第30話「祈りを喰らう影」
北方への道は、瘴気で覆われていた。
古木の根が地表を這い、空気が重い。
歩くたびに足元の土が脈打つように震え、まるで森そのものが呼吸していた。
「……なんだ、この気味の悪さ」
ティアが鼻をひくつかせる。
「匂いが違う。普通の堕獣の瘴気じゃない。もっと……“甘い”匂いがする」
リアナが静かに答えた。
「甘いのは、祈りの残り香です。……神へ捧げられた思念の匂い」
彼女の瞳がかすかに揺れた。
かつて、同じような“神域”の香りを知っている。だがこれは――歪んでいた。
ユウリは腰の装置を起動し、視界に解析ウィンドウを展開する。
《構文粒子検出。祈り波長・反転型》
「……信仰が“吸収”に転じてる。祈れば祈るほど、喰われる仕組みだ」
「そんなの、祈りの皮を被った化け物じゃん!」
「その通りだ。――カイルが作った信仰炉の副産物だな」
その瞬間、地面が低く唸った。
森の奥から、不気味な脈動音が響く。
鳥も虫もいない。
代わりに聞こえるのは、祈るような呻き声だけだった。
ティアが拳を握りしめる。
「来る……! ご主人様、何か近づいてる!」
次の瞬間――
黒い影が森の奥から溢れ出した。
その形は、かつての聖像に似ていた。
翼を持ち、顔のない“祈りの化身”たち。
「……フェイス・イーターか」
ユウリの声が低く響く。
「祈りを喰って進化する堕獣……勇者の失敗作だ」
リアナが杖を構える。
「聖属性の結界を展開します。――でも、あの波長……聖でも穢でもない」
「どっちでもないさ。
信仰の構文を奪われた“神のなり損ない”だ」
風が吹き抜け、森の闇がざわめく。
フェイス・イーターたちが一斉に咆哮した。
その声は、まるで千の祈りが一斉に泣くような響きだった。
「ご主人様、行くよ!」
「行け、ティア! 《龍焔槍・ヴァーミリオンスパイク》!」
ティアが紅蓮の槍を展開し、疾走する。
地面を蹴るたびに火の尾が走り、炎が闇を裂いた。
フェイス・イーターの群れが一斉に襲いかかるが、炎がそれを焼き払う。
ユウリは背後から構文指令を飛ばす。
「《戦術改造・近接モード》――ティアの筋出力上昇、反応速度+40!」
ティアの身体が一瞬だけ光に包まれ、さらに加速する。
炎の槍が突き抜け、黒い祈りを裂いた。
「ひとつ……!」
しかし、その祈りが消える前に、別の影がそこから再生を始める。
リアナが詠唱する。
「《純聖再生》――癒やしの光よ、穢れを浄化して!」
光が弾け、闇の再生を止めた。
ユウリは冷静に見極めながら、指先を動かす。
《改造構文展開:結界再定義――炎属性連動モード》
炎と光が融合し、赤金色の結界が広がる。
その内側で、三人の連携が研ぎ澄まされていく。
「ティア、リアナ! 敵の中心は奥だ。信仰炉の残滓がまだ動いてる!」
「了解っ!」
「ええ……行きましょう」
森の奥、脈動する光の方角へと、三人は駆け出した。
その足元で、地面の祈りが呻いている。
それはまるで、誰かの絶望が地中に染みついたようだった。
――そして、森の奥で待つのは“神を模した者”の影。
木々が軋み、地面からは黒い蒸気が上がる。
まるで森全体が巨大な生き物のように、ゆっくりと呼吸していた。
ユウリたちは、その中心部――瘴気の渦へと足を踏み入れた。
祈りの残響が空気を満たし、耳鳴りのような低音が絶え間なく響いている。
“赦しを乞え”――“救われよ”――“信じよ”。
祈りの言葉が、森そのものから発せられていた。
「……祈りが、生きてる」
リアナの声は震えていた。
その手に握られた聖杖が、光ではなく“涙”のような光粒をこぼしている。
「リアナ、気を取られるな。こいつは“生きた信仰”だ。――意思を持つ祈りなんて、本来ありえない」
「……でも、この感じ……わたしが、教会で祈りを導いていた頃と同じ波形です。
まるで、誰かが神を……再生しようとしている」
ユウリは目を細め、構文視界を開いた。
《解析開始――中心波形:構文名 “FaithCore_Mother” 異常値:固定》
「……出たな。祈りの炉心だ。勇者の仕業に間違いない」
その言葉と同時に、大地が脈打った。
森の奥、光の中心に、巨大な黒い“花”が咲いていた。
花弁のように広がる構文陣。その中央に――
“顔のない女神像”が立っていた。
祈りの象徴だったはずの像は、いまや腐り落ち、
胸のあたりから無数の手を伸ばし、周囲の祈りを貪っていた。
「――あれが、“フェイス・マザー”」
ユウリの声が低く響く。
ティアは槍を構え、瞳に炎を宿した。
「ご主人様、ボク……行く!」
「待て、ティア!」
リアナの声が制止する。
「その瘴気は、ただの穢れじゃありません! “信仰の毒”です!」
「関係ないっ!」
ティアは地を蹴り、紅蓮の光を放った。
炎の尾を引きながら、一直線にフェイス・マザーへと突撃。
その一撃――
確かに命中したはずだった。
だが――
「っ!? はね返された!?」
炎が、弾かれた。
黒い光が花弁を覆い、ティアの炎を“祈りの構文”として吸収していく。
ユウリの解析表示に警告が走る。
《警告:祈り構文が“願望吸収型”へ変化。外部魔力を祈りとして転用中。》
「……祈りを喰ってる。俺たちの力すら“信仰”として飲み込んでるのか」
ティアが後退し、息を荒くする。
「ボクの炎が……消えてく……!」
彼女の竜核が光り、熱を帯び始めた。
内部から何かが“目覚めようとしている”――
それを、ユウリは感じ取った。
「ティア、無理はするな。――まだ制御できない」
「でも、ご主人様を守らなきゃ……!」
「守るなら、理で守れ。感情で動けば、祈りの餌になるぞ!」
ユウリの叱咤が飛ぶ。
ティアは悔しそうに歯を食いしばり、尻尾を立てた。
リアナが前に出る。
「なら、わたしが――祈ります」
「リアナ! その祈りは――」
「わかっています。……けれど、放っておけません」
彼女の足元に光陣が展開される。
聖なる祈りの詠唱が空気を震わせ、フェイス・マザーの触手がざわめいた。
『赦しヲ……乞エ……』
無数の声が響き、リアナの光が歪む。
祈りが、祈りを喰らっていた。
「――ぐっ!」
リアナの聖印がひび割れる。
背中に黒い光が絡みつき、体が後ろへ弾かれた。
「リアナ!」
ユウリが抱き止め、すぐに構文治療を発動する。
《応急改造:信仰波形安定化・施行》
リアナの体から黒光が抜け、息が戻る。
彼女の唇が微かに震えた。
「……ユウリ様、神の声が……違う……。わたしの中の祈りが、泣いている……」
「泣かせとけ。――あれはもう神の声じゃない」
ユウリは立ち上がり、フェイス・マザーを睨む。
「β、構文照準合わせろ。堕獣炉の中心を特定しろ」
《了解。中核構造を固定――中心波形に“龍神因子”反応を確認》
「龍神因子……? まさか、ティア!」
ユウリが振り向いた。
ティアの周囲で、炎が形を変え始めていた。
紅の光に、金と蒼が混じっていく。
「……あれ、ボク……体が熱い……!」
ティアの瞳が赤から金に変わり、額の紅い角が黒金に染まり始めた。
背中の鱗が音を立て、風が爆ぜる。
「ご主人様……これ、なに……?」
「――進化だ。ティア、お前の竜核が応えてる!」
森全体が震える。
フェイス・マザーが狂ったように祈りを叫び、無数の手を伸ばす。
ユウリは叫んだ。
「ティア、行け――喰われる前に、喰らえ!!」
炎が爆ぜた。
紅蓮の中に雷が走り、風が巻き上がる。
ティアが翼を広げ、空へ跳んだ。
「《龍神咆哮・アークバースト》――ッ!!!」
咆哮とともに放たれた光が、夜を切り裂いた。
炎が祈りを焼き払い、雷が構文を破壊し、風が瘴気を吹き飛ばす。
フェイス・マザーが断末魔のような悲鳴を上げ、光の中で崩壊した。
ティアの体が炎に包まれ、空中で輝く。
その姿は――もはや竜人ではなかった。
黄金の紋様が全身に走り、翼の内側には“神の模様”を思わせる光輪が浮かぶ。
ユウリが呟く。
「――龍神族、完全覚醒」
炎が静まり、ティアが地上に降り立った。
蒼炎をまといながら、彼女は息を吐いた。
「……ご主人様、ボク……やったよ」
ユウリは微笑み、リアナが胸の前で手を組む。
「ええ……あなたは、神の炎を越えたのですね」
森の闇が晴れていく。
だが、その中心にはまだ小さな黒光が残っていた。
βの警告が響く。
《警告:信仰炉中核――消失せず。
残存コード名:“勇者カイル・グランバーグ”。》
風が止む。
遠くの空で、何かが微かに笑った気がした。
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地味スキル「ためて・放つ」が最強すぎた!~出来損ないはいらん!と追い出したくせに英雄に駆け上がってから戻れと言われても手遅れです~
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