第46話「新しい朝 ― 聖燐の家 ―」
朝靄の立ちこめるグランテールの通り。
昨夜の嵐のような一日が嘘のように、街は穏やかに目を覚ましていた。
ギルド宿を出たユウリたちは、孤児たちの保護先《聖燐の家》へと向かっていた。
リアナが深呼吸し、懐かしそうに目を細める。
「……この通りも、鐘の音も。昔のままです」
「ここにいたんだな」
「ええ。聖女になる前――まだ“誰かのために祈ること”を学んでいた頃です」
静かに微笑むその顔に、ティアが小さく舌を出した。
「リアナって、昔からお母さんみたいだったんだね」
「ふふ、年齢だけはそうですから」
◇◇◇
修道院の白壁が陽を浴びて輝き、門前には花の鉢が並ぶ。
扉が開き、年配の女性――院長シスター・マリネが微笑みながら出迎える。
「まぁ……リアナじゃない。久しぶりだねぇ」
「お久しぶりです、マリネさん。昨日救出した子たちをお願いしたくて」
「もちろんだよ。あなたの連れてくる子なら間違いないさ」
院内は温かく、パンの香りとスープの匂いが漂っている。
昨日まで震えていた子どもたちも、ベッドの上で笑い声を上げていた。
ミナは寝台の端に腰をかけ、尻尾をぴんと立てながら部屋を見回す。
「……ここ、あったかいね。夢みたいなの」
ティアが隣に座り、背中を軽く支えた。
「昨日まで地獄だったのに、急に天国みたいで変な感じ?」
「うん。でもね……今は怖くないの。主様がいるから」
その言葉に、ティアが小首を傾げる。
「ねぇ、前から思ってたけど、“主様”って呼ぶの、どうして?」
ミナは両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、少し恥ずかしそうに笑った。
「ミナね、あの人たちに“名前”を奪われたの。『お前は商品だ』って言われて、呼ばれるのは番号ばっかりだったの。
でも、主様が助けてくれた時――“お前はもう誰のものでもない”って言ってくれたの」
彼女の目がうるみ、尻尾がふるふると揺れる。
「だから、ミナにとって“主様”は、“奪う人”じゃなくて“名前をくれた人”なの。
……本当の意味で、初めて“主”になってくれた人」
ティアが言葉を失い、リアナが小さく息を呑む。
ユウリは暖炉の前で作業を止め、振り返った。
「……そうか」
「うんっ。だから“主様”って呼ぶの、やめたくないの。ミナにとって、それは“自由の証”なんだよ」
「……わかった。なら、好きに呼べ」
ユウリの言葉に、ミナの尻尾がぱたぱたと嬉しげに動く。
「えへへっ、ありがとなのっ、主様!」
◇◇◇
ユウリは暖炉を見やり、小さく構文を展開した。
「《改造構文:循環再構築》」
淡い光が走り、壊れていた煙道が滑らかに繋がっていく。
まもなく青白い炎が静かに灯り、暖かな空気が部屋中に広がった。
「わぁ……ぽかぽか~!」
ミナの耳がぴくんと動き、子どもたちが歓声を上げる。
マリネが感嘆の声を漏らした。
「まぁ……見事な修理ね。まるで奇跡みたい」
「いや、ちょっとした構造改造です」
「神でも機械でも、あの子たちを暖められるなら十分よ」
◇◇◇
昼下がり。
中庭のベンチで、子どもたちがパンを頬張り、ティアが一緒になって笑っている。
「ほら、焦げてるとこが一番うまいんだぞ!」
「ほんとだ~!」
「主様の分も取っとこうっと」
「いや、俺はいい」
「だめっ! 助けてくれたお礼なの!」
ミナが小さなパンを差し出す。ユウリは少し迷い、受け取って口にした。
「……焼きたてだな。うまい」
「えへへ、やったぁ♪」
ティアが横で笑いながら頬をふくらませる。
「ちょっとずるい~! ボクも焼いたやつ食べてよっ」
「……はいはい」
リアナがくすくすと笑う。
「こうして笑えること、それ自体が祝福ですよ」
◇◇◇
夕刻。
孤児院の門前で、ミナが包みを抱きしめて立っていた。
「本当に来るの?」ティアが尋ねる。
「うんっ。ミナ、主様たちと一緒にいたいの。今度は助けてもらうだけじゃなくて、ミナも役に立ちたいの」
リアナが優しく頷く。
「……その想いは尊いものです。人は“護られる側”から“護る側”へ、少しずつ変われますから」
その時、ユウリの肩のβが淡く点滅した。
《補足解析:対象個体“ミナ・ルクレール”より、異常遺伝構造を検出。》
「……異常?」
《はい。通常の獣人因子に加え、《神獣の因子》を有しています。封印状態でしたが、マスターとの魂リンクにより発芽が開始されました。》
「おいおい、マジかよ……」
《潜在的戦闘能力は、現時点のティア=ドラグネアに匹敵する可能性があります。ただし、制御にはマスターの介入が必要です。》
ティアが目を見開く。
「ボクと同じくらいって……ほんとに!?」
「けど、戦わせるつもりはない。まだ子どもだ」
《了解。ただし、訓練による制御教育は有効です。力を封じるより、導くことが最善です》
ユウリは小さく息を吐く。
「……なら、導くのは俺の役目か」
彼はミナを見つめ、ゆっくりと言葉を選んだ。
「いいだろう。ただし、完全に体が治るまでは訓練は禁止。俺が“始めていい”と言うまでは、絶対に無茶するな」
「うんっ! 約束なの!」
ミナの耳が嬉しそうにぴょこっと動いた。
ティアがにやりと笑う。
「じゃあボクの後輩だね! ちゃんと教えてあげるよ!」
「わぁい、ティア先輩っ!」
「ボク、先輩って言われるの初めてかも!」
笑い声がこぼれ、マリネも目を細めた。
「あなたたちの側なら、あの子はもう鎖に繋がれないわ」
「……ええ。今度は“絆”で繋がってるからな」
夕焼けが街を染め、鐘の音が鳴り響く。
ミナの目に映る光は、もう怯えの色ではない。
それは、名前を取り戻し、力を受け継いだ少女が初めて見た“明日の空”。
白銀の耳が夕風に揺れ、彼女はそっと囁いた。
「……ミナの“主様”。これからも、ずっとそばにいてね」




