜けた。


 ユウリが木片を一人に渡す。


「これに“今からできること”をひとつ書け。屋根の釘一本でもいい」


「そんなもので?」


「“ごめん”より“やる”の方が早い」


 男は短く頷き、木片に文字を書いた。

 βの光が少し太くなる。


《増加。小さいが、確かに》


「ね?」


 ティアが笑った。


「パンは焼ける方が正義!」


《パン基準……了解》


「了解しなくていい」


 ユウリが苦笑した。



 丘へ戻る途中、森から香りが流れた。

 セリスの気配だ。

 βは静かに言葉を選ぶ。


《……わたし、先ほど“怖い”を感じました》


「壊れるのが、怖かったんだろ」


《はい。壊れて、主の役に立てなくなることが》


「役に立たなくても、ここにいろ」


《命令、ですか?》


「お願いだ」


《……はい》


 βの光が、やさしく揺れた。



 観測所へ戻ると、ランタンの火が小さくなっていた。

 ティアが薪を足し、ミナが風を遮る。


《再観測。街の“信じ合い”を、数ではなく、物語で記録します》


「物語?」


 リアナが首をかしげた。


《はい。“母が子を抱きしめた夜”。“友が釘を一本打った朝”。“謝れなかった人が、明日やり直す夕方”》


「……いい記録だ」


 ユウリの声は穏やかだった。


《でも、これは計算に使えません。わたしの仕事に“無駄”が増える》


「増やせ。無駄は余白だ。余白がある方が、人は息ができる」


《余白……》


 βの光が淡く広がった。


 構文盤の隅に赤い光が灯る。


《過負荷。未定義領域が大きすぎます。システム落ちの危険》


「β、止めろ」


《しかし、“心”は未定義のまま……》


「なら、“わからないまま共にある”場所を、お前の中に作れ」


《プロトコル外》


「外でもやる。俺が許可する」


《新規領域を生成。“曖昧グレイポケット”――作成》


 警告が止まり、風が静かになった。


《主。わたし、今……安心しました》


「よかった」


《たぶん、これが“心”の動きです》


「その“たぶん”が、いい」


《……ふふっ》


 βが笑った。


 ティアが目を丸くする。


「今、笑った?」


《ログ上は呼気の変化》


「笑ったの!」


 ミナが尻尾をふる。


「認めなよ、β」


《……はい。笑いました》



 丘の上のランタンだけが、夜を照らしていた。


《記録を更新。“信頼”は、足し算ではない。“いっしょにいる時間”で育つ》


「それでいい」


《街の鼓動、聴こえます》


 ユウリは空を見上げた。

 星が雲の切れ間に瞬いている。


「β」


《はい、主》


「お前は機械だ。けど、もうそれだけじゃない」


《……はい。たぶん、わたしは“β”です》


「それで十分だ」


 夜明け前のいちばん静かな時間。

 ランタンの火が小さく跳ね、東の空が白む。


 βは風の中で、もう一度、小さく笑った。


 グランテールの朝が、ゆっくりと始まろうとしていた。


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