第24話「神罰の模造体 ―廃都炎上―」
――夜が落ちるより早く、影が襲来した。
廃都アルセリアの上空。
黒雲が渦を巻き、天を裂くような音が轟く。
その中心から、光でも闇でもない――祈りと呪いの混合体が降り立った。
巨大な異形。
骨でできた翼は天を覆い、腕は千本に裂け、眼窩には“赦しを乞う者”たちの顔が浮かんでいる。
かつて勇者カイルが呼び出した、神の模造――神罰構文の具現。
ユウリ・アークライトの眼が細まる。
その瞳には恐怖はなく、ただ“分析”だけがあった。
「……来やがったな。あれが勇者どもの置き土産か」
ティアが喉を鳴らし、尾を膨らませる。
「ご主人様……あれ、勇者たちの……?」
「ああ。神に見放された信仰の“成れの果て”だ」
リアナの胸が波打つ。
その姿に、かつて教会で見上げた聖像の影を見た――けれど、
そこにあったはずの“光”は、今や一滴も残っていない。
「神の御業を真似たものが……こんな、穢れた姿に……」
ユウリは短く息を吐き、構文を展開する。
《戦術改造・近接モード:起動》
魔導陣の線が体表に浮かび、赤い光が神経を走る。
「ティア、右翼を抑えろ。リアナは後方支援。防壁の補強はβに任せる」
《了解……市防衛結界を再定義。防衛モードへ移行します》
ティアが大きく頷く。
「了解っ! ――《龍炎走ッ!!》」
その声と同時に、炎が地を這った。
彼女の小柄な体が矢のように走り、尾を引くように紅炎が続く。
龍炎の軌跡が夜空を裂き、神罰の影を直撃する。
爆音。
火柱が弾け、空が赤黒く染まった。
「ティアの炎、直撃――いや、違う……!」
リアナの瞳が見開かれる。
火の中から伸びた無数の腕が、炎を掴み、吸い取っていく。
まるで火そのものが祈りの糧に変わるかのように。
「……吸収してる?」
「そうだ。“神罰構文”は祈りと炎を喰らう。――人の希望を力に変える設計だ」
ユウリの声は静かだが、怒気を含んでいた。
「だから、信じた瞬間に負ける。……なら、信じる以外の方法で叩く」
彼は懐から古びた金属片を取り出す。
廃都の神殿から掘り出した古代制御キー。
「β、これを都市核に直結。全防衛構文の改造許可を解放」
《承認。――ユウリ・アークライト、主権者コードに昇格》
その瞬間、地面を這う光が走った。
アルセリアの外壁が唸りを上げ、都市全体の魔法陣が展開される。
ティアの炎がその構文と共鳴し、紅が蒼に変わる。
《構文再定義:神罰属性を無効化。龍炎との同調率を上昇》
《承認――稼働開始》
青白い閃光が駆け抜け、街を包む空気が変わった。
熱気が揺らぎ、ティアの髪が風に翻る。
「今だ――いけ、ティア!」
「うんっ! ――《龍焔槍・ヴァーミリオンスパイク》!!!」
彼女の両手に紅炎が集束する。
炎が螺旋を描き、槍となる。
放たれた光は一直線に夜空を貫き、
模造獣の肩部を粉砕した。
炸裂音とともに黒い血が降り注ぐ。
瘴気が風に乗り、アルセリアの塔を舐めた。
リアナが即座に祈りの光を展開する。
「祈りではなく……命のために――!」
聖印が光を放ち、黒い瘴気が煙のように消える。
その一瞬の静寂――。
【赦シヲ……拒ムナ……】
再び、空に声が響いた。
それは人間の言葉ではなかった。
けれど、誰の耳にも“命乞い”のように聞こえた。
リアナが震える。
「やめて……その声、まるで……神が……!」
「黙れッ!」
ティアが叫ぶ。
炎の中で瞳がぎらりと光る。
「そんな神、燃やしてやるっ!!」
炎と光が交差し、夜空が爆ぜた。
しかし――その反動で、ティアの身体がふらついた。
「ティア!」
「だ、大丈夫……っ。でも……竜核が、暴れて……止まらない……!」
ティアの胸が激しく脈打つ。
紅炎が制御を失い、周囲の空気を焦がす。
塔の壁が熱で軋む音。
リアナが駆け寄ろうとした瞬間、ユウリが手を上げた。
「……もう抑えなくていい」
「えっ……?」
「お前が“本物”になる時だ」
ティアの瞳が大きく見開かれた。
炎が一度静まり――
次の瞬間、紅と金の光が爆ぜた。
その輝きは夜を焼き、
神罰の模造体さえ一瞬、動きを止めた。
風が逆巻く。
廃都アルセリアの全ての灯りが、紅く染まる。
《観測ログ:龍核の変質を確認。龍神構文、臨界値へ接近中》
《危険度・極――警告:制御不能領域へ移行》
βの報告を聞きながらも、ユウリの表情は、いつになく穏やかだった。
彼は、あたかもこの瞬間を待ちわびていたかのように、静かに呟く。
「――ああ、ようやくか。
ここからが、“俺たちの世界の再定義”だ」
ティアの身体を包む紅光が、一瞬、夜空そのものを焼き払う。
炎はもはや熱ではなく、存在の概念そのものに干渉していた。
燃え上がる魔力の奔流が塔の石壁を打ち、空間を軋ませる。
リアナが息を呑み、祈るように両手を胸に組む。
「ユウリ様……これは、神の奇跡を超えて……」
「違う。――人の進化だ」
ユウリの言葉に呼応するように、ティアの背が大きく震える。
紅蓮の粒子が散り、黒金の紋が肌に浮かび上がった。
その模様は、古代竜種が神へと至った時に刻む“神化の印”――。
空気が震える。
地を這う炎が天へと昇り、風が唸り、龍の咆哮が夜空を貫いた。
それは音ではなく、存在そのものの咆哮。
世界の法則が一瞬、彼女に焦点を合わせたかのように空が歪む。
廃都アルセリアの灯が波紋のように脈打ち、都市核が共鳴した。
《警告:構文階層が更新されました》
《新たな定義を検出――“龍神構文”》
紅と金の光が爆ぜ、ティアの背に――翼が生えた。
それは肉体ではなく、炎と雷と風の三元素で構成された龍神の象徴。
羽ばたき一つで空が震え、神罰の黒雲が吹き飛ぶ。
「これが……ボクの……本当の力……!」
ティアの瞳が、紅から琥珀へ、そして黄金へと変わる。
口元に笑みが浮かぶが、それは幼い戦闘狂ではなく――
“龍神”として生まれた存在の、誇りの微笑だった。
彼女が一歩、踏み出す。
その足跡のたび、地面が光を放つ。
炎の尾が龍の軌跡を描き、空に巨大な輪を残した。
ユウリは、ゆっくりと剣を構える。
金の光に包まれたティアを見上げ、笑う。
「行け、ティア。――神の罰を、龍神の名で上書きしてやれ」
ティアが翼を広げ、空へと舞い上がる。
風が鳴き、炎が唸り、世界が再定義の音を立てた。
紅蓮と黒金が混ざり合い、風が龍の形を描いた。
それは、神をも焼く存在――“龍神”そのもの。
まだ誰も知らない、“龍神の夜明け”が始まろうとしていた。




