第51話「動き出す闇 ― 市場の陰で ―」
日が沈む頃、グランテールの通りは人と香りで溢れていた。
焼き串の匂い、甘い果実酒、そして活気に満ちた商人の声。
ユウリたちは依頼帰りの報告を済ませ、久しぶりに穏やかな夕暮れを歩いていた。
「……やっと平和って感じだな」
ティアが串焼きを頬張りながら笑う。
「主様、こっちの方が美味しいよっ!」
「はいはい、落ち着け。ソースが飛んでる」
その隣でリアナが小さく微笑んだ。
「……こうして笑っていられる時間が、いちばん大事ね」
ミナは手を繋いだまま、通りの屋台を見回していた。
尻尾がゆらゆら揺れている。
「ねぇ主様。ミナ、こんな賑やかな街、初めて見るの!」
「気に入ったか?」
「うんっ! でも……」
小さな声で続けた。
「……あの時みたいに、裏で泣いてる人も、きっとまだいるよね」
その言葉に、ユウリの歩みが一瞬止まった。
◇◇◇
ギルドに戻ると、受付のマリアがいつもの笑顔で迎えてくれた。
「おかえりなさい、《再定義者》の皆さん。今日もお疲れ様です」
「ただいま戻りました。依頼報告と素材の提出を」
マリアが手際よく査定を進める。
「……最近、街の外れでまた奴隷商人の噂が出ています。赤鎖の残党だとか」
「赤鎖の……?」
ティアの表情が険しくなる。
ユウリはマリアに視線を向けた。
「その情報源は確かか?」
「はい。実は――騎士団の一部が非公式に動いているようです。
“上”が絡んでいる可能性があるとか」
リアナが眉をひそめた。
「上……つまり貴族?」
マリアは頷く。
「詳しくはまだ。でも、もし本当なら、街の子どもたちを守る立場にある人たちが……」
その声は、少し震えていた。
ユウリは短く息を吐いた。
「……やっぱり繋がってやがったか」
《観測ログ:赤鎖残党、組織的再編兆候》
βの声が静かに響く。
《背後に上位指令層の存在を確認。市政権限階層との関連性、80%以上》
「つまり、貴族の誰かが黒幕ってわけだ」
◇◇◇
ギルドを出た夜道。
街灯の下で、ユウリたちは足を止めた。
ティアが腕を組み、静かに言う。
「主様、もしまた子どもを狙う奴らが動いてるなら……ボク、黙ってられない」
リアナが頷く。
「救えなかった命を、もう増やしたくない」
ミナは少し俯き、尻尾を握りしめた。
「ミナも……あんな思いする子、もう見たくないの」
ユウリは三人の顔を順に見渡し、わずかに微笑んだ。
「なら、やるしかないな」
「……つまり?」
「裏の貴族を炙り出す。赤鎖を“根ごと”潰す」
夜風が吹く。
遠くで鐘が鳴った。
それは、静かに始まる人間社会の“闇との戦い”の合図だった。
昼間の賑わいが嘘のように静まり返り、石畳を冷たい風が抜けていく。
人々が安らぎを取り戻しつつある一方で、街の裏では別の動きが始まっていた。
――その噂は、冒険者ギルドの奥から漏れた。
「騎士団の一部が、赤鎖の残党を匿っているらしい」
「信じがたいが……情報は複数筋から出ているそうです」
受付嬢マリアの声は低く抑えられていた。
机の上には、市民からの通報記録と、押収された密書の写し。
どれもはっきりとした証拠にはならないが、“繋がっている”という噂だけが確実に街を不安にしていた。
「……このままじゃ、グランテールそのものが腐る」
マリアは小さく唇を噛んだ。
「ユウリさん、あなたたちなら……裏の動きを探れるんじゃありませんか?」
ユウリ・アークライトは、少し考えてから頷く。
「つまり、騎士団内部に協力者がいるってことだな?」
「はい。正直、すべてが敵ではありません。
“正義を貫きたい”と思っている人も、まだ中にいます」
マリアが差し出した小さな封書には、花の刻印が押されていた。
「“白百合”。騎士団の中でも清廉派の印です。その方と接触すれば、何かわかるはずです」
◇◇◇
宿へ戻ったユウリたちは、すぐに作戦会議を始めた。
木製のテーブルの上に地図を広げ、βの光が淡く部屋を照らす。
《分析結果:騎士団本部地下に、登録外の武具倉庫を検出。赤鎖の取引データと一致する確率、72%》
「やっぱりな。表向きの治安維持組織が、裏で奴隷商と繋がってる」
ユウリの声は冷ややかだった。
ティアが机を叩く。
「ボク、潜り込んでぶっ飛ばしてくるっ!」
「お前が潜り込んだら街ごと燃える」
「うぐ……」
リアナがため息をつく。
「……あなたの“改造”で、もっと静かに動けるようにできないの?」
「できる。だが、潜入に向くのはティアじゃない」
ユウリは横に座る白髪の少女へ目を向けた。
「――ミナ、頼めるか」
ミナの狐耳がピクリと動く。
「ミナ、行くの? こっそり?」
「そうだ。お前の幻走術なら、敵の警戒を抜けられる。βが後方支援に回る」
「わかったの! ミナ、主様の役に立つの!」
嬉しそうに尻尾をふわふわ揺らしながらも、瞳は真剣だった。
奴隷として囚われていた過去が、今は力に変わっている。
リアナが優しく頷く。
「無理はしないでね。あなたはもう、“誰かに命じられて動く子”じゃないんだから」
「うんっ。今は、“主様に褒めてもらいたいミナ”なのっ!」
その言葉に、ユウリは思わず笑った。
◇◇◇
夜更け。
グランテール防衛騎士団の城門周辺は、規律正しい灯りが並び、見張りの足音だけが響く。
だが、その屋根の上を、影のように走る者がいた。
――ミナ。
白い髪と尻尾を黒い外套に包み、身軽に飛び移る。
βの通信が、耳元で囁くように響く。
《警戒魔方陣、半径三十メートル範囲に一基。解除しますか?》
「ううん、ミナが抜けるのっ」
軽く足を蹴ると、空気の中に淡い幻が散る。
気配をぼやかし、視線を滑らせる――《幻走》の技だ。
塔の影に降り立つと、二人の騎士が小声で話しているのが聞こえた。
「今夜の搬入、また“黒商会”か?」
「らしい。上の連中がうるさいんだよ。どうせ赤鎖の残りだ」
「ははっ。坊ちゃん貴族どもは、奴隷が好きだからな」
ミナの手が震えた。
耳の奥で、あの鎖の音が蘇る。
だが――すぐにユウリの声が浮かんだ。
“怖くなったら、俺の声を思い出せ。お前はもう捕まらない”
その言葉を胸に、ミナは息を整える。
「……幻尾、起動」
尻尾の毛先が淡く光り、光の粒子が宙を流れた。
音もなく動くその姿は、まるで夜の精霊。
彼女は、騎士団の裏門へと滑り込んでいった。
◇◇◇
同時刻、宿の屋上。
ユウリはβの転送画面を通じて、ミナの映像を見ていた。
ティアが隣で腕を組み、落ち着かない。
「主様、あいつらホントに許せない……」
「怒りは取っておけ。証拠を掴んでから、一気に叩く」
リアナが祈るように呟く。
「……どうか、あの子に光を」
βが信号を送る。
《主、ミナより映像信号。地下通路を発見。内部に輸送用檻三基。捕縛対象……確認。》
ユウリの目が鋭く光る。
「来たな。動かぬ証拠、確定だ」
その頃、騎士団地下の薄暗い倉庫。
鎖の音とともに、覆面の男が歩く。
「予定通りだ。明日、グルム男爵の屋敷へ送る」
ミナは影の中で、その言葉を聞いた瞬間――息を呑んだ。
あの名は、忘れもしない。
――孤児を奴隷として売りさばいた、ブタ貴族の名。
拳を握る。
胸の奥で、何かが燃えた。
「主様……見つけたの。あのブタ、まだ、生きてるの」




