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追放された“改造師”、人間社会を再定義する ―《再定義者(リデファイア)》の軌跡―  作者: かくろう
第4章

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第44話「白き尻尾、鎖を解かれて」

 夕暮れの街門が近づくころ、荷台の上は不思議なくらい静かだった。

 揺れるたび、毛布の中の小さな体がぴくりと震える。ティアはそのたびにそっと毛布の端を直してやり、リアナは柔らかな祈りを織り込むように体温を保つ術を流している。

 御者台のユウリは手綱をゆるめ、馬の歩幅を落とした。


「……急がなくていい。今日は、早く着くことより、揺らさないことを優先」


「了解、主様」

 ティアの返事はいつになく小さく、優しかった。


 グランテールの門番が目を丸くしたのは、縛られた赤鎖の部隊長――ドレイスを荷台の端に座らせていたからだ。

「緊急拘束だ。ギルドへ直行する」

 ユウリの短い一言に、門番たちは顔を見合わせ、すぐに道を開いた。


◇◇◇


 ギルドの昼灯がともる。受付のマリアが帳面を閉じ、こちらを見て固まった。


「ちょ、ちょっとユウリさん……なにその“重たい報告”は……!」


「簡単に言う。違法奴隷の護送列を確認、救出を実施。赤鎖の部隊長を一名確保。児童は複数――うち一名は状態が悪い。医療室を貸してくれ」


「わかったわ、医療室へ! 騎士団にも連絡入れるから、逃がさないでよ!」

 マリアは裏手へ駆け、同時に複数の指示を飛ばす。ギルド員が担架を用意し、子どもたちは順々に保護室へ運ばれた。


 ティアが小さな毛布包みをそっと抱き上げる。白い狐耳がふるえ、空色の瞳がうっすら開いた。

「大丈夫だよ、もう痛いことはしないからね」

「……ん……」

 掠れた返事に、ティアは思わず尻尾をきゅっとたたんだ。


 医療室。

 リアナが術衣に袖を通し、ベッドの脇で静かに手を組む。


「体温、少し低い……食事は柔らかいものから。水を少しずつ」

「俺は制御紋を見る」

 ユウリは灯を近づけ、肩甲骨の間に刻まれた薄い焼け跡――魔法式の“制御紋”を確認した。

 βが光を収束させ、低い声で囁く。

《制御紋、構造は二層。表層に弱い鈍化呪、深層に識別・拘束信号。……痛みは少ない方法で解除可能です》


「やる。リアナ、循環の安定を頼む」

「はい」

 ユウリの指先に、細い蒼光が灯る。

「《改造構文:信号上書き》」


 淡い光が刻印へ滲み、縫い目をほどくように紋がほどけていく。焼き潰すのではなく、“意味”を別の穏やかな式に置き換える。

 リアナの祈りが、血流と魔力の流れを静かに整えた。


 ほどなく、刻印はただの浅い痕跡へと変わる。

 ミナの呼吸がひとつ深くなり、小さな胸がゆっくり上下した。

《報告。魔力流動、安定。……付随現象:対象の魔力がユウリ様の魔力波形に共鳴》

「魂のリンク、か」

 ユウリは短く息を吐き、毛布を胸もとまで引き上げる。

 ミナの指先が、彼の袖をそっとつまんだ。離す気配がない。

「……離れられなくなるかもしれません」


 リアナが微笑む。


「それでも、いいのでしょう?」

「構わない。必要なら、そうするだけだ」


◇◇◇


 表では、グランテール防衛騎士団ナイツ・オブ・ガードが到着していた。


 白の外套が翻り、責任者らしき男が一礼する。

「騎士団副長、ハーゲンだ。赤鎖の構成員の身柄、受領する。――君たち、暴走はしていないな?」


 ユウリは首を振る。

「戦闘は最小限に。指揮官を一名、生け捕り。証拠類も押収済みだ」


 ティアが鞄から金属筐体を出す。


「これ、鍵束と書付いっぱい!」

 騎士団員が手早く検める。刻印された取引台帳、貴族家を匂わせる封蝋。ハーゲンは目を細くした。

「……濃いな。こちらで公証して取り調べに回す。君たちには事情聴取を――」


「明日でもいいか?」とユウリ。

「保護児の治療が先だ。今無理をすれば、取りこぼす命が出る」


 沈黙ののち、ハーゲンは頷いた。

「わかった。救出の功は確かだ。公的な手続きは我々で進める。君たちは今夜、子どもたちを頼む」

 ドレイスは無言でうな垂れていた。拘束具に組み込まれた構文封印が、青く瞬いている。


◇◇◇


 保護室。

 子どもたちは泣き疲れて、徐々に眠りに落ちていく。

 リアナは一人ひとりの額に手を当て、短い祈りを落としていった。

「……もう、怖い夢が来ませんように」


 ティアは、ミナの寝台の端にしゃがみ込み、少し距離をとって見守る。


「ねぇ主様。ボク、強く殴るのは得意だけど……こういうのは、どうしたらいいかな」

「静かに、隣にいればいい」

「それだけで、いいの?」

「今は、それが一番効く」


 ミナがふと目を開けた。

 焦点の合わない空色の瞳が、ユウリを見つける。

「……ここ、あったかい……主様の、匂い……」

 まだ寝言めいた声だ。ティアがくすっと笑う。

「ずるい、主様の匂いは安心するのわかるけどさ」

 リアナも目を細めた。

「安心は薬です。今日は、たくさん飲ませましょう」


(なんか勝手に主様認定されてるな……まあ後で考えればいいか)


◇◇◇


 受付前の長卓で、マリアが書類を整えていた。

「救出報告、証拠提出、容疑者引き渡し……全部、今夜だけで? ――はぁ、あなたたち、ほんと規格外ね」

 βはユウリの肩近くで小さく光る。

《記録補助を提供。活動ログ、紙媒体に変換可能です》

「えっ、喋った……! えっと、その、古代の……」

「修理した古代魔導器です」


「そ、そう。便利ね……ギルド端末より高性能……」

 マリアはちょっとだけ目をそらして咳払いした。

「子どもたちは、ひとまず《聖燐の家》に移すわ。修道院系列で、信頼できる。院長のマリネは、リアナさんの知り合いなんでしょ?」


「ええ。温かい人です。明日の朝、伴同行します」

「助かる。――それと、白狐の子の件」

 マリアはペン先を止め、ユウリを見る。

「彼女は、今はあなたたちの側に置いた方がいい。依存が強いし、さっきの治療はあなたにしかできない。ギルドとしても“特別保護”の枠を付ける」


「助かる」

 ユウリは小さく礼を言い、承諾書にサインを入れた。

 マリアは頷き、印章を押す。書面に“特別保護対象:ミナ・ルクレール”の文字が刻まれた。


◇◇◇


 夜更け。

 ギルド宿の一室には、簡易ベッドが三つ並べられ、隅の小さな寝台でミナが眠っている。

 ティアは床に座り込み、膝を抱えてうとうと。尻尾が時々ぴくりと動く。

 リアナは窓辺で静かに月を見上げていた。

「……ユウリ様。今日、救えた命は、きっと明日を信じる力になります」

「ああ」

 ユウリは椅子にもたれ、手に残る微かな温度を見つめる。

「誰かの“当たり前”が、鎖で壊されるのは……もう見たくない」

《次行動案:赤鎖の流通経路の解析、貴族家の監査》

「明日でいい。今日は、これで十分だ」


 そのとき、寝台の毛布がくしゃりと動いた。

 ミナが目を覚まし、ぼんやりとユウリを見つめる。

「……主様」

「起こしたか」

「ううん……ね、ミナ……ここにいて、いいの?」

 ユウリは短く笑う。

「いていい。――君が決めていい」

 小さな沈黙。やがてミナは、毛布の端をぎゅっと握って、かすかに頷いた。

「……うん」

 その一言に、部屋の空気が少しだけ温くなった気がした。


 灯りを落とす。

 月明かりが床を撫で、ティアの寝息が規則正しくなる。

 リアナは胸の前で指を絡め、小さく祈った。祈りは天へではなく、ここにいる命へ。

 βの光が一瞬ゆらぎ、静かな記録音だけが残る。


 ――夜は、深く優しく、三人と一人を包み込んだ。

 明日になれば、また決めるべきことが増えるだろう。

 けれど今は、救えた温度をただ確かめていた。



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