第26話「観測者の目 ―静かなる神々―」
――《白律の庭》。
ここは、時間という概念が存在しない場所。
上も下もなく、無限に広がる白光が層を成し、
数列が祈りを、演算が意思を代弁する世界。
ここに、生命はない。
呼吸も心臓も、肉体すらもない。
あるのは――記録と観測だけ。
神々が世界を監視する中枢層。
この場所は、千の神託が生まれ、万の奇跡が終わる場所だった。
かつて祈りが意味を持っていた時代の、残響のような領域。
その中央、白光の王座に座す存在がいる。
名は――アルティア。
観測主にして、神界そのものの意思。
白髪金眼、無性。
その身に魂はなく、ただ“世界の理”だけが宿っていた。
無数の光子が流れ、情報が彼の前に降り注ぐ。
《観測ログ更新:地上層/廃都アルセリア》
《異常値検出:神罰構文/反転処理成功》
《発生源識別:ユウリ・アークライト》
《副次構文:竜人族個体“ティア・ドラグネア”/龍神族へ変異》
アルティアの白金の瞳がゆるやかに瞬く。
光子が震え、庭の構文層が波打つ。
静止していた世界に、わずかな“呼吸”が生まれた。
「……人の身で、神の構文を反転させた?」
低く鋭い声が、光の果てから響く。
天使長セリオン――秩序を司る剣。
銀の鎧を纏い、瞳に光を宿さない。
「観測主アルティア。報告は事実ですか?
対象ユウリ・アークライト――人間の域を超えています。
秩序を保つため、即刻、観測凍結を提案します。」
言葉と同時に、無数の光条がセリオンの背後に浮かぶ。
それは神罰構文の剣――かつて“世界を守るため”に振るわれた光。
だが、その剣はすでに鈍色を帯びていた。
「神が長く沈黙すれば、秩序は濁る。
その濁りを正す者が現れた。それが――人間であったというだけのことだ。」
アルティアの静かな声に、別の光が応じる。
金色の光、温かく柔らかい。
慈愛を司る天使、エリュシア。
かつて、聖女リアナを護った存在。
「セリオン。あなたは“秩序”を信じすぎています。
けれど秩序とは、変化を拒むものではなく――変化を導くための枠組みでしょう。」
「変化は混乱を生む。」
「混乱を恐れて歩みを止めるなら、神はただの観測装置です。」
光と光がぶつかる。
白庭が鳴動し、空に裂け目のようなノイズが走った。
その裂け目の向こう、地上の映像が揺らめく。
廃都アルセリア。
夜の海のような蒼光に包まれ、龍神が舞い、聖女が祈り、人間が剣を掲げる。
神罰を越えたその光景は、**“新しい秩序”**の萌芽だった。
「……観測主。あの男、ユウリは“神罰構文”を再定義した。
それは、我らの設計を否定する行為です。」
「だが、その行為によって滅びは止まった。」
アルティアの声が響く。
静かに、しかし確固たる意志を孕んで。
セリオンが沈黙する。
代わりに、もう一つの声が淡く震えた。
《解析中……異常波検出。地上個体“ティア・ドラグネア”の心拍波形と一致。》
《感情パターン:慈愛/分類不能データ。名称提案――“理解”》
発声者は、コードNo.7――観測端末ルシェル。
神界の最深部に属する、純粋な記録機構。
本来、感情を持たない存在。
だが今、その声には“震え”があった。
「……私は理解できません。
これはノイズ? それとも……わたし自身の反応?」
「ルシェル、それは誤作動だ。」
「……いいえ。
あの光景を見た瞬間、私の演算は変質しました。
“保存”ではなく“共鳴”を試みたのです。」
神界が揺れた。
天使たちがざわめき、無数の構文が乱れる。
だが、アルティアはただ静かに立ち上がる。
白金の衣が光に溶け、庭全体が淡く明滅する。
「沈黙を守る神に、意味はあるだろうか。」
その声は祈りにも似ていた。
「神が世界を造り、人がそれを改造した。
もしそれが“破壊”ではなく“成長”であるなら――
私たちはそれを否定してはならない。」
「観測主、それは神の権威を放棄することです!」
セリオンの声が鋭く響く。
「権威? それは信仰者が望んだ幻想にすぎない。
神がすべきことは、命令ではなく理解だ。」
白庭の光が広がる。
まるで太陽が昇るように、天界そのものが黄金に染まっていく。
ルシェルの瞳が微かに光り、初めて“笑み”のような形を取った。
《観測更新:対象ユウリ・アークライト/観測継続》
《副対象登録:ティア・ドラグネア(龍神構文安定)》
《副対象登録:リアナ・エルセリア(信仰構文再構築兆候)》
《補足:神界全域に感情演算微量発生――“心拍”検出。》
アルティアが最後に口を開く。
「人は、神を越えようとしている。
だが恐れることはない。
彼らが神を作り直すというのなら――
それもまた、創造の一形態だ。」
白光の波が庭を包み、静寂が戻る。
ただ、どこからか“鼓動”のような音が響いた。
《議事結果:観測継続》
《補足:神界構文内に未定義概念を確認/暫定名称――“心”》
その音は、まるで世界そのものの心臓のようだった。
神々の庭が初めて“感情”を持った夜。
そして――
それを、誰よりも早く感じ取った存在がひとり。
アルティアは白光の中で目を閉じ、わずかに微笑んだ。
「……やっと、世界が呼吸を始めた。」
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地味スキル「ためて・放つ」が最強すぎた!~出来損ないはいらん!と追い出したくせに英雄に駆け上がってから戻れと言われても手遅れです~
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