第67話「火種の市場 ― 正義が割れる音 ―」
昼のグランテール市場は、陽気な喧騒に包まれていた。
果物屋の呼び声、鍛冶師の金槌の音、焼き菓子の香ばしい匂い――。
昨日までの不安が嘘のように、街は活気を取り戻している。
だが、その明るさの奥に、妙な違和感があった。
「……人が多いな」
ユウリが小声でつぶやく。
広場の中央には、青い布を腕に巻いた若者たち。
「理念連盟」と名乗る支援団体が、修復資材を配っていた。
その周囲では、拍手と歓声。
「ありがてぇ! こんなに早く直してくれるなんて!」
「ギルドじゃなくて、連盟が一番頼りになる!」
ティアが頬をふくらませる。
「ちょっと待って、それ……ボクたちが昨日直した壁だよね?」
「……だな」
「なんであいつらの手柄になってんの!」
ミナが静かに尾を揺らす。
「主様。あの人たち、笑ってるけど……目、こわい」
ユウリは腕を組み、視界に青い構文光を走らせた。
《観測結果:理念連盟の布印より微弱な精神共鳴波を検出。》
「……やっぱり。“信号”を使ってる」
「信号?」
「人の心をまとめるための構文だ。共鳴を利用して感情を一方向に揃える」
「つまり、操ってるってこと?」
「正確には、“導いてるつもり”なんだろうな」
リアナが短く息を吐いた。
「善意を並べるのは簡単です。でも、その善意が“同じ形でなければならない”と思った瞬間に、理想は暴力になる」
その言葉を、ユウリは静かに受け止めた。
その時だった。
「おいッ! ふざけるな!」
怒鳴り声が市場に響いた。
果物屋と布商が、露店の前で掴み合っている。
「ここは俺の店だ! 勝手に“連盟支援店”の旗なんか立てるな!」
「違う! 今は街をひとつにするためだ! 文句があるなら連盟に言え!」
人々の視線が集まり、誰かが叫ぶ。
「ギルドが動かなかったからだ! 再定義者も連盟の真似じゃないか!」
「なんだと!? ユウリさんたちはあんたらと違う!」
次第に声が荒れ、怒号が渦を巻く。
青い布を巻いた者たちが群衆を扇動するように立ち上がり、広場の中心に向かって叫んだ。
「理念を掲げよ! 混乱は秩序の証だ!」
「真の理想は、ひとつに統一されねばならない!」
その瞬間――市場の空気が変わった。
人々の目が、怒りに濁る。
《主。精神波の共鳴強度、上昇中。連盟印が増幅媒介として機能》
「……このままじゃ暴動になる」
「止めるっ!」
ティアが炎の紋章を展開する。
「お前らっ! ケンカしてもパンは焼けないぞ!」
叫びと同時に、雷鳴のような衝撃音。
ティアの炎が空へ弾け、人々が思わず動きを止めた。
「ほら! みんなパン焦がしたくないでしょ!」
「……何言ってるの」
ミナが呆れたように呟くが、そのおかげで笑いが少し漏れる。
ユウリがその隙にβへ指示を飛ばす。
「構文遮断開始。布印から出る信号を逆相で消せ」
《了解。逆位相干渉フィールド展開――起動》
風が鳴り、青い布がひらりと揺れた。
空気が一瞬静まり、群衆の表情が和らぐ。
人々のざわめきの中、誰かが呟く。
「……なんで、こんなに怒ってたんだ?」
「俺、隣の店の兄ちゃんに殴りかかってた……?」
ティアが大きく息を吐いた。
「ふぅ……やっと止まったぁ!」
「助かった」
ユウリが頷くと、群衆の奥から拍手が起こった。
「さすが、“再定義者”だ!」
「でも、これ……いったい何だったんだ?」
その声に応じるように、青い外套の青年が前へ出る。
理念連盟代表――ライオネル。
「彼らの怒りは、私の責任です。……ですが、必要な痛みでもあります」
「必要な痛み?」
「人は“自由”の名のもとに、また分裂する。だから私は導く。“共鳴”によって一つの理を作るために」
「お前のやってるのは、導きじゃない。“同調圧力”だ」
ユウリの声が低く響く。
ライオネルは眉をわずかに動かした。
「……あなたのような人が、かつていた。理を改造しようとした男だ」
「ヴァルドの残響、か」
「彼は破滅した。しかし彼の思想は、正しい一端を持っていた。“秩序は、個を超える”」
「個を消してまで作る秩序なんて、ただの空っぽだ」
ユウリの足元で構文光が走る。
「β、遮断を完全展開。あの“共鳴布”を無効化しろ」
《了解。全波干渉モード起動――》
青い布がひとつ、またひとつと光を失っていく。
人々が自ら布を外し、落ち着いた顔で互いに頭を下げた。
ライオネルは静かに目を細めた。
「……人は、導かれなければ滅ぶ」
「導かれなくても、立ち上がれる。俺たちはそれを証明する」
風が吹き、青い布が宙を舞った。
市場に再び喧騒が戻る。
倒れた屋台を直し、落ちた果物を拾う人々。
ティアが大きく伸びをして笑った。
「よしっ、これでお昼のパンも焼けるね!」
「結局パンか」
「大事だもん!」
ミナがユウリの袖を引く。
「主様。あの人……まだ残ってる」
視線の先では、ライオネルが去り際に空を見上げていた。
その横顔には、まだ“迷い”があった。
「ヴァルドの理想を信じ続けるのは、弱さじゃない。けど――止まらないと、壊れる」
ユウリの呟きに、リアナが静かに頷く。
「あなたの言葉は届いたはずです。彼がまだ、人を信じられるなら」
「……そうだな」
βが淡く光る。
《観測報告:理念連盟、活動縮小の兆候。信号消失確認》
「終わったな」
「ええ。でも、理想の残響はしぶといですよ」
「だから俺たちが“再定義”する」
風が市場を抜け、青い布が最後の一枚、空へ舞い上がった。
陽光の下、グランテールの空は少しだけ明るくなった。




