第40話「初依頼、ぬるぬる地獄!」
朝の光がグランテールの石畳を照らしていた。
勇者との戦いを終えて数日。
ユウリたちは、ついに“人の街”で冒険者として再出発する日を迎えていた。
「ティア、角と耳は隠しておけよ。」
「えぇ~、せっかくのチャームポイントなのに~!」
ティアがぷくっと頬をふくらませる。
ユウリはため息をつき、彼女の頭に手をかざした。
《外見改造:擬態フィルター・起動》
淡い光がティアを包み、紅の角と竜耳、硬質な尻尾がすっと消える。
代わりに、鮮やかなピンク髪の人間少女がそこに立っていた。
「ふわぁ……ボクの耳と尻尾、なくなっちゃった!」
「正確には見えなくしてるだけだ。ちゃんと動いてるぞ。」
「えっ、ほんと? ……もふもふ封印モード?」
「お前の耳と尻尾、ウロコでゴツゴツじゃないか。」
「えぇー!? ボク、もふもふだと思ってたのにっ!」
「その感性が一番怖い。」
「ご主人様の意地悪~!」
リアナが袖で口元を隠し、くすりと笑う。
「ふふ……こうして見ていると、本当に“人間らしい旅”が始まったのですね。」
「……まぁ、これからは“人の世界”で生きていくんだからな。」
三人は肩を並べ、グランテール冒険者ギルドの扉をくぐった。
◇◇◇
朝のギルドは、人と匂いと声であふれていた。
革の擦れる音、剣の金属音、依頼票をめくる指先――。
ユウリたちが入ってくると、ちらちらと視線が集まる。
「……あれ、ピンク髪の子、珍しいな」「隣の女、聖職者か?」
「ん? 真ん中の黒髪……どっかで見たような……」
そんなささやきが飛び交うが、誰も確信は持っていない。
ユウリは苦笑しながら肩をすくめた。
――昔、ここで暮らしていた頃の顔を覚えてる奴がいるかもしれない。
だがそれも、今となってはただの“他人の噂”だ。
「おいティア、はしゃぐなよ。視線が刺さってる。」
「むー……でも見てよご主人様っ! この依頼票、ぜんぶ楽しそうっ!」
ティアは掲示板に張り付いて尻尾――いや、見えないはずのそれをぶんぶん振っていた。
「“スライム群駆除・報酬1,000ゴル”……“ネズミ討伐・報酬300ゴル”……“廃坑調査・要Bランク以上”……えーっと!」
指が止まる。
「これ! “ぬるぬるスライム地帯の駆除依頼”! ねぇご主人様、スライムだよ!? スライムっ!」
「テンション高ぇな……」
ユウリが苦笑する隣で、リアナが控えめに首を傾げる。
「スライム……可愛い生物ではないのですか?」
「いや、あいつらの“中身”は強酸と魔力の塊だ。油断したら骨まで溶かされるぞ。」
「ひぃ……!」
そこへ、カウンターの奥から栗色のポニーテールがひょいと覗いた。
「おはようございます、ユウリさん。……もう依頼、選んじゃったんですか?」
マリア・ロンド。グランテール冒険者ギルドの受付嬢だ。
琥珀の瞳がティアの手元を見て、ぴくりと動く。
「スライム駆除……あぁ、あれですか。北東の湿原ですね。昨日も何組か戻ってこなかったとか」
「マリア、それを先に言え」
「ま、まぁでも! イプシロンランクのあなたたちなら大丈夫ですよねっ! それに……」
マリアはにこっと笑って続けた。
「ギルド初依頼は、誰だって“ぬるぬる”から始まるものです!」
「そんな伝統いらねぇよ……」
ティアは満面の笑みで依頼票を握りしめた。
「決まりっ! 《再定義者》、初仕事いってきまーすっ!」
「ティア、叫ぶな。ギルドが揺れる。」
「はーいっ!」
マリアが手を合わせて見送る。
「無事に帰ってきてくださいね! あ、森を燃やしたら罰金ですから!」
「それ、わざわざ注意するってことは……過去に燃やした奴いるんだな?」
「……実は、昨日。」
「おい。」
笑いが広がる中、3人はギルドを後にした。
◇◇◇
湿原は、グランテールから半日ほど北に進んだ場所にあった。
地面はぬかるみ、空気は湿って重い。
ティアが長靴を履きながら、不満げに顔をしかめる。
「うわぁ……地面が“ぐにゃっ”ってなるぅ」
「当たり前だ。湿原だからな。」
「ボク、こういうの苦手~。羽ばたきたい~」
「飛ぶな、足跡が消える。」
「ご主人様、地味に神経質~!」
リアナは結界を張りながら辺りを観察していた。
「魔力濃度、かなり高いですね。普通のスライムではないかも……」
「おそらく“分裂個体”だ。群体構造を持つタイプ。ティア、炎は控えめにな。」
「はーい(※ぜんぜん聞いてない)」
そんな会話をしていると、地面のあちこちで“ぷちゅっ”と音がした。
透明な塊が、ぬるりと姿を現す。
十、二十……次々と浮かび上がる丸い影。
湿地一帯が、じわじわと光り始めた。
「ユウリ様、あれは――」
「スライム群体。数が多すぎる……!」
ユウリはすぐに改造構文を展開する。
《地形改造:湿地排水構文・局所起動》
地面が振動し、ぬかるみが瞬時に固まる。
「これで足場は確保だ。ティア、前に出ろ!」
「了解っ! 《龍炎走(Draconic Burst)》ッ!!」
ティアの身体が炎の残光を纏い、スライムの群れを一直線に貫いた。
爆風と共に酸が蒸発し、熱風が湿原を舐める。
「ちょ、ちょっと! 燃やしすぎですティアさんっ!」
「ひゃーっ、楽しいっ!!」
「俺の排水構文が台無しだぁぁ!!」
リアナが慌てて光結界を展開する。
「《聖域展開・簡易版》! 酸を防ぎますっ!」
蒸気が晴れ、静寂が戻った。
辺りには、溶けかけたスライムの核が転がっている。
「……一応、終わったな。」
「わーい! ボク、勝った!」
「勝ったじゃねぇ。森が焦げてんだよ。」
「えっ!? あっ、ほんとだー! あはは……♡」
「笑って誤魔化すな。」
◇◇◇
夕暮れ。
帰還報告を受け取ったマリアは、額を押さえた。
「……依頼達成おめでとうございます。あと、焼失面積二ヘクタールです。」
「おお、意外と少ないな」
「褒めるところじゃありませんっ!」
ティアは机の下でこそこそ隠れている。
「うぅ……ボク、悪気はなかったのに……」
リアナが苦笑しながら肩に手を置く。
「でも、あなたがいなければ危なかった。助かったわ、ティア。」
「リアナぁ……♡」
ユウリは報酬袋を受け取り、軽く笑った。
「まぁ、最初にしては上出来だろ。次はもう少し“文明的”にやるぞ。」
「了解ですっ!」
こうして《再定義者》の初依頼は、
笑いと焦げ跡を残して幕を閉じたのだった。




