第3話「封印の少女、龍の名を継ぐ」
神殿の奥は、雨の匂いがしなかった。
崩れた屋根の音もここまでは届かず、空気は静かで冷たい。
ユウリ・アークライトは、石の螺旋階段をゆっくり降りる。
壁に掌を滑らせると、指先がピリッと痺れた。
「……静電気ってより、“神の針金”だな」
見えない線が、壁の内側を縫っている。
“神造構文”――神が世界を設計するために使った古い言語。
壊れた今も、完全には死なず、ところどころでバグって息をしている。
階段を降り切ると、深い井戸のような円形の間に出た。
中央に、透明な棺。
内側で淡い赤が、心臓の鼓動みたいに明滅している。
「……これが“炎の少女”」
ユウリは一歩近づき、棺に手を置く。
冷たい。けれど、その奥に確かな“体温”があった。
《封印識別:DRAGON_SEAL_CORE/管理者=神格直轄》
《条件:覚醒時→自動再封鎖/外部介入→神罰ルーチン準備》
「起きた瞬間にまた閉じる……監獄に目覚まし時計付けるな」
皮肉をひとつ。
怒っている時ほど、声は低くなる。
棺の中で少女が眠っていた。
桃色の髪が水みたいに広がり、額には小さな紅い角。
長い睫毛の下、頬には乾いた涙の跡が一筋だけ残っている。
《封印構文:竜核拘束/抑制率82%》
《副作用:夢領域へ恐怖記録を反復上書き》
「……祈りの顔をして、やってることは拷問じゃねぇか」
喉元に突きつけられた剣の冷たさ――追放の夜の記憶が、一瞬だけ戻る。
ユウリは拳を握り、すぐ開いた。
「命令は廃止。提案に変える。……人の意思は、人が決める」
左手で棺を、右手で祭壇の基板を押さえる。
神殿の“心臓”と封印層を繋ぎ、神の命令文を上書きする。
《改造開始:再封鎖ルーチン(命令)→提案(拒否可能)》
《同意確認:都市核→許可》
封印陣の光が薄まり、細い鎖のような魔力線が浮かぶ。
それぞれが少女の“竜核”に刺さり、力を抜き、恐怖を流し込んでいる。
「構造は綺麗。だからこそ腹が立つ」
《スキル発動:《コピー&改造》》
《対象:拘束杭(竜核周辺)》
《改造:接続方向を反転→“本人の意思合図”でのみ接続》
一本、外す。
カチリ、と小さな音が、骨で聞こえた。
もう一本、外す。
赤い明滅が、ほんの少し柔らぐ。
三本、四本――
部屋の温度が、一度ずつ上がっていく。
壊さず直すのは、力で叩き壊すより難しい。
掌に汗が滲むのを、自分で笑った。
「――あと一本」
最後の杭に指をかけ、ユウリは一拍置いた。
言葉は、時々、魔法より効く。
「起きていい。閉じるか、出てくるか――君が決めろ」
杭を抜く。
静寂。
次の瞬間、棺の内側で空気が跳ねた。
炎の粒がふわりと浮いて、室内が一度ぶん温かくなる。
長い睫毛が震え、瞼がゆっくり開いた。
琥珀色の瞳が、まっすぐユウリを掴む。
「……ボク、まだ……生きてるの?」
「ああ。生きてる。もう誰にも閉じ込められない」
少女は小さく瞬き、首をかしげる。
「……主様、ですか?」
「違ぇよ。今のところは、通りすがりの改造屋だ」
「……でも、主様がいなかったら、ボク……目を開けられなかったよ」
ユウリは少しだけ笑った。
張り詰めていた糸が、ひとつ緩む。
《識別名:Tia/種別:竜族・人化形態》
「ティア、か。いい名前だ」
「主様は?」
「ユウリ。ユウリ・アークライト」
「ユウリ……主様だね」
「いや、だから違――」
「主様がボクを助けたんだもん。主様でしょ?」
子どもみたいにまっすぐな笑顔。
その無邪気さに、ユウリは肩をすくめた。
「……好きにしろ」
「うんっ!」
ティアは透明な蓋に手をかける。
軽く触れるだけで、封印の固定が解けた。
「ゆっくり。体、まだ慣れてない」
「うん……ありがと、主様」
裸足が床に触れる。
冷たさに小さく息をのんで、足指をきゅっと曲げた。
「ここ……あったかい。主様がいるから?」
「……いや、それは都市の熱だ」
「ふふっ。主様、照れるとすぐ誤魔化す」
ティアは棺の縁につかまりながら、部屋を見回した。
見慣れない世界を、ひとつひとつ拾うみたいに。
「ここは……どこ?」
「廃都アルセリア。神が棄てた街だ。
だから今は――俺たちの街でもある」
「“俺たち”」
その言葉を、ティアは何度か唇で転がして、嬉しそうに笑った。
「ねぇ主様。ボク、どのくらい眠ってた?」
「正確な年数は後で調べる。……長い。夢に“恐怖”が混ぜられてた」
「そっか。だから、冷たい夢ばっかりだったんだ」
ティアは自分の胸に手を当てる。
鼓動を数えて、ほっとした表情を浮かべた。
「ねぇ主様。ボク、強くなっていい?」
「もちろん。……ただし、焦るな。まずは歩く、次に走る」
「うん。主様のペースで、ボク、ついていく」
小さな“約束”が交わされた瞬間、石壁の継ぎ目が青く光った。
空気が少し重くなる。
《通知:封印解除ログを外周へ配信》
《外部観測:微弱な索敵反応/種別=魔族系統》
ユウリは眉をひそめ、空間の上を見た。
都市の回路を通して、外周の気配がかすかに伝わってくる。
「……早いな。光柱、見られてたか」
「主様、何か来るの?」
「偵察が覗きに来る。ここは目立つからな」
「ふふ。なら早く“主様の街”に案内して。ボク、場所を覚えたい」
「“俺たちの街”な。……行くぞ、ティア」
「うん、主様!」
ティアが一歩踏み出しかけて、ふと立ち止まる。
ユウリの袖を、そっと指でつまんだ。
「主様。ボク、もう一回、ちゃんと生きたい。
檻に戻るためじゃなくて……主様の隣で、選ぶために」
真っ直ぐで、揺らがない声。
ユウリは短く頷く。
「そのために俺はいる。選択肢を、全部並べる」
「うん」
ティアは小さく笑い、袖から指を離した。
炎の粒みたいな光が、紅い角の根もとで一瞬だけきらめく。
「歩けるか?」
「平気。主様がいるから」
「理屈はおかしいけど、まぁいい。……行こう」
二人は階段へ向かう。
上の方から、雨上がりの風が香ってきた。
遠くで、都市の水路が静かに流れ始める音がする。
《副次出力:都市機能=灯・水・盾・記録 安定稼働》
《注意:外周に微細な魔力波――偵察規模》
「迎えは、案外すぐだな」
「主様。ボク、戦えるよ?」
「その時が来たら、頼む。……口で教えるより早い。見て覚えろ」
「うん!」
神殿の扉を押し開けると、薄い光が差し込んだ。
雲はまだ厚いが、街は目を覚ましている。
廃都アルセリア。
神に棄てられた街は、今、二人の歩幅で再起動していく。
そして遠く、瓦礫の向こうで、かすかな気配が動いた。
魔族の偵察が、こちらを見つけている。
ユウリは剣の柄を軽く叩き、ティアに横目をやる。
ティアはこくりと頷き、紅の角をきらりと光らせた。
――次の戦いは、もうすぐだ。




