第57話「動き出す貴族街 ― 再編の影 ―」
夕陽が沈みきる頃、グランテールの上空を一羽の黒い鳥が横切った。
赤鎖討伐から数日。街は平穏を取り戻し、人々の声が通りに戻り始めている。
だが、表の安堵の下で――水面下の“再構築”が動いていた。
市政庁・貴族区画。
整然と並ぶ石畳と、贅を尽くした屋敷群。だが夜になると、そこは別の顔を見せる。
銀食器の音とともに、囁き声が交わされていた。
「……グルムが捕まったか」「赤鎖の一角が潰れたらしい」「代わりは?」
低い声が混じる。
「“再編計画”は続行だ。中央議会の資金を動かせ」
「聖燐の家を守った冒険者たち……《再定義者》だな」
「目障りだ。民の人気が上がれば、上層にとっては不都合だ」
盃が小さく鳴った。
その音は、闇の連鎖が再び蠢き始めた合図だった。
◇◇◇
一方その頃、冒険者ギルド・夜の休憩室。
ユウリは机の上に広げた通信紙を見つめていた。
印字された文字には、市政の小さな動きが淡々と記されている。
「議会で“監査官制度”が可決……ね。やけに動きが早い」
リアナが紅茶を差し出しながら、穏やかに言った。
「腐敗を表向きに取り締まるための制度、だそうです。……でも」
「“でも”、裏がある」
「はい。監査官に任命された数名の貴族が、赤鎖と繋がっていたという噂です」
βの光が淡く瞬く。
《補足情報:議会第三区より暗号通信を検出。キーワード“再編”“供給路”“灰の巣”》
「灰の巣……あの廃坑か」
ユウリの声が低くなる。
かつて赤鎖の拠点だった地下坑道――壊滅したはずのその場所が、再び動き始めている。
「つまり、あいつらは死んでない。残党どころか、再編中ってことか」
ティアが椅子から立ち上がる。
「じゃあもう一回ぶっ壊すしかないね!」
「待て。今は証拠を掴む時期だ」
「えぇー、また“我慢”?」
「我慢じゃない。“準備”だ」
ユウリの目が、焔のように光った。
◇◇◇
翌日、街の西区。
ユウリたちは表向きの依頼として、市政庁の修繕補助を請け負っていた。
崩れた建物の修理、橋の補強、構文補助金具の設置。
しかしその中で――ユウリは目立たぬ形で、街の魔力流を観測していた。
《解析進行:地脈の歪み、貴族街地下より発生。非合法構文の残留反応あり》
「……やはり地下か」
リアナが周囲を警戒する。
「昼間は普通の建設現場ですね。けれど……この魔力の“癖”は、赤鎖の構文と一致します」
「奴ら、地下を再利用してる。――この街の下で、また繋がりを作ってる」
ティアが拳を握る。
「だったら今度こそ根っこごと引っこ抜こう!」
ユウリは首を横に振った。
「まだ早い。敵は“人の皮”を被って動いてる。こっちも“人の形”で掴む必要がある」
ミナが不安げに尻尾を握った。
「主様……また、こわい人たちと戦うの?」
「戦うさ。でも今度は剣じゃなく、言葉で、理屈で壊す」
「言葉で?」
「“改造”ってのは、物だけじゃない。――制度も、意識も、全部“書き換え”られる」
◇◇◇
夜、聖燐の家。
マリネが子どもたちを寝かしつけ、窓辺で外を見ていた。
街の灯が穏やかに揺れ、夜風がカーテンを撫でる。
ふと、遠くに二つの影。ユウリとリアナが並んで歩いている。
「……あなたたち、本当に人のために動いてくれているのね」
その言葉は誰にも届かない小さな祈りだった。
その頃、屋根の上ではミナとティアが星を見上げていた。
「ねぇティア、主様たちって、難しいこと考えてるよね」
「そだね。ボク、半分くらいしかわかんないや」
「ミナも。でも……主様の顔、今日はちょっと悲しそうだった」
ティアが空を見上げる。
「多分、“人間の敵”が“人間”だからじゃない?」
「……そっか」
「でもさ、それでも主様は止まらないよ。ボクたちも止まんない」
「うん。だって、今度は“街ごと守る”んだもん」
白い尻尾と桃色の髪が、風の中で並んで揺れた。
◇◇◇
翌朝。
ギルドの報告室に、βが淡い光を放って現れた。
《観測更新:市政庁地下の通信網に新しい信号。識別コード“L-VIRIDIS”。》
「……貴族家の暗号名だな」
ユウリはすぐに地図を広げる。
「対象の屋敷、貴族街北端。――まさか、灰の巣の“真上”とはな」
リアナが顔を上げた。
「繋がっている?」
「地下坑道と貴族邸。表と裏を、一本の管で繋げてる。……赤鎖の再編ルートだ」
ティアが息を呑む。
「じゃあ、次の敵は……」
ユウリの視線が鋭く光る。
「――“新しい王たち”だ」
◇◇◇
夕暮れのギルド屋上。
風が柔らかく、遠くで鐘が鳴る。
ユウリは柵にもたれながら、静かに呟いた。
「……壊したものを直すのは、簡単じゃない。でも、人が直そうとする限り、街は生きる」
ミナが隣でうとうとしながら小さく頷く。
「街、ちゃんと呼吸してるの……」
「そうだな。……そして、その息を止めようとするやつらもいる」
ティアが拳を掲げる。
「じゃあ、主様たちはその息を守る番だね!」
リアナが柔らかく微笑む。
「ええ。――“人が人を繋ぐための手すり”は、まだ折らせません」
空に小さな星が瞬く。
夜は静かに、更なる闇を孕みながら、次の章へと続いていく。




