第62話「監査官の影 ― ハインの視線 ―」
グランテール議会の翌朝。
広場の噴水には、新聞売りの少年が立ち、声を張り上げていた。
「《改造師、議会で反論!》だって! ユウリ様、英雄だよ!」
紙面には大きくユウリの姿。
だがその裏面、目立たぬ一文に――
《監査官室、異能構文の規制案を再審議》とあった。
まるで風の向きを読むように、街全体がざわめいている。
誰もがまだ知らなかった。
この見出しの裏で、“もう一つの秩序”が動き出していることを。
◇◇◇
議会塔の最上階――監査官室。
天井まで届く書棚、無数の記録巻物、封印符の束。
その中央に、ひとりの男が立っていた。
銀縁眼鏡。
灰の髪を撫でつけ、冷静な口調で部下に指示を出す。
――ハイン・グレイシェル。
監査官室局長、ヴァルドの腹心にして、秩序主義の権化。
「議会記録をすべて洗え。《再定義者》の活動履歴、証拠の有無を問わず抽出だ」
「はっ。……ですが、彼らは既に市民の支持を得ています。過剰な監査は――」
「過剰ではない。“監視”だ。秩序は感情より上位に置かれる」
眼鏡の奥の瞳が、冷たく光った。
「混沌は言葉から始まる。ならば、記録で封じればいい。」
その背後に、数十枚の報告書が舞い上がる。
《構文活動許可書未登録》《異能構文解析不能》《倫理条項違反の可能性》――
どの書類も、ただ一点を狙って積み重ねられていく。
――ユウリ・アークライトの失墜。
◇◇◇
一方その頃。
ユウリたちはギルド本部の会議室にいた。
机の上には、分厚い書類の束。すべてが「監査官室」から届いた通達だった。
「これ、昨日の今日でしょ……早すぎない?」
ティアが紙を手に取り、眉をしかめる。
「“構文行使の届け出義務”“構文結果報告の提出”“未申請活動への罰則金”……」
「つまり、“冒険”も“修理”も、全部書類に変えようってことだ」
ユウリの声は低く、しかし怒りを抑えていた。
「本質を知らない者ほど、“管理”で秩序を作ろうとする」
リアナが静かに頷く。
「ヴァルド卿……いえ、あの男の背後に、官僚がいるということですね」
「ハイン・グレイシェル。秩序を数学だと思ってるタイプだ」
ミナが首を傾げる。
「秩序って……数字で作れるの?」
「作れるさ。ただし、“誰も笑わない街”になる」
◇◇◇
夜。
ユウリはギルドの屋上に立ち、風に当たっていた。
βが淡く光を放つ。
《解析完了。監査官室から発出された新規法案、構文規制第六条改訂案。施行予定、三日後。》
「早いな。つまり俺たちの活動を“違法”にする気か」
《肯定。内容は明確です。“改造構文”という用語自体を禁句指定とする》
「言葉を封じて支配するか……古典的だが、効果的だな」
《マスター、どうしますか》
「決まってる。――“言葉そのもの”を、改造する」
その瞬間、βの回路が光を強める。
《了解。新構文名義――《観測改造:言語階層再定義》登録完了。》
◇◇◇
翌朝。
監査官室の廊下。
無数の文官が書類を抱えて走り回る中、一通の報告書が届いた。
差出人――ユウリ・アークライト。
件名:《異能構文登録書・申請名義「言葉の定義式」》。
ハインはそれを手に取り、目を細める。
「……挑発か」
封を切る。そこに書かれた一文に、彼の手が一瞬止まった。
――『秩序とは、停止した正義の形である』
「……詩文? これは法的文書ではない」
だが、次の行に続く構文式を見た瞬間、眼鏡の奥の瞳が揺れた。
【再定義構文式:行政命令文書群の共通言語層に“再帰的反転”を挿入】
文法のルールそのものを書き換える――それは、行政文書の命令式を無効化する“構文ウイルス”だった。
ハインは即座に叫ぶ。
「封鎖しろ! 全端末を隔離! 改造師が“言葉”を侵食している!」
◇◇◇
ギルド本部。
βの光が激しく明滅する。
《干渉成功。監査官室の法令構文、再帰ループ突入。発令不能状態。》
「つまり、言葉の“ルール”を書き換えた。……秩序は言葉で作られる。なら、その言葉を作り変えればいい」
ティアが目を丸くする。
「主様、それって……反則じゃない?」
「秩序がルールを使って人を縛るなら、俺は“ルールを縛る”だけだ」
リアナが苦笑を漏らした。
「あなたの戦いはいつも静かですね。でも――いちばん恐ろしい」
◇◇◇
その夜。
監査官室の執務室。
ハインは一人、書類の山を前にしていた。
全ての文書が同じ単語を繰り返している。
――「秩序は人のためにある」
どれだけ書き換えようとしても、その文が自動的に挿入される。
構文の根が書き換えられた証拠だった。
ハインは額に手を当て、微かに笑う。
「面白い。……やはり、あの男は“修理者”ではなく“創造者”だな」
彼の声には怒りではなく、興味があった。
「ヴァルド卿……彼は、あなたの理想を超えてくる」
◇◇◇
街の灯がともる。
宿のテラスで、ユウリは湯気の立つカップを手にしていた。
ティアとミナが隣で同じカップを抱えて座っている。
「ねぇ主様。今日の街、なんか静かだよ」
「うん、変な役人も来なかった」
「ハインが混乱してるんだ。……しばらくは静かになる」
リアナがカップを置き、穏やかに微笑む。
「静けさも、あなたの“改造”のひとつなんですね」
ユウリはカップを傾け、夜空を見上げた。
「秩序ってのは、音が消えた時にこそ本当の形が見える。……さて、次は“王”の番だな」
星が瞬く。
静寂の下で、次なる闘いの気配が確かに動き出していた。




